ラプラスの魔物 千年怪奇譚 114 再会
新たな形で再会したりお薬飲んだりなんか色々ヤンデレたりとましましなお話だったりするお話〜!
「……お父様。お母様。白霧。」
地下牢の一番奥の奥、その部屋のまた奥に、古ぼけた木箱は、確かにあった。
「僕が中を確認致しましょうか。」
緑珠はその言葉に答えることなく、長机の上に置かれた木箱に擦り寄る。
「やっ、と、会えた、みんな、わたしの、わたしの……。」
恐る恐る、木箱に手をかける。憚る思いはただ一つ、顔に怪我をしていないかどうかだ。
自分より身長が低くなった、もう撫でる手も近寄る足もない、己の両親を見る為に、そっ、と木箱の扉を開ける。
「……やっぱり怪我はしてるのね。」
母親の顔を撫でると、頬に一筋の血の跡がある。深くいっていることから、石でも投げられたのだろうか。
「……お父様、お母様、白霧、あのね、わたしね、わたしね……。」
言葉なんて出て来なくて。ぼろぼろと涙だけが頬を伝う。
「うぅ……ひっく、ぐすっ、み、みんなぁ、やっと、やっとね、私ね……。」
言葉にならない言葉を発す緑珠に、イブキはそっと寄り添う。
「……緑珠様、弔い、ましょう。きっと其方の方が、両陛下も影武者様も、貴女の話をより良く聞いて下さいますよ。」
「でもっ!」
勢い良く叫んだ緑珠は、イブキに振り返って、叫び続ける。
「あのねっ、何だか、かそうしたら……消えてしまいそうで、嫌なのっ!嫌なのよぉっ……!」
「……緑珠様。家族は何処まで行っても、家族ですよ。」
何も言えない一言に、緑珠は顔を伏せて涙を零す。
「……わたし、そんなにききわけよくないわ……。」
「……何時かそれが、分かれば良いですね。」
ぐすぐすと泣いている緑珠に、イブキは背中をさすって言った。
「緑珠様。持てますか。日の下へお連れ致しましょう。」
「……う、ん……。」
取手のついた木箱を掴むと、緑珠は立ち上がる。何せ箱がぼろいので、壊さないよう恐る恐る。
「……いつか、何時か。お父様とお母様と、白霧の事を思い出しても、泣かないように……なりたい、な。」
それは一種の忘却というものだ。人が亡き者に対して、一番忌み嫌う感情。だが、それが人を救うものであるのであれば。同意する以外に方法は無い。
「そうですね。緑珠様。」
両手が塞がっている緑珠の変わりに、イブキは入って来た大きな扉を開ける。
「霊廟で……あの憎き怨敵の霊廟で、火葬しようと思うの。」
「御意に。皆を呼びましょうか。」
「お願いするわね。……無理に、呼ばなくて良いから。」
泣き明けた後の、霞がかった思考の中で、緑珠は返事をした。遠ざかる足音の後に、軽かった木箱がずっしりと重くなっていくのが分かる。
「……霊廟、行かなくちゃね……。」
地下から出ると、入口とは反対の方向にある庭を目指す。霊廟はその奥だ。
豪華に装飾された憎き怨敵の霊廟で、緑珠はその場に木箱を置いた。
目の前には、ずたぼろにした一枚の油絵が横たわっている。火花を手に込めて、そっとそれに触れた。
音を具現する様に、ぼおっ、と燃え盛ると、緑珠は無心でそれを見ていた。
擬似的とは言え、殺したのだ。肉を裂くことは叶わずとも、確かに。
なのにこの虚無感は何なのだ。そうだ。結局、私は。
「……あの生活が愛おしくて、堪らないだけなのね。」
だからこそ憎いのだ。我が物顔でのさばった彼奴等が。憎い、憎いけれど。
「恨む事しか出来ないなんて、あんまりだわ、みんな……。」
灰と化した絵画を蹴ると、緑珠は焦げた土を掘り返す。首と、白霧の分離した身体を埋めるため。
