ラプラスの魔物 千年怪奇譚 92 金烏と玉兎 後編
ナムルと緑珠のデートが続いたり緑珠を巡る舞台裏を聞かされたり彼女の『私の気持ち』の正体が判明したり伊吹がヤンデレたりと架け橋になるお話!
「お、緑珠ちゃん久し振り!何?その子彼氏?」
からかう様に甘味処の看板娘は、紅毛氈の椅子に座った緑珠へと声をかける。ナムルも隣にちょこんと座る。
「あはは、違うわよ。んっとね、元婚約者的立ち位置?遊びに来てたから遊んでるの。」
「そうなんだ。じゃあ楽しまなくちゃね!御注文は?」
「私は何時もの甘露水と御手洗団子で。ナムルは何にする?」
若干唸りながら、ナムルはじっ、と食品表を見つめている。
「初めて見る菓子ばっかりだな……。」
「じゃあ上用饅頭にしましょう。甘露水も飲む?」
「じゃあ……それにしてくれ。」
「はいはい。じゃあ食品表貰いますね。」
正に花より団子。花見よりもお菓子だ。お菓子よりも話か?少しだけ気まずい中、緑珠が口火を切った。
「……二人っきりって、お見合いした時ぶりじゃない?」
「昔の話過ぎるだろ……。」
出されたお茶を緑珠はすする。心做しか、何処か苦い気がする。
「だってね?誕生日は会っても大勢だったし、話す事も無かったでしょ?」
「まぁそうだけどな。……そうだ。渡す物があったんだ。受け取ってくれ。」
ナムルは懐から二つの小箱を取り出す。何方も同じ大きさだ。
「……悪い方か良い方かどっちが良い?」
「んー……なら悪い方からで!」
左の小箱をナムルは差し出した。緑珠はそれの紐を解くと、ああ、成程。
「……おく、すり……?」
「俺達にも薬の調合法は渡されていたから。一応と思って持って来たんだ。 」
彼女はそれを受け取ると、手持ちの小さな鞄に仕舞う。
「『悪い方』だなんて……私は気にしていないわ。でも配慮してくれたのね。有難う。」
それで、と右の小箱を緑珠は指さした。
「もう片方は?」
「流石に手ぶらじゃ来れなかったから。大したものじゃないけど。もし良かったら受け取ってくれ。」
もう片方の小箱を緑珠は受け取ると、するすると紐を抜いた。そして歓声を上げる。
「まぁ!良いの?可愛らしい髪留めだわ!」
「猫ちゃんだぞ。ピン留めの方が良いかと思ってな。」
猫のイラストが描かれた可愛らしいピン留めを、緑珠は嬉しそうに受け取る。同タイミングで、待っていたお菓子が運ばれて来た。
「御待遠様!御注文の御手洗団子と上用饅頭ね。」
「有難う。」
「そのピン留め、猫ちゃん?可愛いじゃん。それじゃ、ごゆっくりー!」
猫のピン留めも鞄に仕舞うと、緑珠は御手洗団子の前で手を合わせる。
「それじゃ、頂きます。」
「……頂きます。……何だか食べるのが勿体ないな。うさぎみたいだ……。」
もぐ、と緑珠は御手洗団子を頬張ると、上用饅頭を指さして言った。
「それね、兎のお饅頭もあるわよ。」
「そうなのか。」
恐る恐る、ナムルは口の中に上用饅頭を溶かす。
「……ふむ。余計な味が無いな。餡子が美味しい。」
にこにこと美味しそうに食べるナムルを緑珠は横目に、最後の一本の御手洗団子を頬張った。
「緑珠ちゃん、今日は饅頭のお持ち帰りは……?」
「んー……しないわ。有難う。」
「りょうかーい!」
看板娘の言葉の後に、ナムルが少し怪訝そうに緑珠へと問う。
「良いのか?」
「うん。良いの。あんまり甘いもの買って帰るとイブキに怒られるし。食事の制限されちゃうから……。」
自分の言った言葉に、緑珠は首を傾げた。
「……あれ。もしかして私、イブキに全部管理されてない?」
「今更気付いたのかよ……。」
割と深刻な事態なのに、本人は至ってぼけっとしている。
「ま、いっか。私、管理されてないと出来ないくらいの駄目人間だし。」
「良いのか……。」
ことん、と御手洗団子が乗っていた皿が置かれる音がする。すぅ、と肺に空気を溜めて、声帯に空気を通らせて、それで。
「……あの、ね。」
街の雑踏、人の声。風に乗って食器が擦れる音がする。要するに。
「……此処じゃ、煩いし。別の場所行きましょ?構わないかしら。」
「お前が上手く話せるのなら何処でも良いぞ?」
有難う、と短く言うと、緑珠はお会計を済まそうとする。が、横からナムルの手が伸びた。
「今日くらい払わせてくれ。これで丁度だな?」
「いち、にい、さん……うん。丁度です。毎度あり!」
面食らった緑珠に、ナムルは茶化す様にして言った。
「どーせお前のこった。金の払い方も知らねぇんだろ?」
緑珠はじっ、とナムルを見詰めた。そして其の質問に答えることなく、彼女は一言。
「……貴方、お金払えたのね……。姫と同じで、てっきり無理かと……。」
