ラプラスの魔物 千年怪奇譚 28 風邪と蝶
月面戦争も終幕に向かい、さぁ旅を……と思った緑珠だったが、疲れからか身体を壊してしまう。其処でめくるめく起こる、新たな出会い。そして夢に囚われた緑珠の為に、イブキがとった行動とは……!?
「緑珠様の起きた気配がしない……何時もは呼んだら来るのに……。」
イブキは洗濯物を運びながら、不思議そうに呟いた。
「うーん……何でだろ……。」
「そんなにしんぱいなら見てきたら……?」
真理が寝ぼけ眼を擦りながらイブキへと言った。季節はもう秋、マグノーリエは盆地故、寒さは他の地域と比べると人一倍寒い。
「そうですね、見てきます。」
イブキは洗濯物の山を抜けて縁側よりも一つ手前の廊下、緑珠の部屋がある中庭沿いの、部屋の前に立った。
「緑珠様ー。朝ですよー。起きてくださーい。」
「……ぶき……。」
緑珠の小さな声が聞こえて、不思議そうにイブキは返答する。
「どうしました?緑珠様。……入りますよ?」
薄暗い部屋の中で、身体を持ち上げた緑珠はとろんとした蕩けた瞳でイブキを見る。
「いぶき……身体が熱いの……。」
イブキはスパン、と居間の障子を開けて真理へと叫んだ。
「大変です、真理。何時も可愛い緑珠様がよりえげつなく可愛くなってます。」
「鼻血しまえよ変態。」
「いやもうちょっと理性決壊寸前だったんですけど。押し倒しそうになりました。」
「だから鼻血しまえよ。」
真理は居間でごろごろ、ぬくぬくして、そしてむくりと起き上がった。
「君もう緑珠の部屋行くの禁止ね。十八禁が起こるから。」
「起こんないですよそんなの!起こしてもバレないようにします!」
「それ言ってる相手神様だって分かって言ってる?」
とにかく、と真理は髪の毛を整えながら起き上がる。
「僕が部屋に行くから。鼻血出してる変態は鼻血吹いとけよ。」
「あーもうちょっと無理です。本当に(自主規制)つけて(自主規制)したくなってきました……。」
色々悶絶して倒れて変態化しているイブキを横切りながら、真理は緑珠の元へと向かう。
「おはよう、緑珠。体調が悪いみたいだね。」
「んー……?私、いろんなことを聞くために、行かなくちゃ駄目なところが……。」
「あぁ、可愛らしい緑珠様。体調が悪いのにそんな事をすれば僕が監禁して差し上げますよ。」
鼻血の海を作ってぶっ倒れているイブキが声を上げる。声の方向を一瞥して、緑珠はか細く言った。
「……じゃ、家に居る……。」
「うんうん。風邪だもんね。」
真理は緑珠の額を触ると、苦い顔を作る。
「うわぁ……高熱じゃん。寝とかなくちゃ倒れちゃうよ。何か食べる?」
「……もつ煮込み。」
緑珠の食い意地の張った一言を、真理は一蹴するかの如く、言葉をすり替えた。
「うんうん分かった。果物切ってもらうね。」
「ほんっと食い意地張ってますね……。」
イブキは鼻血を吹くと、緑珠の言葉を聞く。
「とにかくお医者さん呼んでくるね。知り合いなんだけどね。待っててよ。マグノーリエが誇る名医なんだから。」
「はぁい……。」
緑珠はそう言って、もぞもぞと布団に入った。
「ハァイ!皆大好きブ○ック・ジャ○クよ!患者は何処かしら?」
「今日やたらめったら自主規制が多い日だな……。」
ピンクの髪を持ち、丸メガネをかけた女医は、自慢げに笑う。豪勢な宝石は白衣を着た身体中に散りばめられ、ぶっちゃけ格好は医者とは言い難い。
「ちゃんと自分の名前名乗ってよね!伊吹君引いてるじゃん!」
「引いて……ないです……。」
軽く顔面蒼白なイブキは、吃りながら言った。
「ドン引いてるよね!?」
「ごめんごめん!ちゃんと名乗るから!さっきはちょっと巫山戯ちゃった!」
女医は先程の巫山戯た態度とは打って変わって挨拶をする。
「初めまして。アタイの名前はイブン・スィーナー。ま、アヴィセンナって呼んでくれても良いし……アタイには色んな呼び名があるから、ま、何でもいいよ。」
それで、とメスをヒラヒラさせながら、イブンは言った。
