ラプラスの魔物 千年怪奇譚 3 イブキの正体
国を追われた皇女 緑珠の日々もやっと落ち着いて来た今日この頃。緑珠は常々懸念に思っていたイブキの正体を見破る。そして月面の国『日栄帝国』へ戻る緑珠達。其処で繰り広げられる、悩み、苦しみ、そして……歓喜。だが、緑珠はまだイブキの正体を見破ってはいなかった。
「……。」
炎天下。緑珠が縁側に座って黙っていると、イブキは不思議そうに問う。
「どうなさいました?」
その問いを待っていたように、緑珠は言った。訝しげに言う。
「…ねぇ、貴方の苗字はなんと言うの?」
イブキは振り向かずに言う。
「ただの城兵に苗字なんてありませんよ。」
緑珠は鼻で笑った。
「誤魔化しも程々になさい。苗字が無いなんて、何時の時代の話よ。」
イブキは軽く笑う。
「…それは命令ですか?」
振り向かずに緑珠はにたりと笑う。
「そうね。」
イブキは苦く笑う。
「僕の苗字が大体分かっての質問でしょう?意地悪ですね。」
緑珠は足をバタバタさせる。
「意地悪では無いわよ?確認、の為。名前を間違えられたら嫌でしょう?」
数拍の後、イブキは言った。
「……分かりましたよ。降参です。」
改めて、とイブキは緑珠に向き直る。
「僕の名前は伊吹。光遷院 伊吹と申します。光遷院家が次男に御座います。」
緑珠は言った。
「…そんな所だろうと思ってたのよ。ちょっと前から思ってたの。まずやたらに所作が綺麗すぎる。中には見たことも無い物もあったわね。それでほぼ確定したんだけど…。」
それに、と緑珠は付け加えた。
「…貴方、私が貴族みたいだと言うと、やたらめったら誤魔化したわよね。あれよ。」
イブキはくすくすと笑う。
「あはは、流石にバレちゃいましたか。」
緑珠が不思議そうに尋ねた。
「ね、光遷院の人間なら、あれはあるの?ええっと…ほら、しんほー…みたいな。」
イブキが少し考えてから言う。
「……?…あぁ、『神鳳冷艶鋸』の事ですね。あれは僕が持ってますよ。」
緑珠が目をキラキラさせて言った。
「じ、神器よね?貴方、あれに選ばれたの?」
イブキはがさごそと物音を立てながら、荷物を弄り、緑珠の望みのものを出す。
「此奴ですね。…こんなのタダの鉄の塊ですよ。」
それは大きな矛だった。柄は朱色で、太い刃には朱雀を象徴とした彫り物が施されている。キラキラと目を光らせている緑珠の前に、ゆっくりと横たわらせて言った。
「僕、『日帝人』の割には魔力も霊力も全く保持していないんですよ。だから選ばれたんじゃないか、なんて兄が言ってましたけど。」
緑珠が驚いて言う。
「え…神器って言うのは、何処かそういう力がないとダメなものだと思っていたわ。」
イブキが微笑んだ。
「だから言ったでしょう?タダの鉄の塊だって。」
緑珠の横から声が聞こえる。真理の声だ。
「うわぁすっごい!これ、『神鳳冷艶鋸』でしょ?凄いなぁ……。」
緑珠が真理の感嘆に問う。
「貴方、『神鳳冷艶鋸』知ってるの?」
真理が自慢げに言う。
「『神鳳冷艶鋸』は地上でも有名だよ!知らない人は居ないと思うんだけど……その言い方は知らなかったみたいだね。」
口を尖らせて緑珠は言った。
「し、仕方ないじゃない。城にいたのだもの。」
話をすり替えて緑珠は言った。
「ねぇイブキ。貴方今、兄と言ったわね。兄弟が居るの?」
イブキは居間に座って言う。
「僕を含めて四人兄妹なんです。姉と、兄と、僕と、妹が居ます。姉と兄は確か本国には居なかったはず…妹はまだ屋敷に住んでると思いますけど。」
その須臾、緑珠の顔が険しくなる。真理がその様子を見て微笑んだ。
「…貴方それって…家族を本国に置きっぱなしにして地上に降り立ったわけなのね?」
イブキが目に見えて焦り出す。
「まぁ…まぁ…そういう、事になりますね。いやでも、屋敷だから大丈夫だと…。」
「問答無用!今すぐあの国に戻るわよ!」
緑珠が叫んでイブキに言った。真理は焦ってその宣言を制する。
「本国に!?やめておいた方が良い!君は追われて来たんだろ?そんな事をしたら捕まって、何をされるか分からないんだよ!」
イブキが真理の提案に俯いて苦しそうに言う。
「それが…最近、月の都の噂を聞かんのです。地上から月への旅行者は多い。街に買い物に言った際も、余り聞きませんでした。」
そのイブキの情報に、緑珠が言う。
「御願い真理、私は本国に戻りたいの。絶対に地上に戻ってくるから。貴方の力を貸して頂戴な。私達には出来ない事なのよ。」
頭をかいて真理は言う。
「……僕は君の願いに弱いんだ。余り願ってくれるなよ?」
緑珠の顔が満面の笑みに包まれる。真理が続けた。
「もし何かあれば2人で守るし、それだけの魔力はある。」
真理は言った。
「月の都に行く魔法は、今じゃ使えないし存在もしない。僕が倉庫で見つけた夜の帳をぬけだす方法を使ってみようか。」
3人は水面鏡に満月がかかった大きな桶の周りに立つ。真理が宝石を落として呪文を唱える。
「開け境界、飛び越える者。望まれるがままに、望むがままに、己の答えを開かれん!」
