ラプラスの魔物 千年怪奇譚 110 執着
作者も泣いた前回の話を超えて、次なるお話は妖獣を捕まえようとしたりお風呂に入ろうと思ったらなんか最近見てないあの人がてんやわんやしそうな前日譚。
「……とにかく、これは持って行きます。その上でどうするかは、僕が決める。」
「他人の所有物なのに?」
「最早これを知っていて逃げる権利は、此処までした僕には有りません。でもこれを此処に置いて行くのはいけないことだと僕は知っている。」
机の引き出しを引くと、赤黒い、『何か』に濡れた短剣と睡眠薬、彼女が大好きな『薬』が入っていた。
「……行きましょう。僕の我儘に付き合って下さって、有難う御座いました。」
沈黙の廊下の中で、真理の心中を察したイブキは振り返らずに言う。
「多分、あの人は……。何処に書類が入っているか、御存知ですよ。きっと。」
「何が目的なんだろうね。」
何か察した真理の言葉に、それはきっと──、と言葉を紡ごうとして、止めた。
きっと自分も他人も理解出来ない『理由』だ。そう、ちゃんと言葉にして、敢えて近しい理由を言うのであれば──
「『過去の自分と決別する為』、でしょうか。」
「随分とまた疲れそうな事だねぇ。」
疲れる。疲れる。そうかもしれない。考えた事が無いから、何とも言えない。
「そう、でしょうか。」
振り返らずに怪奇を描く彼の言葉に、真理は笑いながら言った。
「楽しい過去は振り返っても楽しいけれど、君達が言う『過去』っていうのは、僕だって救い難い話の事だろ?」
「分かりません。それに対する返答をするのであれば、『僕』は『僕』を止めなければなりませんから。」
左様斯様している中に二階の資料室の前に着く。
「着きましたよ。貴方の持ち場です。」
「どーせ無いんだろー?」
「無くても何か面白い資料があるかもしれませんよ。」
素っ気なくイブキは返答すると、二人は別々の方向へと足を進めた。
「はーっ、はーっ、ど、どうすれば、そう、おちついて、そう、ふたりに……。」
会いに行かねばならないのだ。なのに足が動かない。
「くす、り、きれるの、はや……い……。」
最近薬が切れる頻度が、急速に早くなっている。薬を使っている事を言った安心感からなのだろうか。それとも、単純に耐性が出来たのか?
「ふー……。」
一つ錠剤を口に含むと、多幸感に包まれる。落ち着く。暖かくて幸せで、とてもたまらない。薬が回ってる証拠に、とても眠い。
「でも、会わないと、会わないと……。」
ふと顔を上げると、いつの間にこんな場所に来ていたのだろう。玉座がある。
「とうさま、かあさま……。」
這いながら、意味も無く玉座まで足を運ぶ。ぎりぎり立ち上がった足と、動く手で衣を纏って、重すぎる宝冠を抱いて。
「……。」
あぁダメだ、とっても眠い。眠くて眠くて、四肢の末端にまでとろとろとした睡魔が染み渡る。
冷たい玉座に腰を下ろして、緑珠は瞼を閉じた。
こんな夢を見た。
幸せだった時の夢。不幸だった時の夢。
夫と幸せに生きた時の夢。殺された夢。
子供に囲まれた夢。囲まれなかった夢。
その一つ一つの鏡合わせの夢が、彼女自身の夢でもあったし、もう一人の彼女の夢だった様な気がした。
そうだ。薬を飲んだ時は不可思議な夢を見るのだ。別段不思議な話ではない。
そう言えば思い出した。最近もう一人の彼女に会っていない。声も、音一つしない。何だか嫌な予感がして、ふと目を開けた。
目を開けると音が聞こえて、呆れたような優しいような。声が聞こえる。
「あぁもう、緑珠様。こんな所に……。」
崩れた破片の間に光がぽたり、零れ落ちている。その先には、崩れた玉座に座る、適当な衣を見繕った、『王』が居た。
「危ないですよ。其処は。」
眠っているらしい。イブキが声をかけても目を覚まさない。過去と対峙するのはそれだけ疲れる事なのだろうか。
「起きて下さい。その王冠は、貴女に似合わない。」
「……貴方もそう思うの?」
薄く目を開けた緑珠は、呟くように、か細い声で問うた。
「……えぇ。貴女には貴女の王冠がある。貴女が抱くべきものがありますよ。」
それを聞いた彼女は、手を伸ばして抱き締めろと無言の圧力を彼に向ける。
「……仕方ないですねぇ。」
そうしてやると安心したのか、彼女の身体の力が抜けるのが分かる。宝冠と衣──否、瓦礫と破れた布を纏う彼女を見る。
どうやら主は幻覚を見ているらしい。きっと宝冠なんて崩壊した時に持って行かれてるに決まってるのに。
衣なんて一着も、残る訳無いのに。
それでも信じてしまういじらしらに泣けてくるというか、まぁ、愛らしいというか。哀らしい、の方が正しいか?
