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過去の友、現在の友

【お詫び】大変恐縮ですが、二話前にてバリッサの発言に不十分な点が御座いましたので改稿を致しました。もし気になる方は一度戻って確認していただきますようよろしくお願い致します。

 

 酷く冷たい風が拐おうとしたブルーシート。

 赤茶けたタイルが顔を覗かせたが、小さな足がそれ以上捲れるのを阻止した。彼女が穿いている赤いワンピースの裾がヒラヒラと揺らめいた。

 凍てつく空気に覆われているというのに、素肌を見せる彼女は元気そのもの。



「しずかー! めくれちゃう!」


「ありがとう、こだまちゃん。もう暫くそうしててくれる?」



 時は朝。十時を回った辺りであろうか。だが、東に見えるはずの太陽は雲でその顔を隠している。厚い雲は所々黒い影を落とし、不穏な気配である。

 だが、この学校で行われる餅つき大会は準備が着々と進められていた。流石は私立高校。優に100人ほどが入れそうな大きなテントが少し向こうにあるグラウンドで組み立てられており、雨や雪に対策が講じられている。


 集まっているのは高等科の生徒の内、約三分の一ほど。教員も含め、300人程度が校舎内の家庭科室やグラウンド、中庭に集結していた。勿論その中には、こだま以上に季節感のない服装をした熱い男もいる。

 氷点下とまでは行かないがそれに近い気温の元で、白いタンクトップ姿。見ている方が寒気を感じそうな屈強そうな男こそ、佐和山耀太郎その人だった。



「お前達! そんなコートやジャンバーなんざ暑くないのか? 暑いに決まっているだろう! さぁ脱げ、脱いで、青春を謳歌しろよぉおおおお!」



 勿論、真面目にその言葉を聞く生徒は皆無だ。各々持ち場につき作業をこなす。



「佐和山センセ」



 不甲斐ない、不甲斐ないゾォオオオ! と叫び続ける彼の肩を叩く白い手。薄ピンクが映える、一見ナースのような服を着た場違いな女性だが、首元にはこの学校の教員であるという証明書がぶら下がっている。

 胸元の大きく空いた隙間からは、白く、それこそ今から作る餅のような弾力があり、今にもボタンがはち切れそうな程。


 ハスキーボイスが佐和山の名を呼んだ瞬間、全男子生徒の視線が彼へと向いた。いや、彼ではなくその女性の方へ。



「気合が入ってるのはよろしいですけど、ズボンのチャック開いてるわよ」


「ぬ、ヌォオオオオオオオ」



 意味不明な雄叫びを上げた彼は、顔を真っ赤にしてどこかへ飛んでゆく。クスクスという笑い声がグラウンドを伝播した。


 佐和山先生の社会の窓を指摘したこの女性は江口愛子(えぐちあいこ)。この学校の養護教諭である。

 その妖艶で性的なルックスと苗字により男子生徒だけでなく、女子生徒からも『エロ愛子』の名で通る、ある種の名物教師だ。過去は彼女が保健の授業に同席し教鞭もとったが、男子生徒があまりにも落ち着かないとの事で最近は体育教師のみで行うようになったという。



