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「メルデス、しっかりしやがれッ!」


「脈拍どんどん下がってます! 強心剤投与しますか」



 胸の傷を押さえ付けるレンの手は捲り上げた腕まで赤黒い血で染められていた。止まらない出血。心恵の言った通り、心臓の循環機能も衰え始めている。

 無けなしの生命維持装置がけたたましいアラームを鳴らし続けていた。


挿絵(By みてみん)


「ダメだ。今の薬剤投与はメルデスの身体が耐えられねぇ。だから、()()()()


「分かりました」



 医師免許を持たない心恵。しかし、緊急事態だ。こういう時の為の訓練は幾度となく受けている。レンの白い腕に注射針を突き刺した。注射器半分ほどの液体が彼の身体の中へと浸透してゆく。

 そして、レンから皆が離れた。固唾を呑んで見守る。


 レンの異能力──それは、自らの心拍数を他人と共有するもの。彼がこの能力を行使することは極めて稀だ。というのも、能力が繋がったまま万が一どちらかが死ねばもう片方も同様に命を落とす。そんな危うさを大いに孕む代物をやすやすと使うわけにはいかなかった。

 だが、今はその稀なケースである。

 刺されたのは心臓ではない。だが、元から身体に問題を抱え薬を処方され続けていたメルデスはその副作用で血が固まりにくい。その上、彼自身もかなり弱っている。

 故に誰も、レンの判断に異議を唱えない。


 微かな心臓の痛み。低下したメルデスの心臓の伸縮とレンの鼓動を歩み寄らせる。メルデス側に引き込まれないように、そして、逆に急上昇させないように。意識を集中させていく。そして、二人の心拍は同じリズムを刻み始めた。



「心拍数上昇、バイタル若干回復しました!」


「よし。これを維持したまま手術室に運ぶぞ。まだ動けねぇのか?」



 レンの問いかけに応えるように、人影がひとつ緊急処置室へと入ってきた。レンと同じ銀色の髪、カーキ色のツナギの一部を赤黒く染めたオルガナだった。



「あと、三分で、本部、上空に、突入、する。安全を、先行隊が、確認した、後、医療班(メディカル)、のみ、中へ、飛ばす」


「わかった」


「助かる、のか」



 神妙な面持ちのオルガナ。彼女の脳裏にはメルデスを殺傷しようとしたあの青年の顔が浮かんでいた。彼自身を責めているというよりも、彼を甘く見ていた自らに強い憤りを感じていた。彼の笑顔の仮面にどこか油断させられていた自分に対して。



「やれるだけの事はする。だが、最後はこのバカが生きようとするかに懸かってる。それだけは誰も手出し出来ねぇ」


「そうか。兎に角、幸運を、祈る」



 ドクドクと流れ出る血液と格闘するレン。周囲の医療班の女性達は慌ただしく駆け回り、赤く染まったガーゼと真っ白なガーゼを運ぶものも居れば輸血パックをしきりに交換する者もいる。そんな彼らを一言労ったオルガナはその場所をあとにした。


 狭い廊下を歩く。ミュートロギアの本部よりも無機質で機械油の匂いがしそうなその通路を抜けると、さらにごちゃごちゃとした空間に出る。

 その奥にいるのは緑色の頭。彼女の気配を感じたのか、ゴーグルを額に上げて口を開く。だが、視線は変えない。ずっと目の前を見据えている。



「伝えてくれた?」


「ああ。レンなら、どうにか、して、くれる。そう、信じて、いる」


「そっか。彩善さんたちも上手くズラかったらしい。計画通り善治さんも潜入できたって」



 いつもキーボードを叩いている彼の両手は今、操縦桿を握っていた。灰色の雲の中を突き進んでいるため景色ははっきりしない。だがそれでも、かなり高速で飛行していることはよくわかった。



「銀狼会も凄いよ。こんな軍用の超高速ステルス輸送機を仕入れるなんてね。光学迷彩もバッチリさ」



 この空間にいるのは何もセギだけではない。縹川彩善率いる銀狼会の面々も数名が待機している。また、ミュートロギアの情報処理班等も慌ただしく本部の数名と連絡を取り合っている状況。