「よしよし。帰りましょうか。資料はやっぱり見つかりませんでしたよ。」
「……そう。」
誘うようにして手を差し出すと、緑珠はそれを支えにして立ち上がろうとする。が。
「無理みたい、だわ。足に上手く力が入らないみたい。」
「それじゃあ手だけ取って下さい。後は僕が連れていきますから。」
震える足で立ち上がると、イブキは足を掬う。彼の腕の中で、緑珠は薄ら呟いた。
「ねぇ、イブキ。」
「どうしました?」
「くび。首を探して欲しいの。」
「首、ですか。」
玉座の間を後にして、荒廃し切った城を進む。
「白霧とね、お父様とね、お母様のね、首がね、無くてね……。」
また不安定になっているらしい。どんどんイブキの着物を掴む力が強くなっている。
「えぇ、えぇ。それも探しましょうね。」
それを聞いて安心したのか、掴んでいた手の力が緩む。
「寝ても良いんですよ。身体が重いでしょう?」
「……んー、ん、寝ない。立つわ。」
下ろせとせがむ緑珠を下ろすと、手を取って立ち上がらせる。
「立てます?」
「た、たてるわよ……。」
しかし、両足は震えていた。無理もない。薬の副作用はどうにもならないのだ。
「あぁ、もう二人とも来ていたんだね?大丈夫かい、緑珠?」
彼女は真理の声を見遣ると、彼はそれに呼応して手を差し出す。それを掴むと、彼女は。
「……うん。二人ならちゃんと立てるわ。有難うね。……イブキ?どうしたの?」
「……あぁ、いいえ。」
曇った顔を消すと、何時もの爽やかな笑みで。
「何でもありませんよ。今日はもう帰りましょうか。何食べたいですか?」
「暖かい物食べたいねぇ。」
「お前には聞いてないです。」
「はー冷たすぎ真理くん心折れちゃいそうー。」
棒読みが甚だしい真理の一言を聞いて、緑珠も頷く。
「私も暖かい物が食べたいわ。」
「緑珠様がそう言うのであれば。」
「扱いの差だよ……。」
とほほ、と肩を竦める真理の影を横切るは影、それは、『意志を持った影』だった。
「あれがもしかして、花ノ宮公女が言っていた、『亡国を荒らしている獣』……!」
真理の声に反応するかの如く、倶利伽羅の霊団が炸裂する。が、あまりにも早すぎる獣には追いつけない。ただ視認できる速さにはなった。
「公女!」
「はい!『八咫之鏡・水鏡之人』!」
花ノ宮は、ほんの少しだけ動きが遅くなった獣を鏡に写す。写された獣は完全停止すると、それを見計らって公女は叫んだ。
「我が世に有せぬ異界の獣よ!科戸の世界に身を写し、最果てに、きゃぁっ!」
バリッ、と鏡が折れる音がする。慌てて鏡を見るが、無事らしい。擬似的鏡結界が割れた音らしい。
安心したのも束の間、獣は走る。緑珠は何とか歩行可能になった空いた手を使って、刀を抜く。
「戦意が無ければ聞かないけれど……。我が剣は、戦刀に有らず。飾り刀にあり。故に、血に穢すもの無し。故に、剣は我が叡智にあり。統べるもの、永遠の知恵よ。固有霊魔法、『万物ノ霊長ハ人間ニ非ズ』!」
どうやら我々を全く相手にしていないらしい。緑珠の戦意喪失魔法は全くもって効いていない。
