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Highway

 

 岸野充が目覚めたのは、あの夜から二日経ってからだった。


 初めのうちは熱に魘されたりしていたが、今となっては血色も良く、普段の彼からは想像も出来ないくらいに穏やかな顔で眠っている。善治が、

「充はんの傍に誰か置いとけ」

 と言い続け、誰も行かないなら自分が行くの一点張りだった為、俺やライラ、トネリコが順に看病していた。彼もまた昨日のこの時間まで昏睡していたが、今はもうトネリコの助言も虚しく出歩いている。

 ふと視線を窓へ向けると、シェードの隙間に琥珀色の光が零れていた。外は賑やかだ。覗き込むと、ライラが子供達に手を引かれている。季節は此処も冬だが、流石西海岸。暖かくて、乾燥していることを除き、ただの観光ならばのんびり出来そうな気候だ。


 彼の枕元には、砂漠の鷹の異名を持つ漆黒の自動拳銃。ライラが──勿論、善治が眠っている間に──中を調べたが、特に異常は無いらしい。あの袋は防水性があったようだ。銀色のM686(リボルバ)は善治の物で、既に彼が持っている。何故D.E.も持っていたのに使わなかったんだ、と聞くと、岸野の物なのだから使えるはずがない、と至極当たり前な顔をされた。


 眠る彼の胸から腕、首にかけてはビッシリと刺青が彫り込まれている。俺達はこれに救われたと言っても過言では無い。善治はこの土地に心当たりが無いらしく、金髪男ネイサンの話も併せると彼がミュートロギアとして動いている頃に出会っていた事が判明した。だが、今はそれを覆い隠す包帯が痛々しい。サディストみたいな名前の軍人が穿った背部だが、主要な臓器には当たっていなかったそうだ。不幸中の幸いだった。


 瞼がビクンと痙攣し、彼は双眸をそっと見開いた。触れれば切れてしまいそうな程に鋭く吊り上がった目尻、それと十字を切るように駆ける古い傷痕。



「岸野さん、具合はどうですか」


「アキト……?」



 久しぶりに聞く彼の声に、柄にもなく感動がこみ上げた。鼻の奥がジンジンする。



「あまり急に動かない方が良いって、トネリコさんが」



 身体を起こそうとした彼を止めた。触れた素肌が温かい。状況が呑み込めないらしく、俺を見る目が揺れている。無理もない。目覚めた途端に、ミュートロギアではまずお目にかかれないような外に繋がる窓と、太陽光、乾いた自然風。帰るべき場所に居ない事はすぐに分かったらしい。

 トネリコ曰く、多少の記憶障害はあっても不思議では無いのだとか。俺だってミュートロギアに助けられたあの時、自分が刺された事を暫し忘れていたのだ。



「あ、ちょっと待っててください」



 取り敢えず、色々面倒な話をする前にこの事を知らせるべき人が居る。埃っぽいシェードは壊れているらしく、手で無理やり押し上げた。眼下には子供達が遊ぶ広場。そこにはあのアッシュグレーの彼や、褐色の肌に赤い髪の男も居る。



「目覚めましたー!」



 声を張り上げた。すると、子供たちも含めた皆がこっちを見上げた。トネリコが「よっしゃよっしゃ」と白い歯を見せ、善治は無言で立ち上がった。そして、俺が居る建物の方に歩き出す。