「こういう休日出勤なら何時でも大歓迎よ、神崎サン。いや、生徒会長サン」


「そう言ってくださる先生方が多くて本当に助かりました。それに、江口先生は餅米まで提供してくださって……ありがとうございます!」


「気にしなくていいわよ。私の家元々農家なの」



 彼女の姿に気づいた静が駆け寄り、一言二言、言葉を交わす。

 静の物言いはやはりしっかりしており、学校のリーダーとしての評価は非常に高いようだ。彼女の腕についた腕章もどこか誇らしげに見える。



「あらぁ、こだまちゃん。朝早いのに今日はやけに元気ね?」



 江口先生の意識の矛先がブルーシート上で置物になっているこだまへと向いた。何処か呆けていた彼女。ひっくり返りそうになる。



「へ、へへーん! 愛子先生、私、来年三年生だもんね。このくらいへっちゃら」


「まったく、都合のいい子ねぇ」



 Vサインを突き出しながらの返答に苦笑い。そう、ミュートロギア内ではレンの医務室がこだまの私物化被害に遭っているが……勿論、この学校の保健室も例外ではない。

 その点で言えばこの江口という養護教諭は担任の夕妃以上にこだまと学校で過ごしている事となろう。



「じゃあ、少し早めですけれどそろそろ男子の皆さんに臼と杵を運んでもらいましょうか。それと、家庭科室にも餅米を……」


「わたし、家庭科室……行く!」



 そのあとの行動は火を見るより明らか、かつ、迅速だった。気がつけば視界の中からこだまが消えている。近くを通りかかった男子生徒が再び風晒しの危機となったブルーシートを押さえにかかった。



「流石、早いわね」


「ええ……こだまちゃんらしいです」


「ここに来るまでに全滅なんて、しないわよね」


「そう祈りましょう」



 静かなふたりの懸念。食堂での暴挙を知らぬ生徒はこの中には居ないだろう。その一部始終を見ていた他クラスの生徒でさえも、身震いした。





「危なかったァアアアア! あ、あんなのを万一夕妃先生に見られれば……」



 人気の無い廊下。ヂイイイ……と大全開していた社会の窓を閉じた彼は、大きく息をついた。周囲を窺う。見ている生徒および同僚は居ない。



「ついでだから、校内巡回……」



 と、独りごち、階段を上り始める。しかしその目は不自然に周囲を見回していた。極寒の中で真夏のような服装の彼こそ不審だが、それを指摘するような人間も居ない。

 それは、人を探している目だった。

 そして遂に、彼は四階部分でその背中を見た。短く茶色い髪。特徴的な羽の髪飾り。フード付きのダークブラウンのジャンパーコートに身を包んでいる。佐和山の胸が高鳴った。


 だが彼女は一人ではない。()と共にいた。得体の知れない感情が佐和山を支配する。気がつけばそれを尾行するように、足音を殺していた。



「話があるわ。ちょっと来て」


「ちょうど俺もそう思ってたから良かった」



 見知らぬその男は夕妃と何かを話している。そしてそのまま、二人の姿は屋上へと続く階段へ。


 こんな事をしても何がある訳でもないのは佐和山も分かっていた。だが、ちらりと見えた夕妃の横顔が彼を突き動かした。


 案の定、二人の姿は屋上に面した扉の向こうへと消えていく。重い扉がギィ……と開き、大きな音と共にその向こう側とこちら側を遮断する。錆びたこの扉は開ければ確実にバレてしまう。向こう側を覗けないもどかしさに唇を噛み締めながらも、佐和山は身を屈め耳をそばだてた。




 灰色の空が更に近いコンクリートの屋上。強い風が夕妃の茶髪を遊ばせる。

 彼女と対峙するのはふた周りほど体格の大きい黒服の男。短く切りそろえた髪、誠実そうな眼差し。非常に清潔感のある真面目そうな男だった。

 彼の名は速水尊(はやみたける)。下で皆に指示を出していた生徒会長、神崎静の付き人兼ボディーガードであり、本城姉弟の幼馴染だった。



「どうしたのさ、夕妃ちゃん。久しぶりに会ったのにどうしてそんなにずーっと怖い顔してるんだよ」



 砕けた言葉を夕妃へ差し向ける。

 彼女はそれに応えず、転落防止用のフェンスへと歩み寄った。眼下では教え子たちがわらわらとグラウンドへ集まり、餅がつかれるのを傍観したり、音頭をとって盛り上げたり。各々が好き好きに過ごす光景が広がっていた。

