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そして、動き出す

「旭さん、ちょっといいですか」


「お?」



 間の抜けた返事で振り返った、髭面の男。慌てて頬張った胡麻煎餅のカスを後ろ手で机から払う。事務仕事中だったティナがそれを見て眉を寄せるが見て見ぬふりだ。



「なんだなんだー、輪堂ちゃん。おじさんに出来ることならなんでも聞いてあげちゃう」



 ヘラヘラといやらしい目つきで輪堂を眺め回す旭。現状のみを見ればただのエロ親父に成り下がっている。彼らが知る限りではこれが通常運転とも言えるが。

 しかし、いつもなら顔を赤くして怒り喚く輪堂が今日は大人しい。一部を青く染めた短い髪を落ち着かないように触っていた。


 今は真夜中。緊急時に備えて起きているのはティナ、旭、ダラス、輪堂だけだったが、毛布をかぶって仮眠をとっていたライラとトネリコもパチりと目を開けた。いや、初めから起きていたようなそんな表情をしている。

 必死に何かを言おうとする輪堂をじっと見つめた。



「あの、特に他意は無いのですけれど、菅谷先輩……どうされたんですか」


「ん? 出張じゃねぇの。この前ティナの奴にも同じこと聞いてただろ」



 なぁ? と同意を求められた彼は小さめの塵とりと箒を取り出している真っ最中だったが、「えぇ。二日ほど前に」と不思議そうな顔をして答える。その目線の先にはやはり輪堂が居る。


 居所の悪い輪堂。次は白い二の腕を触り始めた。基本的に暑がりの彼女は暖房の効いたこの部屋ではいつもタンクトップを着ているのだ。



「なんだよ、オレらが嘘をついてるってか? 酷いなぁ輪堂ちゃん、仲間だろ仲間。信じあわなくちゃねぇ」



 わざとらしく身振り手振りを交える旭の口ぶり。



「だ、だっておかしいじゃないですか! もう五日にもなるんですよ。あの日、此処(オフィス)に戻ったらもういなくなってましたし……メールを送っても反応が無いです。なにより、先輩のロッカーの中に出張用のキャリーが入ったままなんですよ! 手ぶらで五日も出張なんて……」


「それ、軽くストーカーって言うんじゃ……」


「それにだいたい、あのあと誰が来たのかも、何の案件だったのかも教えてくれないじゃないですか! 信じ合えてないのはどっちですか」



 あの日というのは勿論、アキトの事情聴取を行い、彼らの上司である幸下がやってきた日のこと。


 回転する座面をクルクルと回しながら彼女の熱弁を聞いている旭。正対し、ピタリと止まった彼は、必死な彼女を憐れむように鼻で笑った。

 胸ポケットに伸びた手。ライターと煙草の箱を出し、そっと咥えた先に点火した。暫く後に立ち上ったくすんだ煙。



「じゃあさ、輪堂ちゃん? オレらが対応してるあの間……留置所ン中で何してた。()()()()()()()()()()()



 息を飲んだのは輪堂だけではない。旭の斜向かいの席のトネリコや、その隣のライラも同様に目をそらす。二人には背を向けていた旭だったが、見なくとも分かっていた事だった。



「……まだまだ甘いんだよ。若気の至りって事で許してやってもいいと思ってたんだぜ。だがまぁ、この際だ。何をしてたかだけはハッキリしてもらおうか?」



 一気に凍り付く室内。ダラスが熱中するゲーム機のボタンを連打する音、ヘッドフォンからの音漏れが気になるほどに静まり返っている。空気感に似つかわしくない愉快なBGMは一層、その場の緊張を高める事となった。



「昔話を聞いていただけです」



 真顔で答えたのはいつの間にか棒付きのキャンディーを舐めていたライラだった。赤い瞳が旭を捉える。勿論この中では最も年下だが、その落ち着いた様子は誰よりも勝る。


 齢にして16歳。しかしその戦闘能力は折り紙付きで、誰もが認めた狙撃の才能を有し、その冷静さと感情の起伏の無さは迷いない引き金に繋がる。故にネメシス史上最年少で正規の職員となり得た。

 ただし、過去に関しては彼女の髪色同様に真っ白だが。



「むかーしむかしある所に、仲間に見捨てられた頭の悪いチンピラがいました。それを救い出したのは、金髪で頭のキレる聖人君子気取りの王子様でした……なぁんて話か?」



 わざと声色を変えて茶化す旭。しかしその目は笑っていなかった。黒いボサボサの髪を掻きむしりながら嘆息する。



「んで、何をどうしたいんだよ輪堂ちゃん。その話を聞いて、お前達は何がしたかった。此処を辞めたくなったか? それとも、菅谷に同情したのか。()()()に片目抉られた菅谷に」