「何処だ、此処は」



 再びシェードを下ろした俺の背中に彼は問う。自分の状態を確かめる様に、包帯を恐る恐る摩りながら。



「トーリーパインズ……って名前らしいですが、心当たりは?」


「サンディエゴか」



 やはり。思い当たる所があったらしい。天井を見つめたまま大きなため息を漏らした。思ったよりも意識も記憶もハッキリしている様で安心した。



「取り敢えず闇雲に飛んだのは覚えてるが……あれから何日経った」


「一月四日の昼過ぎです。此処に漂着したのが一日でした」


「日本は五日か」


「計算上は」



 マジかよ……と洩らした岸野は再びその目を閉ざす。やはりあちらの事が気掛かりなのだろう。勿論俺だって気になっている。しかし、これといった情報が掴めていない。

 背後、廊下の方からブーツの音がコツコツと響いてきた。かなり早足だ。



「充はん、えらい遅いお目覚めですなぁ」


「善治……?」



 金のピアスをキラリと光らせた彼は横たわる岸野を見下ろし、皮肉っぽく笑いかけた。岸野はその姿を認めると目を丸くした。

 それもその筈、彼の身体のあちらこちらに包帯が巻かれていたり、腕、首筋には裂傷や打撲痕だらけ。糸目が艶かしい顔も痣が赤黒くなっている。



「テメェ、それどうした」


「ワテとした事が、階段でスっ転びましてん」



 飄々とした態度に岸野は訝しんだが、俺は何も言わない。善治は昨日目覚めた後、開口一番にあの晩のことを口止めしてきたのだ。

「充はんに言うたら殺しまっせ」と。

 彼のプライドが許さないのだろう、と独り合点し頷いたからには黙っておくべきである。彼の()()はあながちフェイクじゃない感じがして恐ろしいと言うのが主な理由だ。



「だせぇな」


「今の若旦那に言われる筋合いはおまへん」



 しかし、岸野が昏睡している時等はあんなに取り乱したりしていたのに目が覚めてみればえらくあっさりしてるもんだな。ある種の、ツンデレとかいうやつだろうか。



Awesome...(ヤバイ)!」



 俺も善治もハッとして振り返った。すると、扉の影から覗く金髪の男が一人。ネイサンだ。顔を赤らめ、手を震わせている。余程、岸野をリスペクトしているらしい。助けられて以来銀狼会の事も含めて色々なことを勉強していたようで、俺にも鼻息荒く力説してくれたが全て英語だったので殆ど聞き取れていない。

 善治はネイサンをキッと睨むと、手でシッシと払う仕草をした。



「ワテが何時此処に来てええ言うたんや。下がれ」


「誰だ」


「まだ見習いですわ」



 答えのようで答えになっていないが、岸野は追求するのも億劫だったらしい。または、善治の言う通り、二人の特別な関係がそうさせたのか。ふーん、と鼻を鳴らした。



「あれ、ネイサンがしょげて行ってしもたけどどないしたん」



 矢継ぎ早にやってきたのはトネリコだった。悠々とした足取りで接近してくる姿に、岸野があからさまに嫌そうな顔をした。それを見ても尚トネリコは愛想のいい笑顔を振り撒いている。そして、今日もシャツの前のボタンは全開だ。



「口出し無用や、似非エセ関西弁は黙っとれ」


「エセちゃうし」



 ここ数日でこの会話を何度聞いたことか。俺もライラもそろそろ飽きてきたが、二人は一歩も譲らない。



「おはようさん、岸野。どないや気分は。吐き気とかないか」


「少し身体が重いくらいだ」


「それはしゃあないな。ほんま、おたくには感謝せなあかん。オレもライラもあんさんのおかげや」



 彼の足元に佇み、深々と頭を下げたトネリコ。対する岸野は、巻き込んだだけだ、と表情ひとつ変えなかった。充はんらしいですわ、と善治が満足そうに口角を上げている。俺も微笑まずには居られなかった。



「ほな、意識もだいぶハッキリしとるらしいし、ちょっと話しよか。これからの事について」



 □◆□



「どうなった?」



 時刻は夜の七時半頃。夕食の席で訊ねてきたのはライラだ。俺たちは今、教会とは別の建物にある食堂でパンを齧っている。既に子供たちは食事を済ませていて、二十畳ほどの広さに二人だけというのは若干寂しい。四つを一つに纏めた長机を空っぽの椅子が囲んでいた。ただ、教会絡みの施設なのは確かな様で、嵌め殺しの窓には十字のフレームがついている。

 ライラはネメシスに居た時と同じキャップを被っている。子供達が海岸で探してきてくれたらしい。彼女は珍しい容姿や、見掛けに依らず面倒見が良いので彼等からかなり好かれている。それに、英語もわかるから会話にも困っていない。


 どうなった、と言うのは目覚めた岸野も交えて話していた内容についてだろう。



「此処から少し行った街にミュートロギアの施設があるらしい。そこに助けを求めるって」


「どのくらい離れてるの」


「歩けば二日かかるって。でも、ネイサンが手を貸してくれるらしい」



 あの金髪男ネイサンはこの辺りを牛耳る無法者集団(アウトロー)──Silver(銀色の)Dogs(野犬)を率いるリーダーなのだと言う。年は俺と同じ、十七歳。グループの名前でも明らかだが、岸野の古巣である銀狼会に心酔している。さらに、彼の頬の傷も岸野に憧れて態とやったんだ、と言われた時には若干引いた。

