変人(ふしぎ)な少女
「君は、選ばれた存在なのさ」
はぁ? 選ばれた存在?
このご時世、子供向けヒーローアニメや映画でも聞かなくなった台詞を浴びせかけられた俺は硬直し、思考回路が遂に一時停止する。
「そう。君は、そうだな、鬼に対して抗体があると言ったらわかりやすいかな? だから、これからの闘いにとって君はとても大事な存在だと言える」
そんな。冗談じゃない。
ベタなマンガやアニメ、映画ではそんなこんなで主人公が戦いに巻き込まれて、人類のためとかナントカで大義名分を振りかざして敵を葬るのだ。
俺は、別にそんなのには興味が無い。人を救うことには興味があるが、闘うなんて御免だ。俺には俺のやり方がある。他人に指図されてどうこうするつもりなんて無い。
「闘いなんて、断る。俺はそんなのと関わる気は無いですから」
「ほう。それが、本心かい?」
「本心に決まってるじゃないですか。助けてもらったのには感謝します。でも、それとこれとは話は別だ! 姉貴には悪いけど、おたくらの仲間になる気は毛頭ありせん」
俺には夢がある。
刑事になることだ。
困った人を助ける。その正義を貫くんだ。
そう、俺が憧れた、父親のように。
「そうか。なら、仕方ないね」
──チャキ
メルデスが……俺に銃口を向けた。黒く光るその重厚感が、偽物でないことを俺に誇示する。真っ黒に口を開けた銃口の向こうには火薬を詰めた銃弾がその時を今か今かと待っているのだろう。
見慣れぬ凶器に俺はたじろいだ。しかしここから逃げようにも俺の周囲は壁と白いカーテンに囲まれていてある種の密室。さらに手足には点滴針が深々と突き刺さって、テープで固定されていた。逃げるのに手間取る。いや、逃げる素振りでもすればその引き金が引かれるだろう。
「じゃあ、君にはここで消えてもらおう。この場所を知られた以上、生きたまま野放しにするなんて出来ないからね」
「あ、 姉貴が、黙ってないですよ……ッ」
俺はつい、姉貴を引き合いに出してしまった。
でも、姉貴がこいつらの仲間なら……そんな俺の甘い考えはメルデスという男の微笑に吹き飛ばされる。
「じゃあ、お姉さんも黙らせればいい」
そう言うメルデスの表情は、余裕をかました不敵な笑みを浮かべている。
なんてやつだ。信用出来ないやつとは思ったが、ここまで極悪非道なやつだとはッ……!
「僕はちょっと荒っぽい組織の出身なんでね。このくらいなんとも思わないよ。おっと、動かない方がいい。傷口が開く」
「この、卑怯者っ! 本気かッ?」
「ああ、本気だよ? なんとでも言いたまえ。卑怯だとか、裏切り者だとかいう言葉は聞き慣れてる」
──カチッ。
そう言ってメルデスは安全装置を外す。こんなに乾いた音、初めて聞いたかもしれない。
彼の殺気は本物だ。人を殺すことに躊躇いが無いというような薄気味悪い笑顔。小首を傾げながら、俺の動きを見ている。獲物にくらいつこうとする蛇のように。
「さぁどうする。ここに残る? それとも、ユーヒも巻き添えにここで果てるかい?」
本当に、なんて奴だ。
しかし、なんだか、直感的ではあるが、その時俺はメルデスの言葉の奥に隠れた、彼の焦りのようなものを感じた。どうしてかは分からない。信憑性もない。でも、俺の心のどこかがそう主張した。
「はい、わかった、わかりました。俺はここに残る。これでいいですか」
仕方なく俺は両手を軽くあげて降参する。彼に対する不信感は全く変わらないが、ここで殺されてサヨウナラよりは状況を把握することが名案だろう。
「うん。分かってくれたみたいで良かったよ」
俺のその上っ面の返事に気づいたのかは定かでないが、メルデスは微笑み銃を懐へ仕舞った。
「ただし、条件があります。一つは、学業をできる限り優先させること。二つ目は、闘いが終わったら、俺を自由にすること。これだけは守ってもらいたい」
メルデスは緑色の瞳を身開いてこちらを見た。
俺の突然の提案に驚いたようだったが、すぐにまた笑顔になった。
「ふふ。いいだろう。それで決まりだ」
「話は済んだか? メルデス」
その時、シャアアアッという軽い音とともに、仕切りのカーテンが開いて白衣の男が入ってきた。
「うん、少し前にね。アキトくん、これがうちのドクター、レンだ」
レンと呼ばれたその医者。
最も特徴的なのはシルバーの長髪だ。背中の真ん中辺りまで伸ばした髪が、彼の整った顔を更に際立たせている。
彼もまた、日本人ではなさそうだが、とても日本語が上手だ。低めの落ち着いた声が、いかにも医者です。みたいな雰囲気を醸し出している。
「さっきグレンが来てこれを置いて行った。温かいうちに食え」
「あ、ありがとうございます」
メルデスは随分ブッ飛んだ人物のようだが、この医者のようなまともそうな人もいることに暫し安心した。
「じゃ、僕はここらで失礼するよ。いろいろと忙しいんでね」
メルデスの車椅子がモーター音を響かせ始める。そして、レバーとボタンを巧みに操りドアまで行き、医者が入ってきたその扉をスライドさせた。
「君が動けるようになったら、また色々と話すことがある。それまではゆっくりして、怪我を治すといいよ」
と、メルデスは爽やかな笑顔で部屋を去っていった。黒くて小さな背中が戸の向こう側へと消えていく。
この病室には、俺と、銀髪の医者の二人きり。
カーテンの隙間から見える医者は向こうを向いたまま、何か本を読んでいるようだ。
先ほど渡された食事はすぐに平らげた。病院食みたいなのを想像していただけに、ものすごく美味しかった。後でそのグレンって人にお礼しないと。
食事が終わると、兎に角俺は暇になった。なんせ、話し相手もなければ暇つぶしの本も、ゲームも、それに勉強道具だって周りには無い。
そういえば、今日の夜もバイトがあるんだった。店長に連絡を取らないといけない。
「あの、すみません。俺の荷物って」
「そっちに置いた」
「その、とって頂けると有難いのですが……」
向こうを向いたままだった医者が振り返り、俺を睨んだ。俺、何か怒らせるような事したか……? かなりイラついているようだ。目付きがとにかく怖い。その医者は忌々しげに口を開いた。
「俺に指図すんのか? ガキの分際で俺を使おうなんて百年早いんだよ」
え、えぇええええええええええッッ!
