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二度あることは三度ある

 

 黒いスラックスが膝をつく。

 白い杖は腕に固定されたまま地面を滑ってガシャンと乾いた音を立てた。それに続く、ドサリという硬いような柔らかいような音。

 うつ伏せに力尽きたその身体の下から広がる赤い体液は、みるみるうちに広がっていった。


 俺はまた、誰かの夢を垣間見ているんじゃないだろうか。きっとそうだ。じゃないと、菊川がメルデスを刺すはずが、無い。



「あはっ、あはははは……」



 ここに来て初めて菊川が笑った。血に濡れたダガーナイフが小刻みに震え、ぽたぽたと赤い涙を流す。

 あんなふうに声を立てて歪んだ笑みを浮かべる彼を、俺は初めて見た。



「ダイキ……?」



 なんだよ、夢じゃないのかよ……。悪夢なら早く覚めてくれよ。

 隣の岸野だけじゃない。周囲は困惑の渦に巻き込まれていた。



「菊川大輝。貴様、早くトドメを!」



 その時、菊川の張り付いたような笑顔が消える。投げ出された白い手が震えながら、ゆっくりと動いている。メルデスは生きている……!その手の中には何かボタンのついた機器。

 焦った菅谷が彼に駆け寄るが、突然の地鳴りのような音に足を止めた。



「チッ!」



 菅谷の舌打ち。音の正体を振り返る。二台止まっていたヘリのうち一機が赤い炎を上げている。黒い煙が灰色の空へ吸い込まれる。俺達が乗せられていた方のヘリだ。弾薬を積んでいたらしい。かなり激しく燃えている。



「初めからこれが狙いか。引き上げるぞ。捕虜をヘリに運べ! 菊川大輝は始末を……」


「この、裏切り、者ッ!」



 背を向けていたはずの菊川が菅谷の目の前まで吹き飛んだ。地面を数回バウンドする。メルデスを守るように立つのは銀髪の女。黒い目隠しをした風変わりな彼女。どこから現れたかは不明だが、確かにそこにいる。



「オルガナさん、邪魔をしないでくださいッ!」


挿絵(By みてみん)

 不意を突かれた強烈な一撃に顔を顰める菊川だが、そんなので易々とダウンする奴でもない。よろよろと立ち上がり、血走った目を彼女に向けた。



「退け、菊川。ヘリに戻っていろ」



 遂に、菅谷が抜刀した。オルガナを見据える目は鋭い。本気を出さなければ勝てない相手なのが分かっているのだろう。

 だが、オルガナは手ぶらだ。まさか身一つで飛び込んできたわけ無いだろ……?


 先に菅谷が飛び出した。地面スレスレを這うように駆け抜け、美しい銀の曲線を下から上へと繰り出す。だがその刃は途中で止まる。対抗しうる何かが衝突し合う。耳障りな甲高い音が辺りに響いた。



「見つけましたで。『國裂之覇振(くにさきのはぶり)』の主はお前はんでしたか」



 誰だあの老人……初めて見た。錆浅葱(さびあさぎ)の着流しに黒帯。そして、白髪混じりの頭。西の訛りが強い。大雑把に巻いた黒いマフラーが風に靡く。



「彩善ッ? あのジジィ、合流したのかよ」



 隣にいる岸野はこの男の知り合いらしい。何故か少し安堵したような顔をしている。味方、という事で良いのだろう。


 彼は菅谷同様に日本刀を手にしていた。それが突如、蒼い輝きを放った。それに共鳴するかのように、次は菅谷の刀が緋い閃光を放つ。各々の手元には青い龍と赤い鳳凰が浮かび上がった。なんだあの刀……普通じゃない!