 教会を根城にする代わり、用心棒の他、食料調達も担っているんだとか。今俺が来ている薄手のTシャツやジーンズも彼らが用意してくれた。根は良い奴ららしい。



「出発は」



 相変わらずの無表情でモソモソとパンを食むライラは、仲間外れにされていたのを怒っているらしい。それでトネリコへの対応が一層冷淡で、彼の誘いを断って俺と飯を食っている。



「それはまだ何とも。岸野さんが動ける様になるまでは……」


「そう」



 彼女の返答は冷めているが、これが通常運転なのだとやっと分かるようになった。



「もう頭痛は無いのか」


「うん。全くない」



 赤い目でチラリとこっちを見てきたライラ。本当なのだろうか。ネメシスの監獄で聞いたあの《痛い》と言う声や、俺が感じた痛みは……そうじゃない気がして仕方がない。



「本当か? 実は慢性的に痛い、とか……」



 そう言うと、ライラはあからさまに不機嫌そうな顔になった。都合の悪い事を隠そうとするような風にも見える。



「そうだとしたら、何?」


「……いや、何でもない。変なこと聞いてごめん」


「別に謝らなくていい。心配してくれてるなら、ありがとう」



 確かに、俺がこんな事聞いたってどうにもならないよな。余り踏み込み過ぎるのも良くない、か。歳下だからか、妙にお節介を焼いてしまう。そう言えば……菊川や鈴風に「オカン」だと騒がれた事もあっただろうか。



「アキトのそういう所は良いところだと思う。でも、魅了(チャーム)に掛かりやすいのはそういう人に多いから」


「そ、そうなのか」



 白い髪をさら、と揺らしてスプーンを迎えに行くライラ。煮豆の様な物を食べきった。



「旭さん、アナタを捕まえてきた時『チョロかった』って言ってたから」


「うっ……」



 旭さん……あの、中年の事だったと思う。やっぱり俺はあの時精神干渉を受けてたんだな。こうして話すようになってからほんの数日だが、俺としてもこの少女が悪い奴には思えない。あのトネリコも。



「なんや(ツガイ)でお食事中でしたか」



 背後から掛かった声に、俺は肩を震わせた。言い方が何とも癪に障ったのはライラも同じらしい。鋭い視線を向けた。特徴的なイントネーションで振り返るまでも無いが、わざわざ来たからには何か用があるのだろう。

 何度見ても痛々しい善治の顔には、優しい様な皮肉を滲ませたような笑みが張り付いている。そして、彼の頭上から赤い髪をひょっこりさせているのはトネリコだ。興味本位で聞いてみたら、190センチを超えてるらしい。ライラと並んでいるのを見ると距離感が狂いそうになるのはそういう事だった。


 って、ツガイってなんだよ。籠に飼われたカナリヤみたいに言うんじゃねぇ。



「何ちゅう言い方しとんねん、ヨッシー」



 ライラの背後に近付いてきたトネリコが代わりに突っ込んでくれた。ん? ヨッシーって、善治の事……だよな?



「お前はんこそ、その呼び方止め。似非関西弁が」


「そっちがそう呼ぶならオレもやめへーん」



 ガキかよ……と冷ややかに見つめる俺達に気付かないのか、この二人は。何やかんや言って仲が良さそうなのは歓迎すべきだけどさ。見下ろしてんなボケェ、それはそっちがチビやからや、等と本日三度目のどうでも良すぎる口喧嘩が始まった。



「なんの用?」



 大人達の不毛な論争に痺れを切らしたのか、ライラが抑揚のない声を発した。



「ネイサンらが食料やら調達しに行くんやけどな、手え貸して欲しいらしいねん。それに、此処でタダで世話になるんも申し訳ないやろ?」



 確かに。子供たちの遊び相手くらいしかやって居ないのに、こうやって食事や寝床を貰うのはやはり気が引ける。同意を示す為、俺は相槌を打った。



「ワテがこの前十人くらい()()()しもた所為でな、手が足りんらしい」


「四人で行くんですか」


「んなわけあらへんやろ、本城はん」



 え、んなわけあらへんのですか、善治さん。

 この流れならそういうことだと思ったのだが。てか、あの状態になる迄に若いギャング達を一人で十人も、って……やはり底が知れない。

 頭の上に疑問符を浮かべる俺を責め立てるように、アホちゃいますか、と続けた善治。



「充はんを一人にするっちゅうんですか。ありえまへん」


「せやけどな、こいつが我儘言いよんねん。『ワテは若旦那のお傍にお仕えせなあきまへん』とか何とか」


「我儘とちゃう、コレがワテの使命ですよって。それに、そない気色の悪い関西弁もどきはお前はんだけや」



 だめだ、やってられない。水と油というか、二人でコントでもやれば良いんじゃないかと言う程に気が付けばまたこの話だ。ライラじゃないが、俺も軽い頭痛に見舞われそうだ。



「だから、何が言いたいの。私とアキトで行けってこと?」



 再び水を差したライラの赤い視線は、先程のそれを優に下回る冷たさだ。氷に塩を振った感じ。



「それもそれで心配やねん……せやから、ここは神様に頼ろうかなて」



 何が心配なのかは突っ込まないでおくにしても、神様に頼る?

