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急降下

 

 狭く、どこか心許ない四角い箱は余りにも静かに下降していく。

 定員ギリギリになる手前の密度。いや、それ以上の空気の質量感が彼等を圧迫する。

 灰色の雲を横目に段々近づく地上。ところどころ赤く色づいた木々に包まれた奇妙な地形はかつての皇族宅。とうに人は居ない。それでも、どこか厳かなオーラをまとっているようだ。


 しかし、そんな景色は突如暗闇に包まれる。


 頭上のライトがパッと点灯してスポットライトのように彼らを照らし出した。

 周囲の顔色を窺う女と、その側に立ち竦む一見爽やかな青年。

 どこを見ているのかよくわからないような赤い瞳を伏せる少女。文字盤の一番近くに立つのは薄紫の髪の優男。

 一番奥で壁に背を預ける陰気な男と腕組みをしたまま眉間に皺を寄せる髭面の中年男性。その彼の目線の先には、帯刀した眼帯の男が扉の目の前で仁王立ちをしていた。



 彼らにかかる重力がぐっと変化する。古めかしい機械音が箱の外から聞こえた。ガタガタと立て付けの悪そうな音を立てながら開いた扉。

 黒いコートの菅谷を先頭にゾロゾロと広い空間へと歩みを進めた。


 彼らを待っていたのは殺風景なオフィス調の部屋ではなかった。いや部屋自体は変わっていないが、この部屋もまたある種の過密状態だった。

 上に控えていたヘリの数から見れば妥当な数字だが、かと言って突然の訪問かつ単にネメシスに用があるだけの人数ではないことは容易に分かる。

 上の二人と同じ、真っ黒なつなぎにヘルメットをかぶったシルエットが約二十人。そしてさらに、軍の白い制服を着た男女が十五名ほど。



「遅かったねぇ菅谷クン。()()()()



 その中には横幅だけは二人分ほどあるような恰幅の良い中年の姿もあった。高そうなコートに身を包んだ彼は葉巻を灰皿に押し付けて立ち上がった。元から古い旭のワークチェアが悲鳴を上げる。



「すんません、菅谷さん。U()N()A()のお偉いさんが『伝えなくていい』って言わはって……」



 エレベーターホールの前まで駆け寄ってきたのはトネリコだった。いつもの元気がない。それもそうだろう。一人で留守をしている間にこんな人数、それもあまり相性の良くない相手が押し寄せて来たのだから。



「要人? それは誰だ」


「私だ」



 部屋の奥、応接用のソファーと机がある方から聞こえてきたのは女の声。心地良いような低い響きを持った声。誰もその声に聞き覚えがないらしい。



「UNAの総合特殊部隊で中将を務めていらっしゃる御方だよ。来月には大将になられる」



 幸下の媚びたような声がその人物の肩書きを読み上げる。中将から大将──それは、今の地位から軍の中で最上位の一歩手前へと登ることを示している。


 コツコツと硬い音が響いた。その人物が彼らの前へと姿を現した。UNAの要人、さらには現中将と聞いて想像していた姿とはかけ離れているその容姿に彼らは息を飲んだ。



「サディ・シュート中将だ。今日は君達にお話があるそうだよ」



 ピンヒールのロングブーツに包まれたスラリと長い脚。身体の女性らしいラインがハッキリとわかるような軍服は胴のラインを純白が覆い、胸から肩周りから袖にかけては漆黒の生地があてがわれている。

 他の者とは格が違う。

 それは服装だけではない。

 艶やかな濃紺の髪を束ね、長い睫毛に護られた琥珀色の瞳はどこか異質な風格を醸し出す。ティナの瞳の色とも少し似ている。

 白い肌を鑑みても、近しい民族系統なのかもしれない。



「お目にかかるのは初めてだな。国連異能対策特殊組織──通称、ネメシスの諸君。私はサディ・シュート中将だ。先ずは此処で、突然押し掛けた非礼を詫びよう」



 流暢な日本語でそう言った彼女は帽子を脱ぎ、頭を軽く垂れた。伏せた目元もまた美しい。

 だが、ネメシスの彼らの警戒は解かれることがない。それもそうだろう。何処かざっくりとした男っぽさのある彼女の言葉に何の感情も篭っていないことくらい、彼らは容易に分かる。

