L'épilogue~分裂~
狭いが、調光がなされて適度に明るい部屋。調度品は薄い色の木目調のものがほとんどで、銀色一色と比べればほんの少し温かみがある。さらに、この部屋には珍しく窓がある。廊下などと同様に完璧に磨き上げられたそれからは外の景色を鮮明に覗くことができた。とはいえ、その景色というのは全く人の気配が無い伽藍堂。普段ならば幼い子供たちが追いかけっこをする側で若者達を中心に戦闘技術を磨く光景が広がるのだが。
達哉は落ち着かないようにソファーの中で身をよじったが、氷嚢を乗せた右脚は上手く力が入らずスッキリしない。更に、両サイドの二人もまた眉根を寄せて何かを考え込んでいるようだった。
目の前のテーブルには、この国の風習に倣ってなのか、白い餅が二つ重ねられ、上には鮮やかな橙が据えられていた。
「ダイキはずっとこの機会を狙ってたのかな」
「だろうな……でも、もしオレがアイツの立場なら、って思うと単純に責める気になれない」
白いニット帽──神威の呟きに達哉は頷いた。右隣の千鶴が怪訝そうに目を細めたが、反論はしない。敷かれた毛足の長い絨毯を足先でなぞり、頭を垂れた。
つい数十分前だ。オルガナに告げられた言葉が未だに彼らの胸を締め付ける。
特に男二人は同室ということもあり、彼と共に過ごした時間が長かった。その分、菊川の内なる激情を察してやれなかった──否、それを上手く押殺し、前を向いて歩んでいるのだと勝手に思い込んでいた自分達に憤る他ない。
メルデスの手術は今もまだ続いていると言う。
肩を落として「お前達に、非は、無い」と囁いたオルガナは帰還したセギを迎えに行くと言って出て行った。
「にしても、オルガナさん遅ない?」
千鶴はふと視線を上げて時計を見た。他のふたりも「確かに」と首肯する。
「あーあ。メルデスさんって、ホント偉大だったんだなぁって改めて思うっす。オレは正直、メルデスさんの体制になったミュートロギアが好きっすよ」
虚空に向かい、達哉は言葉を噛み締めた。幼い頃からミュートロギアの銀一色に囲まれていた彼は、朧気ながらもその頃の事を覚えている。彼の今の強さも、あの頃のミュートロギアがあったからこそだと認めざるを得ない。
メルデス=サングシュペリという男がそれを変えた。
「ウチ、達哉程ここに長くおらんねんけど、アレほんまなん?」
アレが指すものに心当たりのある達哉は天井を軽く見つめ、小さく頷く。
過去のミュートロギアには、確かにネメシスに追われ、国際社会から孤立させられるだけの理由があった。『異能の平和利用』を謳った暴力が、実際にあった。当時中学生になるかならないかの頃だった彼が実際に立ち会った訳では無いが、それでも、組織が変わった事くらいは理解出来た。
「オルガナさんが江口先生に言ってた通りっすよ。それを、あの人が変えた。どんな手を使ったのかは想像もつかないっすけどね。相当強力な後ろ盾があるとか無いとか……」
その時、外から男女が揉めるような声が聞こえて来た。そして、それを諌めているかのような嗄れた声も。彼ら三人は互いに顔を見合わせる。声はどんどん近づいてくる。
「落ち着きなはれ御二方」
「だーかーら! ボクに当たられても困るんだけど?」
「何故、こうも、面倒事が、重なる! だから、私は……」
分厚い木製の扉が開き、ひと組の男女が競るように入室する。彼等が思った通りの人物が言い争いをしていた。この二人がこうやって声を荒らげているのは珍しい。
「若いモンが見とるやろ! 黙らんかいな!」
そして、老人にしては張りのある声で二人を叱責したのは銀狼会の組長、縹川彩善だった。眼光を鋭く光らせる。
千鶴だけは彼に面識がなかったが、達哉がそっと耳打ちをした。更にその後から黒髪が美しい和装の美女が続いた。うなじに零れた絹糸のようなそれは古からの妖艶さを体現しているようだった──それで若干鼻の下が伸びた達哉の脛毛が引き抜かれ無かったのはこの場の緊張感のお陰である。
彼女は彩善のマフラーを腕に掛け、ペコりと会釈してみせた。
「彩善サン、どうもご無事で」
「おお、あの時の勇敢な坊主やないか。なんや怪我しとるようやけど……」
「問題無いっすよ」
達哉はニッと笑ってみせる。そう言う彩善も、美しい錆浅葱の着流が所々切り裂かれ、糸がだらしなく垂れ下がっていた。肩にかけただけの黒紋付は無傷であるが、この老人の顔にも些か疲労が見える。
