ラプラスの魔物 千年怪奇譚 176 『黒い穴』
新たな物語が始まったり緑珠様が珍しく真理のお布団の中に入ったり、な、なんと……な展開しか続かないお話。
「おや緑珠。珍しいね。僕の布団に入り込むなんて。」
「結構入り込んでるわよ。イブキが気付いて回収しに来るだけで。」
「今日は回収されなかったみたいだね。」
「何かあるのかしら。」
「ある種そう言う運命かもね。」
だって、と真理は布団の中でくるまる緑珠の頭を撫でながら、空にぽっかりと浮かぶ黒い穴を見詰める。
「あんな真ん丸な黒い穴があるんだから。」
あれはなぁに、と緑珠は問う。
「さぁ。何だろう。良くないものだと思うけれど。でも多分あれは来客じゃあないかなぁ。君の。知り合いの。」
「黒い穴を通って来る知り合いは居ないわ。」
「そうでも無いかもしれないよ?」
そうかしら、と矢鱈懐疑的な緑珠が包まる布団に、ノックの音が響く。
「お早う御座います、大臣様……えっ。」
「ハニンシャくん、お早う。」
「えっ、へい、か、なんで、なん、で……?い、いやだ、ぼく、どうやって宰相様にお伝えすれば……?」
目の前で狼狽えているハニンシャを見ながら、真理は緑珠へと問う。
「どうするの?彼凄く勘違いしてるけど。」
「面白いしそのままにしておきましょう。」
「緑珠様!」
「言ったそばから来たんだけど緑珠。」
「そうね。」
緑珠を見た途端にイブキは喜色満面を繰り出すと、そのまま抱き着いた。
「うぇぇぇぇん何処行ったかと思いましたよもぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「……これはちょっと、予想外の、はんのう、だわ……。」
びえびえと泣きわめきながらイブキは緑珠に抱き着く。ゆるゆると立ち上がった。
「ぐすっ……何でそんないじわるするんですか……ほんとにほんとに心配したんですよ……。また誘拐されたりとか、ころ、殺されちゃったりとか、うぅ……。」
「私はこの国の王である限り勝手に何処かに行ったりしないわよ。」
「よかっ、よかったぁ……。……あっ、そうだ。」
一瞬でケロッとしたイブキは、にこっ、と綺麗な笑みを作って。
「御来客を伺っております。」
そのちょっと前。
「どうも!入れてもらっても良いかな?」
「……えーっ、と……?」
お供も付けずに、たわわな紫の髪を持った、二つのおさげに額に花の模様がある褐色の少女がくるりと門の前で回った。
「あれ?此処って顔パスでいけないの?兄様はいけるのに?」
「身分を証明出来るものをご提示頂ければ……。」
「そんなもん今持ってないよ〜。何が良いかな?」
「何が良いと聞かれましても……。そもそもお名前は?」
一頻り悩んでいる少女に、門番は軽く提示した。
「ふっーふーん!聞きたい?私の名前聞きたいよね?」
「え、ま、ぁ、はい……。」
「それじゃあじっこしょーかいっ!私の名前はヤースミーン。ヤースミーン=アル・ラー・ニハーヤ=シャムス。紅鏡帝国第二皇女にして、紅鏡五大貴族の一人!今日は陛下に謁見をお願いしに来たの!」
「こ、紅鏡帝国の第二皇女……?」
この門番が別に不勉強な訳では無いということを先に言っておこう。その理由は後で説明されるからだ。
「あー。その顔は信じてない顔だね。そりゃそうか。普段は引きこもって占いばっかりやらされてるしやってんもんなー……。」
「……いや、従者も付けずに居るからが大多数な理由なんですけど……。」
「えっ、そんな理由?でも兄様も付けてないんだけど。」
「あの御方は元々そう仰っていらっしゃいますから。あんまり違和感が無いんですよ。」
「じゃあ私もこれからそうしよーっと。んで、入れてくれない?」
「そういう訳にもいかないんですよ。とにかく確認は取ってみますから……」
城の中に入ろうとした城兵に、ハニンシャが駆け寄る。
「申し訳ありません!その方をお通しして下さい!」
「副宰相様じゃないですか。今から連絡を取ろうとしていたところなんです。」
