ラプラスの魔物 千年怪奇譚 142 あたたかいミルク
魔道式のお話を聞けたりうさぎの店主をもふもふしたり緑珠様が女子会をしたりお土産を持って帰ったりするお話!
ぼぉーっ、としながらミルクを温めていると、遠くからインターホンの音が聞こえる。そして声が続いた。
「ごめんくださーい。」
この声はシャルラインだな、とイブキは火を止めると、玄関に足を進める。扉を開けるとやっぱり彼女が居た。
「蓬莱様に御用があって……。」
「ええ、いらっしゃいますよ。部屋に行きましょうか。」
「それでは上がらせて頂きますね。」
イブキは先に二階へ上がると、ドアノブに手をかける。
「緑珠さ……うわっ。」
「えっ?……うわっ。」
二人は目の前の光景を、なるべく控えめに見ている。そりゃそうだろう。目の前で天井に張り付いている成人した大人二名を見たら。
「……何してんすか。」
「あらイブキ。見てわからないの?」
「これで状況把握出来る人は読解問題百点取れますね。」
「はー……伊吹君、この状態を見て分からないなんて……。」
「黙れ。」
「あっ、はい……。」
「え、えーっと、これは……?」
おずおずと口を開いたシャルラインに、イブキは淡々と答える。
「御覧の通りです。」
「……そうですね。」
「振り切れたわねぇ。」
緑珠へと向き直ると、イブキは頭を抱えながら問うた。
「何してそうなったんですか?」
「ふふふ……よくぞ聞いてくれました!」
思いっ切りカッコつける。……天井に磔になりながら。
「なんと!なんと!物を浮遊させる魔道式が完成したのよ!」
でもねぇ、と腑に落ちなさそうに緑珠は続ける。
「喜んでたら足滑らせてこうなっちゃって、部屋に入ってきた真理に助けを求めようとしたら……。」
「二人してこうなっちゃったって訳だよ。」
「……で、これどうすればいいんですかね。」
「其処のスイッチを押せば魔道式は効力を失うわよ。」
緑珠の指さした先には、古びた机の上に爆弾のスイッチの様な物がある。
「……何でこんな見た目にしたんですか……?」
「何かこう、ぽいかなって。」
「確かにぽいですけど……。」
イブキはそのスイッチをシャルラインに渡すと、丸く描かれた魔道式に近付く。
「シャルラインさん、それ押して貰えます?」
「え?あ、はい。ぽちっと……。」
緑珠は綺麗に抱えたイブキだが、真理は指一本で支える。
「えっ!イブキ凄い!それ私にもやってー!」
「駄目です緑珠様は僕の総面積全てを使って抱きしめるんですぅ。」
「ちょっ、まっ、人体の重心貫いてるの凄いけど、あの、下ろして……。」
イブキは見向きもせずに真理を乗せている手を下げると、思いっ切り人が落ちる音がする。
「まぁ!酷いことしちゃ駄目よイブキ!真理、大丈夫?」
「いたい……。」
イブキの腕から駆け下りた緑珠が、真理の近くに駆け寄る。
「……ざまぁ。」
ぽそっ、と呟いた独白を聞きながら、彼はシャルラインに向き直った。笑顔で。
「それで、御用件は?」
「えぇ……この状態で聞くんですか。貴方も酷な人ですね……。」
そっとシャルラインは地面の魔方陣を指さす。
「魔道式の状態がどうなっているか聞きたかったんですか……。どうやら上手くいってるみたいですね、って話をですね……。」
「あぁ、そうですね……。」
綺麗な笑みを浮かべて、イブキは一言。
「御覧の通りです。」
「この流れ前も……。」
地面に下ろされてばたばたしている緑珠に、ホットミルクを差し出す。この人も相当だな、と彼女は頭の片隅で思っていた。
「ま、まぁ、私はそれだけの用事だったので……それじゃあ……。」
「待って!」
そそくさと退散しようとしたシャルラインは、緑珠に慌てて呼び止められる。
「女子会、しましょ。」
「あのぅ、蓬莱様……。本当に良かったんですか?」
「気にしないで。よくある事なのよ。」
「よくある事って、言ったって……。」
多種多様な喫茶店が立ち並ぶモダンな道を歩きながら、緑珠は答えた。
「何かあの人、『買い物行くんですか!?なら僕も着いてきます!』って言ってらしたけど……。」
「言ってたわね〜。真理に止められて『こんなの離婚じゃないですか!』って半泣きだったけど。そもそも結婚してないのだけれど。」
「……えっ、結婚していらっしゃらないんですか……?」
「それ凄く言われる〜!」