 トップクラスの軍人が、何を目的に彼らの元を訪ねたのか。

 菅谷をはじめ、旭やダラス、ティナは薄々嫌な予感を感じ始めていた。



「私の名は菅谷雄吾。ここネメシスのリーダーだ。こちらこそお待たせして申し訳ない。折角ですから座って話を……」


「その必要は無い」



 菅谷の提案を斬り捨てた彼女はまるでモデルのような足取りで彼らに接近する。その奥では幸下がニヤニヤと薄気味悪い顔を浮かべていた。彼の後ろにはいつも通り、秘書の色黒の男が立っている。



「話は通っているそうだから単刀直入に言おう」



 誰のものかは分からない。ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。彼らの視線がサディの赤い口元に集中する。



(トップ)である菅谷雄吾に対して、全特権の剥奪に加え除籍処分とする。そしてそれに伴い、国連異能対策特殊組織(ネメシス)を本日限りで解散とする」


「……え」



 小さく声を漏らしたのは菅谷の奥に控えた輪堂だった。幸下や菅谷達がここで話していたことを知らない彼女にとっては寝耳に水。ほんの少し間を置いて、トネリコやライラにも動揺が訪れる。唯一部外者の菊川も、まさかの事態になす術がない。ネメシスの影に入り息を潜めた。



「何故だ。剥奪、除籍処分? どういう事だ!」



 彼の眼帯をしない目が泳ぐ。



「愚問だなぁ菅谷クン? 殆ど全ては君が招いた結果だよ」


「私が、何かしましたか……いや、そもそもは!」



 しゃしゃり出てきた幸下。菅谷の左眼が彼を貫く。

 だが、その声は何処か弱かった。微かに掠れ、震えている。

 獲物が怯んだところを捕食者は決して逃さない。抵抗しようとする彼の言葉を遮った。



「ここ数日何をしていたんだね、菅谷クン。あぁ、答えなくていいよ。私の優秀な部下が全てを知っているからね」



 態とらしい口調。彼の元相棒だった彼とは違う粘着質な狡猾さがヌルリと彼らを舐めまわす。

 張り付いたような笑みを浮かべる幸下の背後で、浅黒い肌の男が軽く会釈した。誠実そうなその眼差し。あの幸下の秘書を務めるだけある。



「主たる罪状は職権の乱用による暴力行為。そして、殺人教唆だ」



 サディが静かな声で、諭す様に言葉を紡ぐ。


 菅谷の拳が震えた。幸下の秘書に鋭い視線を差し向けるが、涼しい顔でいなされる。彼に手渡されたメモを燃やさなければよかったと後悔した。



「またれよ。何じゃ、この異国の卑女は……! その出で立ちと言い、癪に障るわっ。(ぬし)にそうするように言うたのはそちじゃろ!」



 いつの間に人の姿になっていたのか、小さなシルエットが菅谷の足元からしゃしゃり出てきた。顔を梅干しのようにして高下駄をカンカンと踏み鳴らす。



「誰の子供だ?」


「ハビ……下がっていろ。抑えておいてくれティナ」



 訝しげにその不可思議な格好をした幼女を見下ろしたサディ。彼女の腰の高さほどしかないその小さな身体は菅谷に奥へと押し戻された。彼の指示通り、ティナは彼女を自らの長身の後ろへと隠した。