「副宰相『様』はやめて下さいって言ってるのに……。まぁいいや、紅鏡帝国から今しがた連絡があったんです。」
「兄様が送って下さったの?」
「そうです。陛下から言われて駆け付けた次第です。ようこそ、月影へ。」
ニッコリ笑ったハニンシャの頭を、ヤースミーンはよしよしと撫でる。
「あんた私と髪の色一緒なのね……。紅鏡の人間?」
「え、あ、いや、僕は普通の地上の人間ですけど……。」
ふぅん、と手を離すと。にぱっ、とヤースミーンは笑って。
「じゃあお母さんが紅鏡の人間だったのかもね。踊り子だったんでしょ?」
「……何故それを?」
ハニンシャはそっ、と腰元にある短剣に手を伸ばす。
「怖い顔しないでよ。それに武器も準備しないで?人相で分かっちゃうんだ。」
突っ立っているハニンシャの横を、ヤースミーンは軽々と歩いた。
「それにその髪の色と肌の色は紅鏡の人間に多いからそう思っちゃっただけ。気に触ったならごめんね。」
「……過去を見られるのは、あんまり得意じゃないんです。心も。覗かれたくない。」
「ほんとそれっぽいね、あんた。それじゃあ今度からは気を付ける。」
先に歩いていたヤースミーンに、ハニンシャも続く。
「……えぇとその、案内してくれると嬉しいんだけど……。」
「申し訳ありません。直ぐにお連れ致しますね。」
顔を曇らせたヤースミーンに変わって、ハニンシャが先を行った。
「……えぇと、ハニンシャくんだっけか。」
「そうですね。」
「確かに連れて来てくれって頼んだよ?頼んだけど……。」
自分の兄の前で、ヤースミーンは深く溜息をついた。
「兄様が居るなんて聞いてない……。」
「ジャジィー……!お前というやつは……!」
「それじゃあ僕はこれで。」
「あーん!待ってよ!」
「……随分と余裕があるんだな?」
「ひいっ!」
二人が玉座の間の前で説教をしている間に、ハニンシャは間の中に入った。
「お疲れ様です、ハーシャ。」
「有難うハニンシャ。」
「いえ、大丈夫です。でも……。」
と、ハニンシャは自分の髪を触る。
「本当に髪色が良く似てますよね……。」
「お父様かお母様が紅鏡の方だったのかもしれないわね。」
あぁそれ、あのお姫様にも言われました、とハニンシャは言う。そして彼女の顔と皇子の顔を思い比べて。
「……あの二人って、あんまり似てませんよね?」
玉座の緑珠の肘置きの所に座って書類を弄るイブキは、何処か納得したような声を上げた。
続けて肘をついて座っている緑珠がぽつりと呟く。
「あの二人は血が繋がってないのよ。理由は知らないけど、ジャジィーは平民の子からある日突然王家に養女として入ったワケ。八歳ぐらいだったかしら……。」
「な、何か恐ろしい理由があるんでしょうか……?」
「紅鏡帝国は割と昔からそういう事が多いんですよ。別段珍しい事でもありません。」
「やっ、やっと説教が終わったぁ……兄様ったら話が長いんだから……。」
「終わったの?良かったじゃない。」
ふらふらしながら入ってきたヤースミーンは、頭上から降る声に慌てて頭を垂れた。
「こ、今日は!んーと……。」
こほん、と一つ咳払いをして。
「私の名前はヤースミーン=アル・ラー・ニハーヤ=シャムス。紅鏡帝国第二皇女にして、第一皇子ナムルの妹に御座います、陛下。今日は一つお話があって参りました。」
「……ふぅん。」
それだけ言うと、緑珠は笑って。
「何だかナムルが言ってたけど、拍子抜けだわ。顔を上げて?普通に話しましょ?」
「にいさ……兄が?何を言っていたのです?」
ぱんぱん、と着ていた服の埃を払いながら、よろつきながら顔を上げる。
「挨拶も出来ないだの、礼儀がなっていないだの言っていたけれど……。ちゃんと挨拶出来るじゃない。あの子ったら言い過ぎなのよ。」
くすくす、と笑った緑珠に釣られて、ヤースミーンも微笑む。……何処かぎこちない笑みだった。
「あぁ、遮ってごめんなさい。それで御用って?何かお話があるのでしょう?」
そうだ、と明らかに忘れ切っていた表情を作ると、直ぐにもう一度頭を下げた。