「……色々大変ですね。」
死んだ魚の目をしている緑珠に労わるように声をかけた。
「さて、本題なのだけれど。」
「えぇ、はい。」
主も従者も状況にしては酷なことをするなぁ、と言う考えをぼんやりと思考の片隅に追いやると、そのまま会話を続ける。
「今ね、働いてるの。」
「……えっ、と。そうですね、蓬莱様は働かれていらっしゃいますね。」
「あぁ、そうね。確かに働いているのだけれど、私が言っているのはそういう事じゃなくて……。」
緑珠は国造りの事ではなく、あることを指した。
「イブキの元で働いてるの。」
「大丈夫ですか?いかがわいしことさせられてません?」
「それすっごい言われたのだけれどあの子何したの。」
「いや、大丈夫かなって。」
「凄く純粋な疑問ね。」
というか、とシャルラインは訝しげに目を細める。
「どういう業務内容なんですか?」
「家事よ。『家事と働くことの厳しさを知って下さい』、って言われたわ。『あと上手い話には必ず裏がありますよ』、とも。」
「……あぁ、なるほど……。」
話を続けさせるように続ける。
「で、どうしてこんな場所まで?」
「なんと!お給金を貰ったのです!」
「……まぁそりゃ、『雇う』という形で働いてますからね……。」
お給金貰えないこともあるけど、ぼそりシャルラインは呟く。
「でね、お菓子の詰め合わせでも買って帰ろうかなって。ボンボンとかだったらイブキだって食べれるし。色んな種類が入ってるのが良いわね〜!」
「目星は何かつけてるんですか?」
「此処らのことは、よく分からないし……。貴女が居たから聞きたいなぁって。」
「手持ちはどれくらいあるんです?」
緑珠はポシェットから紙幣を五枚取り出す。キラキラとした笑顔で申し訳ないが、聞くことは聞こう。
「ええっと……蓬莱様、何時から働いてるんですか?」
「丁度一か月前くらいからかしらね?」
「お給金は何時貰って……?」
「一週間に一回よ!」
「……あの人って確か法律を……。」
「勉強してたわね!」
「業務内容は結構大変だったり……?」
「えぇ!直ぐに寝てしまうくらいには辛いわ!休みも無いのよー!」
わぁお、とシャルラインはまたまた呟く。ええっと……紙幣一枚一週間……千だから……それを七日で割ると一日百四十二で……となると、時給は……。
「……蓬莱様、労基って知ってます?」
「労基はあんまり詳しく……一通りは法律も目を通したけれど、どんな法律があるかぐらいを把握したぐらいで……。」
うぅん……でも家事か。なら毎日頑張ってくれている母に感謝しなくちゃな……。もう隣国に居て毎日は会ってないけど、と彼女は目を伏せる。色んな意味での『社会勉強』だ。
「で、何か良いお店知ってる?」
緑珠の声にはっ、とシャルラインは顔を上げる。
「そう、ですね……。」
紙幣5枚分で買えるもの、か。なら……。
「良いお店を知っています。喫茶店の詰め合わせとかなら良いんじゃないですかね。」
「おぉ!楽しみだわ!」
「其処でお茶でもしていきます?」
「するする!」
路地裏に入ると、直ぐにその店は見えた。何の変哲もない、普通の土壁だ。
「そっちじゃないんですよ。」
「え?こっちじゃない?」
すっかりドアノブに手をかけてしまっていた緑珠は、その店の隣にある数段の階段を降りているシャルラインに続く。
「此処です。」
「……ここ?」
彼女が立っている場所には、人一人が入れるくらいの緑の扉が、壁に張り付いている場所だった。
「……地下冒険、みたいだわ。」
「不思議の国では無く? 」
「その前の題名の方が、この場所にあってるかもしれないわね……。」
金の小さなドアノブに、シャルラインは手を伸ばそうとする。そして緑珠の手を掴んだ。
「ひゃあっ!」
ぐるんっ、と視界が回って、思いっ切り突き出される。どれだけ視界がふらついても、緑珠の足はそのままだ。
「ぇ、あ、あれ……?」
「着きましたよ。マスターっ!」
シャルラインは手を離してカウンターに走る。特に装飾もされていない土壁だけが、いやに視界を覆う。
ただテーブルとイスだけが、酷く可愛らしい色とりどりのパステルカラーで塗られていた。ちょんちょんと緑珠の足に何かの感触が起こる。
「ん……?うさぎ……?」
給仕の格好をした白いうさぎが、足の間で座っている。ひょいっ、とそれを抱き抱えた。