 教会に祈りに行くのか? それなら勝手に行ってくれ。



「せやから平等に、いんじゃんほいや!」


「インジャンホイ?」



 彼は声高々に宣言したが、知らない単語だな。だが、首を傾げているのは俺だけらしい。何だよ、インジャンホイって。本当に日本語か? それ。



「ほら、手ぇだせ! 後から文句は受け付けへんで!」



 唐突に何だよ……!

 未だにインジャンが分からない俺を放置し、事が進んでいる。

 トネリコに言われるがまま、周りに倣って拳を出したが、何が始まるんだ。



「イン、ジャン、ホイ!」



 訳が分からない俺の手は拳のまま。ライラの白い手は掌が上に向き、善治の包帯を巻いた手も広げられていて、トネリコの褐色の手は俺と同じで力んでいる。



「ほれ、ワテが言うた通りになった」


「うわぁああああああああ」


「漢に二言は無しやで、似非関西人」



 えーと、コレは……ジャンケンか。俺に何時からか備わっている空気を読む力を最大限に引き出した結果、それしか思い当たらなかった。そして、その推察の通りに考えると、俺とトネリコが負けたということになる。

 絶叫するトネリコ。つまりは、俺たち二人がネイサン達に付いて行くのか?

 俺と行くのがそんなに嫌なのか、または、単純に外に行きたくないのか。精神衛生上、後者だと願っておこうか。



「おま、ライラに手ぇ出したら承知せんからな!」


「出しまへん」



 何を焦っているのか、喚き散らすトネリコ。善治はしたり顔で目を細めている。



「ライラは十五歳やからな! 変な事吹き込むんも御法度やからな!」


「なんや、お前はん。ワテがその女子襲うとでも思とるんけ」


「トネリコ、私、十六」



 震える手で壁を叩いているトネリコに、冷たい目線が刺さり続ける。どっちでもええやん、とボヤいた途端、鍛え上げられた腹筋に肘鉄がめり込んだ。勿論、ライラの。

 涙目で踞る彼に差し伸べられる手はない。現時点、かなり騒々しい男だが、まさかネメシスだった頃もこんな感じだったのだろうか。ライラの呆れを通り越して蔑むような目付き……十分にありえるな。



「安心しなはれ。ワテ、()()やさかい女子には手ぇ出しまへん」



 まぁ落ち着け、と壁に背をあずけながら発したその言葉を聞き流そうとしたが、そうもいかなかった。最後の一口になったパンを頬ばろうとしたままの姿勢で全身が硬直した。



「……ん?」


「へ……?」



 今、善治は何と言った?

 ナンショク、何色、難色……男色?

 きっとまた馬鹿な面構えをしているんだろうけど、トネリコもそれは同じ。騒がしかった食堂に静けさが訪れる。ライラは意味がわからなかったのか首を傾げているが、それでいいと思う。どうしても気になるならこの状況を脱して、もう少し大人になってからネットで検索してみるといい。俺は達哉の猥談や、姉貴がこっそり買っていた漫画で知っている。


 善治は傷だらけの指で青痣になり始めた頬をポリポリと掻き、含羞(はにか)んだ。



「ワテ、こう見えても節操はありますさかい」



 妖艶な目元が不安要素に一変した瞬間だった。残念ながら、俺にそのケはない。今夜から寝床に気を付けよう。

 やっと呼吸を再開し、残ったパンを放り込む。表面が乾き始めていた。口の中の水分が奪われる。



Aniki(アニキ)!」



 その時、食堂に駆け込んで来たのはライダージャケットに身を包み、ネックウォーマーを手にしたネイサンだった。後ろには彼と同じ金髪だが淡い青の目をした男と、黒髪を括った黒人風のサングラス男。三人は肩幅ほどに脚を広げ、軽くそれを折ると善治に頭を下げた。任侠モノの作品ではお馴染みのポーズ。



