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悪夢の果て

 耳を劈く幼い子供の甲高い悲鳴。一瞬の怯み。そして、黒いコートの大男は視線を向けざるを得なくなる。



「その子供は……!」



 小さな手に付着した赤い体液に尋常ではない怯えを見せるその子供。黒いおかっぱ頭を掻き毟り絶叫する。その目の前には黒いスーツの男が荒い息で横たわっていた。


 その叫びを切り裂くような爆発音が前方奥から狭い廊下を駆けた。少女に気を取られていたその男の足元に着弾し、ほんの少し彼を後退させる。



「反動がデカすぎるだろ……ッ」



 D.E.を握りしめた男がいつの間にかその少女が居た空間に出現し、地面に伏した男の身体を抱える。額を赤黒い血に染めた彼は帯刀した黒コート──菅谷を一瞥して姿を再びくらます。そして、物陰から飛び出した銀髪の男とともに走り去る背中が見える。



「逃がさん……!」



 菅谷が吠える。彼の加速は人を抱えた逃走者を上回る。



「追いつかれるぞ……まだ飛ばせねぇのか!」



 泣きわめく少女を抱えた銀髪の男、レンが併走する彼に強い口調で訊く。だが、それは黒服を助け出したこの男も同じ。切り傷のある左眼、岸野が後方をキッと睨みつける。



「この男の言った通りオレの異能(ちから)はどうしても縦には弱い……いや、正確には精神力の消費がデカすぎんだよ!」


「そこを、左……!」



 岸野の背で銃創から流血し続けるメルデスが呻くように言った。その通りに二人は角へ飛び込む。更に長く続いた廊下が広がっていた。待ち伏せている敵もいない。

 そして、メルデスが後方に投げた黒い何かが爆ぜた。天井や床がガラガラと崩れる。



「下ろしてくれ、僕はここで……菅谷くんを止める」


「……いいのか」



 岸野の肩で、彼は頷いた。レンも神妙な面持ちで振り返った。



「めるです……! どこにいるの、めるです!」



 舌足らずの鼻声がレンの耳元で炸裂した。バタバタともがくその四肢を必死に抑え込む。

 そして遂に岸野が脚を止めた。ガクガクと震えるその身体を冷たいコンクリートの床に下ろす。青ざめた顔。芳しくない状態なのは一目見ればわかる。

 特に、レンは。



「まさか、心中でもするつもりか。その身体であんなのを相手に出来る訳……」


「僕は他人(ひと)を殺さない。そのつもりだよ」



 ニッコリと微笑んで見せた彼の碧い瞳はこだまをじっと見つめていた。鼻水か涙か判別不能の水で顔を濡らした彼女が嗚咽する。彼の手の中には『平和を創る者(ピースメーカー)』の異名を持つ拳銃が光っていた。



「さあ早く。行ってくれよ。さらに向こうに応援が来たらしい」



 壁に体重を預け、産まれたての小鹿のように立ち上がった彼は視線を逸らした。瓦礫に埋まった廊下の向こう側をじっと見ている。


 岸野の軽い舌打ち。その瞬間、瓦礫の山が爆ぜた。



「オイオイオイオイ、なぁにしてんだ? メルデス」



 白いシャツに赤いネクタイ。彼の身長を超える長い棒を携えた中年男。ギョロりとした目が裏切り者を睨む。


 その途端に、岸野やレンは走り出していた。彼の名前を呼び続ける少女を担いだまま。

 彼らはもう、振り返らない。



「旭さん、此処で彼らを見逃してくださるなら僕は何も抵抗しません。だから……!」



 だが、その言葉はかつて相棒と呼んだあの男には伝わらない。瓦礫の中に開いた穴から黒い塊が飛び出す。ぎらりとした鋭利な輝き。壁にもたれ掛かる彼へと襲いかかった。



「ッ……!」



 斜め上段から振り下ろされた刃。その太刀筋に旭の表情が消える。

 メルデスが避けなければ確実に彼の頭部と胴体を斬り離していた。空を切った刀は美しい孤を描き、再び金髪の彼の急所へと吸い寄せられるような軌道で振り下ろされる。

 彼から発せられるオーラは明確な殺意を孕んでいた。


 自らの血で滑りやすくなった革靴以上に、言うことを聞かない脚にメルデスは本気で死を覚悟する。今ここで、自分は、殺されると。だが何故か、彼は人気のない後方へと駆け出そうとしていた。