「ライラさん、強いですね……。」
「そうですか?有難う御座います。」
「おやおや、伊吹君が苦戦を強いられるとは珍しい……。あと本当にお腹が空いた。」
「毒ならあります。」
「食べない。」
何方に置いても負けるのだ。自分が。こんな事は珍しい。手探りの盤上など生まれて初めてだ。……成程、この未知の感覚も悪くない。が、潔く此処は負けよう。
「……参りました。こんな事は初めてだ……。葉月殿と勝負した時も五勝五敗だったのに……。」
「あっはっはーその顔まじウケー!」
「庭の土を食え。貴様に食わす飯は無い。」
「ごめんって普通にご飯作ってまじで。」
ごろごろしている真理の脛を思いっ切りイブキは蹴る。真理の笑い声が消え失せた。
「ライラさんは何か苦手な物とかありますか?」
「いえ……。有りません。御相伴に預かっても良いのですか。」
「……まぁ、初陣祝いと思って頂ければ……。」
そうですか、と短く言うと、ライラは微笑んだ。姿を消したイブキから目線を外して、盤上へと目線を戻した。
「ねぇライラ。君さ、ちょっと能力使ったろ?」
「……えぇ。」
脛を押さえながら真理はライラへと続ける。
「君は能力持ちだ。『豪運の能力』。……でも、使ったのは一度だけ。それ以外は君の勝ちだもんね。」
「反則なのは分かっています。……けれど、勝ちたかったものですから。」
しかも、と真理は付け加えた。
「君が能力を使ったのはこの場では無い。」
だって、とライラは思いっ切り肩を竦める。そして身震いした。
「こういう邸宅って、『黒光りする虫』が良く出るそうですね。」
ふう、と一息、深くつくと。
「……虫が近くに来たら、怖いじゃないですか。」
そうだね、と真理はくつくつと微笑んだ。
「この先にね。綺麗な湖があるの。夏場は此処の道が向日葵でいっぱいになるのよ。」
今は別の花々が咲いている花畑を通りながら、緑珠とナムルは湖を目指す。
「……この街は良いな。色んな自然があって。」
「紅鏡にも色んな植物があるでしょ?」
「ねぇよ。砂と仙人掌くらいしか無い。」
先を進む緑珠の背中に、ナムルは追って声をかける。
「つーかお前、紅鏡に来たこと無いだろ。」
「砂の国とは聞いたわ。」
「日栄は大帝国だったもんな……そりゃ姫さんも来ねぇなっと……。」
花畑が開けた所に、少しの草原のあと、空を照らす湖がある。
「……昔ね。此処に着いたの。逃げた時に。あの方向から出たから、今住んでいる所を通っては居なかったけれど。」
ざく、ざく、と草を踏みしめて足を進める。座り心地の良さそうな大きい石があって、二人はそれに座った。
「……なぁ緑珠。俺から話しても、良いか。」
「構わないわよ。私は言うのに少し時間がかかりそうだから。」
そうか、と少し詰まった声を出しながら、ナムルは話し始めた。
「帝国が崩壊を起こしたと聞いた時、四大帝国……と、俺の国は。即刻姫を保護しようとなったんだ。」
「何処の王様もそう言うのね。」
緑珠はぼんやりと湖畔を見詰めている。ナムルは風に乗せるように言葉を紡ぐ。
「本心は分かってた。『姫を保護して帝国を復活すれば、またとない権威が手に入る』……そう思ってる奴ばっかりだった。」
「……そうでしょうね。」
さらさら、と黒髪が風に靡いていく。湖畔の水と風が心地よい。
「でも。いざ調べて見たところ、姫は死んでいるらしいと分かった。だからお前が御稜威に行った時、他の人からは驚かれ、あの千里眼の女帝は驚かなかった。」
「そう。」
緑珠の淡々とした返事とは裏腹に、ナムルは続ける。
「俺は反対した。御稜威で発見された時、お前は俺の見たお前じゃ無いと聞いたから。明るくて、幸せそうにしていたから。戻る事はきっと望まないと思って、何とか止めたんだ。」
上手く言葉が纏まらないが、何とか思いを口にして。
「だから、あの帝王達を怒らないでやって欲しい。」
「怒らないわよ。良くある話、でしょ。」
深く、帽子を被って、顔色を悟らせないよう、緑珠は一言。
「…………慣れてるわよ。」
「嘘付け。慣れてるとか言ってしょげてんじゃねぇか。」
「慣れてるけど、やっぱり……。」
ふう、とナムルはため息をついた。
「ほら、俺は言ったぞ。次はお前の番だ。」
「……うん。」
ごくん、と塩の味がする唾を飲み込んで、緑珠は話し始める。
「あのね。私が貴方の事を嫌い、って言ったのわね……。『好き』っていう感情が分からないから、なの。いま、も。」
「……そう、だったな。」
「嘘でも『好き』って言えば良かった?」
緑珠の翠緑の瞳が、じっ、とナムルを射抜く。
