準備は万全に
「オカシイわねぇ……三番目はアナタじゃないわぁ」
「と言うと?」
豪華なシャンデリア付きの部屋。物々しい、鬱屈な気分になるような空気を孕む薄暗い部屋で話す二人の女。この家の主……の娘である神崎静の向かいに足を組み、優雅に紅茶を啜る不気味なまでに美しい女。艶かしい唇がカップから離れる。
食い入るように自らを見つめる静を一瞥した。
「『小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた』───この国は程度の教養もないのかしらァ。第三の封印を解くのは『黒い秤』を持つ物。アナタの匣庭には黄泉が付いている」
スラスラと諳んじる金髪の彼女。異様に長い爪を這わせた食器が不快な音を立てる。彼女こそ第一の鬼、バリッサ。先程ティーカップを持っていたのと反対の腕は金属、もっと言えば機械の腕である。
「まぁとは言え、私は反キリストの象徴だったりもするわけだけどぉ」
やれやれと言いたげな表情で首を振る。その時カサカサと音を立てて彼女のドレスを這い上がってきたのは真っ黒の大きな蜘蛛。
「にしても、三番目は何処に……」
「そう遠い所には居ないはず。私たちは必ず引き合わされる運命にあるわ……意外と、もう何か行動を起こしているかもしれないわよォ?」
間延びしたように話す彼女。大きく欠伸をしてふっと微笑んだ。
「残念ながら役目を果たせなかった二番目の坊やを私は見つけた……次はきっとアナタの番」
□◆□
「この三つの条件を飲んで貰えるのなら危害は加えません。ああ、外との連絡をしようとしても無駄ですよ。ここは全くの別次元ですからね」
銃口を突きつける静の白い手は迷いない。一度もぶれることなく彼女を凝視するこだまへと向いていた。だが、それはこだまの味方も同じ。
「信用ならんわ、生徒会長さん。こんだけの数の鬼を準備しといて全部回収出来るとは思えへんけど?」
「信じないのは勝手ですよ。でも、条件を無視したら……」
表情一つ変えない静、そしてその後ろに控えるスーツの男、速水尊が不敵に微笑んだ直後。虚ろな目の男子生徒が近くにいた教員の一人に噛み付いた。情けない悲鳴をあげる男性教諭の首筋から真っ赤な彼岸花が咲き、目が光を失う。
パニックになり逃げ出そうとする一部生徒と、そっと距離を置き恐怖に耐える残り。後者の大半はミュートロギアに内通した子供たち。残念ながらそうではなく逃げ出した彼らの背中を鉛玉が襲った。
悲鳴が上がる。
逃げられない。
でもこのままでも生きて帰れない。
人間の恐怖とはこうもその人の行動に直結するのか。一同の視線がこだまの背中へと集結する。あろう事かそれは、ナイフや銃を手に取るミュートロギアからも。不穏な空気と欠けたままの太陽。
敢えてこだまは振り返らない。黒い鞘が震える。
「戦いなさい! こだま!」
だがその空気を切り裂いたのは凛々しい女の声。
白いワイシャツに血を滲ませた本城夕妃。よろめきながら立ち上がった彼女を江口と佐和山が支える。
「アキトだけじゃない、今度はアナタが立ち向かう番よ……! 敵を履き違えちゃいけない。もし彼女が嫌々鬼になったとしても、私たちは戦わなくちゃいけない。そうでしょう!」
奥歯を噛み締める彼女。痛みを我慢しているだけではない。
恨めしいその瞳は尊を捉えて離さない。「ここでケリをつけてやる」そう言いたげな視線。それを見てニヤリと嘲うその男。
「ゆ、夕妃センセ。何か知っていらっしゃるの?」
江口教諭も佐和山も、彼女達の素性を知らない。鬼に関しても全くの無知。いや、唯一佐和山は彼女とスーツの男のあいだの因縁を知っている。
「夕妃先生が怪我をしたのはオレのせいだ。オレが不用意に飛び出して……協力出来るならばなんでも!」
「先生方は、子供達を。ここは私たちに任せて下さい」
熱い男の声も、少し震えていた。無理は無い。だがそれでも夕妃の肩を掴む腕は離れなかった。
しかしそんな彼らを突き放した夕妃。そして何かを諦めたように首を振った。羽の髪飾りが揺れる。
そして、夕妃の異能が彼らを包む。
「よく聞いて」