「でも、菅谷サンもあのメルデスって男の足奪ったんやろ? おあいこやんか。せやのに何で、あんなに……」



 トネリコの発言を旭は目で遮った。それ以上喋るな、というような、そんな鋭い眼光。まるで、周囲のことなどなんでもお見通しなカメレオンのような、ギョロりとした眼差しだった。のらりくらりと動いていようと、何かあれば目にも止まらぬ速さを見せつけるだろう。



「何もお前達は分かっちゃいねぇ。奴が残した傷は菅谷の片目だけじゃねぇ……ネメシスを半分、いや、八割方壊滅させた。『ネメシスは消えなくてはならない』なんざほざきやがって」



 雑に先を潰した煙草に代わって、新たな一本を彼は取り出した。カチリとライターに火を灯し、咥えた煙草の先を炙る。ゆらりと上がった白い煙は彼の表情(かお)を隠す。灰皿に転がった残骸はフィルターが大きく潰れていた。

 重苦しい空気が彼らを蝕んでゆく。


 その時。


 事務所後方の扉の奥で、ポーンという電子音。そして、ガタガタと古い機械仕掛けのドアが開く音。鳴り響く、硬い、ブーツの足音……。



「貴様ら、出動だ。全ての元凶を叩く時が来た」



 重い扉を開け放った彼。黒い眼帯をしたその男は、菅谷雄吾。そして、その傍らをピタリとくっついて離れない奇抜な格好の幼女。

 胃が痛みそうな鋭い緊張感。輪堂たちは、あんな風に笑う菅谷を今までに見たことがなかった。あんなにも、危険を孕んだ笑顔を。



「これまでにない絶好の機会だ。舞台は用意した。ミュートロギア及び、メルデス=サングシュペリを今日、必ず……始末する!」



 □◆□



 隣の房から聞こえてくる微かな寝息。

 今何時なのか、よく分からないが眠らなければいけない時間なのは確かだ。でも、眠れない。どうしても眠れない。

 ここの所ずっとだ。

 全ては、あの話を聞いたあの日から……。


 するとその時、廊下の方から誰かが歩いてくる音がする。硬い、革靴のような音。毛布を慌てて被り寝転がった俺は息を殺して様子を窺う。

 その音はどんどん近づいてきて、俺の目の前を通り過ぎた。黒いスラックスのようなものを履いた足が見え、隣の房の前あたりでピタリと止まった。そこは、岸野の独房……。



「岸野充だね」



 その声に、俺は驚愕する。だって、その声は……。



「ぁ? 何だテメェ」


「僕は、メルデス=サングシュペリだ」



 間違いない。小声で話しているのに、その声ははっきりと聞こえた。聞きなれた、聡明かつ落ち着き払った、男にしては少し高めの声。慌てて覗き見ると金色の短い髪が見えた。そして、彼はこっちを見た。碧色の透き通った瞳と目が合う。まさか、助けに来てくれたのか……?



「メルデスさん、俺は此処に……」


「そして、そっちはレン・ミゼ・トーラスだね」



 いや、違う……俺を見たんじゃない……。恐る恐る首を回すと、俺の房だと思っているこの狭い空間の中にもう一人男がいた。銀色の、腰まで伸ばした長い髪。整った顔立ちは……今と変わらない。



「フルネームで呼ぶんじゃねぇ。お前が誰だかしらねぇが」



 Dr.レン……?

 驚くまもなく、メルデスがその二人に話しかける。



「協力してくれないか」


「ンだと? ハッ……ココ(ネメシス)参謀(ブレイン)サマがオレらにどういう要件だ? クソッタレが」



 あくまで非協力的な姿勢を崩さない岸野。吐き捨てた唾がコンクリートの床面を()ねる。振り返れば、Dr.レンも同様に不機嫌そうな顔をしているだけだった。

 長く息を漏らすメルデス。俺は不思議な感覚を覚えながらも事の次第を見守った。


 そして突然、彼は頭を下げた。深々と。良く見れば、彼は何かを抱えていた。ボストンバッグ程の大きさ。



「この通りだ。()()()()()()()()