「これで、計画通り、なのか」


「菊川くんの暴走以外は。コレはメルデスの命令なんだ。何があっても決まった通り動けってね。メルデスは、コレを予測してた……いや、もしかしたらこうなる様に初めから構想を練ってたんじゃないかってくらいだよ。やっぱり、ボクらの脳はメルデスに追いつけない」



 セギは断言した。オルガナも無言の同意。悠長な言い方をすれば、いかにも秘密主義かつ強行突破が好きな彼らしい。そこへ、背後から声が掛かる。

 PCの画面に張り付いていたセギの部下だった。



「失礼しますよ、御二方。気になることがひとつ」


「なんだ」



 丁寧な口調の彼。動揺を押し殺しているのか分厚いメガネの奥の黒い瞳が微かに揺れる。



「夕妃さんと連絡が取れません」


「仕事中、ならば、よくある、事だ」


「いえ、そうではなく……」



 若干口ごもった。オルガナに口答えをするようではばかられたのだろうか。だが、言葉の続きを催促するような威圧感に口を開いた。



「高校生以上の子供たちも含めて誰一人──地図上から姿を消しました」


「なんだって?」



 操縦桿を握るセギは冷静を装おうとしたが、一瞬視線が泳ぐ。彼には思い当たる節があった。数ヶ月前、夕妃の弟……暁人にもまた同じようなことが起こっていた。今日の彼らの予定を知らないセギではない。オルガナも同じ結論に至ったらしい。薄ピンクの唇を噛み、彼女には珍しく舌打ちをした。



「まずは、医療班(メディカル)が、最優先、だ。此方も、体制を、整える、必要が、ある。戦闘部隊に、告げろ、緊急出動の、備えを、と」



 □◆□



 どこか薄暗い空。夜とも言えないが昼とも言えない。ならば、暁の頃や日暮れなのかと訊かれれば肯定できない。天頂から細く降り注ぐのは白光。

 百聞は一見にしかず。天を仰げば目に飛び込むのは異様な光景。

 太陽が、喰われている。

 漆黒の月が光の領域を蝕んでいるのだ。


 日食(ソーラーイクリプス)。そう呼ばれている。

 太陽と月と地球が一直線上に並ぶ事で起きるごく稀な天体ショー。これに神秘を感じるものも少なからず居る。だが、今彼らの頭上に浮かんだそれは禍々しさを纏っていた。


 欠けた太陽が見下ろす先には学舎がある。直方体の三棟と、少し歪な一棟で主に構成されている。また、広大な白土のグラウンドと、建物と建物の間にはその三棟が一纏めにすっぽり収まってしまいそうなほど広い広場がある。


 ここの学生教員は皆それを中庭と呼ぶ。

 中央には赤いタイルを敷き詰めた幅の広い通路があり、その両脇には花壇や葉を落とした木々。さらに、演説台のような物も備え付けられていた。


 その場所では今、多くの人影がひしめいていた。百人と言うと多いかもしれないが、それに近い値は確実に居る。主には日本警察の制服を着た黒い影。そして、疎らに散らばる白い服の人々はその肌もまた白い。修道服や司祭のような衣装を纏う。

 学舎に通う生徒でないことは明らかだった。


 そんな中、光り輝く刀を振りかざした杏色がその群れに切り込んでいった。少女は小柄なその体躯を捻りながら迫り来る腕を躱し、時に斬り裂きながらある一点へと向かう。セーラー服の臙脂色の襟が冷たい風を受け、耳元でバサバサと音を立てる。



「神威くんはこだまを援護して! 私はあの()()を止めてみるわ」



 凛とした声が彼らの背中に指示を飛ばす。明るい色の髪を短く切った若い女。白いシャツの左の肩口は真っ赤に染まっている。

 それでも、前を向く。その小さな体に秘められた神とさえ形容出来る力に希望を託して。


自然掌握(フィジカライザー)』──それは、世界でも片手に収まるほどしか居ないSランク異能でも別格の強さを誇る。人工物以外の全てを統べるその力は時に火を起こし、水を生み出し、風を操り、大地をも唸らせる。


 前を行く二人に相槌がなくとも、彼らの行動は一択だ。

 神威と呼ばれた色黒の青年が右手のグロックから空の弾倉を放棄し、コートの袖からスペアを放り出して空中で再装填(リロード)する。その間も左手のコルトパイソンはこだまが捌ききれない敵を葬り、砂に還す。まさに神業。

