ラプラスの魔物 千年怪奇譚 200 ライオンと女王
血で血を洗う話ですね。緑珠様が相変わらず演技が上手だったり、伊吹君も相変わらず演技が上手だったり、真理たそも相変わらず演技が上手だったりなお話です。
ぐっ、と鍵を差し込んで、錠が落ちた。檻の門が軋む音が聞こえて獣が寄ってくる。
「ふふふ……ふさふさね、このたてがみ。かわいいわ。大きな猫ちゃんみたい。」
撫でられるままだった獣が、思いっ切り緑珠に乗っかる。そうして唸り声を大きく上げると、彼女は腰に差している刀を抜いて立ち上がる。
そのまま獣は時期を見計らったかのように、薄い壁を突っ切って壇上へと走り去って行った。数多の悲鳴に混じって緑珠も大きく悲鳴をあげる。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!け、けものがっ……!」
その声を聞きつけて、イブキが一目散になって突き破った壁を超えて緑珠の傍にやって来た。隣には真理も一緒だ。
「取り敢えず今は順調ですね。」
「えぇ。今度は貴方達の出番よ。イブキ、真理。」
「分かってるよ。それじゃあこの機に乗じてさっさと行こう。」
イブキの差し出された手を取って、緑珠は立ち上がって、そっと二人に耳打ちする。
「私はまだ此処に居るわ。イブキは『逃げた獣を追う』という名目で行って頂戴。真理はそばに居て。二人も出ちゃ怪しまれちゃうわ。」
「御意。」
イブキが走って行ったのを見て、先程までの凛々しさは何処へやら、足をよろけさせて真理に倒れ込む。
「こ、こわいわ、ちゃんり……。」
「大丈夫だよ。僕もいるし、伊吹君がちゃんと獣を探しに行っただろう?」
よくもまぁこんなにころころ顔色を変えられるなぁと思いながら緑珠をそっと抱き寄せる。
「部屋に帰ろう。こういう時は外に出るのは危ないよ。」
「うんっ……。」
たった一匹獣が逃げ出しただけでこの騒ぎである。きっと今向かって来ているこの王は緑珠を責めることになるのだろう。それならば……。
「……あ!?お、おい、外にも何かいるぞ!」
空いた穴から入って来た野次馬から声が上がる。真理が影で魔法を使って岩鳥を出したのだ、居るのは当然である。
「行こう、緑珠!此処に居ちゃ危ない!」
あともう少しで緑珠に手が届きそうだったドナディアは酷く悔しそうに兵士に指示をする。その間をぬって二人はその部屋を出た。
「さてと。僕のお仕事ですね。」
緑珠様は人使いが荒いなぁ、と言いながら、倒れ伏した兵士が山ほど足元に転がっている兵舎の中で、イブキは服を着替えていた。
「ぼろっちい方が良いって言ったのに……。似合う服を、なんて仰るんですから……。」
返り血がべったり付いた鏡を見ながら、フードを整えていく。うん。隣国の使者っぽい。
「使者……ししゃっぽいのにいるのは……。」
唸りながらイブキが考えるのには。
「そうだ!うま!馬に乗れば良いんですね!」
此処は兵舎。近くには厩舎がある。喜び勇んで近付くと、誰も人が少ししか居ない。きっと城の中でのごたごたで手薄になっているのだろう。
「……よし。」
厩舎を見張っていた兵士が反対方向を向いた時に、奇襲をかける。首を折る勢いで締め付けると、ぐらりと兵士は倒れた。
「他は……向こうか。それじゃあいりませんね。」
此方の厩舎の方は見えにくい位置に兵士が立っているから気にしなくて良さそうだ。厩舎の扉を開けて、中に居る馬を一匹、外に連れ出す。
「鞍は……着いてますね。よし、他もついてるのなら……。」
馬になんて乗らなくても自分の足で走った方が早いのだが、それだと使者っぽくない。今から騙す相手は言葉は聞かない癖に見栄えで物事を判断するから厄介な奴らばっかりだ。
「よっと……よしよし、良い子にして下さいね。痛い思いはさせませんから。」
左から馬に乗ると手綱を握る。馬に乗るのなんて北の城塞で指揮していたぶりだ。
「行きましょう。橋は降りているみたいですしね。」
厩舎を抜けると、城の玄関に出る。あんまり長居は出来ないなと思いながら、先程倒した城門の兵を見詰めつつ城を後にした。
「イブキは上手くいってるかしら。」
「そんなに心配しなくて良いと思うよ。アイツの実力は君が一番よく知ってるだろ?」
「……あの子ほら、少し調子に乗るところがあるから……。」
「……君が一番良く知ってるからね……。」
知らなくても納得出来るな、真理は少し肩を竦める。緑珠に割り当てられた大きな部屋で、長椅子に座り込む彼女の隣に真理が座っていた。
「直に煩くなるよ、此処は。」
「やっぱり私達に暴れないって選択肢は無いのね。」
「暴れる方が楽しいからね。」
「それは言えてるわ。」
緑珠は長椅子から立ち上がると、外が望める窓に触れる。
「あの方向よね。ジャジィーとリェフの飛行船があるところ。」
「そうだね。……あ、連絡が来た。」
真理が持っている魔導石が点滅し始めた。青い点滅。これは何も無かった、無事に保護したという証だ。
「青色だよ。問題無い。無事に保護したんだ。」
「それじゃあ今度は私達の番よね。何にも出来ないっていうのは辛いものだわ。」
