ラプラスの魔物 千年怪奇譚 128 自動施錠
ベッドの凄さに驚いたり何だかルビがおかしかったりまたまたパニクったり逆さになったりと、久しぶりのゆっくり回!
「……凄いわね、このベッド。」
起き抜けに、緑珠は掠れた声で言った。何が凄いかこのベッド、恐ろしく疲れを癒すのである。
「真理はまだ寝てるけど……。イブキは?」
彼が寝ていた場所は綺麗に整えられている。何とも彼らしい事である。
「鍛錬ね……多分。それか朝ご飯……。」
ふわぁ、と緑珠は大きく欠伸をする。どれだけ寝たと言ってもやっぱり眠い。でも一応起きなければ。真理を起こすのは忍びないし、先ずはイブキの所へ行こう。
音がする方向はやっぱり台所だ。ひょいっとイブキの姿を覗く。
「あぁイブキ、おはよう……。」
「御早う御座います、緑珠様。今日は……。」
どうしましょうか、という言葉を遮って、緑珠は言った。
「今日はお休みにしようと思うの。皆疲れてるでしょ?今日は休日。……昨日、伝えれば良かったわね……。ごめんなさいね、言いそびれちゃって……。」
「いえ、それは構いませんが……。」
イブキは少し考える仕草をすると、料理に視線を戻した。
「それじゃあ朝昼夕食、全て作り置きしておきます。皆が好きな時間に食べれますよ。」
「ごめんなさいね、有難う……。」
食事を作りながら、イブキは緑珠へと言った。
「まだ少し時間も早いですし、お眠りになられては?起こしに行きますよ。」
「そうね、有難うね……。」
あぁ、また眠くなってしまった。眠い眼を擦りながら、緑珠は部屋へと戻った。
「……ん?りょくしゅ、おきたの?」
薄暗がりの生暖かい布団の中で、真理が問う声が聞こえた。
「ちょっとだけ。……ね、ちゃんり。今日はお休みにしましょう。疲れてるでしょ?イブキがご飯作り置きしてくれてるし、何時起きても食べても大丈夫よ。」
そっかぁ、と優しげな声が続くと、また寝息が聞こえる。それを聞いた緑珠は、再び眠りに落ちた。
「緑珠様、起きて下さい。」
はっきりと、その声が聞こえた。随分と目覚めが良いらしい。ぱっちりと目を開ける。
「今日は愚図らないのですね?」
「何だかすっきり目が覚めちゃった。真理は……。」
横を見ると、真理は居ない。広いベッドに緑珠一人だけだ。
「一時間ほど前に起きましたよ。朝食は……。」
「多分、自分で用意出来る。……えっと、洗面台は……。」
「玄関の反対側です。」
緑珠の髪を梳かす準備をしているイブキを横切って、言われた玄関の反対側に向かう。
そう言えば昨日は疲れすぎて二階や他の部屋には行っていない。それを探索するのもありかもしれないわね、と思いながら、緑珠は思いっ切り水を顔にかけた。
化粧水をしっとりと馴染ませたら、すんなりと元の部屋に戻る。大人しくイブキの前に座ると、髪が梳かれる。……あれ?でも……。
「……って、ダメダメ!イブキ!今日お休みだから!」
イブキの手首を掴んで、緑珠は慌てて立ち上がる。だが当の本人はきょとんとしているだけだ。
「ダメって……何がです?」
「いやイブキ、今日はお休みなの。」
「……そうですね?」
「……えっと……。」
ぴったりの言葉を見つけたと思い、叫ぶ。
「えっと……。そう、『安息日』なの!今日は!何もしちゃ駄目な日!御理解頂けて?」
イブキはブラシを持ちながら考えると、にこっ、と緑珠に微笑む。
「緑珠様のお世話は、僕の生の一部ですから。安息日って言われてもやる事はやりますよ。」
はぁ、とイブキは深く溜息をつく。
「……出来れば朝食の準備も、僕がしたかったんですけどね……。」
「えっ、えぇー……。」
だって、と彼は振り向いている緑珠をそのままに続ける。
「『安息日』って、『安息日(緑珠様を構い倒す日)』でしょう?」
「ごめん、違う。」
目を伏せて緑珠は考える。でも、私を構い倒して精神面が回復するのなら……。
「……それで貴方は元気になるの?」
「はい!すっごく元気になります!」
子供かよ。と言いそうになるくらいきらっきらっの瞳でイブキは言う。何だか色々込めた溜息をついて、緑珠は何時も通りに座った。