 網目へかけた白い指が小さく震えた。



「ねぇ、覚えてる? ウチのお父さんの黒いラジオ」



 出し抜けな夕妃の言葉に眉をひそめた尊だったが、直ぐに「あぁ、覚えてるよ」と肯定した。



「アキトがずっと使ってたんだけどね、最近壊れたのよ」


「そりゃあ残念だなぁ。おじさんもずっと使ってたもんな」



 扉の向こうで佐和山が聞き耳を立てているとは思わないふたりは言葉を交わし続ける。そして、夕妃が意を決したように振り返った。ポケットに入れたままにしていた右手をグイと突き出し、尊を睨み付ける。



「何だよそれ」


「正真正銘のブラックボックスだったのよ。解体してみたら、こんなものが出てきたわ」



 正確には、解体をしたのは夕妃では無い。セギだ。彼女の小さな拳の中に収まりそうなそれは、何かの機械、いや、マイクロチップだった。

 彼の目が大きく見開かれた。明らかな動揺。



「私も実は、少し不審だとは思ってたのよ。高卒で機動隊上がりの貴方が……どうしてそんな数年で本庁勤めの刑事になれたのか。タケルは昔から頑張り屋だし、真面目だし、何より熱意が有るのは知ってた。でも……!」



 彼女の言葉を遮ったのは、乾いた拍手だった。顔の中央に三日月を浮かべた彼が発した。



「結局は親子。目の付け所も行動力も筋金入りだなぁ」



 そして、降参だと言うように両手をあげて見せた。



「同じ目をしてるよ、夕妃も、燦侍おじさんもさ。特に今は、()()()と同じ目だよ」


「認めるのね……! ここに収められてた資料(データ)も、音声記録も!」



 鼻が詰まったような震え声の夕妃。証拠を突きつける右手もまた何かを必死にこらえていた。

 そして、彼はトドメをさすように自供する。ゆったりと、間を持たせ。もう逃げも隠れもしないと動揺を余裕へと切り替えて。



「そうさ、燦侍おじさんを殺したのは俺だ」



 扉の向こうの佐和山は息を飲んだ。父親が居ないということも今初めて知った彼だが、夕妃からそれを奪った相手が目の前にいるということに鼓動が速くなる。

 ただ、夕妃の立場や男の出方を思えば飛び出せない。アツすぎる男でもそのくらいの分別は備えている。



理由(わけ)は夕妃が持ってる情報(それ)で間違いないよ。ただ、それは俺が困るだけじゃない。警察という組織……いや、この国家が脅かされる」


「職員の理不尽な解雇、会計情報の詐称、極めつけは犯人の改竄による違法捜査の合法化……? ふざけんじゃないわよ!」


「何で燦侍おじさんがこの情報をそこまで追っ掛けてたか、後で分かったよ。二人共異能だったんだろ? 俺傷つくなぁ、あんなに仲良かったのに教えてもらえなかったなんて」



 苦笑した彼は夕妃に背を向ける。硬い革靴の音を響かせながら反対のフェンスへと歩み寄った。そんな彼の横顔に白い光線が当たる。雲間から指す光はまるでスポットライトのようだ。



「世の中には善悪を量る天秤が存在する。だがその均衡は常に悪へと傾いている。どうしてか分かる? 世の中は既に狂ってるからだよ」



 唇を噛み締める夕妃はもう、振り返った彼の視界にはない。虚空に向かって講釈を垂れ流す。



「狂ってるのはアンタの方よ、タケル!」


「いいや違うね。正義の礎は悪だ。この矛盾した理論は真実なんだよ、夕妃ちゃん。国民を守る事が正義なら、その為に誰かが悪を重ねなければいけない。この国に限って見れば、警察という組織が正しくあるにはそれに対する()が必要なんだよ。そして、それを揺るがそうとする人間もまた()だ」