「お願いします!私達に協力して欲しいんです!私と……!貴方達、四大貴族のお力を……!」
「……お言葉を返す様ですが、皇女。我々はもう四大貴族で」
「そんな事を言ってられる時間はもう無いんです!『黒い穴』はもう開いてしまったのに……!枝の世界の押し付けが今全部流れて来たんです!」
「……『黒い穴』、ですって?」
「話は終わったか、ジャジィー。」
ナムルのそれは、確認では無かった。無理くり終了させようとしているのが嫌でも伝わって来る。
「ま、まだよ、兄様、ね、少しだけ時間を……!」
「少しだけと言った。……皆忙しいんだ、もう帰ろう。」
何処か優しく諦めた声音を聞いて、ヤースミーンはきっ、と睨み付けるように緑珠を見遣る。
「ねぇ陛下、返事を下さい!協力するって言って!?それだけで皆助ける事が出来るんだから……!」
「ジャジィー!いい加減にしろ!お前の占いは当たると言っても……。」
言っても聞かなそうなヤースミーンを見て、ナムルは呟くようにして言った。
「仕方ない……ライラ、やれ。」
「仰せのままに。」
「離してっ!離してよっ、私まだ陛下とっ……っ……!?」
鳩尾にまっすぐライラの拳が入ると、ヤースミーンの顔がぐらん、と倒れた。
「おぉ、お見事。」
「お褒めに預かり光栄です。……殿下、参りましょう。」
「そうするか。……騒がしくしてすまんな、緑珠。」
「あぁいえ、気にしては居ないわ。」
それじゃあを言うまえにナムルはさっさと姿を消すと、緑珠の眉間に皺が寄る。
「……くろい、あな……。」
「『枝の世界』ねぇ。随分と良く『視る』事が出来る子じゃあないか。」
立ち代わり入れ代わり真理が入って来る。そしてのんびりとした口調で言った。
「ね、真理。あの子の言ってた、『黒い穴』って……。」
「多分今朝方見たものだろう。人間であんなに視れる子が居るなんてねぇ。珍しいものだ……。」
しみじみと感慨に耽っている真理に、緑珠は言った。
「……私、もう一度あの子に会いたい。話を聞きたいわ。」
「今すぐには無理でしょうね。時期を伺ってから……。」
言い切る前に、扉が開く。
「あぁ、やっと見つけた。返答をしたいと思って……。」
ノックも忘れて入って来てしまった事に慌てるが、その前に言うべきことがある。
「ノックもせずに入ってきた事、本当に申し訳ありません。ずっと返答をしていなかったから、もう言わなくちゃいけないと思って……。」
肩で息を切らしてミュゼッタは続ける。
「この間の件です、この間、我が一族を手術するっていう……。」
「あぁ、あれね。……どうするの?」
「お受けします。お受けしますけれど、手術を望んでいない者には……。」
「もちろんそんな無茶はしないわよ。話は聞いたわ。……色々ある事だし、取り敢えず今は解散ね。」
「畏まりました。」
「僕は引き続きあの黒い穴を観察しておくよ。」
それだけ言い切ると、緑珠は我先に玉座の間を抜ける。……向かった先は、執務室ではなく。
「……誰も着いてきて無いわよね?」
後ろには誰も居ない。よし、大丈夫そうだ。この秘密は、この秘密だけは誰にもバレてはいけない。
自室に入ると、クローゼットの中にある少しだけ色の違う壁を捲りあげる。そこには鍵穴があった。そして装飾の一つになっていた鍵を使ってそれを回すと。
「あぁ、ごめんなさい。帰って来るのが遅かったわよね、泣かないで。」
緑の培養液が多く並ぶそのど真ん中に、『それ』は居た。直ぐに『それ』は泣くのを止める。
「よしよし、いい子だわ。かわいいこ。」
んっ、んっ、と勢いよくミルクを飲んでいる『それ』は、緑珠にベッタリと引っ付いている。
「かわいい、かわいい。……私の赤ちゃん。」
『それ』──赤子は、きゃっきゃと嬉しそうに笑うと、緑珠はそっと接吻を落とした。そうして、一つ、
「……しゅうり。かわいいこ。」
名前が、落とされた。
じかいよこく!!!!!
冷泉帝と花ノ宮が久しぶりに出てきたりとか三人がめちゃくちゃ仕事に時間をかけたり無理矢理冒険に出たりする話。