()が高い。やり直しや」


Ossu(押忍)! Aniki(アニキ)!」



 善治の態度は高圧的だが、それすらも嬉しいのか再度礼をしてみせるネイサン一同。岸野の下で働きたいならば、と善治は彼等に極道式の教育を施そうとしているらしい。

 ネイサン率いるSilverDogsは今や彼の子分のようになっている。



「そこの二人が行く事になったわ」



 凍傷で黒ずんだ親指で俺とトネリコを指した。ネイサンは氷製(アイス)系の異能らしく、それにやられたそうだ。SilverDogsは異能力を持つメンバーが大半である。



「Yes,Sir」



 そこは「へい兄貴」じゃないんだな……と妙に拍子抜けした。

 すると、面をあげたネイサンが何かを投げて寄越した。彼らと同じネックウォーマーである。



「これを付けるのか」


「そういう事やろなぁ」



 トネリコにも投げられ、俺たち二人は其れをしげしげと眺める。何の変哲もないが少し大判である。そこまで察しの悪い俺では無い。これで顔を隠して行くんだろう。そして、非合法的に必要な物を手に入れる。


 腹は括った。バレなければいい。全て片付いて、俺の夢を叶える時が来るまで……もっと言えばその役目を終えるまで隠し通せたら勝ちなのだ。

 正直、この変化には自分が一番驚いている。刀一本落としてきただけで涙目になっていたあの頃とは違う。その変化は決して良いものとは思えないけど、半年前の自分よりも今の俺は泥臭い気がする。




 善治とライラに見送られ、俺達は教会の裏側へと連れて来られた。イザベラがネイサンの仲間達と談笑している。英語だから何を言ってるかさっぱり分からないが、人種などもバラバラでも仲は親密らしい。巨木みたいなゴツい黒人も居れば、アジア系っぽい黒髪に黒い目をした奴もいる。


 停められているバイクは十台。妙な既視感を覚えたが、よく見れば日本製だった。大型だが燃費が物凄く良い。

 どんな事をするのか具体的にはまだ聞かされていないが、肌寒い外気も相まって少し気が滅入る。足を引っ張らないだろうか。



「はぁ……ついこの前まで公務員やったのになぁ。退職金も貰えへんままやわ」



 頭上のボヤきに耳を疑った。勿論それは、トネリコのもの。



「ネメシスって、公務員なんですか」


「一応な? 国連の予算で大概は賄っとるけど、プラスアルファで日本の税金から諸費が出とる。昔は特に公務員っぽい雇用形態やったらしいで。産休やら育休やら取るような人もおったみたいやし」



 知らんけど、と関西人特有の語尾で締め括ったトネリコ。まぁ、確かに日本警察の真下に居を構えてるし、国連だって公的組織だ。言われてみれば不思議な話でもない、か。やけに生々しいが、親近感の湧く話に少し緊張が解れた。

 見上げると、トネリコが少し満足そうな顔でこっちを見ていた。何だよ。顔に何か付いてるのだろうか。



「肩の力抜けたか? 怖い顔しとったで」


「え、あ……はい」



 完全に見透かされていた。いつになっても変わらないのは顔に出易いこの癖だろう。気をつけていたつもりだけど、ちょっとやそっとでは治らないらしい。


 バイクのエンジン音が辺りに響き渡った。グォングォンと腹の底が震える。それぞれに二人ずつが跨り、口々に何かを言いながら手を叩きあったり、空ぶかしをしている。互いの士気を高めあっているようだ。



「Akito! Tonerico! C'mon!」



 ネイサンと、その後ろのスキンヘッドに刺青を施した男が手招きをしていた。指さす先にはエンジンを掛けただけのバイク。ヘルメットなんか何処にも見当たらないし、彼らも誰一人として被っていない。贅沢は言っていられないか。


 トネリコが運転してくれるらしい。何も言わず前に跨った。ブレーキの感覚などを確かめる。ふと振り返ると、明かりがついた建物の二階からは子供達が手を振っていた。

 そのひとつ上の階にはライラの姿。

 更に、もうひとつ。最上階にある一室。ウェーブした長い髪に、顎髭。あの医者だった。険しい横顔が見下ろしている。一瞬目が合ったが、彼は即座にカーテンを閉ざしてしまった。