「それで、どうなのだ。罪を認めるのか、菅谷雄吾」



 ウンザリしたかのようにサディが詰問する。時間をかけたくないらしい。それに対して、彼は未だに言葉をつまらせていた。冷静を装おうとしているのが見え透いている。


 この一週間、何をしていたかは自分が良く知っていた。秘書の男から渡されたメモ。それを頼りに菊川まで辿り着いた菅谷だったが、そこまでの道程で強引な手法を採ったのは事実だ。口を割らない彼の縁戚を数名縛り上げた。

 然し、それをすんなり認める訳にもいかない。何より、そうでもしてメルデスを殺せと命じたのは幸下であり、誰より脅されていたのは菅谷自身だったからだ。ネメシスを潰すものか、その想いだけだった。



「ちょっと待って下さいよ! す、菅谷先輩がそんな事するはずないです! それこそ、ハビさんが言ってたみたいにそっちに指図されたんじゃないんですかッ」



 菅谷が視線で止めようとしたが、まだ若く青い声が彼の無実を訴える。顔を赤くし激昂する輪堂。



「菅谷先輩はここのトップなんですから、少しくらいの自由は許されている筈です。なのに、何故先輩が責められてるのか、それに、ネメシスが無くならないといけないのか私には理解出来ません!」


「嗚呼……お前は資料で見た。輪堂茜、元日本国陸上自衛隊隊員──然し戸籍を偽り異能力者であることを隠蔽していたことで全ての権利を剥奪。その後スカウトされてネメシスに所属した。ふむ、波瀾万丈そのものだな」


「え……」



 何かを読み上げるような淡々とした口調。

 過去を晒された輪堂は口をつぐんでしまった。ネメシスのメンバーは勿論その位の事は知っている。だが、UNA側からは冷やかな視線が彼女に向けられた。サディもまた、ほくそ笑んでいる。


 基本的に国軍や日本国の自衛隊組織というものに異能力者は御法度である。特に、異能を規制するような国策が取られた国では。だが、それによって夢を断たれようとする若者も多い。それを掻い潜り、無理にでも夢を叶えようとする者も中にはいるのだ。バレずにずっと仕事が出来る者もいる。

 しかし、彼女のような異能も少なくはないのが現実だった。

 思い出したくない過去に萎縮するのも仕方がない。



「まぁ落ち着けよ、輪堂ちゃん。菅谷はまだ返事をしてねぇ」



 ワナワナと震えるその肩を持ったのは髭面の中年男。その何処か陰鬱な瞳は真っ直ぐサディを見据えていた。



「菅谷、正直に話せ。黙っていたら俺たちも何も出来ねぇだろ」



 旭が差し向けたのは完全な助け舟ではなかった。それでも、彼は問うた。




「……否定はしません。だが、幸下さん。貴殿の秘書のその男から言付かったことも事実だ。“ネメシスが手を下すことなく始末を付けろ。そうすればネメシスも()()()()()だ”と」