 マフラーの上部から覗く黒い瞳がギョロリと周囲を見渡した。



「夕妃先生! 二時の方向!」



 声変わり中の掠れた声で敵の薄い部分を知らせる。すると、夕妃の足元、赤いタイルがガタガタと微細な振動を始めた。そして、地揺れを伴いながら地面が大きくえぐれあがった。隆起する大地。それは、彼女を高く高く押し上げる。

 それは一点にとどまらない。まるで階段のステップを作るように、軽く湾曲しながら高い壁になる。

 それを踏み台に、彼女は上る。上へ上へと。

 佐和山を守った際に抉られた肩がじくじくと痛むが、時を同じくして戦っているであろう教え子や、それに不安を押し殺してついて行くしかない他の生徒のことを思えばどうということも無い。


 次の一手として夕妃がシャツのポケットの中にある種に手を伸ばしたその時だった。

 ゴウンッという重低音の刹那の後、派手な爆発音にも似た強烈な振動が彼女の足元で炸裂する。



(くっ……相ッ当な威力ねッ! 安易に近づくのは避けるべきだわ)



 揺らぐ足元。彼女自身が起こした奇跡とは別の何かが足場を崩す。ある程度は予想していた彼女だったが、唇をかんだ。


 黒い光を放つそれは、夕妃の眼下でドス黒い煙をあげていた。それも、左右に二機。城壁を守る為の固定砲にしては小型で、かつ、それはある程度の機動性を持っている。かと言って戦車とは言えない。その見た事も無い兵器は再び唸り、岩の壁を破壊する。弾丸のようなものの残骸は無いが、もしも直接当たれば生命はないことくらいは容易にわかる。

 グラつく架け橋にいつまでも縋る夕妃では無い。しかし、下では落下しようとする彼女に死を与えんとする亡者の群れ。そして、その奥では黒髪の少女がその姿を見てほくそ笑む。



「舐めんじゃないわよっ!」



 空中で身を屈めバランスを取り、夕妃は地上に向けて右腕を伸ばす。すると、圧縮した空気が突如爆発的に膨張し半径二メートルほどの範囲にいた敵を吹き飛ばした。バタバタと倒れる敵影。その場に居た約半数は砂に還った。また、瞬間的に膨張した空気は温度が急激に低下し煙幕のような状態となり夕妃の姿を隠す。


 見上げる黒髪の少女の落胆した吐息が白くモヤを作った。



「はぁあ。だからタケルさんに先に始末をお願いしたのに……困りました。あのファーストの手を煩わせただけある」


「しずか!」



 ボソボソ独り言をする神崎静がゆっくりと振り返った。そこには、小柄な少女の姿。杏色の髪を高く結い上げ、白いリボンを付けた奇妙な格好で地面スレスレを飛ぶように駆けている。



「私の目標は本来貴方だけなのよ? こだまちゃん」



 そう呟いた彼女が逃げる素振りはない。むしろ、頬にえくぼが浮かんでいた。──なにか奥の手があるのか。こだまの背中を守る神威は訝しむが、こだまにその思考はなかった。



《こだま、闇雲に戦ってはいけません!》


「私がやる、やらなくちゃ、誰がやるの!」



 頭の中で終焉の鬼(リリー)が諌めるが聞かない。彼女の弾丸のようなスピードは衰えを知らぬ。掲げた風変わりな光る刀の残像が大きくしなった。


 ブォンという風切り音と共に静の身体を斬裂く、はずだった。だが、想像以上に硬い感触が手首、肘、肩を順に駆け巡る。痺れにも似たその感覚に顔を顰めたこだま。

 立ちはだかったのは屈強な男。彼女が斬りつけたはずの部位が光沢を帯びている。



「『鋼鉄装甲(スチールアーマー)』……こだま先輩、離れて!」



 神威の指摘にぎょっとする彼女。刀の先を支点にして宙返りをして距離をとる。虚ろな目をしたその男は静を守るように立ち、濁った目を彼女に向ける。大きな胸板は華奢な静の姿を隠してしまう。