「患者は何処?上がらせてもらっても?症状を軽くでも教えてもらえる?」
一気にまくし立てたイブンは、不思議そうにイブキへと問うた。
「あぁ、すいません。どうぞ。症状は……恐らく風邪かと。高熱が出ています。」
「そう。……患者の所に案内して頂戴。」
イブンは少し思考に耽ると、イブキに緑珠の部屋を案内させる。
「此処です。緑珠様、お医者様ですよ。」
「入るわね。」
イブンは襖を開けて中へ入る。緑珠が軽く呻いた。
「ん、んん……?」
「あぁ、起きなくても構わないわ。こんにちは。アタイは医者よ。貴女を助けに来たの。」
緑珠は高熱のお陰でイマイチ状況が読めていないらしく、ただぼぉっとイブンを見ている。イブキと真理は居間へと戻った。
「診察は直ぐに終わるわ。ごめんね。しんどいわよね。」
イブンは一通りの診察を終えると、診察バッグを引っ掴んで居間へと向かう。イブキはお茶を出した。
「お茶を有難う。でも直ぐに行くわ。」
「し、診察の結果は……?どうだったんだい?」
「そんな心配しなくても良いわよ。ただの熱よ。ま、後で詳細は話すけど。」
正座をしたイブンは出されたお茶をこくりと飲む。
「だけどね、あんなに高熱だったら幻覚見ちゃうかも。……そうだ。あの患者の女の子……何かの混血だったりする?例えば龍とか。妖怪だとか。」
彼女の守り人は茶のお盆を仕舞うと、即答した。
「そうです。それが……どうかしましたか……?」
どうやらメスを振り回すのは癖らしく、振り回しながらイブンは言った。
「やっぱりね。通りで内臓の作りが違うと思ったわ。」
「か、変わるものなのですか……?」
イブキは不思議そうに女医を見つめる。
「そうよ。結構変わるわ。彼処まで見た目が人間だとあんまり変わんないんだけど……内臓の壁とか、鼓動の速さとか。薬も多めに出しとかなきゃ足りないのよ。で、混血なら此処からが本題なんだけど。」
何時になく真剣に、イブンは白衣をひけらかして言った。
「今さっき言ったわよね?幻覚を見ちゃうかもって。」
「そうだねぇ、言ったねぇ。」
真理は目を細めると、イブンの言葉をしみじみと受け取る。
「あのね、高熱とかじゃ良く幻覚を見るんだけど、混血の子じゃ『幻覚』じゃないものも引き寄せちゃうこともあるの。」
「『幻覚』じゃないもの……それって幽霊だったりとか、ですか?」
「そうそう。其処の坊ちゃんは物分りが早くて助かるわ。」
「ぼ、坊ちゃん……。」
イブキの驚きの一言を無視してイブンは話を続けていく。
「ちゃんと見てないとふらふら〜って何処か行ったりしちゃう。だから気を付けてね。」
立ち上がって帰ろうとした女医はさらに付け加える。
「そうだ。言い忘れてたんだけど、あの患者は風邪じゃ無いよ。『心因性発熱』ってやつ。」
「『心因性発熱』……?」
真理が首を傾けるが、疑問を無視してイブンは話を続ける。
「しかも『相貌失認』っぽかったしね……ってあれ、知らない?不自然な点、無かった?」
「知りません。両者共々。不自然な点は……無かった訳ではありませんでしたが。……あ、そう言えば!人の顔……絵などは余り認知出来ない様子でした。人の顔は認知出来ているようで……。」
イブキは少し悲ししそうに俯く。
「そ、それ。でもま、人の顔が認知出来てるならもう良いと思うよ。……まぁ、あの子から言う時に聞いてあげてね。そうだ。『心因性発熱』のことなんだけど……ストレスがかかったりすると起きるの。最近何かあった?遠い所に何日も居たりだとか、死の危険にあったりだとか、断続的にストレスを感じてたりとか!」
真理は苦く答える。心当たりが全てである。
「まぁ……当てはまってるけど。」
「それよ。無理したのが祟ったんだわ。熱は直ぐに引くけど暫くは安静に。貴方達と一緒なら、きっと直ぐにストレスなんて飛んでっちゃうわ。」
イブンは薬を半ば無理矢理にイブキへと渡した。そしてニコッと笑う。