「銀狼会組長、縹川彩善! まさか貴様……ミュートロギアと手を組んだのか」


「せや。協力させてもろてます。ワシの倅が世話んなっとるようでなぁ」



 不敵に微笑んだ彼。その間にはオルガナとメルデスの姿が消えていた。



「ほな、メルデスはんは預からせてもらいますよって……軽く手合わせ願いまひょか」


「まさか、貴様一人で乗り込んだわけが無いだろうな」


「そない死に急いでおりまへん。いや、若い衆にこんでええ言うてもついて来よるんや」



 不敵に微笑んだ老人。炎上するヘリの裏側から黒い影がいくつも飛び出した。初めて岸野を見た時を彷彿とさせるような風体の男達。少し離れたもう一機のヘリに向かって猛進してくる。



「困りましたね……!」



 紫色の髪の男がその前に立ちはだかる。困惑しつつも、彼らの逃げ足を守る為に異能(ちから)を振るう。

 コートの内から取り出したのは大きめの手帳と万年筆。何かを書き殴った彼はそれをちぎって投げる。


 すると、飛翔しながら黒い物体へと変化して爆ぜた。

 爆風に煽られた男達が怯む。



「腐ってもオレ達はネメシスだ……切り抜けるぞ、ダラス!」



 いつの間にかあの時同様、黒くて長い棒を片手に握りしめた旭が長い前髪の鬱陶しい男に叫ぶ。

 気が付かなかったが、俺と岸野の背後にも男達は迫っていた。それを彼は大きく薙ぎ払う。だが、彼らはそれをひらりと躱して旭の手を煩わせた。



「輪堂! コイツらをどうにかヘリに連れてけッ」



 旭の指示に戸惑う輪堂と呼ばれた彼女。だが、困惑しながらも俺と岸野を誘導しようとする。



「オイ、このアマ! 状況分かってんのか! あの野郎に従ってどうするッ」



 岸野が吠える。萎縮気味の彼女。だが、首を横に振った。



「私はネメシスで生きるって、菅谷先輩に従って生きるって決めたんです……! 菅谷先輩にも何か私たちに言えない何かを抱えていたはずなんです!」


「私も茜さんに賛成。それに、今の菅谷さんに逆らえば何が起きるかわからない」



 何時どこから現れたのか、白髪の少女も俺の横に立っていた。

 冷たく赤い瞳が俺を見据える。



「バカばっかりかよ! クソッタレが……」



 視界の端では、あの老人と菅谷が刀を交えていた。剣捌きは今まで見たことのあるそれとは全く違う。それこそ、剣道の型に忠実な印象のある、年季の入ったそんな振る舞い。一挙一動が落ち着いているが、菅谷の荒さの目立つ剣先を全ていなすか躱している。

 だが時にその刃先を着物の袖や刀の腹で受けてしまっているのを見るに、ギリギリの戦いを強いられているようにも思う。


 そんな彼の後方には南方へ向かう黒い機体が見えた。中型の軍用輸送機、か。

 青い刀で舞う彼がそれをちらりと見た。そして、錆浅葱が風に舞って菅谷の視界を遮った。



老耄(おいぼれ)相手にそない力まんでもよろしいわ」



 押切ろうとした菅谷の足元を何かが掬う。一瞬、龍のようにも見えたそれはビシャンッと飛沫を立てた。



「深追いはせんでええ! 適当なところで引きまっせ……」



 彼の号令。よく見ると、あのガラの悪い男たちは旭らに果敢に挑むと言うよりは単に時間を稼ぐような立ち回りをしている。


 奇妙な戦況だ。

 老人の声に反応した彼らは少しずつヘリや俺達から距離を取り始めた。



「おいおい、オレたちはどうすんだよあのジジイ……」


「今がチャンス。茜さん、行こう!」



 頷いた輪堂。抵抗しようとした岸野の足に何かが絡まる。それは、彼女の腕……いや、肘の先から解けるように飛び出した黒いリボンのようなもの。

 もしかして、これが彼女の異能……?