焔と風が大きなドームを作り出す。いや、彼らを護るシェルターと言うべきか。メラメラと燃える紅からの微弱な熱波が冷えきった彼らの体を温める。緊張した筋肉を解してゆく。
「私自身もこんな突然のことに驚いてる……いや、私はそれどころじゃない。正気だと思わないで欲しい。でもすべきことは見えてる。彼らに立ち向かい、一人でも多く生還すること」
「そいつを差し出せばいいんじゃないのかよ……!」
遮った声は、夕妃の後方から聞こえた。男子生徒がこだまを指さしている。そしてその一声は他の生徒らの本音の波を防波堤の内側へと引き込んだ。荒れ狂ったように飛び交う『助かりたい』という『欲』はこだまを雁字搦めにしていく。
こだまの迷いを鬼の思惑通りに誘導していく。ついにその波は一部の教員にまで広がり……彼女を護ろうと囲んだ千鶴や達哉、神威への冷たい視線へと変貌した。
然し、味方はいた。
厚い胸板を膨らませ、外の彼らにも聞こえてしまうような轟音の叱咤が彼らを鎮めた。
「夕妃先生が、よく聞けと、言ってるだろぉがァあぁああああ!」
ピタリと止む、ざわめき。
顔を赤くした彼はその拳を高く突き上げる。
「あんなヤツらに臆してどうするんだァァァァァ! 確かに、一人はうちの生徒だ。だがな、やっていいことと悪いことがある。それを正すのが我々教師のするべき事だろうがァ! 生徒を盾に逃げ仰すなど言語道断ッ! そして、傍観者も同罪! 今、教師が立ち向かわず誰が生徒を守るッ!」
大きな身振り手振りはいつもと同じ。教師に、生徒に向かう姿勢も、言葉も。佐和山耀太郎という男は揺るがない。ベテランという訳でもない。彼の年齢を優に上回る教員もいる。だがそんなことは関係ない。
彼の熱弁は、新たな漣を起こす。生徒も教師も。誰もが彼の言葉を肌で、心で感じた。
本城夕妃もその一人。
「佐和山先生……」
「夕妃センセ、早く何か言った方がいいんじゃないかしら? 子供たちも待ってる」
一瞬緩んだ夕妃に江口教諭がそっと声をかける。彼女の視界にたくさんの視線が飛び込んできた。
「危ない目に合わせるわけにはいかないわ。でも、アナタ達の協力があれば被害は抑えられる」
夕妃は考える。今ここにいない指揮官ならば、なんと言うだろうか。どのように自分たちを使うだろうか。
「幾つかの班に分けましょう。目的は相手を倒す事じゃない。逃げる時間を稼ぐこと。事情を知ってる内部のメンバーを三つに分けて、さらに知らないメンバーも三つに分ける。“鬼”への知識はそこで共有すること。そしてさらに特別隊としてこだまとその援護をつけるわ。彼らに対抗出来るのはきっとアナタ達しかいない」
名前は呼ばずとも、視線でわかる。そして、彼女の指示はすぐさま実行に移された。教官に叩き込まれた行動パターンに従って動くミュートロギアの面々。深く頷くのはこだま、神威、達哉。
「そして、千鶴は退路の確保よ。この学校の地下にスポット発生用の主電源があるわ。それの起動を頼みたい。教頭先生なら分かりますよね。開かずの地下倉庫を」
何かが取り憑いたかのように指示を飛ばす夕妃に異論を唱えるものは無い。壮年の白髪頭も首を縦に振った。千鶴はすぐに彼の横についた。
「発生するスポットは四箇所。屋上に一箇所、校舎裏の物置横に一箇所、そして旧館二階の踊り場。もう一つは体育館の裏。各グループそれぞれでその四箇所に散らばること。千鶴たちも一番向かいやすいところへ。いいわね!」
夕妃自身も少し驚いていた。
数分前までの肩の重荷が取り払われたように彼女の思考は生き生きと伸びをした。責任感という鋭いくちばしを持った大鷲が彼女の中で羽ばたく。
肩の痛みはもう仕方がない。幸い彼女には類まれなる異能力がある。彼女の異能力ならば、守れる。
ひとつ大きな呼吸をする。
怒りは不思議と収まっていた。荒い鼻息に振り返る。佐和山が謎のパンチングを空気に繰り出している。
「十秒後。能力を解除するわ。透視能力はいる?」
「はい! 距離詰められてます。神崎ちゃんとあの男は場所変えてない」
「先鋒隊が切り込んだら飛び道具で援護、武器がなかったらそれに必ずついていくこと!」
佐和山をはじめ、威勢の良い返答。
こだまがそのクリクリとした瞳で夕妃を見つめ、意を決したように頷く。