 夕妃を中心に巻き起こる風。彼女が必死で押さえ込んできた感情は今、理性という圧力の殻を突き破ろうと暴れ回っている。脳細胞の興奮が彼女の異能力へ働きかける。



「俺だって初めからこうだったわけじゃない。でも知ってしまったんだよ。この狂った構図が真の姿なんだってね。いや、少し前まではちょっと迷うこともあったなぁ……」


「その口、そろそろ閉ざさないと……私が何をしでかすか分からないわよ」


「そう焦らないでよ、夕妃ちゃん。もう、俺は迷わないよ。揺るがない真実として俺が量ったんだから」



 夕妃の忠告を一蹴するどころか、さらに煽り立てる尊。

 寧ろこの状況に悦を感じているかのように。



「さてと。夕妃ちゃんのその能力は少し厄介だって聞いてるよ? だから、俺が直々に排除しに来たってわけ。俺の上司は今や、本庁の上面だけのキャリア組(エリート)だけじゃないんだ」


「ゴチャゴチャゴチャゴチャ、煩いのよぉおおお!」



 轟と襲いかかる風。尊の左頬を掠めたそれは反対側にあるフェンスさえも切り裂いた。赤い血がスッと一筋垂れる。鎌鼬のようなそれを放った夕妃の怒りは頂点をすっかり通り越していた。それでもなお、牽制の一撃に留めようとする所が彼女である。

 だが、それを幼馴染は鼻で笑った。



「昔からほんと、夕妃もアキトもおじさんも人が良すぎるんだよね。そんな生ぬるいことしてても、俺()には、勝てない」


「いいえ、タケルは独りよ。このデータが出回ったのが分かれば上の人間は揉み消すわ。そうなれば仲間もクソもないのよ!」


「怒ると周りが見えなくなるのはアキトと一緒みたいだねぇ。空、見てみなよ?」



 彼は空を仰ぎ、長い指を夕妃の背後へと向けた。首だけをゆっくりと向ける。


 風がやんだ。そして、夕妃の表情の波も。



「嘘、そんな筈……ないわ。どうして……!」




 □◆□




「たのしぃい! お餅つきサイコー!」



 ペッタンペッタン、誰もが童心をくすぐられる奇妙な音が校舎に反射して中庭に響き渡る。

 実際に童心に返り咲いている杏色頭がその髪揺らしながら杵を振り下ろしていた。そのリズムは時に狂い、水をつけひっくり返す役目を請け負う男子生徒の額には大粒の汗が滲み出ている。

 タイミングを計り間違えれば餅の緩衝材も虚しく手の骨が粉砕されることは目に見えているからだ。


 だが、少女にはそんな彼の恐怖は分からない。さらにその状況に待ったをかける人間もいない。

 何故ならば、これが皆の食いぶちを確保するための犠牲であると理解しているからであろう。こだまが餅をつくことに専念している間に各々熱々の餅を頬張る。



「楽しそうやねぇ。こだまちゃん」


「千鶴先輩、おはようございます」



 皿に残った砂糖醤油。箸の先につけてそれをしゃぶる神威。そしてその隣に来た千鶴の視線の先にはこだまがいる。千鶴のお下げ髪が風に攫われる。彼女の手にもまた、丸められたつきたての餅。

 中庭の端、人気のない用務員室横のブロックに背を預けるふたり。



「そう言えば、あのイケメン優等生来てへんな。どないしたん」



 イケメン優等生とは勿論、菊川大輝の事である。確かに彼の姿はどこにも無い。いつもつるんでいる神威はこうして独りでぼーっとしていたし、毎度千鶴に絡んでくる栁達哉の姿も見当たらない。