「そんなこと言ったかい? ジンくん」



 重い口を開いた菅谷。しかし彼に待ち受けていたのは嘲笑だった。ジンと呼ばれたのは勿論、幸下の後ろに控えた秘書の男。彼は首を傾げた。



「私は“上手くやれ”とお伝えしただけですよ。こんな人物もいると紹介して差し上げましたが、その手法などを示唆した事は一度も……」


(たわ)け! うぬらの(はらわた)引き摺り出して灰も残さぬほど焼き尽くしてくれるわッ」



 ハビが再び菅谷の後ろから飛び出そうとした。しかし、その小さな身体を何かが貫く。発砲音などはほとんど無かった。微かにシュッという空気音がしただけ。

 しかし、彼女の四肢はだらんと垂れ下がり力を失った。ドサリと小さな音。



「ふむ、少し大人気ない事をしてしまったか。人間以外の魔獣の様な輩に特によく効くらしい新薬だ。ネメシスが『人ならざる者』を飼っているという噂は本当だったらしい」


「ハビ……ッ?」



 その大きな瞳は眠ったように閉じられたまま。首元には麻酔針のようなものが深々と突き立てられていた。輪堂が駆け寄って肩を揺するが反応がない。

 サディの足元には針の先を保護していたのであろう透明のガラス管が転がっていた。



「それで、菅谷雄吾。その任務とやらは成功したのか? そのように訴えるならば相応の成果があるのだろう」


「それは……」



 言葉を詰まらせる菅谷。菊川が貫いたのは彼の右胸で、そして彼は、まだ動いていた。白い腕を伸ばして。


 ───僕はまだもう少し、生きたいみたいだ。


 あの夜の言葉が頭蓋の中で反響する。何度その言葉が耳元で囁かれたか。数えていれば気が狂ってしまいそうになるほど、何度も何度も。あの透き通った碧眼と共にフラッシュバックした。右眼が疼く。



「結局、キミたちはあの男に縋りたかったんじゃないのかな? 特に、菅谷クン。彼が此処を去った真相を知りたかった。彼が此処に戻る可能性に期待していたんじゃないのかね?」


「まさか、俺は……そんな事は、何故なら俺はあの時……」


「一番手を汚したくなかったのは君だろう?」



 幸下が、嬲り弱った獲物に絡みつく。

 そして遂に、黒いコートは地に膝をついた。立てた襟で表情が読めない。コンクリート製の冷たい床をゴツゴツとした指が引っ掻いた。



「へーぇ。判ってるのに、殺人許可(キルオーダー)を出した……いや、殺害指示を出したって相当ゲスいなぁ。さすがのオレでも反吐が出るっつーか。糞以下っつーか、ブッ殺したくなるっつーか? 覚悟出来てんのか」



 普段はただただ寡黙に、会話に入ってくることなどない彼の声が抗えない敵の前に立ちはだかる。鬱陶しそうな前髪でその目は見えないが、薄ら笑いを浮かべた口角が引き攣り小刻みに震えていた。ダラスの怒り。

 見渡せば、旭の視線もティナや輪堂、トネリコ、ライラの眼差しも。全てに明確な敵意がこもっていた。


 重くなる部屋の空気。だが前述の通り抗えないのも事実だった。


 いつの間にか、彼等に幾つもの銃口が向いていた。

 恐らく、サディの合図ひとつでネメシスは相当な痛手を負うことになる。



「こんな所で貴重な戦力を失う訳にもいかない。なんせ、解散したネメシスは各々UNAに所属して貰うのだから」


「ハッ、ンな事でオレ達が命乞いをするとでも?」



 旭は内心背中に嫌な汗を感じつつもサディが差し伸べた腕を払い退けた。

 だが、この状況が想定できない彼女ではない。長いまつげ越しにその中年男を見下ろしたサディ。



「──旭大輔。ネメシス最年長、四十三歳。二十二歳で刑事になり、その三年後ネメシスとの接続係(コネクト)としてスカウトされ今に至る。能力は通称『能力複製(カメレオン)』。離婚歴があり現在は独身。娘が一人おり、()()()()()()()()()()()()()()()


挿絵(By みてみん)

 旭が全ての動きを止めた。

 (やつ)れた両目が見開かれ、陸に上げられた魚のようにただサディを見つめる。ほくそ笑むサディ。



「なんで、何でそれを……」


「お前達の情報は調べあげたぞ。部下になる者の詳細(ディテイル)を知らぬ上官ほど使えんものは無い。そうだろう? お前達は皆、()()()()()()理由がある。娘をもう一度その腕に抱きたいのでは?」



 前のめりだった彼の姿勢がフラり後方へと引き寄せられた。背中の警棒に伸ばした手がすっと下がる。残りの若い四人は言葉を無くしていた。決着はついた。


 静まり返ったオフィスに響く足音。ラフな格好のダラスが歩みでた。だが、先程とは表情が違う。口角は上がっている。なのに彼は笑っていなかった。



「はぁ、シラケるなぁ。こんなに腑抜けたオッサンだったんだな旭さん。別にこっちはどうなってもいいと思ってたんだけど……タダで命捨てるつもりもないかなぁ。えーと、サディ・シュートだっけ? そのUNAってさぁオレのやりたいこと出来るわけ?」