私は動けないし、とすっかり窓辺でしょげてしまった緑珠に、真理は変わらず肩を叩いて声をかける。
「君には最後のシメがあるんだぜ?しょげてちゃダメだろう?」
「でもわたし……上手く出来るかしら。思い切って一発で終わらせちゃったりしないかしら……。」
へたり混んで座っている緑珠の、刀に向けられた力の籠った白い手を見る。そして態とらしくぽろぽろと零れている涙を見るに。
「……君に関しては、あんまり僕心配してないんだよね。」
だって復讐心が誰よりも強いんだから、という言葉は飲み込んで、じっ、と騒ぎが大きくなりつつある外を見詰めた。
二人が会話している、そのちょっと前。
「よっ、と……。」
イブキは馬から降りると、帰らないように手綱を適当な所に縛る。
「久しぶりに乗りましたけど、まだまだ腕は衰えて無さそうですね。また暇があれば乗りましょう。」
彼の目線にあるのは酒場だった。お金が無くても酒を買うなんて阿呆らしい、と思ったが好都合だ。話がつきやすい。
これからいとも簡単に大衆を騙し、操るかを御覧に入れよう。……ただし操れる期間は短時間しかない。
まずは息を荒くする。さも自分が『頑張って城から逃げ出して来ました』感を出すのだ。
次に、明らかに様子をおかしくする。今にも倒れそうな雰囲気を醸し出す。そうすれば大抵、
「どうしたァ、兄ちゃん。飲みすぎじゃねぇのか?」
そんな声がかかってくる。あんまり顔色が良いと怪しまれるので、こういう事をするのは夜の方が良い。暗さでわかりにくいからだ。
「た、たぶん、ど、く、かと……。さけ、に……。」
不穏な言葉を入れると、
「はァ?毒?俺の酒場にケチつけようってのか!?」
おやおや、これはまた都合の良い相手に当たったものだ。
因みに今回の場合は店主だったが、店主じゃなければ生意気な態度を取ればどんな人間でも癪に障る。店主じゃない人間はそうしよう。
「ちが、うん、です、しろ、城の……。」
「あぁ?城の酒?」
吐きそうなフリをしながら、イブキはよろよろと立ち上がる。こういう『弱っている人間のフリ』をするのは得意だ。
「ぼ、ぼく、いま宴会をやってる、城から逃げたんです、どく、がはいってて……。」
言い忘れていたがこういう時は辺に聞こえるように透る声で言う方が良い。自然に騒ぎは静まる。
「あぁ……なんか今日城でも宴会するって言ってたなァ。ふん、そんなので毒を盛られるなんて……自業自得だ。」
「僕の、主は……。この国を救いたくて……。聞いて貰えないって、おもうんですけど……。」
完璧な『貴族の口下手』加減だな、とイブキは酔いしれる。……あぁそうだ、まだ笑っちゃいけないんだった。
「あーあー帰れ帰れ。此処にはお貴族様が飲むような薬はねーよ。」
「あ、の、僕はべつ、に、いいんです、ただ皆さんが、あぶない、だけで……。」
「……一丁前に脅そうって言うのか?」
「城からけものがにげたん、です、貴方たちをころすために……。」
その言葉に、完全に酒場の動きが止まる。
「こ、殺す為って……あのクソみたいな王が俺たちをか!?」
「そうなんです、それだ、け、それだけ伝えたくて……。」
向こうから女性の悲鳴と獣の唸り声が聞こえる。あーあー、楽しくなって来たな。
「お、おい、あのこえ……!」
「オレの女房だ!間違えねぇ!」
「いつもお前のこと迎えに来てたもんな……!」
一人が走り去っていく。此処からは簡単、堰を無くした水のように……。
「他にも、獣を逃がしたみたいで……。ぼく達のことを殺すつもりなんです!あの王は!僕は見ました!」
さぁ、最後のトドメを。
「皆さんの大切な人を守る為にも、今こそぶきをとるときなんです!ぼくの、主がなしえなかった、こと、を……。」
げほ、げほ。久しぶりに喉を張り上げたから咳が出るなぁ。なんてイブキはぼんやりと思う。
「……前から思ってたんだが、あのクソはダメだ。今度は俺達で国を作らないと……。」
「そうだ!皆声をかけて今から城に行くぞ!」
おおーー!と強い掛け声がかかって、イブキの事なんて脇目もふらずに走って行く。
「……僕のお役目は終わりですね。」
人目を避けて路地に入り、軽く跳躍して屋根に登る。……あぁ、夜なのに街が明るい。あれだけハッパをかけりゃあ馬鹿は動くだろう。動かなくても、不安は残る。
「あーあ、もう止まんないですよ。可哀想に。この国は保守派が過激ですからね。直ぐに血塗れになっちゃいそうですね。」
ほら、もう悲鳴が聞こえてきた。獣が襲ったか、人が襲ったか。
「どっちが勝とうとかそういうのはどうでも良いんですけど、凄いですねぇ、言葉の力ってのは。人を殺せる力がある。」
導火線に火がついたらもう簡単。辺りで爆発するのを待つだけ。あっちの方で火の手が上がってるじゃないか。
「さて。今日はこれをつまみに酒でも呑みましょうかね……。」
ふふふ、と含み笑いをして、イブキは眼下に広がる血溜まりを同じ色の瞳をして眺めた。
次回予告
驪山がめっっっっっちゃ悪いこと考えてたりそれを凌ぐくらい緑珠様がとんでもないことをしたりだいたい後半はえげつなくなる話。