「おい、菅谷……!」



 年長者の制止する声も耳に入らない。



「殺すな、菅谷ッ!」



 その瞬間。中段に太刀を握り締め地を蹴った彼がメルデスを捉えた。背中から腰部にかけて鮮血が円舞する。

 その刹那の時、銃声が響いた。

 ドサリという重たい音が二つ。


 一部始終を見ていた旭にも、何が起きたか一瞬分からなかった。



「貴……様、貴様ァアアアッ」



 よろよろと立ち上がる死神のような巨躯。押さえた右眼、そこからどろりと垂れる血。



「菅谷くん。すまない。僕はまだもう少し、生きたいみたいだ」



 そう言うメルデスも、決して軽傷ではない。ピクリとも言うことを聞かなくなった脚に内心顔を顰めるが、その表情(かお)は薄ら笑いを浮かべていた。銃口を上に向けた愛銃(ピースメーカー)が白い煙をあげている。



「これだけは言わせて欲しい。このネメシスは消えなければならない。僕らが終わらせなければならない」


「おいおい。なぁに言ってんだ、メルデス……お前、突然トップに据えられそうになって怖気付い……」


「そうじゃないですよ……ただ、このままではネメシスに、いや、全人類に危害が及ぶ。だから、僕は」


「貴様の弁舌は……もう沢山だ」



 何かを言いかけたメルデスを遮った彼は、足元に落としていた血の付いた太刀を握り直す。そして、地に伏せたメルデスを見下ろした。



「僕を……此処で殺しても何も変わらないよ、菅谷くん」


「いいや、貴様は我々を裏切り囚人を二名逃がした。これは重大な任務違反であり、謀反に値する。そのような際、行動を共にする隊員にはそれを行った本人を処分する義務が発生する──間違っていないだろう、メルデス」



 ゆったりと、しかし、狂気を含めた菅谷の物言いに旭はもう何も言えなくなっていた。


挿絵(By みてみん)


 血にまみれた右手をそっと顔から離す。どこが肉でどこが血液か分からない。そして、その右手で彼はメルデスの胸ぐらを掴みあげた。反撃する気力はもう彼にはない。拳銃(ピースメーカー)が固く冷たい音を立てて地面へ落ちる。メルデスはその碧眼をそっと閉じた。



「貴様には失望した」



 左手の刀の刃に炎が宿る。地獄の灯火かのように。



「死を以て償って貰おうか……貴様が最初で最後の相棒だ、メルデス=サングシュペリ」



 ものを投げ捨てるように彼から手を離した菅谷。支えをなくしたメルデスの身体は空を切る。

 何故か彼は、笑っていた。


 そして彼の背が床面に着こうかとした、その時。


 その姿が消えた。

 同じ場所にはガラの悪い大男。



「ッたく、あのガキが五月蝿くてなァ。諦めろクソッタレが」



 暴言かのような言葉を吐いたその男の姿もすぐに消え失せた。

 ほんの数秒の間の出来事。

 メルデスが連れ去られた事に彼らの脳が追いついたのは、菅谷の手元から刃が落ちたその音に肩を震わせた瞬間だった。



「ウワァアアアアアアアアアアア」



 顔の右側から血を撒き散らす男の絶叫が廊下を反響する。



 □◆□



「菅谷、起きたか。奴はもう待ってるらしいぞ」


「一人ですか」



 彼を待ちわびていたネメシスの面々が視線を集める。だがそれを歯牙にもかけずヘリへと乗り込んだ。

 彼が黒い革のコートの上からシートベルトをして離陸に備える間、旭大輔に代わりティナが操縦席から答えた。



「一応、屋上にいるのは彼一人のようですが。恐らく近辺の何処かにミュートロギアを待機させていると思われます。なので、その、お言葉ですがもう少し警戒にあたらせる大編部門を増やしては如何でしょうか」


「いや、いい。それよりあの二人は?」


「移送用の別のヘリに。それより、ほんとに大丈夫ですか、先輩……突然倒れてビックリしましたよ」



 少し震える声で菅谷に話しかけた輪堂。黒いさやに収められた刀をそっと手渡す。



「何しとったか知らんけど、軽い栄養失調みたいなんで失神しはったんやで。顔色あんまようないけど……医者(おれ)が止めても無駄なんやろうからなんも言わんわ。ほなまぁ、お気をつけてやで」