「ほう。意外な者がすんなり転がり込んだか。尋問官ダラス。勿論、お前には今まで通り、いや、今まで以上の仕事をしてもらおうと考えていた」



 少し拍子抜けしたような顔のサディだったが、ダラスを手先で呼び寄せた。素直に応じる彼。どんどんとネメシスの塊から離れてゆく。



「話がわかる人オレ好きだよ」


「だ、ダラスさん? 何してるんですか」


「そっちこそ何してるの輪堂ちゃん。菅谷大好きなのわかるけどさぁ、身の振り方考えた方がいいよ。見てご覧よ、周りを」


「さっき怒ってたじゃないですか! なのに……」



 人形のように動かなくなったハビを抱えた輪堂が彼をキッと睨みあげた。ダラスは呆れたように首を振る。

 もう、先程の怒りは微塵も感じられない。



「オレ気分屋じゃん? もうこっちの気分なの。それにさぁ、これが生き残るって事でしょ。自分に利がある天秤に乗ってたい。ネメシスに固執して歴史の闇に葬られるなんて御免だね」



 饒舌なダラス。彼もまたメルデスや菅谷とほぼ同じ頃に此処に来た。幾人もの口を割らせてきた実力者。異能としても彼は重要な戦力であった。

 そんな彼が寝返った今、彼等にはもう何も道は残されていない。輪堂もそれを自覚していた。


 彼女は菅谷を見る。微動だにしない黒い塊。



「菅谷先輩は、どうなるんですか……」



 輪堂の声はか細く、震えている。

 サディはその問に対して即答した。冷酷な声で。



「さっきも言った通り()()だ。過去を見てもこの男は私の目指す組織に向いていない。用無しの暴れ馬を匿う余裕はないからな。除籍というのは所詮建前上。──こうでもすれば諦めがつくか、輪堂茜」



 いつの間にか、サディはその右手に白銀の拳銃を握り締めていた。もちろん射線上には地に座り込む菅谷が居る。安全装置がカチリと外された。

 サディには殺気のようなものが感じられない。それなのに、何故かその引き金(トリガー)は今にも引かれてしまいそうで……。


 カチリという乾いた音が、数秒遅れたパンッという炸裂に掻き消される。

 殺気なしに命を奪おうとする者を彼らは初めて見た。


 それは、未遂に終わったが。



「ほう?」


「そこらの物怪共と並べられては名が廃るわ。主の生命など妾には無関係じゃが然し、妾は未だ暴れ足りぬでのぉ……。お主、先刻の一撃、忘れぬぞ」



 輪堂の腕の中で死んだようにその動きを止めていた筈の小さな身体は消えていた。彼女は今、その挑戦的な眼差しをサディに向け、苦しそうに嗤っていた。

 刀の精霊なのだと言っていた筈の彼女の腹部からは赤い何かが滴り落ちている。


 突如部屋を駆けた赤い閃光。


 余りの眩しさにサディさえも目を細めた。

 誰もが息を飲む。

 大きく広げた真紅の翼。尾を引く飾り羽にうっとりしてしまいそうなその炎を纏いし大鳳は菅谷を包み込む。緋の神秘的な光景。



「──ヒュルルルルルルルゥッ」



 不思議な鳴き声を上げた彼女は轟ッという風を巻き込みながら、一気にその場で収束した。

 菅谷もまたその場から消える。



「……悪足掻きを」



 飛ばされそうになった帽子を拳銃で押さえつけたサディがボソリと悪態をつく。光に目が眩み、暴風で体勢を崩していたUNAの黒服、白服もまたフラフラと立ち上がった。

 間近で熱風を受けたネメシスの面々も冷や汗とともに身を起こす。



「一人で逃げるんだぁ、菅谷。ハビもあんなに可愛がってあげてたのに薄情なもんだねぇ」


「先輩、ハビさん……なんで」



 最もショックを受けているのはやはり彼女だった。口惜しそうに噛み締めた赤い唇。立ち上がれずにいる輪堂をライラとトネリコが二人がかりで支える。ヘラヘラと笑うダラスはその様子を見て実に愉快そうであった。