「……元気になるなら、良いのよ。」
「緑珠様は元気にならないんですか?」
「私は別に、一人で居る時も複数人で居る時も変わらないから……。」
何だか落ち着く刺激のあと、またうつらうつらしてしまっていた緑珠に、イブキが声をかける。
「はい、出来ましたよ。お着替えをしていらっしゃる間に、朝食準備しておきますね。」
イブキが部屋を出て行くと、鞄から水浅葱の部屋着を着る。
慣れた手つきで帯を締めると、一つ思い出した様に旅装束を背負って台所に向かう。
「ね、イブキ。今まで着てた服は……。」
「洗面所に洗濯機がありますから、其処の隣のバケツに捩じ込んどいて下さい。上下分けて、ですよ。」
「え?捩じ込む?……えぇ、分かったわ……。」
何だか不穏な言葉をふっかけられた気もしないでも無いが、言われるがままに分けてバケツに捩じ込む。
一通り終わったところで、緑珠はてくてくと台所に歩いて行った。
「あとはお皿に乗っけるだけなので座って待ってて下さい。」
台所のすぐ側には四人がけの台所机があった。
青い格子模様が綺麗な机布が掛けてある。
椅子を引いて座ると、同タイミングで朝食が来た。
今日の朝食は黄身が目立つ目玉焼きに、ぱりっとした羊腸詰、こんがりと焼かれた焼麺麭に、薄い乾酪が乗っかっている。
「今日も美味しそうね。頂きます。」
手を合わせて、羊腸詰をちょいちょいっと焼麺麭に乗せると、思いっ切り被りつく。
噛んだ側から肉汁が溢れて、それを乾酪の酸味が緩和する。柔らかい焼麺麭が全てを包んで、美味しいったらありゃしない。
ふと目の前の視線に気付いた。イブキがにこにこしながら、頬杖をついて緑珠を見詰めている。
「……どしたの?」
「いや、美味しそうに食べるなぁって。作った甲斐があるものです。」
「美味しい物に美味しいって思ったり言うのは、普通のことでしょ?」
目をまん丸にした緑珠に、イブキは苦々しく言った。
「貴族の方々は済まして食べるでしょう?だから家族の間でもあんまり声を上げて美味しいって言ったりしないんですよ。緑珠様はどうでした?」
「私は……。よく料理長にお手紙渡していたけれどね。お勉強の間、サボってた時に良く渡していたわ……。」
でも、と緑珠は首をかしげながら言った。
「……料理長によく『苦い物は出さないで』って頼んでいたのだけれど、逆に増えてしまってね……何故かしらね?」
「多分それでですよ。」
半熟の目玉焼きをひょいと頂くと、緑珠は手を合わせて言った。
「ご馳走様でした。」
「口元付いてますよ。」
極自然な感覚で、イブキは緑珠の口を拭く。
「はい、取れた。……どうされました?」
「……口元拭かれたの、何時ぶりかなって……。」
イブキはその言葉の意味を暫く考えて、恐る恐る顎に触れていた手を下ろす。
「……済みません、妹にやる感覚で、つい……。」
「いえ、気にしてないわよ。ただ目線が凄く、『お兄ちゃん』だった物だから……。」
静止した薄笑いを浮かべながら、イブキは言った。
「緑珠様、もう一回『お兄ちゃん』と……。」
「え、嫌よ。」
「大丈夫です僕用に使うだけなんで『お兄ちゃん』って言うだけで」
「やぁーよー。じゃあイブキが私に『姉さん』って言いなさいよー。」
完全悪ノリの口調で真顔で緑珠は言う。仕方ないですねぇと前置きして、イブキは言った。
「……『姉さん』。」
じんわりと声が染み渡る。それを聞いた緑珠は椅子を引いて立ち上がった。
「……私図書館探してくるわねー。」
「待って下さい緑珠様僕に『お兄ちゃん』って言って下さいお願いしま」
「今日は『安息日』よイブキ。」
「そんなぁぁぁぁぁ!」
どうやら這いずり回っているらしく、台所の扉の下の方から手がぴくぴくしているのが見える。控えめに言ってとても怖い。
「えーっと、昨日ざっと地図を見たところによると、図書室は二階の左手……。」
玄関の正面にある階段から二階へ向かい、左手の扉手を握り、回す。
「おっと。ハズレね。」