まだどうやら時間がある様だ。緑珠は影の腐乱死体をまた掘り返すと、胸元から針と糸を取り出す。
刺繍はこれでも上手かったのだ。お互い、見せ合いっこなんかして……。
「……白霧、ごめんね、私の変わりに、有難うね……。」
崩れた身体と等しい頭を取り出して、針に糸を通して、肌に針を。
涙で視界が霞む。きゅっ、きゅっ、と首と身体を縫い合わせていく。正に首の皮一枚で繋がっているのだ。
ぐらぐらと揺れる頭を支えて、緑珠は白霧を抱き締めた。
「ねぇ白霧、聞いて、ねぇ。あのね、もうね、私のね、一番身近に居た人でね、抱き締められるの、貴女だけなのよ……。」
抱き締めた弾みに、布巾が落ちる。刺繍が、交換した布巾が。
「……ごめんね、私はまだ其方に逝けないの。だからね。変わりに、乙女の命って言われるね、髪の毛をね……。」
刀で長い黒髪を一房斬ると、布巾と共に懐に再度仕舞う。
「緑珠様。皆が揃いましたよ。」
背後からかけられた声に振り返ることなく、緑珠はきつく抱きしめる。
「……緑珠様。大丈夫です。何も消えてしまう訳では無いのです。魂は此の世で、貴女が死ぬまで共に参りし者。貴女が愛する魂は、六道を輪廻する魂として全て貴女の元へと。……ですからせめてもの餞に、きちんと向き合って下さいませ。これは別れではありません。永久の『挨拶』です。」
「……物分り、良すぎよ。」
「納得して頂けました?」
「……かんがえとく。」
慈しみに溢れた笑顔を受け取ると、緑珠は白霧と首を穴に置く。イブキから受け取った燐寸を擦ると、木々と共に穴の中に入れる。
「それでは、僭越ながら僕が祭詞を延べさせていただきますね。」
「……間違えたら承知しませんからね。」
倶利伽羅の怒気が含まれている一言に、イブキは静かに頷いた。
「……これの所を暫し住所と安く穏にその衣を遷し奉り鎮め奉る。故天皇大人と鏡桃花姫の御前に慎み敬い畏み畏み、も白す。」
息を深く吸う、何かを我慢する音が聞こえて、続く。
「その大人と姫、世を安寧に導き、その行いに過ちがあれど、子を愛し、正しき道へと導きし担い手であった事を知り給え。……これを持って、誄詞とす。掛けまくも畏き伊邪那美神の御前にて、照り映える世を望まれよ。」
辺りは静まり返って、火が木を削る音しかしない。
緑珠は恐る恐るしゃがんで、火に手を伸ばした。じう、と肌を焦そうと、近寄るなと、それは言う。
きっと『火葬』というものは、人が畏れ敬う『火』を使って、まだ『あちら側』に逝くなという壁のようなものなのだろう。
「……さようなら、私の大切な人達。そしてまた、こんにちは、しましょう。」
一つ言葉を紡ぐと、立ち上がって黙りこくる。
「……埋めるの、手伝ってくれる?」
その言葉に全員は無言の返事をすると、火を消すついでに土を被せていく。
スコップも無いので手で被せる。柔らかい土だ。布団と見まごうほど。
無言で被せ終わった時には、もう夕闇が辺りを包んでいた。
腐臭が少しと、煙臭いのが多く。その臭いに鼻が慣れてしまった頃、緑珠は手をはたいた。
「……今日はもう、帰る。……有難うね、皆。伊吹。真理。……今日は少し、一人にさせて。」
「御意に。」
「了解したよ。」
ふらついた足取りで去っていく緑珠を、残された者達は見詰めていた。
「大丈夫なんですか。追いかけなくて。」
「あの御方が一人にして欲しいと言ったのです。僕はそれに従います。……それでは。」
イブキは倶利伽羅に振り返ることなく、緑珠の後を追いかける。懐疑的に思った真理が、恐る恐る口を開いた。
「……ねぇ。君達の髪色って、感情が昂った時に変わるんだよね?」
