ラプラスの魔物 千年怪奇譚 115 激おこもぉど
黒い獣に逃げられたりイザナミちゃんが狼狽えたり本気で捕まえに行ったりする面白すぎるお話!
「え!?じょ、冗談じゃないわよ……。」
【知らないわよ。私だってびっくりしたわ。だって……。】
首を傾げて、イザナミちゃんは言った。
【まさか結界を引き連れて逃げるなんて、思っても見なかったのだもの。】
古ぼけた椅子に座りながら、真理は呟く。
「妖獣が結界を引き連れて逃げるとは。……何をそんなに急いでいるのやら……。」
「伊邪那美女史、場所は分かるんですか?」
【場所は分かるわよ。そりゃあね。私が結界を貼ったのよ。】
軋む椅子から下りると、支度を終えた真理は言った。
「……ま、兎にも角にも見つけなくちゃね。あの妖獣の事だ。場所が分かったところで速いから捕まえられないよ。」
「それはそうだけれど……資料も探さなくちゃ駄目だし……。」
弱ったなぁ、と顔を顰める緑珠に、真理は申し訳なさそうに言った。
「あのねぇ……それが、ねぇ……。」
イザナミちゃんと顔を見合わせると、
【あの妖獣が、資料なのよ。】
「……は?何を言ってるんですか……?」
口を開ける前に固まった緑珠と、何とか口火を切ったイブキ。やっと動き出した中で、彼女は言葉を紡いだ。
「ちょっと、待って……それなら、私、私が……喚んだ、事に……。」
【緑珠。落ち着いて。何も貴女が喚んだと言ってる訳じゃないわ。判断を急ぐと見誤るわよ。】
「……よね。そうよね!もう、イザナミちゃんったら。慌てっちゃったわ。」
表情を無くした緑珠が表情を取り戻すのに幾許か時間がかかったが、彼女は胸を撫で下ろす。
【とにかく探しましょう。あの獣、本当に何をしでかすか分からないわ。】
「そうですね。皆に伝えましょうか。」
【そうして頂戴。】
緑珠と伊吹が屋敷から出て行くのを見届けると、真理は陽だまりの中で呟いた。
「……なーんて、優しいねぇ。伊邪那美も。」
創造神のその言葉に、イザナミちゃんは振り返る。
【あの子の情緒がまた不安定になったら、私の神性が揺らぐもの。それは困るのよ。とても。使える力がどんどん使えなくなっちゃうから。】
口だけかと思い、そっと彼女の心の内を覗くと、本当にそれだけしか考えていない。
本当に、それだけ。
「……ある種自然な形なのか。」
神は人間を淘汰し、玩具に数える存在。何を今更と自分で思うが、感情を知った、感情を知ってしまった今ならば。
【どうしたの?】
「……いいや、何でもない。僕達も行こうか。」
【えぇ。そうね。全く困っちゃうわ。あんなに力が強いなんて……。】
椅子から重い腰を上げた真理は、二人の後を追った。
「全く……逃げられるなんて。お転婆な妖獣なのね。」
「お転婆。まぁ、確かにそうとも言えますが……。」
物音のする方や瓦礫の裏を皆で探す中、緑珠は呟いた。
「伊邪那美様の力で探しても早すぎて見つけられないって……。」
路頭に迷う花ノ宮に、イザナミちゃんは鼻で笑った。
【まぁ精々人間紛いが頑張っ】
「あ?」
【真面目に探すからちょっと待ってね。】
意気揚々だったイザナミちゃんを、イブキは首根っこを掴んで威圧する。一瞬で顔が強ばった。
「宜しい。」
【マジこいつムリ……いっけなーい、殺意殺意よほんと……。】
「何ですかそれ。」
【倭国でちょっと前に流行った言葉。】
でもねぇ、とイザナミちゃんは首を傾げながら言う。
【見つけた所で、捕まえられるの?】
「それは……。」
緑珠が答えるのと同時に、ぽつ、ぽつ、と石畳にシミが出来る。
「あらあら、雨だわ……。」