 足元を攫われた岸野は呆気なく地面を引きずられる。



「菅谷さん、乗ってください!」



 気がつけばティナがヘリの操縦席に居た。老人に苦戦する菅谷が振り向いた。



「チッ……」


「ほな、ワシらはこの辺にさせてもらいますわ。あぁせや、もう一台の下にもモノを仕掛けもらいましたさかいはよ行った方がよろしいわ」



 老人は菅谷に背を向けて屋上の縁へ向かって駆け出した。それが合図なのか、他の男達も一目散に離れる。そして、迷うことなく飛び降りた。老人もそれは同じ。彼が飛んだ瞬間、その身体を隠すかのように水柱が吹き上がった。


 俺が乗り込もうとしたヘリのプロペラが回転をし始める。吹き荒れる風に煽られた身体を既に中にいたダラスや旭に引き上げられた。

 奥には顔を真っ青にした菊川が震えている。

 そして、当の菅谷はメルデスが横たわっていたはずの場所を見つめてじっとしている。納刀した刀が鞘の中でカタカタと震えているように見える。



「菅谷、早く来いッ」



 今にも上昇しそうな機体、足元から聞こえる電子音が周期を早める。

 焦った旭が身を乗り出そうとするが、何かを思い立ったようにこちらへ来た。



「借りるぞ」



 俺の隣で悔しそうに唇を噛む岸野の首筋に軽く手を翳した彼。一体何を……?

 しかしその後目にした光景で、全ての謎が解ける。行動の意味も、彼自身の異能についての謎も。


 突如消えた白シャツは次の瞬間菅谷の目の前へ。振り抜いた拳が斜め下から彼の顎を襲う。騒音の中、この距離でも聞こえた音に思わず顔を顰める。仰け反るように吹き飛んだその巨体。



「目ェ覚ませ!」



 敵影のなくなった屋上。冷たい風が二人の間を吹き荒れる。

 旭大輔。彼の異能は、他人の異能を複製(コピー)する。だから、あの時も俺の思考を読んでみせたし、不可抗力がなんとか言っていたのも拘留された囚人のモノを写した。きっとの時の俺はそれで操られていたかなにかだ。



「説教は本部に戻ってから垂れてやる」



 怒りに拳を震わせる無精髭。彼の目は冷たく菅谷を見下ろしていた。

 そして、荒く菅谷のコートの襟を掴みあげた旭。一気に距離を詰め、ヘリの内部に出現した。



「離陸します!」



 ティナの声の直後不安定に揺れ動く機体。開いたままの扉から懐中電灯のようなものが外へと飛び出していく。眼下に広がる広い屋上。道路を見ると、水浸しになったちょうど真ん中に蓋の空いたマンホールが見受けられる。



「メルデス……貴様は俺を何処まで惨めにすれば、気が済む」



 黒い塊が唸りを上げた。その時、ガタンと大きく傾く機体。屋上から新たな火の手が上がっていた。

 ネメシスの彼らに会話は無い。


 俺の隣で膝を抱える菊川が震える手をもう片方の手で抑え込む。その手には赤い血液がべっとりとこびりついていた。

 何か意を決したらしい。喉を震わせながら、彼が口を開いた。



「全く、一杯食わされたよ。こんな所で簡単な誘導に引っかかるなんてね。そうだ、利き手で刺すなら正面じゃなくて後ろから刺さなきゃ心臓は貫けないのにね。ねぇ、アキトなら、分かるだろ? 同じように親を亡くしたんだからさ……もしそれが、身近な誰かに奪われていたらって考えたことは無いかな」