「嘘は嫌だな。本心で『好き』って言って欲しい。俺はそっちの方が良い。」
「……色々教えてくれたわよね。『好き』ってどんな気持ちか。私には、分からなかったけど……。」
少し寂しげな表情を消して、緑珠は言った。
「……最近ね。『幸せ』が分かる様になったの。あれって、安心して夜が眠れる事を言うのね。」
「…………そっかぁ。分かるようになったかぁ……嬉しい、なぁ……。」
若干涙ぐんだ声が聞こえる。緑珠は慌ててナムルを見遣った。
「あらやだ。貴方泣いてるの?泣かないで。ね?」
「……泣いてねぇよ。」
「泣いてるわよ。」
あとねぇ、と緑珠は悪戯っぽく微笑んで、湖を背にした。
「私、一つ決めたことがあるの!」
「何だよ。国を造る事は聞いたぞ?」
それもそうだけど、と少し不服そうに頬を膨らませると、ナムルを見て言った。
「貴方を、『好き』になること。ちゃんと伊吹や真理や華幻ちゃんにも、心の底から『大好き』って言いたいの。」
「言わないでおくよ。アイツらには。」
「……有難う。」
緑珠は湖畔の水を蹴る。
「……今は嘯いてるの。ちゃんと大好きって思っても、私には好きという感情が分からない。恨みや悲しさ、辛さとか、そんな事しか分からないから……。」
くるり、と緑珠は振り返る。黒髪が共に靡く。
「そんな事を知っちゃったら、あの子はあんまりにも可哀想だわ。」
「……誰の事を言ってるんだ?」
「皆のこと。」
この人は何時まで経ってもお姫様だと。皆に愛されて、皆を愛す。そんな、お姫様だと。
「……そうか。何だかお前の事、改めて知れたかもしれないな。」
「……そう。なら良かった。」
「エーミール。」
緑珠とナムルの会話に、清々しい声が届く。
「そろそろ帰りましょう。本国から催促の連絡が届きました。」
「あー?申請したんだろー?」
「限度という物があります。」
緑珠は肩を竦めて言った。
「さ、とっとと帰った帰った。お仕事、出来るでしょ?」
「……頑張るよ。有難う。」
「緑珠様。」
何時もの声が聞こえて、緑珠は慌てて振り向いた。
「あら、お迎えには来なくて良いと言ったのに……。」
「今四時半ですよ。」
にこり、と悪びれもせずにイブキは微笑む。それを聞いて緑珠は青ざめた。
「ごめんなさい帰りますだからあの、あの、寝るまで正座は許して下さい……。」
「宜しい。一人で帰れますね?」
「帰り、ます……。」
緑珠は青ざめた表情を消すと、ナムルへと恭しく頭を下げた。
「それではまた、ナムル王子。……だなんてね!じゃあね!またね!」
ぶんぶんと緑珠は手を振って、ドレスを着ていることを忘れている様に足を進める。
「……あぁ、オマエか。」
嵐が過ぎ去った後に、ナムルは徐ろに口を開いた。
「何がでしょうか?」
「分かってる癖に。言わせるなんて性格が知れるぞ。」
嫌悪感満載の一言をナムルは放つが、当の本人はしらばっくれる。
「これでも鈍感な方なので。」
嘘吐け。絶対分かって言っているだろう。仕方が無い。ナムルは渋々口を開いた。
「緑珠の全身にお前の匂いが付いていた。オマエ、緑珠に変なこと」
あはは!と楽しそうな声が響く。そして、明らかに人を見下す瞳が飛んだ。
「するわけ無いじゃないですか。僕はあの人が望むことをするだけです。」
「……あっそ。勝手にしろよな。今度会う時に緑珠が怪我していたら承知しないぞ。」
「肝に銘じておきますよ。」
まだ楽しそうな笑みを浮かべながら、イブキは付け加えた。
「そうだ、ナムル王子。最後に一つだけ。」
「……何だ。」
面倒臭そうにナムルは振り返る。
「人を甘やかすこと、陥れることは紙一重なんですよ。」
一拍置いて、
「……その事、努努お忘れなきよう。……それでは。」
何の声も聞こえない花畑に、イブキの鼻歌だけが響く。仄暗い瞳が、夕方と溶けていた。
「ふふふ……あはは、全く面白い……。婚約者だなんて言うから、少し吃驚しちゃいましたけど……。」
優しさに飢えている人間には優しさを。其処に漬け込んでしまえば、直ぐに。
「元々婚約者殿がお嫌いと聞いていましたから、ふふふ、あははっ……あーあ、笑いが止まらない……!」
どれだけ笑顔を閉じ込めようとしても、奥からせり上がる欲望を止める事は出来ない。
「無理なんですよ。僕達四大貴族を嫌いになるなんて、あの人には出来ない。出来ないくらい、あの人は僕達に頼りきりだったから。」
夕日に白い月が見える。家はもう直ぐそこだ。
「今日の晩酌はとびきり美味しくなりそうだ!」
伊吹の声が、静かに響いた。
次回予告!
物語は新たに進展を迎える!消える人が一人、その時、マグノーリエ本邸の二人は……?決戦が相見える、その少し前のお話。