「お代は要らないわ。そのお薬はキツめのものだから、本当にダメ時に飲ませてね。今服用すれば半日は飲ませられないし、暫くは熱が引くと思うから。……と言うかアタイ、医者は趣味でやってるから。」
「そう言いつつも免許ちゃんと持ってるでしょ。」
「じゃないと医者として名乗れないでしょ?ほんっと、不便よねぇ〜。精々アタイの世話にならんようにしなよ。じゃあね。伊吹クン。真理クン。緑珠チャンに宜しくね〜!」
ひらひらとメスを振り回しながら、ピンクの髪が遠くへと去っていく。イブキはきょとんと首を傾げた。
「何であの人僕と緑珠様の名前知ってたんでしょう……。」
「ま、緑珠は兎も角……君の名前を知ってたのは驚きだな。」
少し口角を上げて、イブキは挑発的に真理を見た。
「おや、神様でもご存知じゃないことがあったんですねぇ?」
真理は呆れ果てた様にため息をついた。
「その神様だからって何でも知ってる系の言葉、嫌いなんだよねぇ。」
「『緑珠』。『緑珠』。起きなさい。庭よ。風邪を引いてしまうわ。」
緑珠はゆっくりと顔を上げる。此処は宮廷の庭で、春眠暁を覚えずと言ったところだ。ぽかぽかとして、暖かい。
「お母様……?じゃあ、あれは夢?」
「夢……?何か不思議な夢でも見たの?」
南桃が緑珠の顔を不思議そうに覗き込む。伏せって寝ていたらしく、首と肩が軋むように痛い。
「そうなのです。この国が滅びて、私が国を造ろうって一念発起するんですよ。それで、色んな国を回っ」
「ふふ、そんな訳無いじゃない。」
「お母様……?」
即座に南桃は緑珠の言葉を否定する。ただ、その否定は厳しいものだった。何時もの様な優しい母は居ない。
「『緑珠』はずっと此処に居るんでしょう?此処に居れば安心よ。辛い思いもしないわ。」
「お母様、何を言って……う、ひゃぁ!」
ドロドロと南桃の顔が溶けていく。辺りはいつの間にか黒くなり、その深淵が緑珠を飲み込み始めていた。
「私も貴女に此処にいて欲しいのですよ。」
母親が緑珠の事を『緑珠』と呼んだ時から、気付くべきだった。もしあの楽しい冒険が『夢』だったのならば、起きた緑珠に『緑珠李雅』と呼ぶべきだったのだ。
「名前をついつい間違えて『緑珠』、と呼んでしまいましたが、もう大丈夫。」
(拙いわ……此処から出なくちゃ……けど、もう、)
「……眠い……。」
ふんわりとした眠気の中、立ち上がる事も出来ない緑珠。母の形を形作っていた物は、黒いヘドロの様な物質になって緑珠の頬に触れた。その触れ方が心地良い。嗚呼、とっても……
『イコウ。イコウ。オマエモミチヅレ。』
眠くて眠くて堪らない。手を取ろうと、全てを諦めて手を伸ばした瞬間だった。
「うわ……緑珠様、起きて……しまいましたか……。」
ガタン、と何かの物音がして緑珠は肩をびくりと震わせて起きる。
「い、いぶき……。」
布団をごそごそと回してイブキが来た方向に身体を向ける。そして、回らない頭で呟いた。
「いぶきは、溶けたりしないわよね……何処にも行かないわよね……?」
ゆっくりと伸ばした、か細く震える手を、イブキは優しく掴んだ。
「ええ。何処にも行きませんよ。何時までも貴女の側に居ります。お身体の方は?」
「……しんどくない。お薬なんて飲まない……。」
「余程僕から口移しで飲まされたい様ですね。」
駄々を捏ねた緑珠に、イブキは挑発的に笑った。
「……飲む。」
「ご賢明な判断です。」
緑珠は身体を起こし、イブキから受け取った水を使って薬を服用する。
「これを飲めば暫くは楽ですよ。何か食べますか?柿を剥いてきましたが……。」
「……食べる。」
しゃくしゃくと瑞々しい音を食べながら、五切れ程の柿を全て平らげる。白磁の更に金の匙が戻った。
「……ん……美味しかった……。」
どうやら熱で反応が遅れているらしく、言葉がそうすんなりとは出てこない。
「また何かあったら言って下さい。直ぐに駆けつけますから。」
「……分かった……。」
緑珠は恐る恐る手を伸ばした。しかし、直ぐに手を引っ込める。