「……ふむ。異界の獣、か……『境界結界 捕縛』。」
網目状の結界が獣を覆うが、それも無意味。びりびりと破って逃げてしまった。
「うーん……やっぱり逃げられるとは思ったけど……厄介だな。」
伊吹は緑珠の手を取りながら、獣を視認する。蜂蜜色と茶色の瞳が反転して、紅色に染まる。
「……爆ぜろ。」
その一言で獣は炎に包まれるが──
やはり効かない様だ。遅くなった獣を、冷泉帝はギリギリ結界に収めようとするが、すっぽりと消えてしまった。
「……何なの、あの獣……。」
「妖怪にしてもあの速さは無いねぇ……。」
「僕の炎でも、傷一つ付きませんでしたね。」
緑珠は首をかしげながら呟く。
「そもそもの話、穢れを清める花ノ宮公女の鏡の結界でさえ、破ってしまうのだから……神に近しい何かかしら?」
とたとた、と花ノ宮公女が三人へと近寄る。冷泉帝は空に浮かんだまま、消え失せた軌跡を見つめていた。
「あれが獣なのです。どれだけ策を練っても、何せ神出鬼没なものですから……。」
「思ったよりも厄介な状態なのね。」
唸る緑珠に、花ノ宮は付け加える。
「捜し物でもするかのように徘徊する様ですから、きっとまた見つけられます。」
「大丈夫ですよ、花ノ宮公女。僕達も探しますからね。そんな辛そうな顔をしないで下さい。」
「最高の魔法使いも居るしね。」
「この魔法使い、やるときゃやりますからね。」
「何だよその言い方。僕は強いよ?」
「僕の方が強いです。」
喧嘩腰でも何処か柔らかい二人の物言いに、花ノ宮も安堵の表情を浮かべる。緑珠は屈んで、彼女へと言った。
「心配しないでね。私達、自分の身は守れるくらいの力はあるから。……たぶん、私も。」
「……頼もしくて、良いですね。」
「頼もしいのはこの二人よ。さて──。」
屈んでいた緑珠が身体を起こして辺りを見回すと、もう夕闇が空を駆けている。
「またあの獣が夜に出ると危ないし、私達は此処で下がるわね。また明日も探すわ。」
「有難う御座います。冷えますし、風邪を召されないようお気を付けて。」
「有難うね。」
一通りの会話が終わると、冷泉帝が花ノ宮の後ろに控える。それを最後に、三人は光遷院邸を目指す。
「あー……お風呂入りたーい。」
「沸かそうか。多分魔法で出来るよ。」
「ほんと!?身体がもう至る所が痛いし、お風呂入ってふかふかのお布団で寝るの……。」
うっとりと顔を綻ばせた緑珠は、一目散に邸宅へと駆ける。
「イブキ!私お風呂入る!その間にご飯作って!」
「仰せのままに。」
イブキの柔和な声を聞いて、緑珠は荷物を置いてある部屋に駆け込むと、さっ、と自分の部屋着を出す。お風呂セットを用意したら、さぁ!
「おっふっろー、おっふっろー、おっふっろーにはっいっるっのー。」
ぴょんぴょんと跳ねながら、音痴……いや、それなりの歌を歌いながら。緑珠はぴょんぴょんと跳ねて、埃を被った風呂に入る、つもり。
「……何これ。」
だった。
次回予告だぜ!ふぉーう!!!
最近見てないあの人が何やかんやしたりイブキがなんやかんや泣いたりそれを緑珠が宥めたりするなんやかんやなお話。