えーと、お医者さんって、こんなのだっけ。暫く医者にかかることも無かったからな……って、んなわけないだろ。類は友を呼ぶと言うが、きっとこの医者が特殊なんだ。先程のまともそうな人というのは撤回だ。
俺は仕方なく、ベッドを下りてカバンを取りに行く。カラカラと点滴用の支柱と共にカーテンの向こうの世界へ。
あの医者が顎で示した先、わかりやすい場所にあった。気に入っていたリュックだったのに、血がべっとりとこびり付いていた。誰の血かは言わずもがな、だ。
これはもう、捨てるしかなさそうだな。
少し寂しい気持ちを抑える。
「すみません、バイト先に休みの連絡入れるので、電話しても良いですか?」
「ここは病室だ。病室で電話する奴があるか。外に行けバカが」
なんだかやっぱり、すごく怖いんですけど。殺気にも似たその眼光は医者だとは到底思えないな。
まぁ、外で通話するのがマナーだろうと思ったのと、それ以上に、彼の剣幕に耐えきれなかった俺は渋々、メルデスが出ていったのと同じ扉から病室を出てみる。
俺はまず、驚いた。一瞬、立ちくらみにも似た変な感覚に襲われる。
広がっていたのは無機質な床。
綺麗に磨きあげられていて、自分に見下ろされているような錯覚に陥りそうだ。
この廊下もまた、病室と同じく白色の蛍光灯が明るく照らしている。
左右に広がった廊下の壁面には、等間隔に扉がついていた。しかし、やはりその壁も、ドアも、全てが無機質。
ここ、電波届くのかな。
一抹の不安を抱えながらも、指先を店長の電話帳のアイコンへと伸ばした。
TRRRRRRR TRRRRRRRR
3回目のコールでガチャという音が聞こえた。
よかった。繋がったらしい。
【アキト? どうしたー?】
いつもと変わらない店長の声だ。さっき携帯で確認したら今の時刻は夜の八時。彼は夜勤に向けて家でゆっくりしている時間だった。お休みのところ、ホントに申し訳ない。
でも、昨日の夜刺されて、今ミュートロギアに軟禁されてます、なんて言えないよなぁ。
「あ、店長。すみません、ちょっと、風邪ひいちゃって。えー、しばらく休ませてもらっていいですか? ご、ゴホンッ……」
わざとらしすぎるが、仮病を使うことにする。今日明日で此処を抜け出せるはずもなさそうだ。この怪我もあるし、何よりコレはミュートロギアによる軟禁状態だから。
【昨日の雨か? しょうがないなぁ。いつも頑張ってくれてっからな。ゆっくり休みなよ】
「ありがとうございます。じゃ、失礼します」
本気で俺を心配してくれているような店長の口調。本当に悪いと思うが、とりあえず誤魔化せたな。ほっと胸をなで下ろす。
てか、この後、学校とかバイトとか行かせてもらえるのか……?
条件を飲んではくれたものの、俺はあのメルデスという男を全く信用しきれない。突然、初対面の相手、ましてや自分の仲間の弟に拳銃をつきつけて脅すとんでもない奴だ。
かと言って、あの医者に言っても冷たい目で見られて終わりだろうし……姉貴はうちに戻ると言ったきり、まだこっちに帰ってきていない。
とりあえず、やることがないので仕方なく病室に戻る。スライド式の扉に手をかけた。
うわっ、煙臭っ……!
入った瞬間に、鼻腔を激しく刺激した煙の臭い。
見ると、あの医者が本を読みながら煙草をふかしていた。少し珍しい、芯の黒い煙草。その端正な顔立ちから、かなり様になっている。
でも、嘘だろ? 彼はさっき俺に
『ここは病室だ。病室で電話する奴があるか。外に行けバカ』
って、言ったよな?