 うっすらと明かりのあるところへ歩んだ彼の腕の中。

 そこで寝息を立てていたのは、天使だった。


 しかし彼女に翼はない。短く切りそろえた黒い髪、頭には天使の輪の代わりにうさぎの耳ようなリボン。あれは、そう……こだまだ。幼少の、こだま。



「このままだとこの娘は()()される」



 彼女を起こさないように囁く彼。メルデスのあの顔は、俺にバリッサを浄化しろと言ったあの時の顔と同じだった。



「君達をここから逃がす。そして、この娘を外に連れ出して欲しいんだ」



 だから、頼む……そう言って彼は再び頭を下げた。

 なかなか頭をあげない。恐らく、この二人の返答を待っている。



「テメェはどうするつもりだ」


「どんな罰にも耐えるさ。兎に角、この娘がここにいてはいけないんだ。絶対に」



 相変わらず、と言っていいのか。詳細には口を閉ざしつつも、彼の決意のこもった言葉は力強かった。鍵のかかっていない鉄格子の中から、Dr.レンがその長身を身を屈めて外へと出した。首をポキポキと鳴らす。勿論白衣など着ているわけもなく、質素なジーンズにダークグレーのシャツという格好。掻き上げた白銀の髪がふわりと踊る。



「……チッ」



 舌打ちをしながらも、岸野もまた房から出てくる。腕にはあの黒い手錠。

 それを見て微笑んだメルデスは鍵でそれを外してやった。自由を取り戻す岸野。


 さらにメルデスは、二人に何か合図した。ポケットを探らせる。暗い中だったが、そこから左右ひとつずつ出てきたそれらはぎらりと不気味に光る。



「押収品の中から見繕ってきたんだ。いざという時は使ってくれ」



 それだけ言うと、スタスタと出口に向かって歩き出すメルデス。岸野とDr.レンは暫く手元を見つめていたが、すぐにメルデスの後を追う。扉を出ていこうとしたところを岸野が肩を掴んで制止した。



「ンな事は分かってんだよ、バカにしてんのか? それより、此処をどうやってズラかるつもりだ」


「兎に角、急いでここを出ないと……僕も被害は最小限にしたい」


「にしても、作戦ってものがあるんじゃねぇのかって訊いてンだよ」



 明らかに、メルデスは焦っている。なにかに怯えているかのように。



「……此処は警視庁の庁舎の地下、それも最深部に近い。僕の知り得た情報によれば、岸野充、君の能力は横方向には強いが上下には弱いんじゃないかい? だから、今から上へと登る。勿論エレベーターなんかは使えないから階段だ」



 拒否する声はない。肯定と受け取った彼は、意を決してその扉を開けた。開けた先はコンクリートのほの暗い空間。人の気配はない。駆け出したメルデスをガラの悪い男と銀髪の男が追いかける。

 三人分の足音がバラバラと響いた。



「なあ、一つ聞くぞ」



 メルデスに並走したのはDr.レンだった。

 対して、メルデスは「話せる事なら」と了承する。



「何故、俺らなんだ」


「そりゃあ、空間移動(テレポート)で機動力を確保して、君の姉にあたる人物を頼ろうって魂胆だよ。気を悪くしたかな?」



 少し息を切らしながらも、メルデスは少し口角を上げて見せた。

 突き当たりまで走り抜けた三人は非常口のマークのついた扉から金属製の螺旋階段へと躍り出る。目がくらんでしまうほど長く長く続いたそれに、一瞬足が止まる。壁には【B18F】の文字。



「あれは、()だ。二度と間違えんな。それに、あの名前もほぼ偽名だからな。……でもって、そういう話をしたいんじゃねぇよ。俺たちが掌返すとは思わねぇのかって聞いてるんだ」



 階段の手すりに手をかけた岸野と目が合った。

 どれほど見つめあっていたか分からないが、その沈黙を破ったのはメルデスだった。



「勿論……そういう時の為の対策も講じてるさ? だけど、君らも僕が居なければ此処からは逃げられないのが分かってるんじゃないのかい。この迷宮(ラビリンス)と化したネメシスの本部から」