「軒下に入りましょうか。」
元々茶屋か何かだった建物に入って緋毛氈が敷かれた長椅子に座ると、なるほど何とか雨は凌げそうだ。
立ち上がって、軒先に浮かぶイザナミちゃんを誘う。
「イザナミちゃんも。ほら、おいで。……というか、濡れてないのね?」
【私は死んでるからね。】
軒下から手を伸ばして、イザナミちゃんの手を握る彼女の手はびしょ濡れだ。
「ほら、入りましょ。濡れてないと言っても見てるこっちが冷えちゃうわ。」
じっ、とイザナミちゃんは握られた緑珠の手を見詰める。酷く、暖かい。
【……いい。妖獣探して来る。】
半ば振り払う形でイザナミちゃんはその場を離れる。
「な、何か悪いことしちゃったかしら……。」
しょんぼりと長椅子に座ると、イブキは宥めるように言った。
「あの神は気に触ることがあれば直ぐに言いますよ。何か思うところがあったのでしょう。気にしなくて良いと思いますよ。」
「……そうかしら。……あぁ、ちょっと疲れちゃったわ……。」
篠突く雨だ。暫く止みそうにない。長椅子の上で三角座りをしながら、緑珠は呟いた。
「そっちに行ったら濡れますよ。ほら、僕と場所代わりましょう。」
何気なく抱き寄せられると、暖かい落ち着く中で、一言。
「……構って欲しかっただけでしょ。」
「えへへ、バレました?」
温もりにくるまりながら、緑珠は問うた。
「貴方は、怖い?」
怖い。恐怖。ぽつり告げられた言葉に数多の意味が含まれているのを感じながらも、それはきっとこの国の自分と対面する事だろうと悟ると。
「……そうですねぇ、怖いですねぇ。僕もおかしくなっちゃうかもしれません。元々おかしくなっちゃってますが。」
「怖くなったら言ってね。私ならちょっとくらい相談なら乗れるから。……ねむい。」
赤子のようにくるまる主を見ながら、イブキは慌てて言った。
「寝ないで下さいよ。まだ早いんですからね。夜遅くになって寝られないって言って僕の部屋来ても寝かせてあげませんからね。」
「そんな意地悪言わないで頂戴。……それに何だかその言い方、ねぇ。」
純真無垢だった緑珠の顔が、どんどん意地悪い笑みに変わっていく。
「……かくしんはん、ですか?」
赤面してまともに顔を見せないイブキに、腕から飛び出した黒猫は言った。
「さぁ?どうでしょー!」
雨は酷くなり、水の布が織り成される。小さな水鞠が肌に張り付く。
「止まなさそうねぇ……。」
【……見つけた。】
イザナミちゃんの声が響くと同時に、緑珠の隣の空間に裂け目が入る。
【見つけたわよ。妖獣。雨宿りしてる。】
「有難う、イザナミちゃん。仕留めるのなら今のうちね。」
ばっ、と緑珠とイブキの頭上に小さな結界が出来る。どうやら傘代わりの様だ。
【アンタ達は燃費が悪いから、結界張るのも一苦労でしょ。手伝ってあげる。ほら、早く行きなさい。『これ』について行きなさいな。】
「重ね重ね有難う、イザナミちゃん。イブキ、行きましょう。三人を呼んでくるわよ。」
足元には結界が張られていないので、靴に水が染み込む。イザナミちゃんが出した火の玉を追い続けると、件の二人に出会った。
「冷泉帝、花ノ宮公女!」
「話は聞いています!向かいましょう!」
「待って、真理は……!」
「真上に居るよ!」
上から振りかけられた声は、確かに微笑んでいる。それを見て緑珠は頷くと、
「行きましょう!滅多に無いチャンスよ!物にしないと……!」
合流した先で火の玉を追うと、曲がり角で突然止まる。その先には確かそれなりに大きい家があった筈。
「……確かに、居ますね。」