「きゃあっ、うさぎだわーっ!かわいい、かわいいわね……。」
「言ったじゃないマスター!あんな可愛い給仕を置いたら絶対皆触るって!」
「触んねーだろ普通!」
「いや普通に動物が好きだったりうさきが好きだったら触ると思うわよ!」
「あら。マスターもうさぎさんなの?」
「俺はうさぎじゃねーよ。」
乾いた、それでも何処か優しい声が、古そうなタキシードを着た白うさぎから聞こえる。
「ちょっとした魔法使いだったんだけどよ。間違って自分の姿がうさぎに見えるようになっちまったのさ。」
「そうなのね。マスターは人間さんなのね……。」
「何でちょっとしょげてんだよ。……つかお前、この人って……。」
マスターはシャルラインに顔を向ける。そして自信満々に彼女は答えた。
「そうよ!これからこの国を治める蓬莱 緑珠様!喋れて良かったわね!」
「え、あ、マジか……。」
じゃあ、とどぎまぎしながらマスターは続ける。
「な、何か用で来たんだ……来たのでしょう?何かお好きなものでも……。」
「そう堅苦しくしなくても良いわよ。ね、大事な人にギフトを送りたいの。何かないかしら。」
膝の上に給仕うさぎを乗せながら、緑珠はカウンター席に座る。マスターはぽつり、
「女の子相手か?」
「やんちゃな男の子二人よ。」
「……ったく、しゃーねーな。何時もは男相手にギフトなんか作らねーんだぞ。」
ちょっと待ってろ、とマスターは言うとカウンターの下に潜る。
数分も経たないうちに、青のストライプの包装紙に、鮮やかな青いベルベットのリボンを巻いた箱が、ぽんっ、と緑珠の目の前に現れた。
「紅茶と色んな菓子を詰めてやったぞ。甘いもんじゃなくて苦いもんもある。食べれないってことは無いだろ。」
「か、かわいい……!」
「だろ〜?」
そうだ、と緑珠はぽんっ、と手を叩く。
「お茶もしたいのだけれど、お代は……。」
「要らねぇ。王様から金巻き上げるってのもなぁ……。」
その言葉を聞いて、緑珠は膝の上の白うさぎを撫でながら言った。
「……あの、ね。お金を払うことって、大事な事だって知ったの。最近働き始めてね、お金の大切さとか、家事の大変さとか、そういうのを知って……。……だからこそ、自分が『大切』だって思ったこととかものには、『お金』を払いたいの。」
だめかしら、と顔の前に給仕うさぎを持ち上げて問う。息を飲むのが、向こうから聞こえて……。
「良いか、王様。喫茶店で金を払うって時は、大事なことが一個ある。」
神妙な声音に、緑珠は給仕うさきがからひょっこり顔を出した。
「ギフトを買うと、うちの店では割引が効くんだよ。銅貨一枚分だけな。」
「ただいまー。」
「お帰りなさい。おや、それは……。」
緑珠のやり取りを聞きながら、シャルラインは馬車に乗った。どんどん邸宅から離れて、外の長閑な田園風景を見詰める。
がたん。音を立てて、馬車は止まる。こんこん、と続いた音に馴染みがあった彼女は、重い口を開いた。
「……乗り合い馬車じゃないんだけど。」
「乗せて下さいよ。」
外から聞こえるくぐもった声に、仕方なしに扉を開けると番兵が居た。乗ると、扉が閉まる。また一人でに動き始めた。
「何してたんですか。」
「蓬莱様と遊びに行ってただけ。……やっぱ無理だなぁって、思っただけ。」
「何がです?」
「……もうそんな気持ちは無いけど……この国の王になること。蓬莱様を前にしちゃあ私なんてまだまだだなって思った。」
番兵が口を開こうとするのを抑えて、シャルラインは続ける。
「別にもう興味なかったから良いんだけどね。ただどんな人かなって、そう思って近付いた時からしばらく経って……。やっぱり国を治める人は違うなぁって。……子供っぽい感想だけどね。」
「……俺が主と慕う相手は、姫だけですよ。」
「そういうことを言ってるわけじゃないってば。……ま、夢も叶ったし。……流石に❛鬼門の多聞天❜に殺されそうになった時は怖かったけどね……。」
ぶるりと不思議な寒さから身震い一つして、腕を伸ばしながらシャルラインは言った。
「帰ったら奢ってね。夕飯。」
「……仰せのままに。」
「もぅ……そういうこと言ってるんじゃないってば……。」
妙に嬉しそうな声が、馬車に響いた。
次回予告!!!
緑珠様が思いっきり魔道式を書いたり直ぐに諦めたりイブキが思いっ切り分別ついてなかったり真理のコヒペの力で大体解決する話。