「タツヤはほら、あそこでワーワー言ってる。ダイキは休み」


「休み?」


「頭痛いって、起きてこなかった」



 醤油に浸ったザラメを全て舐め終わった彼は紙皿を綺麗に畳んだ。もう満足したらしい。ポケットに無造作に突っ込んでいた手袋をはめ直した。



「最近、ダイキ調子悪そうだったから。仕方ない」


「そうかぁ。残念やな」



 静かに話す神威。つられて千鶴の口調も大人しくなる。

 その時、うっすらと光線が差し込んできた。二人はほぼ同時に天上を見上げる。晴れていた。いつの間にか。

 少し前までの分厚い雲はまるでパッと消失したように、青い空が広がっていたのだ。千鶴の赤いマフラーがパタパタと音を立てながら靡く。



「晴れてきてよかった」



 空を仰いでいた二人は焦ったように振り返る。青空に気を取られていたのか、その気配に全く気づかなかった。

 腕章を付けた静が微笑む。少し悪戯っぽさを含んだ目尻がまだ青い。

 最上級生の千鶴からしてみればまだ可愛らしい後輩だ。直接の関わりはなくても面識があるあたり、彼女はなるべくして会長になった逸材であろう。



「新しい会長さんやんな? 頑張りや」


「ええ、そのつもりです。ありがとうございます! あ、ところで、本城くんって……どこに居ますか?」



 少し控えめだが無邪気な問いに、神威はたまらずチラリと千鶴を仰いだ。千鶴も少し言葉を詰まらせている。しかし、そこは潜入(じっせん)で培ってきた経験が彼女の舌を支配した。マフラーでほんの少し口元を隠す。



「インフルエンザゆうたやんな、神威くん」



 ごく自然な口調。敵を欺くこと、真実を忍ばせるのが彼女の家業。同意を求められた神威もまた、コクリと頷いた。千鶴と静の目が合う。暫く見つめあっていたふたりだったが、残念そうに静が視線を下げた。



「この時期ですものね……」



 それだけ呟くと、彼女は立ち去ってしまった。



「何の用事だったんだろう」



 呆然とする神威の呟きに千鶴も首を傾げるにとどまる。

 立ち去る時の千鶴の視線。人を探すように左右に泳いだ。それを彼らは見逃すはずが無い。



「なんやこの天気といい、変な感じやな」


「……」



 再びコク、と顎を引いた神威。フラリとどこかへ行くのかと思えば、ごみを黒いビニール袋へと入れてすぐに戻ってきた。

 そしてまた彼はボーッと歓声が沸くブルーシートを眺める。寡黙な神威に対して、千鶴は真反対だ。彼女もしばらくは何も言わずにそれを見つめていたが、耐えかねたのか白い吐息に向かって独り言のように言葉を紡ぐ。



「そういえば、夕妃先生どこ行ったんやろ。さっきはなんか黒いスーツの男に話しかけられとったけど」


「……」


「めっちゃ驚いたような顔してはったけど、知り合いなんかな。それなりの男前やったけど、佐和山先生黙ってはらへんやろなぁ……なぁ、神威くん」



 あまりにも無反応な彼に対して早々に痺れを切らす千鶴。少しずつ語尾が大きくなっていった。だが、神威の注意は先刻とはもう違う方向(ベクトル)へと移っていた。

 どこか虚空を見つめる神威。そして、慌てたように空を仰いだ。そして大きく見開かれる黒い瞳。千鶴が再び声をかける間もなく彼は駆け出した。



「ちょ、神威くん? どうしたんよ、空に何が……あ、る」



 視線を上げた先。南に上りきる手前の空。彼女のキリリとした二重もまた大きな丸を描いた。その瞳に写るのは欠けた太陽。



「こんなん、私知らんで……! 日食やなんて!」



 一人置き去りにされた千鶴の驚愕は行き場を失う。だが確かに()()()()()()()()()()()


 この異常すぎる天体ショー。気づいているのは恐らく駆けていった神威と千鶴だけ。だが、着実に太陽からの光線が弱まっている。突然晴れた空、そしてこの不可解な日食。



「異能……それも、だいぶ強力や!」



 導かれる答えはそれしかない。それ以外で説明がつかない。だがしかし、一つ腑に落ちないのは天体の動きを操ることの出来る能力者など聞いたことがないということ。能力には個人差はあるものの効果半径がある。宇宙にまで影響を及ぼせるなど前代未聞。