 何かに取り憑かれたような菊川の言葉に背筋が凍る。いや、違う。そうじゃない。彼の本音だ。取り憑かれてなんかいない。

 俺は何故かさっきから冷静だった。パニックになり過ぎたのか一周回って冴えてる。

 だが、菊川とは反対の隣にいる彼はそうじゃないらしい。


 俺を乗り越え、彼の胸倉をひったくるように掴んだ。



「何を吹き込まれたか知らねぇが、アイツがンなことする訳ねぇだろ!」


「そうだとしても、僕達のミュートロギアを壊したのはメルデス=サングシュペリだ!」


「ちょっと、岸野さん……落ち着いてください」



 怒鳴った岸野に、いくつかの視線が集まる。迷惑そうな冷たい目線。



「五年前、彼がミュートロギアに来なければ何も起きなかった。平和なままだった。それなのに……」


「ハァ? 本当にそう思ってんのか。いや、テメェがそう言うのは仕方ない話かもしれねぇが……少なくともオレが初めて見たミュートロギアは酷かった。極道(オレたち)なんかよりずっとな。それを奴は一年で準備を整え、更にもう一年で立直した」


「それがお節介だって、言ってるんですよ……!」



 逆に今度は菊川が岸野を跳ね除け、俺に覆い被さるように彼に突っかかる。岸野と手錠で繋がれている俺は身動きが取れない。体格的に無理に彼らを引き離すことも難しい。

 だが、今何かを発言できるのは……多分俺しかいない。



「僕はあのままだったらミュートロギアを任されてた。いや、その為に僕は育てられてきたって言っても過言じゃない。なぁ、アキト。分からないかい? 君もメルデスに脅されたって言ってたじゃんか。この気持ちわかってくれるよね」


「うんまぁ、その通り……だけど」


「何言ってんだアキト、てめぇ菊川に同情してんのか? 誰に助けられてここで息してんのか分かってんのかよ!」



 岸野の怒りの矛先がほんの少しだけ俺に向けられた。

 彼にとって、そして俺にとってもメルデスは恩人だ。彼の怒りも勿論分かる。でも俺は岸野に同調する訳でもない。



()()()、殺すのは違う。命を奪うことは、間違ってる。彼の行動にはいつも“死への覚悟”がついてまわってた。それを、ダイキは踏みにじった。ただそれだけだと俺は思う」



 縋るようにこっちを見ていた菊川の目が白く濁った。

 心にズキリと何かが刺さるが、もうその棘はきっと抜けない所にある。

 脳裏によぎったのは辮髪の彼だった。菊川とはひと味違う人懐こい笑を絶やさなかった、異国の青年。復讐に巣食う鬼に食い荒らされてしまった、友達。彼もまた今の菊川と同じような事を言っていた。



「着陸体制に入ります。落ちないように注意してください。故障で扉が閉まらない!」



 気流が乱れたのかガクンと高度を下げた鉄の塊。咄嗟に手近な柱のようなパイプのような何かに掴まる。

 何か少し違和感のある感触があったが、この際気にしていられない。耳の中がくぐもったような音しか拾わなくなった。



「ティナ、どうした!」



 異変を感じた旭が声を掛ける。大丈夫です! と威勢のいい応答があったものの機体は不安定なままだ。

 包帯やら何やらがバラバラと開け放たれた扉から空中へと放たれていく。



「ねぇ、出発の時あんなに止まってなかったわ」


「誰か……来てるみたいだね」



 シートベルトを胸に食い込ませた輪堂。横目で見てみると、俺は驚愕した。見たことがあるヘリポート……その傍には災厄前のこの国の皇室が暮らしていたと言われている場所。

 桜田門とかいう別名を持った……日本の治安維持の中心部。

 ネメシスの本部がまさか、此処に?