「……問題ない。おかしな夢を、いや、悪夢を見ただけだ。留守を頼んだぞ」



 ブロロロロロという騒音を響かせながら、その金属の塊は陸から離れる。正確には、コンクリート製の屋上を。白衣にバタバタと素肌を叩かせているトネリコが長い腕を大きく振る。


 菅谷の目が機内の床面を貫く程鋭く見つめている。機能する左眼の下には大きなくまがのっぺりと張り付いていた。



「どうかしたか、菅谷」



 隣に座っていた旭が訊ねる。返答はあまり期待していなかったが、彼は口を開いた。



「あんな風に夢を見るのは初めてでした。まるで、俺じゃない誰かが上から見下ろしているような……」



 ボソボソとつぶやくその声は巨大なモーター音に邪魔されて旭には理解出来なかった。

 気を取り直した彼はもうひとつ疑問を投げた。

 いや、疑問と言うよりはある種の確認のようなもの。



()()のはあくまでも最終手段。それでいいんだよな。俺達が手を汚すのは最小限に抑え、捕らえた奴を尋問にかける」



 落ち着かないように顎の髭に手を伸ばした旭。菅谷の表情は変わらなかった。



「はい。その通りですよ。我々が手を下すのは最終手段です」



 彼らの会話を聞いている者はいない。空を切るプロペラの音が遮音壁の役割をする。



「お前の危うさは悪じゃあないぜ、菅谷。でもな、今のお前からはどうもそれ以上の危険な匂いがする……何か企んでいるんじゃあないか? まるで、あの夜の……」



 喉笛に鋒を向けられたような威圧感が旭の言葉を詰まらせた。彼は菅谷がネメシスに入ったその時分からを知っている。昔から異様なオーラを放つ男だった。しかし逆に、その力に飲まれてしまいそうな危うささえも内包していた。そんな彼を上手く御していたのが、あの金髪碧眼の男だったのだ。



「あれはもう、過去の話です。それに、今や奴の敵は我々だけではない」


「……?」


「見えました。花北第三ビル、着陸体制に入りますね」



 ティナの報告。高度降下による気圧変化。旭がその不可解な言葉の真意を問うことは出来なかった。



「ほんとに一人なのね……」



 目を細める輪堂の視線の先には紳士風の男が杖を頼りに立っていた。彼らの乗り物から発せられる暴風がその金色の短い髪を揺らす。



 □◆□



 なにか乗り物に乗せられていたみたいだが、聴覚も視覚も遮られた俺には兎に角身を任せるしかなかった。隣に座っているだろう岸野の体温がほんの少しだけ、安堵感を与えてくれていた。


 でもそれはもう数分前の話。外されたヘッドフォン、外気に触れた耳が冷たかった。そして、取り払われた目隠しと同時に飛び込んできたのはあのライラという少女の赤い瞳。

 そして、俺の手を引いたのは豊か過ぎる胸を服の中に無理矢理仕舞った女。

 そしてやっと分かる。これは、ヘリだ。かなり大きめの空間には俺と岸野、そして女二人を含めた四人だけ。



「茜さんについて行って」



 短くそう指図したライラは白い髪を揺らしてどこかへ行ってしまう。茜さんと呼ばれたその巨乳の女性は俺達の背後に回ってどこかへ誘導した。手を拘束され、異能力にも枷をされた岸野も無闇に抗おうとしていない。俺の普通の手錠が彼の黒い手錠と繋がれる。


 何処かのビルの屋上なのだろう。冷たいコンクリートの足元を極寒の空気が這い回る。

 いつの間に着せられていたのか、捕縛された時に来ていたのとおなじジャンバーを着せられていた。岸野も血に汚れたコートを着ている。俺たちは何処へ連れていかれるのだろうか。



「旭さん、連れてきました」


「サンキュ」



 無精髭の男が首だけ回した。ギョロりとした目が俺と岸野を一瞥する。

 後ろから押された。何か、あるのだろうか。まさかミュートロギアが?