「まぁ、そうですね。嬉しい時に色が変わる人もいれば、まぁ、まちまちですが……。」
一体何を言い出したのだという気持ちと、次に出てくる言葉が理解出来る気持ちが、相反する。
「なら緑珠は?緑珠も色が変わるんだよね?僕、色んな人の感情を見て来たつもりなんだけど……。」
「えぇ。感情が昂れば、の話ですが……。」
沈黙が、二人の間を縫う。
「……えっ、と。見た事ある?」
「…………両陛下が御崩御なされた時でさえ、あの方は……そして、今日も……ずっと、平常心で……。」
ある一つの理由に辿り着いたイブキは、ゆるゆると力無く首を振った。
「……良しましょう。怖い事を考えるのは。」
「そうだね……。……良そうか。」
次に口を開いたのは、イブキだった。
「気になってる事があるんです。」
「気になってる、こと?」
「……父は僕が何かを壊す度に、それを処理してくれていました。」
廃墟の光遷院邸の扉は開けっ放しだ。一応扉は鍵をかけておこう、と木片を置いた。
「何でそれ僕に言ったの。」
「一人で行く勇気なんてありませんよ。……僕の父、ですから。」
その言葉で色々察した真理は、歩くがままイブキの後ろを着いていく。
「父が言ってたんです。『お前が姫に仕えるようになった時、隠し部屋に行くと良い』って。……きっと、何かが……。」
「良くないものかもよ?」
「良くないものでも、好奇心には負けます。」
本棚に囲まれている書斎に入って、机の下にある番号を押す。番号は意味の分からない羅列だ。ガコン、と鈍い音が響いて、大きな本棚が動く。
「おやおや、これはこれは……なかなかに凄い隠し部屋だね。」
ほんの少しだけ歓喜を潜ませていた真理の瞳が、直ぐに懐疑的な物になる。
「……ん?」
「どうし……。……これは……。」
その部屋の奥には、瓶詰めになっている、干からびた木乃伊がある。
月日と時間、そして秒まで。瓶のラベルに刻名に記録されている。
「これもしかして、君の父君が……。」
「……は、ははっ、これは、これは……。僕は、どう、すれば、いいん、だろう……。」
膝から崩れ落ちた思考の中。きっと父も『壊す』癖があったのだ。『何か』を我慢していたと感じたのはそれか。
なら、自分が破壊衝動に抗えないのも頷ける。
「ぼくは、僕は……なにを、我慢していたんだ……なにを、夢見て……僕が、ぼくだけがいじょうだと、ぼくが、この家で……。」
立ち上がれない伊吹を置いて、真理は一番年月が近い物を選ぶ。
「父君が御崩御なされた陛下に仕えた時の年齢は?」
「……ぼくと、同じ予定の……二十歳、でした……。」
「そうか。なら違うな。それなら結婚なされた歳は?」
「……え?」
頭を抑えて唸っていた伊吹は、目の前の創造神に恐怖の眼を向ける。
「問おう。結婚なされた、歳は?」
「た、確か、二十八で……結婚記念日は、十二月八日……ま、さか……!」
「ビンゴだね。」
ぐっ、と突き出された瓶のラベルに釘付けになる。
「……結婚、した日に?」
「それ以降は残ってない。……もしかしたら……母君は……。」
もう何も考えたく無かった。理由は幾らだって考えられる。でももう、何もかも。
喉から突き出たのは、嗚咽でも無ければ鳴き声でもない。一つの歓喜、だった。
「……ふふ、ふへっ、あはっ、あははっ、何だ、父上も一緒だったんだ!こんなのどうしたっても普通じゃない!」
それは安堵だった。父も同じ。その片鱗を受け継いで居るのであれば、逃れられないのは自明の理だ。
「あぁ、そう、この感覚……身体の中が狂気で満たされる、この感覚……これが本来の僕なんだ。誰にでも笑顔をむける様な人間は、僕なんかじゃない。それは僕の形をした何かだ。」