「……ふふ。おやすみなさい……。」
直ぐに寝入った緑珠を見て、彼は少し安心した。イブキの不安も去って、足音さえ消えた頃。小悪党が二人現れる。
「ちょ、もう帰ろう……バレたら怒られるわよ……。」
「緑珠お姉ちゃんが病気だから行こうって言ったのアリーシャお姉ちゃんでしょ!」
きゃぴきゃぴとした少年の声。それ咎める少女の声。
「確かに、確かにそうだけどさ……。」
「うっ、痛い……頭打った……。」
ゴンッと鈍く頭を打った音がする。緑珠は二人の声が遠い世界の様に聞こえている。
「ありーしゃ……?」
「ね、お姉ちゃん!上手く出れたよ!」
「ちょっと黙って!あの鬼に見つかったらどうするの!」
「あのさ、お姉ちゃんが一番煩いよ……?」
アリーシャとその弟ハニンシャは、中庭に侵入すると、近くの扉に手をかけて廊下へと侵入する。
「ど、何処なの……緑珠は……。」
「これはまた、こそ泥の臭いがしますね。」
「もうハニンシャ、どうしてそんな言葉遣いを……。」
「お、お姉ちゃん……う、後ろ……。」
「へ……?」
「今日は、小さなこそ泥さん?」
ハニンシャが姉の後ろを指さした。二人が思っていた、ニッコリと笑った『鬼』が現れる。二人はイブキを見て叫ぼうとしたが、イブキが二人の口を抑える。
「☆♪"""^‼♡”☆?♡&·&>:·☆↑$!!!」
「何を言っているのか図りかねますが、少し静かにして頂けますか?今日の夕飯にしますよ。」
「鬼!」
イブキの口の合間からハニンシャの声が響く。
「否定はしません。」
で、とイブキは腰に手を当てて二人の可愛いこそ泥へと問う。
「何用ですか?理由が理由であれば本当に今日の夕飯にしますよ。」
アリーシャは否定を、そして慈愛を叫んだ。
「違うの!緑珠に花を届けようとして……!」
「お姉ちゃん!目上の人には「さん付け」で敬語で喋らなくちゃ駄目って華幻先生に教わったでしょ!」
「おや、弟君の方が賢いじゃあありませんが。」
「緑珠なんてお姉ちゃんなんてつける必要ないもん!」
「お姉ちゃん!」
ハニンシャは必死に姉をたしなめて、しゃがんだイブキへと花を手渡した。
「緑珠お姉ちゃんにこの花、渡して下さい!元気になって欲しいって、伝えておいて下さい!」
イブキはにっこりと笑って小さな花々を受け取る。そして優しく二人の頭を撫でた。
「さ、お帰りなさい。家の人が心配しますよ。『今日は空気が悪い』。」
「……?それは、緑珠が風邪だから?」
イブキは耳元でぶつぶつ聞こえる何かを感じ取りながら、それを感じさせない笑顔で二人へと言った。
「……ええ、そうです。さぁ早く帰りなさい?」
「はぁい!」
笑いながら、声を揃えて走って行く二人を見ながらイブキは一度居間へと戻る。
「おや、その花は?」
「……緑珠様の事が大好きな可愛い子供達が渡してくれました。それよりも。」
イブキは小さな花瓶に花を入れると、眉をひそめて真理へと問う。
「この『空気の悪さ』は何ですか。」
真理はその言葉を反芻して、真っ直ぐの瞳でイブキへと問い返す。まるで、赤子の様に。
「伊吹君、『空気の悪さ』って、何?」
「……は?」
先程から何かがこの屋敷を巣食う感覚が、身を切るような邪な感覚が、この魔術師には分からないのか。
「じょ、冗談じゃないですよね……?霊力が無い僕ですら分かる『空気の悪さ』ですよ?」
「……伊吹君こそ、何を言ってるの?」
その瞬間、悲鳴が伊吹の困惑を貫く。何処か許しを乞うような声。
「緑珠様!?」
駆けつけた緑珠の部屋の前、閉めた障子の隙間から黒い蝶が溢れる。怪訝にそれを見つめると、思いを決して障子を開いた。声にならない悲鳴が劈く。
「 」
其処には。
『良くないもの』を引き寄せてしまった緑珠。正直言うと、最早風邪じゃなくね?って感じなんですけどね。え?風邪じゃない?……よく分かってるじゃないですか。そうです。風邪じゃないです。物語はどったんばったんしながらも続きます。