 四度目の再装填(リロード)を終えた神威と、いつの間にか霧の中から抜け出していた夕妃がこだまのそばへ寄った。見ると、左手の指先から鮮血が滴っていた。激しい動きにより出血がひどくなったらしい。色白の夕妃の顔は何時になく青白い。ぽたぽたと落ちたそれは小さな血溜まりを作る。



「埒が明かないわね。異能はきっとこいつだけじゃないはず。それに、あの砲台……変だわ。実弾がないの」


「それは僕も思った。その割にかなり精度がいいし、ただの兵器とは思えない。かと言って、アレを操る神崎会長には近づけない上、まだ半分くらい敵が残ってる」



 冷静な二人は戦況を分析、共有する。その間にもジリジリと近寄ってくる亡者の群。対する彼らはたった三人で、頼りのSランク能力『自然掌握(フィジカライザー)』の使い手は手負い、そして後のふたりはいくら訓練を積み、才能を認めらているとはいえ高校生である。それに、この局面を乗り切ったとしてもこの学校に仕掛けられた転送座標(ポイント)へと向かわなければ異質な空間から逃げることは出来ない。



「一点に纏まってるのは危ないけど、先に鬼化した奴らを一網打尽にするしかないわね。こだま、終焉の鬼(リリー)の力使えるかしら? 時間なら稼ぐわよ」


「どうなの、リリー」



 四面楚歌。ぐるりを敵に囲まれ一触即発の空気の中でこだまは自身の中にいる彼女へ問いかける。



《一度だけならば。ただし、あの夜のように広範囲には及ぼせませんし、この光る刀もしばらく犠牲になります。出来るだけ第四の鬼へ近づかないと勝機は……》


「できるんだね。わかった!」



 どこか渋るようなリリーの声を遮り、不敵な笑みを浮かべたこだま。このやり取りは彼女の脳内だけで行われている。夕妃や神威の表情は僅かに綻んだ。

 イザという時のために彼らは終焉の鬼(リリー)とこだまの力はある程度把握していた。あの晩、始祖の鬼(リリー)を吹き飛ばした力は後の検証で発動に時間がかかることが明らかになっている。

 夕妃は頷き、ふらつく足取りを隠しながら炎の幕を張り巡らせる。



「やるよ、リリー! 力を貸して!」



 長いまつげに守られた瞳を閉じ、祈るように胸の前で刀を握った。以前終焉の鬼(リリー)に教わった通り、意識を心臓のあたりに集結させ、それをどんどん手元に集めていくイメージ。じんわりと温かくなる掌と、比例するように光が強くなる刀。彼女をも包み込むそれは神々しさを感じる。

 そして、神威と夕妃は目撃する。こだまの頭上に浮かぶ儚げな少女の姿を。



「いくよ!」



 こだまの声に合わせて能力を解除した夕妃はその場にへたり込む。と同時に、こだまを取り巻く輝きの渦が四方八方へと飛散した。メルデスが行使する力に近いが、それよりもずっと強力で神秘的な空気感を帯びている。神威も夕妃も、その神々しい景色に束の間の意識の空白を感じた。

 鬼化した人々は皆、炎の壁が消えて飛びかかろうとするアクションのまま光に貫かれさらさらと崩れ落ちる。


 それは、最前列にとどまらない。中庭に犇めく敵影全てが塵となり、風に攫われた。勿論それは静を守るように立っていた男も同じ。サラサラとその巨体を崩す。

 そして静も無事ではない筈だ。なんせ、始祖の鬼(リリー)を宿すこだまの姉でさえ一次行動不能に陥ったのだから。


 パチりと瞳を開けたこだま。少し疲れたように深く息を吐く。そして、思い出したように周囲を見回した。だが、その景色は今砂で霞んでよく見えない。



「しずか、しずかはどうなったの!」



 光を失い黒い艶だけを残した鞘を抱いたこだまの脇を真っ先に飛び出したのは神威だった。二度目の死を与えられた敵の砂嵐が(ようや)く止む。

 だが、いたはずの場所に彼女の姿がない。



(まさか、倒せた……? アキトが居なくても、倒せたのか?)