「しっかり目に焼き付けとけよ、少年。俺もこれから何が起きるかハッキリと分かっちゃいねぇが……事によっちゃあ今日が()()()()()()()()()()()になる」



 戦慄。横の岸野の切れ目の双眸がカッと見開かれた。この男達は、まさか俺たちをダシに何かしでかすつもりなのか。いや、なんだかそれ以上の不安な感覚……これは何だ。



「舐めた口きいてくれんじゃねェか」



 ドスの効いた鋭い声が余裕綽々とした中年男、旭に食って掛かる。だが、彼のどこかのらりくらりとした感じは変わらない。



「ま、事の善し悪しを決めんのはウチと其方さんのトップ……特に、メルデスの奴の決断にかかってるだろうなあ」


「まさか、来てやがんのか……アイツ!」



 半ば旭の背を押し退けるように前に出た彼。腕を繋がれた俺ももたつきながら必然的に視界が開けた。

 岸野の問い掛けの答えはイエスだった。彼が立っている。

 それも、一人で。

 そんな彼と対峙するのは黒い眼帯の男。曇り空の元、血色の悪い白い顔がいつもの微笑みを浮かべていた。悠然とする彼だが、俺がいくら見渡しても他のミュートロギアのメンツの姿が見えない。



「バカかテメェ、メルデス!」



 遂に横で岸野が吼えた。ゆっくりとこっちを見たメルデスが目を細めた。その距離は10メートル程。たった一人のメルデスに対して、向き合うのは菅谷だけじゃない。ザッと見たところ……あの変な格好の医者を除いて全員がここに居るようだ。



「さぁ役者は揃った。メルデス、貴様と話をするのはあの夜以来か」


「そうだね。ほら見てよ、君のところの女の子に折られた杖。新調したんだ」



 風下側にいる俺たちにもその声は届く。雑談を始めたメルデス。そんな事くらいではネメシスの陣営もざわつかない。



「そう言えば、最近よく夢を見るんだよ。()()()のね」


「俺も今、貴様と同じ事を言おうとしていた。不思議な事があるものだな」



 ゆったりと、二人が距離を縮める。相手の出方を見極め、自らの空気の中に相手を取り込もうというような印象。食うか食われるか、食われるか食うか。そんな駆け引きをしているようにも見える。


 だが、先に獲物に噛み付いたのはメルデスだった。



「あの時の僕の提案、覚えているかい」



 こっちから、菅谷の微細な表情は読み取れない。ただ、静寂の中で彼のコートがバサバサと音を立てた。



「ネメシスは消えなければならない、という話か」


「違う、覚えてないのかい? 僕は君に言ったじゃないか。一緒に来ないか、と」



 どこが悲しそうに目を細めたメルデスは、一本彼に歩み寄った。ぎこちないが、確かな足取りで。



「僕は今でも思っているんだ、君はこっちに来るべきだって……いや、すまない。今の想いはあの時と同じじゃない。でも……」


「馬鹿馬鹿しい。取引を持ちかけたのはこちらだ。貴様では無い。履き違えるな」



 非情にも、彼はメルデスの言葉を一蹴した。そして、折角メルデスが歩み寄った距離を振り出しに戻す。



「ところで、メルデス。貴様の五年はどうだった。さぞ実りのある五年だったのだろうな。我々の目を逃れるだけでは飽き足らず()()()()()()()()()()()のだから」



 突然話題を変えた菅谷。これには何故か、ネメシス側がぎょっとした表情を浮かべていた。予測不能の彼の言葉に戸惑っているようにも感じる。


 だが、その戸惑いは俺にも訪れる。

 ──組織を丸ごと乗っ取った。とは、どういう事か。いや、そうだ……よく考えれば少しおかしい。これまでに知り得た過去、メルデスがネメシスの一員であったこと、彼らを裏切ってミュートロギアへ逃げ込んだこと。だがそれは、彼に今の地位を結ぶ要因にはならない。

 彼ほどの話術と頭脳の持ち主……悪くいえば狡猾な人間ならばそれも可能なのかもしれない。


 菅谷の言葉に全く表情を変えないメルデス。何か、反応してくれよ。じゃないと俺も判断に困る……!



「乗っ取った、だと? 何も知らねぇ癖に人聞き悪い言い方してんじゃねぇぞ糞野郎ッ」



 岸野が牙を剥くが、その牙は彼には届かない。



「成程……やっぱりそうか」



 どういう訳か、メルデスはフッと息を漏らして笑った。何かを確信したような、そんな顔に俺は見えた。



「貴様は味方を作ったつもりだろうが、同時に敵も作った。さて、メルデス……我々の第一目標は貴様を拘束し、尋問にかけること。だが、やはりそれだけでは飽き足らないものも居るらしい」