「サディ・シュート中将、ご、ご報告です!」



 耳元のインカムを気にしながら一人の黒服がガシャガシャと音を立てながら駆け寄ってきた。重そうな装備が互いに擦れぶつかる。ネメシスとの肉弾戦も覚悟の上であったのだろう。



「乱気流の影響で帰路の安全に不安があるとの事です。早めに撤退するようにと本部から指示がありました!」


「そうか。ならば行こう。この期に及んで抵抗する者は?」



 無言。

 それはつまり、肯定という名の降参だった。頭数は元より、彼らに対抗し得る特効薬がない。菅谷とハビの文字通りの高火力も、ダラスの『重力操作(グラビティ)』も。さらにライラは接近戦向けではない上にティナの能力もまたこの人数相手には不利でしかない。万事休す。



「これからは私の指示で動いてもらう。ネメシスの諸君は皆バラバラのヘリに乗り込め。あぁそれと、ミュートロギアの青年も上の二名とともにUNAの管理下とする」



 エレベーターホールへ、ヒールを響かせながら歩くサディ。その前にはネメシスが固まっていた。だが、スッと道が出来る。彼らは無言で避けた。



「一つお願いがあるんやけど、ええですか」



 その後ろ姿に声をかけたのはトネリコだった。

 毅然としたサディがほんの少し振り返る。彼の瞳は真っ直ぐに彼女を見つめている。



利根(とね) 利光(りこう)……いや、それは偽名だったな。トネリコ・カスティーヨ、お前は元々国連の医療機関の出身だそうだな。奇妙な格好はさておき、腕は確かと聞く。何の要件だ」


「その通りオレは医者や。せやから、患者の治療をする必要がある。今ここにおるライラと一緒に上のネメシスのヘリに乗ったらあかんやろか」



 少しやけた肌を見せつける彼。ふざけた格好をしているのはいつもと同じだが、その口調は落ち着いていた。芯がある。

 名指しされたライラが不思議そうに彼を見上げた。



「別れて乗り込むようにと言ったはずだが?」



 サディもまた、疑いの目を彼へと向ける。

 彼女の懸念も最もであろう。だが、トネリコは負けていなかった。プライドが彼の舌を支配する。一度診た患者を手放すなど彼には耐えられなかったのだろう。



「わかってます。せやけど、医者としての仕事くらいさせて貰えません? ギプス外してやるとかそんな程度や。それに、ライラも今日の分の薬打ってやらなあかん。オレがライラと結託したところで戦える能力なんて持ってへんのも分かってはるやろ」