 こだまの問い掛けに彼が首を振った、その時だった。

 彼の同年、夜裂フレイアを想起させるような高エネルギーの何かが眩い光を放つ。不覚にも、彼は直視してしまう。それは丁度、彼が向かおうとした斜め左の方向からやってきた。

 顔を覆い、しゃがみ込んだその頭上を熱風を伴う何かが駆け抜けたのを感じた。

 雷が木に落ちたような爆音と、それによってだろうか。直後に聞こえたガラスが割れる音。



「こだま先輩ッ!」



 彼にしては珍しい大声がその名を呼ぶが、返事がない。背筋に感じるのは今までにないほどの悪寒。何か、蛇のようなぬるりとした生物が彼の背中を這うように上ってくるようだった。

 さらに、地に着いた右手が微かに感じたのは電流のようなもの。



「痛い……でも、この感じ嫌いじゃないよ。()()()()()()



 光の戻らない目。しかし、状況を理解することは容易い。足音と気配が近づく。

 彼の思考ではある程度の考察がまとまった所だった。

 主には、目の前にする武器の正体について。



「高濃度の磁性微粒子を応用したプラズマ砲。あの変な構造はそういうことですよね。ナノレベルまで微細にした磁性のある物質を安定剤にして軌道を確保すると同時に高圧力を維持したまま射出していた。どこでそんなのを手に入れるんですか……UNAでもつい最近製造が始まったところだって聞いたのに」



 足音と声の方向から大体の位置は割り出せる。まだ静は彼自身を挟んでこだまや夕妃と反対側にいる。少なくとも、自分の視界を確保する時間は稼がなければならない。

 ミュートロギアの技術科(テクノ)に頻繁に出入りしていた時に蓄えた知恵を舌に乗せる。決して口が達者な神威では無い。これが彼の精一杯だった。



「君は……下級生なのは分かるんだけど、ゴメンなさいね。あまり知らないし、貴方の始末は後でいい。何より、貴方からは異能力のようなものも感じられないわ」



 静の足音と話す声はもう彼の真横を通り過ぎようとしていた。



「行かせません」


「状況が分かっていませんか?」



 黒い手が、静の白く細い腕を掴む。その右手は愛銃(グロック)を手放している。更に、立ち上がった彼は左手のコルトパイソンを投げ捨てた。

 嘲笑を込めた静の視線が神威へと傾く。その顔は焼け爛れ、赤黒く変色していた。あの儚げで聡明な面影は微塵もない。灰色の煙を上げながらその傷が少しずつ癒えているらしい。鼻が曲がってしまいそうな異臭を放つ。



「そう。思い出しました。アナタ、第二の鬼の時……あっさりやられていた彼ではないかしら。もっと小柄だったような気がするけれど、その肌の色といいそんな気もします」


「ボクはもう、あの時とは違う。ボクは、ボクの()()を恥じたりしない!」


「名前……? ふふっ、どうしましたか。あの時を思い出してパニックにでも?」



 支離滅裂な神威の言動に、静が堪えきれなくなった笑いを吹き出した。上品に左手を添えながらも、表情は優越に歪む。


 彼は、大きく息を吸った。肺に空気を流し込む。そして古い記憶の扉を今、開く。



「──来たれという声が聞こえるか。我々を創りし神々よ。古代より地を守り民を守る神々よ。その誉れを我が器に注ぎたまえ。祖の系譜を継ぐ我こそ神の威を借る者なり。来たれ、ヴァーユ!」



 掠れた声が紡いだ呪詛。刹那、途端神威の背後で突風が吹き荒れた。そして、同時に彼は内巻きに手首を返し、その細長い身体をしならせる。静が気づいた時にはもう遅かった。彼女の視界を半分ほどが欠けた太陽がのぞき込んでいた。



「ガッ……カハッ」



 肺の空気が一気に無くなる感覚に()せる。不意をつかれた。正体不明の竜巻のようなものに気を取られてしまった。



「何……あれは」



 そして彼女は見た。その風の中に飛び込んでいく白いニット帽の後ろ姿と、それに追従する得体の知れない異国の徒の姿を。派手な色と乱雑なようで規則的なツルの紋様の金刺繍があしらわれた民族的な服装。細い腕は神威とよく似た褐色をしていた。


 その竜巻は高く伸び上がり、最もこの中庭から遠い建物の方へと進んでゆく。



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