 得体の知れない恐怖が千鶴を襲う。



「みろよ、あれ!」

「おいおい、今日ってそんな日だったか?」

「あの感じだと皆既日食にはならないけど」



 ざわつき始めた中庭。

 パラソルで紫外線から身を守っていた養護教諭の江口もほんの少しだけそれをずらし、異常な天空(そら)を見上げた。



「変ねえ」



 そう呟いた彼女の前を何かが横切る。それは、白いニット帽。

 あおいブルーシートに土足のまま上がった彼を止める人はいない。皆、あんぐり口を開けて歪な天体現象を目に焼き付けている。

 だがそんな中でも目の前の餅にしか注意がないこだま。杵を振り上げた彼女の腕を掴んだ神威は有無も言わせずに走り出した。



「か、カムイくん? どしたの」


「こだま先輩逃げてください。これは……罠」



 刹那。彼らの頭上、校舎の屋上から聞こえた爆発音。何かが降ってくる。そう、それは人影。巨躯とそれの首根っこを掴む華奢な女性。地面に叩きつけられる直前、神威とこだまを含む中庭にいた教師生徒が暴風に煽られた。


 その中心地。落下してきた影のひとつが叫ぶ。肩から流血する夕妃。冷や汗を浮かべている。



「逃げなさい、こだま! 狙いはアナタよ!」



 バラバラとあとから降り注ぐフェンスの破片。屋上の壊れたそれの大穴から覗き込む男の影が月に侵される太陽を背に嗤っていた。



「ゆーひ!」


「伏せて……!」



 彼女の怪我を見て駆け寄ろうとしたこだまを神威が抑え込む。先程までこだまが居た場所を高速の何かが通り過ぎた。それは対岸にいた男子生徒の頚部へと到達し、彼は絶命した。

 だが、そんな彼は虚ろな目で再び立ち上がる。


 その一部始終を見ていたのは神威らだけではない。ほかの一般生徒や教師もだった。


 どんどん薄暗くなるその空間。



「嘘やろ、なんでこのタイミングで鬼が……!」



 風に煽られ尻もちをついていた千鶴も唖然とする。大した武器は持ち合わせていない上に、ここにはミュートロギアに無関係の人があまりにも多い。



「パイセン! 無事っすか」



 黒い手袋をした手が千鶴に差し出される。赤い髪の青年が短刀を片手に彼女を守るように立っていた。



「どうなってるん……これ」


「分からないっす。ただ、なんだか気配が増えてる気がするっす」



 周囲を警戒する達哉の目つきは鋭利だ。そしてその気配は千鶴も感じ取っていた。だが、まだそれらに動きのようなものは感じない。蘇った男子生徒もまた同様。

 手を引かれ立ち上がった千鶴。夕妃に駆け寄る江口養護教諭の姿が視界の端に入る。共に降ってきた佐和山も無事そうだ。



「お越しくださった生徒の皆さん、先生方。朝早くからご苦労様でした」



 艶やかな黒髪が靡く。

 凛としたその声に一同の視線が集まり、そして、一様に絶句する。いつの間にかその隣にはスーツ姿のボディーガード、速水尊の姿もある。だが彼等の注意はそこへは向いていない。