また個室がある。それでは次の扉。がちゃん、と開けると本棚が並んでいる。当たりだ。
「あ、あぁ緑珠、おは、おはよ……。」
真顔の緑珠の前には、何故か、何故か。組み込まれた柱に足の甲を使ってギリギリ落ちないようにしている真理が居る。しかも呻き声混じりな声を出しながら。あと本も読みつつ。
「……真理、今日は『安息日』よ。『ラプラスの魔物』である貴方にとって、一番守らなくちゃならない日じゃないかしら。」
「控えめに言って助けて緑珠。」
「たすけ、助けるってどうやって……。そもそも貴方が飛べば良いんじゃないの?」
それもそうだな!と言わんばかりにフィンガースナップを繰り出すと、綺麗に下り立つ。
「いやぁ〜助かったよ!伊吹君は『蹴ったらめっちゃ鼻血出そうですね。昔した拷問にそんなのありましたけど。』って嗤って扉閉めちゃうしさ〜!」
「あの子バカね。」
「むしろある意味凄いなぁって。……緑珠、今日は結構無表情なんだね?」
「そりゃ『安息日』だからね。表情筋も休めるのよ。」
「『安息日』ってそんな日だっけ……?」
緑珠の無茶苦茶な言葉に懐疑を示す。だが直ぐに笑顔に戻すと、大きく手を広げた。
「ね、見て緑珠。凄くないこれ。本の選択が凄くいいんだよ〜!」
「……そうなの?ごめんなさい、私には少し分からないわ……。」
背表紙をなぞると埃が手につく。……色々面倒になったので、図書室はこれくらいにしておこう。
「また明日来るわ。他の部屋も見てみたいし。」
「ん。待ってる〜。」
ひらひらと手を振りながら本の海に溺れた真理が居る扉を閉めて、また廊下に出る。
「さて、次は何処に行きましょうか……。」
軒並み扉を開けて行くが、埃が被った物置やら寝室くらいしかない。
ならば一階だと思い一階に向かうが、同じような物しか見当たらない。
「……つまんないの。」
ふと洗面所でそんな事を呟くと、写った鏡に扉が映る。見えにくい影になっている場所に、木の扉があるのだ。
「……あれは……。」
振り向いてまた、ドアノブを掴む。そして、回す。
「暗いわね。」
端的に言って、カビ臭い。何があるかもわからない。瓶が陳列していたから洋酒棚か?
「凄い量……。」
扉を閉めると、何処かで重い音が響く。白い肌に、冷や汗が一つ。
「……まさか。」
今のは完全に錠が下りる音だ。真っ暗闇の手探り状態で扉に触れて、押す。
「開か、ない……。」
何故鍵が下りたんだ。何か拙い事でもしてしまったか?
「開いて、開いてよ……!」
助けを呼ぶことさえも忘れて、ドアノブが壊れそうなくらい回し続ける。
「……うぅ……。」
ぽろぽろと涙が零れそうになるし、事実零れている。暗い場所で、またひとりぼっち?
……また?
足が震える。息が出来なくなる。暗い部屋が、益々冥くなる。
「たす、けて、だれ、か……。」
そうだ。名を呼ぼう。絶対に助けてくれる名前。
「い、ぶ、き……!」
一秒が数日に思える苦しさの中で、目の前が真っ白になる。とうとう意識が飛んだのか、と勘違いしていた白い光は、外の光だった。
「……緑珠様?」
不思議そうな顔をしているイブキに、緑珠は思いっ切り抱きつく。
「おわっと……。どうされたんです?こんな場所に座り込んで。寒いですよ。」
「……くらいの。怖かった。自動錠なんて聞いてない……。」
「それは僕も初めて聞きました……。」
イブキはよしよしと撫でると、両手を優しく取った。
「立てます?」
「……うん。」
彼は、立ち上がらせて、安心させるように抱き寄せると、薄暗い洋酒棚をため息を付きながら見上げる。
「にしても……壮観、ですね。高級な物ばかりですよ。」
「……そうなの?」
「そうですよ。見てみます。……緑珠様は戻られた方が宜しいのではないですか?」
ぴったりとくっつきながら、緑珠は呟く。
「人が居るから怖くないわ。狭そうだし。見てみましょ。」
そうして二人は、部屋の中に足を踏み入れた。
次回予告!
シャルラインの力を改めて感じたりワインを探したり卵を生で食べたりそれを心配したりとまだまだ続くほのぼの回。