欠けた太陽が彼らを見下ろした。炎の壁が晴れる。
それと同時に鬼に挑む彼らを中心に爆風が放射状に噴射され、最接近の人影が背後に控える人々を巻き込みつつ吹き飛んだ。反撃の刃が追い風を受けて地面を滑る。
戸惑いはゼロではない。人を切りつけ穿つクラスメートと致命傷を受けて砂へと変わる敵影に驚かない筈ない。だが彼らは自らと仲間の『生存』を懸けて、方々へと散ってゆく。
「しずか!」
未だ光を放たない刀の鞘を共に向ける杏色。
それを見て嘲笑ったのは尊だった。
「そんな棒っ切れでどうしたいんだ? おチビさん」
そして、目にも止まらぬ速さでこだまへ肉迫を試みる。第一の鬼バリッサを思わせる様な長い爪が右手に出現する。
恵まれた体格と身体能力を鬼の力で最大限にまで引き上げた彼の身体は残像となって駆けた。静の制止さえも耳に入らない。
そんな彼の行く手を阻んだのはやはり彼女だった。
「こだまに触れさせないわよ、タケル……!」
こだまを守るように大きな草のカーテンが伸び上がり、尊が引き裂いた先には虚空しかなかった。その一瞬の隙を見逃さない鉛玉の雨。的確に関節を撃ち抜かれた巨躯はその場へと崩れた。
自動拳銃に再装填した神威はそれを見届けると再び数多の敵の中へ飛び込んでゆく。
一瞬の見極めと連携。研ぎ澄まされた戦闘感覚が彼らの行動を支配している。
驚愕に震える尊の背中に嘆息した静。忌々しげに目の前の少女を睨む。彼女はいつの間にか、こだまと正対していた事に少し驚きつつもそれを隠さんとゆったりと言葉を紡ぐ。
「タケルさん、教頭先生の姿がありません。恐らくここから逃げるための部屋か何かがあるのかもしれない。そちらを追ってください」
的を得た状況分析に舌打ちが聞こえた。短刀を片手に敵を砂に変えた赤髪の青年が鋭い目付きを向ける。
「達哉! アナタのスピードなら追いつけるわ!」
それを察したかのように夕妃が叫ぶ。
ここぞとばかりに普段の黒手袋を脱ぎ捨てた達哉は砂にまみれながら校舎の壁に飛びついた。彼の能力の強みを活かした三次元での追跡。
だが、未だに中庭には大量の鬼が犇めいている。できるだけこだまに鬼化した集団を寄せ付けないように全力を行使する神威と夕妃。
「しずかも、リャンフォンもいい人だと思ってたのに。なんで……なんで!」
「私もよくわからないけど、こだまちゃんと本城くんのせいかもね。貴方達が鬼を引き寄せた」
冷酷な言葉。
だが、そんなはずは無いと言いきれない。こだまも薄々感じていた。全ては、自分があの日祠の上に落ちたからなのではないかと。
「神崎さん、アナタいつから……!」
自らに向かってきた警官服を雷撃で砂へと変えた夕妃が口を挟む。その向こう側では神威が二体を一気に葬った。
「夕妃先生の弟があんなに仲良くしていた友を手にかけたあの時には既に」
その言葉で、夕妃はあの時の報告書を思い出す。あの日の日本は朝から土砂降りで……なのに、テントを突き破った後の空は青空が広がっていた。
そして、第二の鬼だった鈴風が砂へと姿を変えた瞬間に彼らは雨に打たれた。原因不明となっていたが今、その真相が見えた。
あの時もまた、彼らは静が創り出した【匣庭】で戦っていた。だから暁人の行方がわからなくなった。
つまり、今回もまたこの危機に瀕している学校は正規の座標を外れ……メルデスたちにこの事変を知らせる術が無い。誰かが此処を抜け出さない事には。
「アキトだって、あんなことしたくなかった! アキト泣いてたもん……!」
棘のある静の言い草はこだまを憤慨させた。ただの棒切れのままの鞘を振りかざして飛び込もうと脚に力が入る。
《こだま、落ち着いて。今やるべき事は何?》
だがそれを止めるように脳内に響いた心地よい声。鞘が熱を帯び始めたのがわかる。
終焉の鬼が起動を始めた。こだまの激情に応えるように。
《その運命を、自分で断つんでしょう》
ひとつずつボルテージをあげるように積み重なる彼女の言葉。呪詛のようにこだまの脳のシワへと刻まれてゆく。
「そうだね、リリー。私が終わらせる、お姉ちゃんが待ってるんだから……!」
そして手元の鞘が爆ぜたように光を放つ。白く闇を照らす。不気味に揺らめく残像がビリビリとした恐怖を静に、そして鬼に植え付ける。