沢山の水球が、渦となって3人を囲む。ゆっくりと開いて辿り着いたのは、何かの建物やオブジェが聳える砂漠だった。緑珠が唖然とする。
「これが…本当に国なの?あの、国?あれは街なの?」
イブキが足元の砂を掬って言った。
「…砂の形質から見るに、干上がった湖の後と思われます。そして、この建物の配置を見るに……王宮かと。」
誰1人として居ない、寂れた王宮。あれほど装飾された壁なども、今は瓦礫の山だ。その答えを聞いて、緑珠は走り出した。王宮の湖に面しているのは、そうだ。躓きながらも懸命に走る。
「はぁ、はぁ、はぁ…!」
緑珠を2人は追いかける。空いている窓から入った、その部屋は。
「私の…部屋…。」
星湖に面しているのは、あの湖に面しているのは、緑珠の部屋だった。
「……どうしてこんなに綺麗なの?それだけ…私は認められていなかったの?」
緑珠は自分の狭い部屋を見回す。母と一緒に出た時と同じ雰囲気だ。
「…………行きましょう、イブキ、真理。この国がどれだけ滅んだか、私には見る義務がある。」
涙を流さず緑珠は自分の部屋を開ける。廊下はぼろぼろになり、庭園は塵と化している。振り向かずに歩きながら緑珠は言った。
「書類は行政管理室にある筈なのだけれど、その部屋の鍵は父が持っているのよ。恐らく…生きていないでしょうけれど。だから円卓の部屋に行けば、何かしら見つかるはずよ。」
緑珠は大きな木製の扉を押す。彼女の目の前に広がったのは、風に靡く書類と、向こう側の壁のど真ん中に大きく空いた、穴だった。イブキと真理は書類を見始める。緑珠が父の座っていたあの席にある書類を広げ始めた。
「……これ、お父様の字じゃ無いわ。お父様の字は、もっと寛大で、美しいのよ。こんな下衆の字じゃない。」
真理が書類を探す手を止めて言った。
「その口ぶりは、もう誰の字か分かったんだね?」
黙って緑珠はその部屋を出ると、ずんずんと廊下を進みながら呟いた。
「嫌なのよ。ねぇ、分かってくれるでしょ?認めたくないの。知ってるの。分かるの。私には測れるのよ!こんなの、こんなの、あんまりだわ。」
父親の寝室の隣に、小さな扉があった。真理は黙ったまま、その部屋を解放する。緑珠は奥にある『日英帝国歴史総資料』と書いてある臙脂色の大きな本を取り出す。
薄暗がりの中で、緑珠はそれを開いた。イブキが一通り読んだ後、苦しそうに顔を歪める。
「…っ…緑珠様、これは、」
「何よ。言ってご覧なさいよ。私は、何だって受け止めきれるのよ。」
真理も文献を読み、黙り込む。緑珠は嗚咽を上げながら膝を付いて泣き叫ぶ。
「わたしが、私が一体何をしたっていうのよ!?うぅ…あ、あぁ…どうして、ど、うしてぇ…あぁ…それだけ、それだけ…だったの?ねぇ、イブキ!」
イブキは何とか緑珠を立たせる。緑珠を慟哭の渦に陥れたその記述には、こう書かれていた。
『第一皇女逃亡につき、国内は騒乱に陥った。ローザ・ネーラ第二王妃は射殺。帝王陛下は暗殺、その上ミナモ第一王妃は処刑。帝王陛下の兄王が玉座に付く。国内は安寧に終わると思われたが、騒乱は止まらず、ここに滅亡を記す。第一皇女は悪に祭り上げられ、魔女と謳われた。国が滅んだのはあの女のせいだと、兄王は語った。この記述が第一皇女の目に止まらぬ事を天界で望むばかりである。』
緑珠はふらふらと立ちながら言った。
「良いわよ…それだけ悪者になって欲しいなら、そうなって上げるわ。アンタ達が、私と私の家族を陥れたアンタ等が、どれだけ願っても無理だった国を作ってやる…!後悔するが良いわ。」
だから、と緑珠は続けた。
「私はまだ下がれない。下がってやるもんですか。…お母様の部屋に行かなくちゃ。そんな気がするのよ。」
何とか緑珠は足を引きずりながら、ミナモの部屋へと向かう。こじんまりとしたシックな部屋は、昔遊びに来た時と全く同じだ。
「お母様…お母様…。」
うわ言の様に呟きながら母親の部屋を見回す。ふとした瞬間に目に止まったのは、緑珠宛の手紙だった。震えながら緑珠はそれを開いた。
『リョクシリアへ。
貴女を置いて逝ってしまう、こんな母親を許して下さい。貴女が逃げ切った時にはもう、母の死は確定していました。けれど、このお手紙を読んでいるということは生きているということですね。捕まって、牢獄に入れられた時、アズマは言いました。『最期だからな。何か欲しい物をくれてやると。』生憎私にはもう何もありませんでしたし、千里眼の能力で、貴女がここに来る事は分かっていましたから、貴女に最後のプレゼントを渡す事にしました。用意してくれと頼んだら、アズマは不思議そうな顔をしていましたけれど。プレゼントは私の衣装箪笥に入っていますから、見て下さいね。これはお父様と一緒に考えたものなの。20歳の誕生日に渡すはずのものだったのよ。大切にしてね。』
手紙の裏を見ると、追伸があった。
『P.S
お父様を許してあげて下さい。あの人は、一番に緑珠の事を考えている、とっても優しい人です。誰を恨んでも、私を恨んでもいい。それでもお父様の事は、許してあげて下さいね。』
ドキドキワクワクの新展開。続きも宜しくお願いします。