「ふむ……仕方あるまい」


「おおきに」



 深々と、裸に白衣を羽織った彼は頭を下げた。

 古めかしい電子音と共に開いた扉。再び狭い箱に収められる彼ら。護衛のような男達も続いて乗り込んでくる。



 暗い空間が少し明るくなる。

 どんどんと地上が、そして、ネメシスの本部が遠ざかる。

 千年程続いたネメシスの歴史が幕を閉じる。



 □◆□



「かなり足音が多いですね」


「あぁ。しかも、かなりの重装備だ。特殊部隊並みのな」



 俺たちが乗せられたままになっているヘリに近づく足音。話し声もまばらに聞こえる。


 息を潜める義治さんの存在にはやはり誰も気づいていないらしい。岸野の手錠もコートに隠れていて外しかけた痕跡もバレていなさそうだ。

 乗り込んできたのは黒ずくめのヘルメット頭が三人、そして……



「えらいお()っとさん。さっきよりは広なるし安心してええで」



 赤い髪、そして、何より上裸に白衣というツッコミどころ満載な服装をしたトネリコと呼ばれる医者。そしてその傍らには白髪の少女。トネリコに半ば強引に引っ張りこまれる。

 壊れていたはずのヘリの扉が今度はしっかりと閉まったのを見るに、義治さんがなにか細工をしていたらしい。



「どうした。囚人(おれたち)も引き連れて物騒なヤツらとお出かけってか?」



 岸野が声をかける。

 確かに、この状態で扉を閉めるということはここを離れるということ。その時、バタンッと背後から聞こえた音。操縦席に誰かが乗り込んだらしい。



「別に関係ない話やからほっといてくれ。それよりも、離陸して機体が安定したらギプス外すで」


「チッ、関係ないだと? ネメシス()()()()奴らと同じヘリに乗せられるわ、乗ってきたのがテメェらだけとか……明らかにおかしいだろうが」



 さらにおかしい点がもうひとつ。いや、そういう時もあるのかもしれないが、あのトネリコという男の顔に笑みがなかった。

 ライラは普段と変わらないような無表情だが。



「先頭の機体に続いて離陸する」



 野太い男の声が聞こえたかと思うと、外から幾重にも重なるモーター音が響いた。俺たちの頭上からもそれは聞こえる。

 バラバラとけたたましい。だが寧ろそれは背後で作業をする善治さんにとっては好機だ。


 揚力によって浮かび上がる機体。奥に押し込められた俺たちに外の様子は分からない。

 揺れが酷かったが、暫くすると安定してきた。そして、あの医者がそっとこちらに近づいてくる。妙に神妙な面持ちだ。

 まさかと思うが、善治さんに気づいている……なんて事ないよな。



「ほな外したるから、服ん中触るで」



 岸野の目の前に(ひざまづ)き、コートの中にそっと手を伸ばす。すると彼らの身体は密着して、それは同時に岸野と腕を繋がれた俺とも急接近することを示す。

 肋を固定していたギブスを弄るトネリコ。しかし、俺はその手中にあるものを見た。驚いて顔を上げると、彼は岸野でも、手元でもなく彼の背後をじっと見ていた。

 ……まずい。



「そこにもう一人おるな」



 彼は小声でそう呟いた。素知らぬ顔をしようとしている岸野の頬がぴくりと動いてしまう。



「これ使え。正規品やからすぐ外せる」



 ヘリの音が消音壁となり、その言葉を俺たちのいる空間以外からかき消した。彼の手中にあったもの。それは、黒い鍵。

 それを彼はそっと岸野の背後へと差し出した。



「何のつもりだ」



 トネリコの巨体に阻まれて、岸野の口元は向こう側にいるライラやその他の男達からは見えない。



「協力して欲しいんや」


「……信用していいのか」


「出来へんくても、()()()()()()()()()()()()()()()



 目は合わせないが、彼の言葉には力があった。そして、何処かそれは既視感(デジャヴュ)を孕む。そう、岸野の夢で垣間見た……メルデスの言葉。岸野も、同じような感想を抱いたに違いない。小声で善治さんを呼ぶ。

 差し出された鍵が消えた。


 空いた手で一通りの作業を終えたトネリコはくるりと踵を返す。

 ライラの元へとゆっくり近づいていく。

 大人しく座席に座っていたライラのシートベルトを外した彼。何するつもりだ。ライラも驚いたように彼を見る。

 白衣の懐に手を差し込んだ彼。取り出したのは、彼の商売道具だった。銀色に光るそれをあろう事か、ライラの白い首元に突きつける。両腕を巻き込むように拘束された彼女は身動きが取れない。