喝を入れられた二名はバツが悪そうに黙り、黒いカバンを抱えたセギは達哉達に向かい合うソファーへ。彩善がオルガナを促したが、彼女は「此処で良い」と入ってきた扉を閉めて背を預ける。「ほな、彩も座らせてもらいまひょか」と撫子を傍らに座らせて、自身もセギと彼女の間に入るように沈み込む。
「見苦しい所を見せてごめんね、三人とも。オルガナから話は……」
「聞きました。其方はレンさんとかに任せるしかあらへん」
深緑の髪をガシガシと掻いたセギは千鶴の返答に頷く。彼は当たり前かのように自身の相棒を広げ始める。勿論これから始まる会議に必要である、という事もあるが、何より彼がこうでもしないと落ち着かないようだった。膝の上に乗せたそれはこんな時に限って微妙に起動が遅い。
「取り敢えず、全ての情報を展開する必要がある。対処すべき事案が多過ぎるからね……」
やっとホーム画面に移り、セギは机の上でマウスを走らせる。いつもよりもダブルクリックが荒い。
「君たちが保護してくれた高校生達なんだけど、彼らを外に出すのはやはり無理そうなんだ」
青い光を見つめながら「見てくれ」と画面を反転させる。
「これ、校舎あったところ……やんな」
彼らの視線が釘付けになる。「そうなんだ」とセギも顔を暗くした。画面いっぱいに映し出された瓦礫の山。セギがネットから引っ張ってきた映像らしく、右上には【LIVE】や【大晦日の学校で何が】の文字。神威の話を聞いた彼等にとっては、相手側の証拠隠滅の結果としか思えなかった。
さらに画面は切り替わる。人の名前と顔写真がずらりと並んだ。彼らの表情はいっそう強ばる。信じられないといった顔でテロップと順々に切り替わるそれを交互に眺める。
「おいおい、まじかよ。指名手配?」
目を見開いた達哉の言葉に首肯したセギ。
ちらりと視線をオルガナへ向ける。彼女は黙ったままだ。その顔からは感情が読み取り辛いが、この二人の対立はこれが大きく関わっているのだろうと察するには十分だった。
「それで、オルガナは彼らを組織の部隊に組み込みたいって言うんだ。でもねぇ……」
「釜の、飯を、分けて、やるのだ。そのくらい、して、当然」
「あーもうこれだから!」
お手上げだ、と言うようにソファーの肘掛に雪崩込んだセギ。そうでなくても彼の目の下には大きな隈がある。大抵の乗り物は操縦出来る彼だが、疲労は別問題である。音速以上の速さで飛ぶ戦闘機を数時間にわたり操ったのだ。無理もない。
「ボクは、一理あると思います。戦力が必要だと思う」
セギに気を使っていた達哉と千鶴が発言者を見遣る。彩善も興味深そうに神威を眺めた。「やめてよもう……」と泣きそうになるセギ。
「鬼にとって都合が良すぎる。ボクが見た兵器だけじゃない。あの場に居た警察官の数からして、普通なら隠し通せる人数じゃない。大きな組織が糸を引いているのは間違いない」
「待て待て、神威。だからって一般人に突然戦えって言ったってどうしようもないだろ」
「アキトもそうだった」
神威の的確な指摘に、達哉はグウの音も出なかった。だが、達哉の言うことも間違いではない。付け焼き刃も良いところである。
彼はこの言葉を使うのを避けたが、敢えて言えば“無駄死に”を増やすだけだ。その点アキトは達哉らを含めた周囲が全面的にバックアップしていた。そうでなければ彼も今頃死んでいるだろう──尤も今現在、彼の生死は分からずじまいだが。
「黒いの。お前はん、なんや焦っとるんか?」
ハッと面をあげた神威の瞳は深い黒。対する彩善の右眼は水晶体が濁りかけていた。目尻には永らく世界を見渡して来た自信と深い皺が刻まれている。目こそ細めていたが、口元に笑みはない。
その時、彩善が羽織る黒紋付の裾が緩く張った。
「どないした、彩」
その白磁器のような手をとる。発言の許可と受け取った彩はほんの少しだけ薄紅を乗せた唇を結ぶ。その美しい容姿は元から人の目を惹くが、今は部屋にいる皆の視線を根こそぎ集めた。
「病室でお見かけした時から、ずっと引っかかっておりました」
川のせせらぎと聞き違う様な透き通った声。それはある一点に向けられている。ほとんど初見に近い老人に心を見透かされ驚愕する神威は更に身構えた。
彼自身もまた、彩に奇妙な感覚を覚える。
「貴方からは、私共に近い力を感じるのです。焦燥はそれに関係していらっしゃるのでは?」
彩の言葉は力強かった。質問と言うよりは、確認に近い。困惑する神威の顔をのぞき込む。だが彼は無言を突き通す。目を合わせることもせず、机の上の鏡餅をずっと見詰めていた。
「こだまに何か関係してるのか、神威?」
