Bygone days
非常にご無沙汰しました。大学生になった天雨です。
字数も少なめですが、鬼のようなレポートと試験の合間に執筆しておりますのでご了承ください。
「今日もご苦労やなぁ、似非関西人」
「偶には自分も行ったらどやねん、ヨッシー」
多分、この会話は三日目。ライラも聞き飽きたのか暇そうに毛先を弄り、枝毛を探している。ほんとトネリコの言う通りだ。
善治はひたすら岸野にベッタリだし、そうじゃなかったらネイサン達に彼らの極道精神を説いている。対する俺とトネリコは相変わらず夜は買い出し係、ライラは……多分子供の面倒を見ていた。
疲れた顔の赤色頭がベッドに倒れ込むと、土煙の交じった埃が舞い上がった。乾燥地帯なだけに窓を開けると必ずこうなる。なんかもう慣れてきたからいいけど、本音を言えば日本で毎日風呂に入れた日々が恋しい。
「どうですか、岸野さん。リハビリ進んでますか」
今晩俺達が仕入れてきた折り畳みナイフを吟味していた彼に話し掛けた。触れれば切れそうな目がちらりとこちらを見る。
「まずまずって所だ。身体が石みたいに重てぇ事を除けば何とも無い」
最小限の腕の振りから放たれた銀刃は真っ直ぐに飛翔し、向かいの壁に打ち付けた木板に突き立った。
「それなりに動けてはるんとちゃいますか、充はん。今日もベッド出て外歩いてはりましたもんなぁ」
「ああ。事は急を要してる。早い事動くぞ」
「此処を出るんですね」
「そうだ。アキト、今まで御苦労だったな」
フリスビーを取って帰ってきた犬のように、義治はナイフを畳んで岸野に手渡した。俺は昼間に休眠をとっているから知らなかったが、思いの外岸野の回復は早い。彼の感謝の言葉には素直に頷いたが、その裏で、居てもたっても居られない、そんな心情が聞こえてきそうだった。
「ちょい待てぇ、ヨッシー。体は動くかもしれんけど、オレは未だ異能つこてええとは言うてへんで」
「ヤブ医者は黙っとりぃ」
「岸野、正直に言うた方がええで。痛いんやろ、ほんまは……此処が」
さっき迄あくびをしていた筈のトネリコが真剣な表情で割って入った。牽制した義治には目もくれない。岸野の顔をじっと見ていた。男らしいごつい指が赤い頭をツンツンと指している。
「痛むんですか、岸野さん」
「……どうってことねぇ、と言いてぇ所だが、手前は誤魔化せないな」
深くため息をついた岸野の姿が視界から消える。座っていたマットレスはまだ凹んだまま。扉に背を預けていた俺の傍らで舌打ちが聞こえた。
「この距離が限界だ。痛みなく動ける範囲は」
二十センチの身長差のお陰で斜め上から声が降ってきた。これが今の岸野の限界……目測でたった三メートル。太平洋を飛んだ彼が……いや、その所為だ。
「でも、回復を待ってる訳にもいかない。そうでしょ、トネリコ」
窓枠に腰掛けているライラの赤い視線は俺、岸野を経由してトネリコへ向かう。しんと静まり返った。
そうだ、こんな所で足止めをくらっている訳にはいかないんだ。菊川に刺されたメルデス、彼を家族の様にしたっているこだま、心配性の姉貴……ミュートロギアのアジトに居るであろう面子が脳裏を過る。それにライラ達だってネメシスの面々の事を気にかけている。
ここから動かなくちゃ何も始まらない。それに、俺達は追われる身だ。教会にいる子供達やイザベル、ネイサン達に危害が及ぶ可能性だってあるんだから。
「なぁ、あと二日待てへんか」
「なんや、似非関西人。此処に愛着でも湧いたんけ。それとも、仲間でも来るんけ? ワテはまだお前はんらを信用しとらん」
「やめとけ、義治」
提案したトネリコの言葉に耳を貸そうとしない義治を岸野が宥めた。
さして気にした様子もないトネリコは大きな欠伸を一つ。
「ちゃう。岸野のことを思ってや。一人の医者としてな」
……いや、それだけじゃないな。
俺は、初めて街へ繰り出した夜を思い出す。トネリコと背中越しに話した事。
彼と目が合い、大きめに頷いた。
□◆□
『ねぇ──何処にいるの?』
「こだまか?」
暗闇に問う。返事は無い。かと言って、俺の声が返ってくることも無い。
「姉貴か?」
踏み出そうとしても、何処へ向かうのか分からない。
『歩み寄る者は何処? 『歩み寄る者』を連れ戻せ。奴に渡してはならない。再生と共に手に入れなければ』
歩み寄る者? 再生? 誰だ。誰が誰を探している。