「ゲホッ。あの、お医者さん?」
「なんだその呼び方は。俺にはレンって名前があるんだよ」
「あの、レン……先生?」
「何だ」
「その、ここは病室、ですよね?」
「だからなんだ。ここは俺の部屋、いわば俺の城だ。俺が何していようが自由だろ」
グリグリと灰皿に短くなった煙草を擦り付けた。そして、また新たな煙草を出して吸いはじめた。とんだヘビースモーカーじゃないか。
煙草は百害あって一利なしって保健の教科書にあったはずなんですけど。いや、それ以上に、病室でしょ? ましてやあんた医者だろ?
ツッコミがわんさかと心の中に溢れる。だが、あの目付き。ツッこめる要素が微塵もない。
「そんなに嫌なら出ていけ。もう痛みはないはずだ」
Dr.レンは、こっちを見向きもしない。だが、俺のこの心からのツッコミが聞こえたかのように冷たく言い放った。
こんな医者初めて会ったよ。
本来は、こんな医者こっちからお断りだが、俺には他に行く宛もない。あの白いベッドでこの疲れきった心を休めてやろう。よし、そうしよう。
──ガラッ
だがその時、背後のドアが勢いよく開いた。誰か来た。姉貴か? 若干胸を撫で下ろしながら振り返る。
「ゲッ! レンなんでいるの……ッ?」
いや、違った。突然入ってきたそいつは、見た感じ中学生くらいの女の子だった。
ピンクのような、オレンジのような不思議な色の髪はDr.レンよりも長そうにみえた。更に、頭のてっぺんには大きなリボンがついている。クリクリした天真爛漫そうに見える瞳も手伝って、パッと見た感じ、兎みたいだ。
鈴を鳴らした様な声は何処かで聞いたような気もする。
「なんで居るかって、こっちが聞きたいね。此処は俺の部屋だ。バカは風邪ひかねぇだろ。とっとと失せろ」
俺との会話で既にイラつき気味だったDr.レンは、この少女を一瞥すると、溜息を吐いた後、再び目線を本に戻す。
「はぁ、頭痛いお腹痛い歯が痛い目が痛い耳が痛い口が痛い背中が痛い眠い指が痛い眠い足が痛い眠い」
そう言って、少女はその場で蹲る。
ちょ、今チラッと、スカートから白い布のナニかが見えたぞ。ちょっとは気を遣え。
「眠いだけだろ。ベッドは貸さないからな。早く出てけ」
「なんでぇーわかったぁーのぉー? そーんなーこーといわないでーよー」
何か知らないが、この女の子はベッドを借りたいらしい。
それも仮病で。
しかし俺も不可抗力とは言えど、先程店長に仮病を使ったばかりだ。何も言うことは無い。
少女は立ち上がり、地団駄を踏んだ。中学生かと思ったが、もっと幼いのか?
そして、Dr.レンの周りを衛星かのようにくるくる回りながら、訳の分からない歌を歌い始めた。ヤバい。初対面の俺でも分かるぞ。Dr.レンのイライラが、溜まっているッ……!
「あぁぁあああああ、うるせぇ! 出てけ!」
そして、何故か、俺まで追い出されてしまった。雑に抜き取られた点滴からタラタラと鮮血が垂れる。この処置はこれで合ってるのか?
「レンのぶぁかぁー! あほぉーッッ! ヤブ医者ぁああああ」
未だにあの少女は今、俺達が放り出されたドアに向かって喚いている。低レベルな罵詈雑言と共に。
すると、病室の引き戸が乱暴に開きあの医者が現れたのだが、その手には常識じゃありえないものが握られていた。ついさっき見たばかりのそれ。
そして、マズルフラッシュと共に俺とこの少女の間をすり抜けた亜音速の物体。それが背後の壁に当たって不快な高音を発する。廊下中にその音は響き渡るものの誰も覗き込んだりしない。危険なのがわかっているのか、はたまた……まさかとは思うがこれが日常のお茶番事なのか。考えた所でキリがない。
「うるせぇ。喚くな。それと、オレはヤブ医者じゃねぇ……闇医者だ」
──ピシャンッ。
Dr.レンは、俺らに銃口を向け、迷うことなくブッぱなした。俺とあの少女はすんでのところで避け、銃弾は後ろの壁に受け止められ、ひしゃげた金属の塊となって、床に落ちた。
勢いよく閉められた扉がミシリと変な音を発する。
俺は思った。
ミュートロギアって、やっぱり怖い。ヤバい組織だ。
それに、今のDr.レンのツッコミも俺のキャパオーバーだ。
──ヤブ医者じゃねぇ……闇医者だ。って、どっちもアウトじゃねぇかよッ!
「あーあ。仕方ないなー。レンのケチ。自分の部屋でねーよぉっと」
あのおかしな少女は巻き添えを食らった俺に見向きもせず、目を擦りながら廊下の向こうにテクテクと歩いていった。
俺は、思った。
なら、はじめから自分の部屋で寝ろ。