 その言葉に反応したのは、俺たちの横にいた旭と、乗せられていたのとは違うヘリに背を預けていたダラスとかいう男。畳み掛けるように菅谷は言葉を紡ぐ。



「だが、私が手を下せばいくら殺人許可があってもその男の恨みは晴れない上に、貴様が犯した罪を振り返る時間が与えられないだろうからな」


「おい、菅谷!」



 一歩踏み出した旭だったが、すぐにその歩みが止まる。

 ずっと伸ばした浅黒い手が空気に触れた……いや、なにか壁のようなものに触っているかのような手の角度。その目がさらに大きく見開かれる。

 対して、名前を呼ばれた彼はほんの少しだけこっちを見た。声は聞こえるらしい。



「やっぱりお前は……!」


「自分の恨みだけじゃない……これは、奴に関わった者全ての怨恨。そして、俺は全てを悟りました。奴さえ居なければ元通りになる。ネメシスは正しくあることが出来る!」



 支離滅裂な菅谷の台詞。なにかに取り憑かれたみたいな危うさを孕む。



「今のお前さんは普通じゃねぇだろ! 冷静になれ……菅谷!」


「我々まで欺かなくてもいいんですよ、旭さん。貴殿だってそう思ったでしょう。幸下が求めているのも、心の奥底で貴殿が求めているのも捕縛なんかではないと」


「どんなに殺したいと願っても、実際に殺すのは違うだろうが!」



 見えない壁を叩いた旭の拳がドンッと大きな音を立てる。これは、異能力……? それしか考えられないが、じゃあ誰の異能なんだ。ネメシス側だとしても、目の前の菅谷以外は彼を止めようとしている人ばかりに見える。


 両者、及び周囲の緊張はピークを迎えた。


 そんなこと許されるのかよ……ミュートロギアはどうなる。いや、それ以上にこだまは、どうなるんだよ!

 メルデスが居なくて鬼と戦える訳が無い。


 狂ってる……周囲の反応からして、あの菅谷と言う男が暴走している。ネメシスの彼らに聞いた、メルデスが彼の右眼を奪ったという話。だが、それだけではないような気がする。この場にいるだけで胃に穴が開いてしまいそうな、不安。



「どのようにして貴様を葬りたいか、ずっと考えていた。五年もの間……ずっと。そしてその男も、その一人だ」



 その男?

 彼以外に、誰かいるのか。


 その時だった。メルデスの背後、少し離れた場所。パチッパチッという微かなスパーク音。そこに居なかったはずの影が現れる。あれは、光学迷彩マントか。だが、ここで俺は安堵した。

 だってそれは、顔見知りだったから。

 彼の周りに張られた透明の壁の説明もつく。


 優しそうな少しタレ目気味の双眸と、明るく染めた髪。すらりと長い手足。アイドルかのような風体の優男。



「ダイキ!」



 彼はほんの少しこっちを見た。微かに泳ぐ目。


 なんだ、この……違和感は。

 なにか怯えているような、緊張しているような。ネメシスと対峙しているからというのは何かが違う気がしてならない。

 あの、いつもの笑顔が無い。



「やぁ、菊川くん」



 くるりと彼に向き直ったメルデス。お互いが手を伸ばせば指が触れ合いそうなそんな距離。

 変だ、本当に何かが変だ。


 縋るように見上げた岸野の顔も強ばっている。ここで笑みを浮かべているのは、メルデスの背後に回った菅谷とメルデス本人だけ。


 その時、菊川がマントと共に何かを投げ捨てた。カランカランという小さな音とともに黒いキューブ状の機械のようなものがコンクリートを滑る。

 そして、黒いジャンバーの彼の左手(ききて)には、抜き味のダガーナイフ。曇り空を映してくすんだ刃。



「アキト……奴の両親の話を聞いたか」



 掠れた声で、岸野が俺に問う。

 菊川の両親の話と言えば、数年前に亡くなったことしか聞いちゃいない。何か、まさか今の状況に関係があるのか?


 俺の無言を否定ととった彼は菊川を凝視しながらも言葉を続けた。



菊川(アイツ)の両親は、()()のミュートロギア総指揮官だった」



 何かに殴られたような衝撃が身体中を駆けた。

 数年前、俺がまだ中学生(チューボー)の頃……ミュートロギアのトップが捕えられて()()されたと、大きなニュースになっていた。


 まさか……菊川!


 刀を携えた眼帯の男が頷いた。



 そして、正対した彼はメルデスを抱き寄せるかのようにその復讐の刃を胸元に深々と突き立てた。そして、引き抜いた刃に続いて弧を描く赤い花弁。曇天にその光景が張り付いたように、ゆっくりと舞った。




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