「お、オレはUNAなんかに下りたくないねん! せやから、ここでライラと心中したる……!」



 突然喚き始めた彼にギョッとしたのは俺だけじゃない。黒服の戦闘員風の男達もその異常な行動に反応を示した。

 即座にシートベルトから身を剥がして彼の次の行動に備える。

 なるほどな。

 グイと俺の左手首が引っ張られる。俺と岸野のこの繋がりは切ってる暇がないのか。



「ゴフッ」

「何ッ?」



 三人いるうちの一人が崩れ落ちる。残りの二人が振り返るが、背後にも発生した異常に対応するのが少し遅かったな。岸野の踵が一人の膝を後ろからではなく、前から振り抜かれて悪寒のしそうなバキッという生々しい音と絶叫が響く。そしてもう一人の顎も最初の一人と同様に見えない敵によって壁面へと吹き飛ばされてトドメをさすがのように胸部が大きく凹んだ。

 拳銃を向けてきた二番目の男の手を、俺も負けじと踏みつけてやる。



「このままじゃこの人数を運べねぇ。扉は手動で開くか?」


「あぁ、開くで。ちょっと待ってくれ」



 まだ少し怯えているライラの拘束を解いたトネリコ。なるほど、彼の独断ということか。この狂言じみた脱出劇は。


 ビュゥっと吹き込んだ風。潮の香りがする。

 操縦席の男がぎょっとした顔で振り返るがもう遅い。



「飛ぶぞ」


「えっ?」



 今度は俺がぎょっとするハメになるとは。今ちらっと見えてしまったが……遥か下は真っ黒の海。それも、真冬の。嘘だろ?



「加速がねぇと安全にこの人数を遠くまで飛ばせねぇ」


「お()はんも漢でっしゃろ。腹ァ決めるかここに残るかしかありまへんで」


「い、行きます……」



 透明化を解いた善治さんが俺を責めるように睨んだ。そもそも俺のこの腕は岸野と繋がっている。行くしかないだろ……!

 ライラの華奢な肩を抱き寄せたトネリコも頷いた。

 だがその時、自機じゃない……別の機体のプロペラ音が急接近してきた。



「ヤバイ! 早う!」



 その音は俺達の上から近づいた。そして、黒い機体がピタリと並列する。向こうもまた、横の扉を全開にしていた。

 そこには女性がいた。紺の髪に、白い肌。黄色の瞳は宝石のような麗人。彼女の右手には、白銀の大型拳銃。回転(リボルバー)のそれに俺は心当たりがある。岸野のD.E.を凌駕する反動性を持った暴銃。


 焦るトネリコに半ば押し出されるように俺たち五人は団子になって落下した。目が回りそうな強烈なGと恐怖心。だが、流石にこのスピードで急降下する俺たちをあんな銃で狙えるはずがない。俺はただ、岸野の背中に縋るしかない。黒い海が迫って来る。



「水面ギリギリまで加速するから、離れ……」



 生暖かいものが頬をピシャリと撫でる。岸野の言葉が途絶えた。



「嘘……」



 耳をつんざく轟音で銃声は聞こえなかったらしい。

 しかし、岸野の背には赤黒い穴が開いていた。



「充はん!」



 善治さんの呼びかけにも反応しなくなった彼。水面はもう、すぐそこだ。

 あの高度からなら、アスファルトのような硬い水面にはなっていないはずだが……落ちれば、死ぬ。それはきっと確かだ。


 辛うじて見上げた先に、こっちを見てほくそ笑む女がいた。

 アイツ、何者だ……!



「アカンかったか」



 トネリコが諦めた声を発した直後。俺たちは冷たい水の中へと沈んだ。白いあぶくに囲まれる。しょっぱいとか、そんなのは感じない。ただ単に、もうダメだと。ゴポゴポと言う海は俺たちをその底へと誘う。筋肉質な岸野の身体は浮かないらしい。

 染みる目をこじ開けて腕の先に居る彼を見る。

 撃たれた背からはぼんやりと赤いモノが海中を漂った。閉ざされた瞼。彼の特徴である傷跡が駆けている。


 それが、カッと見開かれた。

 そして景色は反転する───

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