曲がり角で目を瞑りながらイブキは言った。
「方位は?」
冷泉帝の一言に振り返りもせず、イブキは答える。
「一階の南西の角です。上からは攻めれません。抜け落ち損なった屋根があるので。襲うのなら回り込むことをオススメします。」
「ちょ、ちょっと?二人共仲が悪いんじゃ……。」
真理のご最もな質問に、緑珠は苦笑いしながら答える。
「あの二人、戦闘になると手を組むのよ。後は、そうねぇ……。」
影を媒介にして消えた冷泉帝の名残を触って。
「己が為、『愛おしい国』を守る為なら。あの二人は剣を振るうの。」
「了解しました。ヘマはするなよ?」
「お前こそ。」
正に喧嘩一歩手前な二人に、緑珠は声をかけた。
「なら私達は回り込むわね。」
「お願いします。」
元来た道を元に戻って角を曲がると、直ぐに屋敷の裏手に回れる。
鈍い音が響き、低い獣の声が聞こえる。そして、倶利伽羅の言葉が飛んだ。
「飛んだ!花ノ宮公女!」
「了解です、今度こそ……!『八咫之鏡・水鏡之人』!」
鏡に獣を写すと、獣の動きが完全に停止する。
「よし、私だってやるわよ……!『剣山・風神』!」
刀を一振すると、風の刃が容赦なく獣を斬り刻む。
「や、やっぱり私の力じゃ……。」
また獣が動き出そうとしているのを見て、花ノ宮は己の力量不足を悟る。
【大丈夫。任せて。……ねぇ緑珠。私があの獣を総攻撃するから、貴女はその瞬間に戦意喪失の固有魔法を使いなさい。】
「分かったわ。」
イザナミちゃんは真理に目配せすると、それに応えるように紫の結界が獣の周りを捉える。
【……第一魔法『神代七代の末娘』。】
片手に鍵を掴んで、背後の扉を抱えながら、まん丸い穢れが詰まった霊弾を幾つも創り出す。
【我が懐は暖かいわよ。】
その言葉と共に霊弾が真理の作った結界内に転送されると、何回もの爆発音が続く。
【緑珠。出番よ。】
「りょーうかいっ!……いくわよ。我が剣は、戦刀に有らず。飾り刀にあり。故に、血に穢すもの無し。故に、剣は我が叡智にあり。統べるもの、永遠の知恵よ。固有霊魔法『万物ノ霊長ハ人間ニ非ズ』!」
抜いた刀が青緑の燐光が揺らめくが、ほんの少しの足止めにしかならない。
「あー……駄目か……戦意は確かに感じたからいけると思ったのだけれどね。……なら止められるとなると……。」
緑珠が口を開く前に、若草が空を駆ける。
「あの二人ね。」
駆けた若草が匕首を投げるが一本しか当たらない。そのまま綺麗に落下する寸前に、霊符が妖獣を貫く。
「ばーか、脳筋が。」
落下した先で着地すると、罵倒を蹴るが如くまた跳躍する。言わずもがな着地先はクレーターだ。
「……『獄炎 猛火の陣』。」
その罵倒に返すことなく真っ直ぐ妖獣を見やると蜂蜜の瞳が紅に反転する。炎は妖獣を貫いた。大きい炭が落下して行くのが見える。
「こんなもんですかね。」
丁度良い高さに建っていた時計塔に登り、呟く。
「……いや、まだ生命反応がありますねぇ。」
浮遊している冷泉帝が高みの見物と言わんばかりに皮肉っぽく言った。
刹那、時計塔が揺れる。そして下から瓦解していく。あぁ、これは。
「妖獣のせいですか……!」
逃げる前に吹っ飛ばされたイブキは、城壁にめり込む。煉瓦が弾みでぼこぼこと浮かんでは沈んでいく。
「あれやばいんじゃない?流石の伊吹君も。」
「いや、アレは……。」
全ての重力を無視して崩れた煉瓦を蹴ったその者は、銀髪赤眼だった。
「ガチギレモード、と言うやつでは無いのかしら……。」
次回予告!
緑珠の皇女時代の気持ちが吐露されたり問題が解決したり何だか主従関係があらぬ方向に進んだりする話