コチコチとリズムを刻む秒針に耐えかねたのか、達哉は問うた。だがそれでも、神威は硬く口を閉ざす。膝を掴む手が震えている。
「隠し事は悪いことやあらへん。せやけど、それは時と場合によると思いますわ。お前はんは何にそない怯えとるんや」
彩善は錆浅葱の裾を直しながらゆっくり息を吐いた。この場で誰より人を見る目があるのはこの老人だろう。その考えからか、扉に背を預けるオルガナも、ソファーで項垂れるセギも敢えて何も言わない。
そう、彼等でさえも神威の事をあまり知らない。オルガナは訓練場で、セギはデータベース上で彼の事をよく見てきたが、異能力に関する項目は白紙で出生に関する項目もあやふやだった。おかしいと認識しながらも、その類まれなる射撃センスに目を瞑っていただけだったに過ぎなかった。
「ボクの、勝手な事情です」
やっと絞り出した言葉はそれだけだった。他者の介入を拒むようなそんな姿勢。だが、それで「そうか」と引き下がる者は誰も居ないだろう。
「どうしてそうも隠すのですか。私は、貴方の正体が知りたいだけなのですよ。人ならざる力を感じる貴方の」
彩の口調が僅かに棘を含む。その隣の彩善も品定めするように顎に手をやった。
「……ボクは異能力者じゃない。ボクは神を使役する」
呟いた神威は漸く彩に目を合わせた。決心がついたように顎を軽く引く。彼女も「やはり」と囁いた後、どこか懐かしむような表情で彼を見つめた。
──『神を使役する』
その言葉に、ふたり以外は首を傾げた。
「ボクはその所為で追われてる。だからずっとこの力を隠して来た。でも、もう今は違う。神を呼んでしまった。ボクが生きている事が知られてしまう」
「その、もしかして、あの竜巻みたいなんは神威くんが呼んだん?」
割って入った千鶴の問いかけにコクと頷く。薄く碧い光を纏った竜巻の謎が彼女の中で解けた。
「追われてるって言うけど、神威クン。誰に追われてるんだい? 君の力を狙ってるとか?」
やっと話が読めてきたらしく、会話に加わってきたセギ。だが、その問いに神威は首を傾け、そっと横に振った。
「神威の継承者は一人だけ。ボクはその一部を赦されているだけです。ただ、ボクには腹違いの兄がいる。彼は神威のその先にある神位を狙ってる」
自分の名前を自ら連呼するように言葉を並べたが、やはり、周囲は首を傾げるしかない。相当、何も話したくないのか……または、それ以上の説明ができないのか。彩善は思考を巡らせたが、これ以上は時間の無駄だと割り切ることにした。
「つまり、お前はんが邪魔やから消してまおうゆう男がおるっちゅうんか」
無言の肯定。取り敢えずそれだけを確認出来れば良いだろうと彩善は肩の力を抜いた。
正面に座るセギは相変わらず「まぁた面倒事がぁ……」と唸り、顔を覆う。鬼に狙われるこだま、ネメシスに命を狙われるメルデス、さらにそこに神威が加わるとは崖っぷちも良い所だ。
加えて、これまでその脅威を未然に防いだり、一矢報いたりして来た頭脳が機能しない今、冷静で居られる方がむしろ異常かもしれない。
「その兄は、何処に、居る」
「わかりません」
「わからないって……それじゃあ対策のしようもないじゃないか! あのねぇ、ボクらはメルデスほど優秀じゃあないんだ。ただでさえ……」
「すみません」
「ゴメンで済んだら警察は要らないって聞いたことない? ボクらも必死なんだよ!」
「……わかってます」
「分かってないよ!」
相当限界が来ているらしい。ここまで苛立つセギは本当に珍しかった。普段ならばオルガナが先に「組織の、規律を、乱すな」と責め立てるか、手を上げるかするところなのに。神威も若干萎縮している。
かと言って、心配そうに二人を見守る千鶴も達哉も口出しできない。
「その辺にしたりぃ、緑の」
いつの間にか目を閉じ、腕を組んでいた彩善が割って入った。緑のと呼ばれたセギは抗議の視線を向けるが、歯牙にもかけずに彩善は言葉を続けようとした。
だが、それは更に別の音に遮られる。乾いたノックの音。
オルガナは背後の振動に「何だ」と応える。
「エルドレアからの緊急連絡を。ネメシスが、事実上の解体になった模様です」
息を切らす彼の報告に、一同は戦慄した。単に彼らの解散への驚きもあるが、この一連の事件との関連が見えてこない分、更なる混乱を予感した。
「詳細については調査中。責任者と直接話がしたい、との事なのですが……」
口篭った彼。理由は明白だろう。相手側が指定した責任者は今生死の境に居る。