「それならそうとトネリコがなんか寄越すだろ。なんも知らねぇ馬鹿がネメシス専用ポートを……いや、ちげぇ。ありゃあオレたちの客だ」



 俺の驚愕とは別の驚愕を口にした旭。「無理やり降りますからしっかり捕まってください!」というティナの声掛けで奥へと引っ込んだが、なにか不安を悟ったようなそんな顔にも見える。



 下から突き上げるような衝撃。少し酔ったかもしれないが、それ以外は特に問題ない。どうにか着陸できたらしい。不時着しなかった事には少し胸を撫で下ろしてもいいかも知れない。



「責任者の菅谷さんは何方でしょうか」



 声のした方を見ると、ヘルメット姿の黒ずくめの男が二人ほど期待へ駆け寄って来ていた。名を呼ばれた菅谷はふらりと立ち上がり、振り返る。



「何の用だ。客人が来るなどと聞いた覚えはないが」



 彼の威圧的な声はいつにも増して鋭かった。

 だが、対する二人組は飄々としている。此処に戻る以前の出来事をたんに理解していないのか……それとも、ネメシスより優位な立場にいるのか。



「兎に角早く下にどうぞ。全員で来るように、と(ことづ)かっています」


「捕虜が二名いる。その前にそっちをどうにかし……」


「いえ、今すぐに行かれた方が宜しいかと。その捕虜の方は我々が此処で見張っておきます」



 旭は言葉を遮られ、さらに疑念を深めたような素振りを見せる。彼らが此処まで奥手に出なければならない相手とは一体?



「逆らえん。菊川も来い」



 厚底のブーツをカンカンと踏み鳴らして期待を離れた菅谷。それに続いて思案顔の面々が地に足をつける。

 俺たちをチラリと一瞥した菊川もまた、彼らに続いた。


 静かになった機内。重苦しい空気も少しマシになる。岸野と繋がれた左腕を除いては先程のような窮屈感もあまり無かった。


 悪戯に時は過ぎる。


 何をしても無駄だと分かっていたら、本当に何も思い浮かばない。暇を潰すような話のひとつも出てこない。いや、今はそんな気分でもないが。メルデスが菊川に刺され、俺たちは相変わらずネメシスに拘束されたまま。

 一体、メルデスはあんな無謀なことをして……何が目的だったんだろうか。



「三回目だ」


「え?」



 壁に身体を預ける彼がボソッと呟いた。唐突なその言葉の意味が俺に分かるはずもない。

 輪堂に引きずられた時にできた擦り傷が生々しいその横顔に哀愁が漂っている。



「そうだ、オレは銀狼会の出だ。あのジジイの元にいた」



 あの時は流していたが、確かに菅谷はあの老人を見て『銀狼会』と言っていた。さらにその老人は『倅が世話になっている』と話した。



「血の繋がりはねぇよ」



 俺の思考を先読みしたかのような彼の牽制。だが、きっと……これは俺の直感だが岸野は本当にあの老人を親のように思っていた様な気がしてならない。



「オレは奴の為にバカみてぇに働いたが……このザマだ。なのにアイツは三度も見捨てたンだよ。何が義理人情に堅い極道の鏡だ。クソッタレ」



 彼は今まで、何度も俺を助けてくれていた。今思えば俺が刺されたあの夜、バリッサと初めて出逢った時、あの海辺の神社での戦いの時、俺の勝手な行動でオルガナにぶん殴られたあの時も。

 彼は強かった。

 D.E.を片手でぶっぱなしたり、ミサイルを異能力でいなしたりできることを抜きにして、彼自身が強かった。


 初めて、俺は彼の脆さを見てしまった気がする。



「ガッ」

「な、グハァッ」



 何だ?