その時、目の前を大きな影が横切った。長い髪が靡く。
俺は彼を見た事があるかもしれない。ゆらりと蜃気楼の様に揺れている。
戸惑う俺を嘲笑うような子供の声が響いた。
□◆□
翌朝、と言っても昼に差し掛かっていた頃に目が覚めた。えらく大きな音がすると思ったら、砂埃が薄らと被る床の上で眠るトネリコが視界に入った。物凄く大きないびきをかいている。誰がしたのか、薄い毛布が彼の大柄な体の上に掛けられていた。
大きな伸びをする。外からは黄色い光と共に子供の賑わう声。ライラや岸野、義治の姿は無い。頬に伝った一粒の水滴を拭った。
「夢……か」
歩み寄る者──あれは、何だったんだろう。いつか聞いた終焉の鬼の声にも似ていたように思う。でも、とても焦っているようだった。
顔を洗おうと部屋を出る。決して明るくはない廊下を歩くと、時折足元が軋んだ。
水道は一階の食堂にある。砂漠地帯かつ、日本のような先進国家では無いこの土地で水は貴重だ。タライに少しの水を張ってゆっくりと顔を濡らした。ついでに首元も洗う。ひんやりした感覚が心地良い。
その時、ふと見上げた先に見慣れないものを見つけた。本体に木目細工が施された、変わった造りのライターとそれの下に置かれた紙切れ。
きっと誰かの忘れ物だ。義治が煙草吸ってるところ見たことないし、ライターを使うとすると岸野かネイサンの仲間の誰かかな。
少なくともイザベルに聞けば誰のものかはすぐに分かるだろう。服の裾で念入りに手を拭いてそれらを手繰り寄せた。
近くで見れば見るほど、美しい細工のライターだった。木の質感的にかなり使い込まれている。
紙切れの方は古びた写真だった。あまりマジマジと見るべきじゃない、そうは思ったが気になるものは気になる。
優しい笑顔を浮かべた女性が一人、窓辺に腰掛けている。とても綺麗な人だ。窓の外を見る目線が慈愛に充ちている。
そして、その後ろにもう一枚の写真。そこで俺は手が止まってしまった。
「これ……もしかして」
先程の女性の傍らには長い髪の少年と少女。間違いない。銀色の髪と言い、少女の目にあてられた黒い布と言い……この二人はあのレンとオルガナだ。
さらに、その隣には大男が写っている。黒く長い髪をひとつに束ね、少し不機嫌そうな笑みを浮かべていた。
「そこで何してる」
低い声で漸く人の気配に気づいた。しかしもう遅い。その男は俺の真後ろまで迫っていた。
「え、あ……えっと」
咄嗟に隠してしまった左手が震える。別に隠すことなんて無いのに。
上背がある分、彼の威圧感は初めて岸野に出会った時に匹敵する。少し奥まった目が俺を見下ろした。
俺はまだこの男の名を呼んだことがない。ネイサン達から話は幾度か聞いた。然し、詳しい話は何も聞いていない。いや、正確にはネイサン達も殆ど知らないのだという。
「何を隠した」
「貴方はなんでここに居るんですか」
「質問を質問で返すな。そこに物が置いてあっただろう」
流暢な日本語が刺さる。俺は、彼のことを知らなければいけない。そんな気がする。昨日の夢がフラッシュバックした。
遂に、左手を差し出した。
「レン先生とオルガナさんですか」
窪んだ目が微かに細くなったのを見逃さない。彼の目は俺の数倍、いや、何十倍、何百倍の世界を見てきたのだろう。その中の一部分にあの二人は確かに存在する。
「あの馬鹿弟子が“先生”か」
俺の言い方を鼻で笑い、彼は机に腰掛けた。咎める気はないらしい。懐から取り出した黒い煙草。それを咥えた彼は胸元を探る。
濡れた前髪から滴った水滴で我に返った。
「良いライターですね」
「ああ」
手渡した俺に、ほんの少し目配せする。椅子がひとりでに動いた。座れ、ということか。
ぽう、と赤く染った先端。チリチリと微かな音がする。この香りを嗅ぐと、思い出されるのはやはりあの銀髪の彼だった。
「ジルバドゥ・ミゼ・トーラスさん」
今度は、彼の目が少し見開かれた。初めて名前を呼ばれたのがそんなにも驚きだったのだろうか。紫煙を吐いた唇が微かに動く。
「……ジルでいい」
「じゃあ、ジルさん。俺たちと来て貰えませんか」
「何故俺がそんなことをしなければならない」
生唾を飲む。俺も、何故こんなことを唐突に言うつもりになったのか分からない。勿論、そう思っていたのは事実だ。だけど、直感がそうさせた。
「言っただろう。お前やあの赤髪が馬鹿弟子の知り合いだからって融通を利かす事は無い、と 」