 彼女の右腕に向いていた。白く小さな手、その細い指は引き金にかけられている。

 そしてその先は、地面に伏したこだまと神威へと向かう。



「ねぇ、あれ警察じゃない?」



 何処からか女子生徒が震えた声で呟くのが聞こえた。静と尊の背後、桜のバッヂ付きの制服が並ぶ。いつの間にかそれらは中庭を囲むように静かにそこに立っていた。

 さらにその中には異国の面持ちの修道女や牧師のような格好をした男が混ざる。

 生徒達のざわめき。不安と困惑の渦。そこへメスを入れるような彼女の声。



「何も知らない方々は黙って私に従ってくれれば何も危害は加えません。私達からの条件は三つです」


「ねぇ、待って……何してるの、しずか!」



 神威の制止を振り切ったこだまが彼女達の前へと躍り出る。背後で手当を受ける夕妃も何か言っているが、彼女の耳には入らない。

 その拳は震えていた。



「条件その一。始祖の鬼(リリー)の心臓のありかを教える事」



 こだまを無視する静の視線は冷たい。聞きなれない単語にざわめきは一層大きくなる。



「条件その二。本城暁人くんを引き渡すこと。隠しても無駄です。彼を差し出してください」


「しずか!」



 金切り声にも近いこだまの叫び。なにかに取り憑かれたような静の黒い瞳がこだまを見下ろした。

 数ヶ月前にやってきた転校生のアキト。だが、成績優秀者の列に名が載っていた為知らない生徒は少ない。彼の顔を探す目線が飛び交う。どこかピリピリとした空気を孕んで。



「しずか、お餅つきは嘘だったの?」


「こだまちゃん、この期に及んでまだそんなこと言ってるの? 嘘も何も、してたじゃないお餅つき。でもそれはもうお開き」


「変やなぁ思たわ。なんでこんな時期に突然するんやって」



 睨み合う二人の間に入ったふたつの影。着崩した制服に赤い髪の達哉、そして、セーラー服を纏う黒のお下げ髪の千鶴。こだまを守るように立ちはだかった。



「それでも来てくださったんでしょう? それに突然ではないですよ。私も彼も、準備を整えてきた」



 彼女が拳銃を持たない方の腕を振り上げ、指を鳴らす。すると、周囲を取り囲む警官の格好をした人々が中心に向かって銃口を向けた。小さな悲鳴がどこからが上がる。中にはすすり泣く声もある。



「お父様を利用するのは少し気が引けましたが、これは必要悪です。日本の警察は本当に優秀。上の言うことには素直に従う。これがお父様の口癖でした。本当にその通りでしたよ」



 淡々と話す静。

 彼女の独白は続く。



「二番目がやられた時に私たちは気づいた。この力は不十分なのだと。だから私達は計画を練った」


「神崎さん、ひとつ確認するけど、後ろの男も含めて、鬼ってことでいいんすね?」



 カチャリと刃を寝かせた達哉が彼にしては珍しい落ち着いた声で尋ねる。護身用に武器を持っていたのは何も達哉だけではない。こだまの傍につく神威も拳銃2丁を懐から取り出し、千鶴もまたクナイを握り締めている。また、その他の一部生徒もまた同様に何かしらを構えた。ミュートロギア内部の人間は皆言われずともそっと体制を整えていた。


 静のふぅ……という短い嘆息。



「ええ、そうですよ。私は第四の封印を解くもの。そして彼が第三の封印を解くもの、秤を司る者ですよ」



 一同の息を呑む音が聞こえたような気がした。

 鬼が同時に二体。そしてさらにその手先に囲まれ、無関係で非力な一般人も多くいるこの状況。

 そして、得体の知れない能力による天空(そら)の異変。

 何より、ここには鬼に対抗する力を持つものが居ない。


 否、たった一人。


 白い拳の中に握りしめた黒い鞘。誰も彼女がそれを何処からか持ってくるところも出してくるところも見てはいない。だが、今確かに、彼女の手中には終焉の鬼がいる。

 希望の鞘が、ある。



「さて、最後の要求をしましょうか、お嬢様」



 後ろに控える男、尊がそっと耳打ちをする。

 静がコクリと頷いた。



「条件その三。こだま=アプリコットを差し出してください。全てをクリアすればこの箱庭から出してあげましょう。私が作った、この幻想世界から」



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