 開け放たれたままの機体の出入口付近が突然騒がしくなった。と同時にバタバタと何かが折り重なるように倒れる音がする。

 神妙な顔をしていた岸野もバッと身を起こして警戒している。



「なんやえらい辛気臭い顔やから、ホンマに充はんか判りまへんでしたわ」



 どこからともなく聞こえた声。一瞬テレパスかと思ったが、違う。俺たちの目の前から真っ直ぐ聞こえた男の声。



善治(よしはる)……?」


「情けないんは顔だけや無くて声までですか。組長も言うてはりましたけど、えらい丸ならはったなぁ」



 目の前の景色の一部にモヤがかかったようになる。ゆっくりと浮かび上がるシルエット。アッシュグレーの髪に細めた目。

 岸野のものとよく似た刺青を首元にチラつかせた男がそこには居た。しゃがみ込み、視線を合わせてじっと見つめているのは眉を寄せた岸野の顔だった。



「テメェ、何してやがる。いつから此処にいた」


「何て言われても、ハナからこのヘリに乗っ取りましたがな。こういう作戦でしたから仕方ありまへん。堪忍やで」


「あの……」


「あぁ、ワテはしがない銀狼会の若旦那代理ですわ。苦爪善治(くがよしはる)いいます」



 苦爪善治と名乗った彼は堂々とした足取りで俺たちの背後に回った。そして何やら、着ているコートを探りつつガチャガチャとし始めた。



「充はんのはなかなか骨折りモンですけど、其方さんのは簡単ですさかい後にさしてもらいます」



 そう言った彼が手を伸ばしたのは岸野の腕に取り付けられた黒い手錠。



「まさかと思うが、あのジジイの差し金か? 今更遅せぇんだよ」


「そない組長を悪く言わんとってください」



 彼の手付きはとても手練ている。クチナシのような香水の香りが密着したその身体から漂ってきた。



「五年前かて、組長は充はんを助けに行こうとしてはりました。せやけど病気しはって……手術することになってしもて仕方ありまへんでした」


「ンなこと聞いてねぇぞ」


「言うてはりませんからね。それにこの前かて、奥の部屋にぶち込んだあの後……外でドンパチがありましてなぁ。UNAがけったいな事したおかげで事務所を出る他ありまへんでした。『電気屋(スパーカー)』のヤツらに肩入れしよりましてな」


「善治さん、今、なんて」



 今、俺の聞き間違いでなければ……彼は『UNA』と言った。

 耳を疑ったのは俺だけじゃなかった。岸野もまた顔を背けていたにも関わらず、彼のことを振り返って目を丸くしている。



「お二人してなんちゅう顔しはるんや。外に停まったるヘリも全部UNAでっせ。ほんまけったいな組織やわ。充はんのこれが外れたら上手いこと奴らに気づかれんように逃げるっちゅう手間が増えてしもた」


「……そうか」



 神妙な顔でまた再び考え込み黙ってしまった岸野。



「あーもう! またそないな顔して。ほんま調子狂いますわ。あと五分で終わりますさかい、この後どないするかでも考えといてくれはります? 制御剤(ジャミング)もとうの昔に切れとるし飛べますやろ」



 なんだか、この善治という男の言葉の裏には喜びのようなものが隠れいてる気がする。気を紛らわせたいのかもしれないが、ひっきりなしに岸野に話しかけているのを見る限り、彼らはきっと俺の知りえない所でとても密接な関係なのかもしれない。

 初めて出会ってから十分と少しくらいしか経っていないのに、なんとなくそう思う。



「うるせぇ善治」


「今ので六十点ですわ。あかん、気持ち悪うてしゃあない」


「だから黙れって言ってンだよ……!」



 何だ。岸野の様子がおかしい。一瞬目が泳ぐ。



「足音だ。透明化(スケルトン)して後ろにいろ、善治」



 彼も空気が読めない人ではないようだ。焦ったように眉を寄せ、スっとその姿を消して息を潜める。岸野の手錠はまだ付いたままだ。もう彼らが戻ってきたのか?


 俺にはその足音があまり分からなかったが、しばらく時間が経つと漸く聞こえてきた。

 かなり数が増えている。やっぱりUNA……か。

 こんな事に対して、彼は何か策を持っているのか不安だ。もしこのままあの牢屋に入れられたら、いくら透明化が使える彼でも俺たちを救い出すことは難しいだろう。



 バラバラと不規則で不揃いな音。

 それはもう、俺たちの乗るヘリの真横までやって来ていた。



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