「『再生』──この言葉に聞き覚えは?」
本当に自分の口が喋っているのか、と思うほどに今の俺は饒舌だった。別に、確信があったわけじゃない。あるのは直感だけだった。
ジルは長い脚をゆっくりと組み替える。机の反対側にあった灰皿がズルズルと音を立ててこちらへ来た。彼は呼吸をするように異能を使う。灰を落としつつ、たっぷりと間をあけたジルは首を少し傾けた。
「……さぁな」
「そうですか」
「やけにあっさりと引き下がるんだな」
「俺も、よく分かってないので」
ザラザラとした砂の感触を靴の底で感じながら考える。視線を落とすと、またあの写真が目に入った。
「あの馬鹿共は仲良くしてるのか」
「顔を合わせる度に喧嘩する程度には」
ジルもまた、俺の手元に目をやっていたらしい。俺の返答が期待通りだったのかはさておき、柔らかな苦笑を漏らした。
「どちらが兄か姉かって話だろう。良い歳してまだやってるとはな。馬鹿ほど治せない病気は無いな」
聞き覚えのあるような言い回しに、俺も苦笑が漏れてしまう。
「ジルさんはその答え、知ってるんですか」
「……いいや」
浅黒い腕がスっと伸びてきて写真を取った。ふわりと香ったそれはやっぱりレンと同じだ。ハーブの混ざった独特の香りは岸野の煙草と違って何故か落ち着く。
「奴らと会ったのは二十年くらい前の旧ウルベルイナ領だった」
「ウルベルイナ……オルガナさん達はあの国の出身なんですか」
「いや、違う。奴らの祖国は今はもう無い」
国が……無い?
ウルベルイナといえば、悪い意味で有名な軍事国家だ。昔はあの地域にはウクライナって国があったと習った。肥沃な土地を巡って度々戦争が繰り返された結果、半分は超大国のエルドレアが確保したがもう半分は未だにウルベルイナの領地だ。
「歴史の闇に葬られた国だ。知る筈もない」
そもそも、国と呼べるか微妙なラインにあった地域だ。と彼はつけ加える。
「じゃあ、あの二人は孤児……」
「嗚呼。いや、それどころか……あの人種は今や奴らしか生きてないだろう」
──あの人種。確かに、彼らは独特な特徴を持っていた。銀色の髪然り、レンの不思議な色の瞳然り。
初めて耳にする彼らの境遇に、つい前のめりになってしまう。
そういえば、さっきの女性……髪は赤みの強い金色だが、その瞳はなんとも言えない色をしていた。エメラルドのようなアンバーのような、美しい色の絵の具を水に落としたようなそんな色。
「その女の人も、もしかして」
「半分だけは、そうだ」
やっぱり。となると、オルガナの黒い布の下にも美しい瞳が隠れているのだろうか。
「だが、もう此奴は居ない」
灰を落とす手が止まった。そのままガシガシと灰皿に煙草を擦り付ける。俺だって右も左も分からない子供じゃない。察しがついたが故に、彼の顔を直接見ることが出来なかった。
「俺はこんなヤツら助からないから放っておけと言ったのにな。全く、馬鹿な女だった。血の繋がりがある訳でも無いのに……身体を拭いて、服をやって、治療をしてくれと俺に頭を下げて」
そこまで話して、彼はハッとしたように口を噤んだ。手元の写真をじっと眺める。ジルにとって、彼女はとても大事な人だったとしか思えない。
「ここに来てどれくらいになるんですか」
「半年くらいだ。まさかこんな事になるとは思ってもみなかった」
「俺も、半年前はこんな事に巻き込まれるなんて思ってもいなかったですよ」
「人生なんてそんなもんさ。望んでもいない物が手に入る時もあれば、逆もある。選びたくもなかった道を気がついたら全力で走っている時もある。まぁ、お前の目を見る限りそれにはもう気づいているだろう」
気がつくと、ジルが俺を見ていた。オニキスのような瞳。
そうだ。その通りだ。
「はい。そりゃあもう」
微かに声が上擦り、自嘲気味な笑みがお互いから零れた。
その時、紫煙の揺らぎと共に、ジルの伸ばし放題の髪が揺れた。廊下の方から、バタバタと慌しい足音が幾つも響いてくる。良く考えれば、そろそろ子供達の昼食の時間だった。
「ガキの面倒は御免だ」
灰皿を片手に彼は歩き出す。薄汚れたシャツの胸ポケットに、ジルは写真とライターを押し込んだ。
「ジルさん」
「……期待はするな」
少し振り返ったが、長い髪が邪魔をして彼の表情はわからなかった。大きな背中が遠ざかっていくのを、俺はじっと見ていた。