左目を手で抑えていたのを外して、イブキは涙を零す。
「そう、これで良い、これで良いんです、そう、僕は、これで、なのに……。」
そうだ。邪魔で、堪らなく愛しい方が、ずっと。
「どうして僕の瞼の裏には、貴女がずっと笑っているんでしょうか……。」
子供っぽく泣き言を言って、呟く。
「……こんなのじゃあ、『鬼』になり切れないですよ……。」
ぐすぐすと泣いているイブキの横を通りつつ、真理は言った。
「ご飯、食べようか。今日は皆の分、作るよ。何が食べたいか緑珠にも聞いておいで。」
それに答えることは終ぞなく。ただ頷いたことだけが、空間に残った。
全て終えた温い布団の中で、イブキはゆるりと目を覚ました。それもその筈、声が聞こえてきたからだ。愛おしい主の。
「あっ……ふうっ、くる、し……。いぶき、たすけ、て!」
慌てて起きると、預かっている錠剤を取り出す。水を用意して、縋り付く主に目を遣った。
「はいはい。口を開けて下さいね。」
「は、はやく、おくしゅり、しゅき、しゅきなの、はやくっ……!」
あぁ、その顔の何と扇情的な事か。目はとろりと蕩けて、口にはどろどろの涎が引いている。紅い舌が必死に強請って突き出され、息は荒く、頬を紅く染めて。必死に縋り付いては、身体を揺らして。
まるでそれは情事の様な。劣情を抱くなと言う方が難しいものだ。
「……ほら。飲んで下さい。」
じんわりと汗をかくと、恐る恐る口の上に錠剤を置く。水を渡す前に、そのまま飲んでしまった。
「んっ、んんっ……。……ふーっ……。」
喘ぎにも似たその声に錯覚を起こしそうになるも、平静を装って声を出した。
「……落ち着きました?」
「ぼーっ。と。する。わかんない。」
何時も通りを取り戻して、縋り付く緑珠を抱き締めながら、耳元で囁く。
「寝れます?」
「みず。」
囁いた耳元で、また舌っ足らずな声が脳に反響する。
「どうぞ。」
身体が暖かい。当たり前の事かもしれないが、堪らなく安心する。
「……あんまり薬の依存がきついと、困り物ですねぇ。ゆっくりでも良いから、抜けさせないと……。」
「ど、う、して?」
不思議そうな、蕩けた顔が、覗き込んで来る。
「……え?」
「おくすり、とってもしあわせなの。だから、やめなくて、いい。」
それは少し困ってしまう。また薬を飲ませるのは大変だし、何より理性が持ちそうに無い。
「僕と居る方が幸せですよ。一時の多幸感は何も生みませんから。……とにかく今はお休みなさい。」
「……ん。」
とん、とん、とん、と規則正しくリズムを取ってやると、直ぐに眠の世界へと落ちる緑珠。
「……僕はやっぱり貴女を閉じ込めたいです。怖い世界なんて見なくて良い。僕だけ、僕だけを欲しがって欲しい。……まだ、まだ、僕が僕を保っていられる内に。……僕は貴女を喰ろうてしまいそうです。」
目を伏せて耳元で呪詛を、二度と離してやらぬ呪詛を呟くと、眠りながら嬉しそうに笑顔を作る。受け取ったのか。
「……お可哀相に。もう二度と、離してやらない。ずぅっと貴女は、僕の腕の中ですよ。」
少し開けると、成程確かに自分と主を縛り付ける『鎖』がある。……もう逃げられはしまい。
「可愛い可愛い、永遠の罪人ですね。離さない。逃がさない。……まぁ、貴女は僕無しじゃもう生きてはいけませんが。」
回していた腕をもっときつく締めて、足を絡めて横になる。恐ろしい悦楽の中、伊吹は目を閉じた。
次回予告!
黒い獣に逃げられたりイザナミちゃんが狼狽えたり本気で捕まえに行ったりする面白すぎるお話!