「一番目が言っていたのはきっとそれの事ね……。いいわ、見せてあげます」
初めて少しの動揺を見せた静。今までの彼女らしからぬ引き攣った笑みを浮かべた。
彼女はリモコンのようなものを無造作にスカートのポケットから抜き出す。
「勝てないなら勝てるようにする。当たり前の事だけどとても大事、でしょう。こだまちゃんの体育は窓からよく眺めてたの。あんな速さで追いかけられたら私は逃げ切れないけど、こだまちゃんはどのくらいの速さで追いかけられれば逃げられなくなるのかな?」
彼女の独白は周囲の異音に掻き消された。その異音の正体はまた、こだまだけではない。夕妃や神威の視線をも奪う。
「は?」
神威が小さな声とともに疑問符を浮かべた。
ガシャガシャという金属音と時折甲高く響く機械音。二対のそれは黒く光る重厚な筒を携える。
何故こんなものが此処にあるのか。なぜこんなものを、静は手に入れられたのか。
それは、二丁の固定砲台。砲口の直径から見てもかなりの弾薬を詰められる高威力弾も扱える。これはもはや、ヨハネの黙示録による鬼の仕業と言うよりも、テロリスト。もしくは、軍隊。
死を恐れず、身体機能を強化された最強の歩兵を率いた一国の小隊かのよう。
彼女のセーラー服がバサバサと風に煽られる。引き千切った赤の腕章が上空へと消えて行く。
「こだまちゃんに会ったあの日から、もう準備していたの。まさか出会うとは思っていなかったけど……私たち、上手くやっていたわよね」
何かの枷が外れたように頬を引き攣らせ、喉を鳴らす静。身を捩らせ、何が面白いのか狂ったように嗤う。
「こんなの何処から持ってくるのよ……!」
夕妃の問いに彼女は答えない。そもそも視界にはもう、こだましか入っていない。発光する刀を下段に構えたこだましか。
「さぁ、始めましょうか。全ては始祖の鬼様の為に!」
□◆□
「みんなはもう出払ったようだね。僕らもそろそろ行こうか」
黒いスーツの襟を正し、杖を片手に立ち上がったメルデス。作戦の概要を説明し終えたセギもそれに続く。だが、彼が向かったのは指揮官室の扉ではなく、自身のデスクだった。
「忘れるところだったよ。これを君に渡しておく」
そう言ってセギに手渡したのは小さな封筒。薄ピンクで中身は見えない。口はしっかりと糊付けされており、裏面には彼自身のサインがあった。
「僕に万一のことがあれば、これをエルドレアに送ってほしい」
「え、エルドレア? なんでまたこんな紙で。普通に連絡を取ればいいじゃんか。同盟国なんだから」
エルドレアというのは、正式にはエルドレア公国という。ミュートロギアと密接な関わりを持つ数少ない国家だ。
セギの疑問にメルデスは首を振った。
「これはまぁ、僕の私用だったりもするんだよ。だけど、大事のものだから出来れば信頼出来る誰かを公国に飛ばして大公に直に渡してもらいたい」
「えー、そんなのを僕に渡すの? って、別にメルデスに何も無ければ問題ないんじゃないの」
不貞腐れながらそれを受け取ったセギは中を透かし見るように仰いでいた。そんな彼に申し訳なさそうな笑みを浮かべたメルデス。杖を持たない手でお願いのポーズをしてみせる。
「断らないけどさぁ」
「ありがとう。頼んだよ。あぁ、あともう一つだけ」
「え、まだあるの?」
機器を詰めた鞄にその封筒を仕舞い、歩き出したセギの肩がガクッと下がる。
「これで最後。何があってもその予定通りに進めてくれるかい?」
妙に言葉に力がこもったのをセギは聞き逃さなかった。だが、聞き返す間もなくメルデスが杖を頼りに歩き始めてしまう。彼の歩みは速い。
「メルデス……?」
「さぁ行こう。みんな待っているんだろう?」
透き通る碧眼を細め、ニッコリ微笑んで一瞬振り返ったメルデス。セギは重いカバンを肩にかけ直してそれを追った。
時刻はこだま達が餅つき大会に興じようとし始めたまさにその頃。
ほんの数人の待機係や中学生以下の子供たちを残してミュートロギアの本部から人の気配が消える。
どこか冷たくなった銀色の廊下。
挙動不審な男が何処かへ向かうのを見る目も無くなっていた。