達哉はぐるりと面子を見回した。ミュートロギア本部の上官勢はメルデスを筆頭にオルガナ、セギ、レンだが、今動けるのはオルガナとセギだけ。ともあれば、弁が立つのは必然的に一人に絞られる。幾ら動揺して苛立っているとはいえ、彼にしか頼めないだろう。
「半日待ってくれ、と伝えてくれないかなぁ」
大きな溜息と共にセギはそう言った。
「いえ、極秘回線での通話で良いと先方が……」
「そうだぞ、セギ、彼処を、待たせて、どうする。同盟国、といえど、国家だぞ」
扉の向こう側、こちら側どちらからもセギは苦言を呈された。すると、彼はカバンをゴソゴソと徐ろに漁り始める。そして一通の封筒を掲げた。薄ピンクのそれはすでに封がしてあり、糊付けした人物のサインもある。セギの表情は真剣味を帯びていた。隈に縁取られた瞳が深くにある緑色を光らせた。
「ボクがこれを持ってエルドレアへ行くよ。直接ね」
「ほぉ……あの男、ほんま用意周到ですなぁ」
何が面白いのか、封筒を横目で見た彩善は肩を揺らしてクックッと嗤う。だが、彼を除いては皆明るい顔をしない。
「セギ、お前が、今、此処を、離れて、どうする」
「ボクがいないと寂しい? やだなぁ。此処に優秀な人材が沢山いるだろう。特にボクの情報科は精鋭揃いさ。得意なフィールドに立たせてやればボク以上の働きをするよ」
先ほどとは一転。半ば巫山戯てみせたセギ。「そんなことを言いたいのではない」と言いたそうなオルガナの鋭いオーラに苦笑した。その言葉が出る前に、彼は続ける。
「メルデスから今朝頼まれたんだ。『万一僕に何かあれば』ってね。ボクがあの時メルデスを止めてたら、こんな事にはならなかったのかもしれない……そう思ったら、居てもたってもいられないんだよね」
そう言ったセギはPCを畳み、突然立ち上がった。そして、真っ直ぐオルガナの方へ──しかし、その目に彼女は映っていなかった。長い前髪が目元への視線を遮る。
「本当に、行くのか。良いのか、彼処は……」
腕を組み、行く手を阻むオルガナは言葉を詰まらせる。あまり身長が高くないセギはオルガナに少し見下ろされる形になった。唯でさえ貧弱そうな細身に、日に焼いたことのなさそうな黄色人種の肌。
彼の足が震えていた。
然しそれは目の前の女への畏怖では無い。幾重にも鍵を掛けた記憶の引き出しが内側から大きな音を立てて暴れている。
それを振り払うように、彼は握った拳で思い切り自らの太腿を殴りつけた。そして、吼える。
「あぁ! ボクだって行きたくないさ……! でも、これはボクがメルデスから預かったんだよ。直接エルドレアに渡してくれって。ボクはメルデスに何も返せてない! だから、ボクはもう一度あの場所に行くよ」
仁王立ちをするオルガナのブーツの先に、丸い雫が落ちる。ぽたぽたと、何度も何度も。カバンを掛けた肩が震えている。セギは前髪を手で押さえた。
オルガナはしばらくそれを静観する。そして、表情さえ変えなかったが、その場をスッと離れた。訓練場を一望できるガラス窓に背を向け、やっと少し声を発した。
「気を、付けて、行け」
突然涙と共に声を荒らげたセギに、千鶴や達哉、神威はただただ驚くしか無かった。エルドレアという異能に寛容な国家の存在や、彼等がミュートロギアへ加担している事はある程度知っている彼等だが、深い所までは知る由もない。勿論、セギとエルドレアの関係等も。
彼はドアノブに手を掛け、ほんの少しうなづいた。その身を滑り込ませるように向こう側へと消えて行った。去り際に「高校生達については、キミに任せるよ」とだけ残して。
一人減った部屋は、どこか寂しかった。達哉は足に載せた氷嚢以上に部屋が寒々しく感じた。普段は口が達者な千鶴まで、口を噤んでいる。
破れた制服の裾を弄りながら、彼は思案する。今まで起きた出来事。彼らとの思い出。鬼や国家権力との争いの中でも笑顔を絶やさなかった仲間の顔。
──これから先、どうなるのだろうか。
「年が、開けてしまいましたね」
小川のせせらぎが時の経過を告げる。
長針はもう既に数字の五を指していた。彩はそれ以上何も言わず、淑やかに瞳を閉じる。
彼らの生きた3570年は終焉を迎えた。そして、3571年で息をする。
運命の歯車はもう止まらない。
……To be continued
これにて第三章終幕です。
次話は登場人物紹介【Break timeⅢ】となります。
後書きはそちらにて。
この度は拙作をお手に取って下さり誠にありがとうございました。