「バイクの運転とか久々やなぁ。コケたらごめんやで」



 腰に手を回すと、唐突にそんな事を言ってきたトネリコ。いやいや、ごめんで済まされたら困るんですけど。

 白い歯を見せてニッと笑った彼はネックウォーマーをグイと引き上げた。ネイサンの号令。彼に続いて飛び出していく。

 トネリコもクラッチレバーを握り、ペダルを蹴った。加速する二輪。乗っけから飛ばすネイサン達のテールランプを追いかける。


 教会の敷地を出ると、荒廃した街並みの中を走った。舞い上がった砂煙がライトに照らされて筋を作る。それ以外に明かりはない。周囲に目を配ると、人の気配はないのに何かが居そうで不気味な暗闇が葬列をなしている様な感覚に襲われて身震いした。

 気を取り直して見上げた空には、日本で見られないような満天の星空が広がっていた。俺たちの向かう先には北極星がある。

 トーリーパインズの街並を抜けると、赤茶けた岩の間をすり抜けるオフロードが待ち構えていた。あの発言の所為で手汗をかいたが、事もなさげに切り抜けた。


 すると、開けた所にハイウェイが現れる。道幅は広いけど、殆ど使われていないらしく、ヒビ割れやその隙間から雑草が短く伸びているのが見受けられた。やっと、風が心地よく感じられるようになってきた。ビュウビュウと耳を掠めるそれは冷たいけど、何故か落ち着く。



「そういや」



 運転に慣れてきたのか、トネリコが話しかけてきた。

 振り落とされないように密着していることもあって、声の振動が直に伝わってくる。



「アキトはどう思う? あの医者」


「悪い人、では無いと思います」


「やんな。オレもや」



 出し抜けな話題に少し驚いたが、彼もあの男が上から覗いていたのを知っているのだろう。


 あんな事になったが、今、海岸で野垂れ死んで居ないのはあの男が居たからだ。その事実は揺るがない。それに、本当に俺達を排除するつもりならばもっと他に方法があった筈だ。そもそも、子供達に案内をさせただろうか。

 善治やライラは彼の姿を見るといい顔をしないが、俺と同じように思っている人が居て良かった。



「でも何だかこう、寄せ付けない感じがありますよね」


「初めて()うた時のレンもあんな感じやったで。職人気質っちゅうか、一匹狼っちゅうか」


「確かに」



 自然と苦笑が漏れた。

 見てみ、とトネリコが言う。



「街だ……」



 風で張り付く前髪の隙間から地上の星空が見えた。

 海岸線に沿うように黒い煙が立ち上る工場群と船舶の黄色い光。黒の背景を寄せ付けない白、その頂点でくるくると回っているのは道無き海の道標。

 あの先に、日本(帰るべき場所)がある。そう思うと、顔を覆う布切れが息苦しい。


 先行するエンジン音が脇に逸れた。まだまだ道は続いているが、ここで下りるらしい。

 トネリコの背に身を委ねる。鉄の馬は蹄の音を轟かせて駆ける。俺の中の何かを振り切るように。



 《何処に居るの》



 不意に耳元で鈴が鳴ったように思った。まさか、彼女が此処に居る筈がない。風が囁いたのだろうか。


 何故かこの所、何かにつけてこだまに呼ばれている様な気がするのだ。空耳でしかないけど。それに、アイツが俺を呼んでいるだなんて、思い上がりも良い所だ。

 しかし、もしも本当にそうだとしてアイツに俺も呼びかけることが出来たならどれだけ良いだろう。


 なぁ、こだま。俺は此処に居るぞ。必ずそっちに戻る。姉貴にもそう言ってくれ。終焉の鬼(リリー)が言う通り、俺はお前の力になってやる。全てが終わったら、お前は姉を取り戻して、俺は運命から解放される。

 そして帰ろう、心休まる場所(幸福な日常)に。



 ──いずれ、見つかるさ。此処にいなきゃ出来ないこと、いや、此処に来たからこそ出来た事が。今まで歩いてきた道とは違っても、結局お前が居るそこがお前の居場所で、その先に道が出来るんじゃねぇのか。

 ──この状況を、受け容れる他ないって事ですか。

 ──そこまでは言わねぇよ。ただ、俺の経験則的にそんな感じって事だ。苦労してるのは何もお前だけじゃない。死ぬ思いをしてでも違う道を歩もうとした奴だって居る。臨床心理は得意分野じゃないが、お前はたぶんその男同様、芯の強いタイプの人間だ。俺の知り合い曰く《強い信念は人を歪ませるが、芯の強い奴は自分で歪みを直して正しい選択が出来る》ってな。



 何時かのレンの言葉が脳裏を過ぎる。

 今になって、漸く頷けた。

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