 不敵に微笑むメルデス。まるで、彼らを試すように。



「フン、メルデスつったな。テメェ、気に入った」



 一度踏みかけたステップを引き返した彼は、こだまを抱えたままのメルデスに詰め寄った。黒いスーツの襟を掴む。ぐいと顔を近づけた。



「一方的に利用されるんなら御免だが、利用し合うってのは悪くねぇ。そうだろ、ヤブ医者」


「何だと、誰がヤブ医者だ」


「やめてくれ、二人とも。警報システムのダミーがあと三分で落ちる。急いでくれないか」



 俺にとっては既視感のある光景に安堵したのも束の間だった。途方もなく続く螺旋階段へと彼らは踏み込んだ。狭い縦穴に甲高い音が反響する。

 何処までも共鳴する。本当に終わりはあるのか、そう思いかけた矢先……先頭を駆けるメルデスがピタリと足を止めた。



「……菅谷、やっぱり君か」



 誰もいない空間に向かいその名を呟いた、刹那の後。

 爆風が吹き荒れ彼らを襲う。小さく身を屈めたメルデスが腕の中の小さな身体を守る。深い眠りに落ちているのか、彼女の寝顔は穏やかだ。


 活力を削ぐような、強烈な熱線がジリジリと肌を焼く。

 赤く燃えるコンクリートの破片が階下へと転がり落ちていく。



 漆黒のコートの彼の姿は、丁度目指していた階の踊り場にあった。焦げ茶のくせ毛をワックスで固めたハードな髪型。凛々しい瞳は顔の両側にきちんとついている。

 よろよろと立ち上がったメルデス。突然のことに肝を抜かれていたDr.レンや、瓦礫が側頭部を掠り流血する岸野もその突如現れた男をじっと睨みつける。



「メルデス……何を、しているんだ」


「囚人の移送中って言ったら、見逃してくれるのかな? 菅谷くん」



 驚きを隠せないのは菅谷も同じのようだった。飄々と切り返すメルデスの額にも大粒の汗が浮かぶ。



「話を。話を聞いてくれ、菅谷」


「聞くまでもない……!」


「ネメシスに留まってちゃいけない。いや、ネメシスは消えなくてはならない。君も一緒に来ないか! 気付いているのがもし君だけならば……」


「避けやがれッ」



 その瞬間、メルデスが立っていた空間が真っ赤な炎に包まれた。だが、彼ら三人とこだまの姿は炎球を片手に携えた菅谷の背後に回り込む。非常階段の中は、太い火柱に埋め尽くされた。規則正しく並んでいた螺旋階段のステップ、金属のそれが火花を撒き散らしながらドロドロと融解していく。



「走って! まだ手はある」



 コンクリートで固められた廊下を一目散に疾走する。無論、菅谷もそれを追ってくる。黒い鞘に収められた太刀は敢えて抜刀していない。その代わり、その手にはシルバーの拳銃一丁。

 警報音がけたたましく鳴り響き、天井のスプリンクラーが作動して不自然な雨が降る。



「裏切り者に、粛清をッ」


「君と命の削りあいはしたくない……!」



 対するメルデスが手中に忍ばせていたのは武器じゃない。黒いリモコンのようなもの。彼が指に力を込めた。



「くっ……」



 菅谷が急ブレーキをかけた数センチ先に、天井が降ってきた。いや、正確には鋼鉄製の防火シャッター。悔しそうに噛み締める菅谷を尻目に、これは好機とメルデスたちは加速する。


 だが、暫く同じフロアを走っていると反対側から複数の足音が近づいて来た。脱獄の警報はメルデスの仕掛けたトラップが凌いだが、菅谷が放った火災のせいで人を起こしてしまったらしい。


 物陰に身を潜めるが、それだけでは敵を近づけるだけだ。どうするんだ、この状況。



「邪魔だ……ッ」



 Dr.レンの手中。コルト・ガバメントが火を吹いた。

 軽めの乾いた音が手近な相手を吹き飛ばす。連続して打ち続けた反動が彼の手を跳ねあげる。



「多勢に無勢だぞ。しかも、こっちは拳銃が二丁……何でこんなショボイ武器しかねぇんだよ!」



 頭を引っ込めたDr.レンが不満を口にする。



「5番ルート、7番ルートに五名と八名……今だ」



 しかし、メルデスは落ち着いていた。各々にさっきと同様、防火シャッターを下ろし、進路と退路を塞ぐ。彼の索敵能力は異能相手には無類の強さを誇る。ネメシスという異能力者だらけの状況と、この建造物の構造を知り尽くした彼ならではの戦い方だ。



「仕方ねぇ、テメェら。オレから離れんな。ワンフロアずつ持ち上げてやる。あと何階登れば水平移動に移れる高さになる?」



 指をポキポキと鳴らしながら天井を仰ぐ岸野。



「此処はB7F。あと四フロアも行けば地上との距離は15メートルって所だね」


「十分だ」



 岸野がDr.レンとメルデスの肩を持つ。そして、見ている景色が連続して反転した。


 四度目の反転……その直後だった。



 響き渡った銃声。崩れ落ちたのは、黒いスーツの男。固く冷たい床を滑るように転がる。



「う……あ」



 苦悶に歪むメガネの奥の碧い瞳。小さく呻いた彼は立ち上がることが出来ない。腰の辺りからドクドクと赤黒い血液が垂れ流され、黒い布地にシミが広がってゆく。メルデスが、撃たれた。


 だが、彼は守った。腕の中の笑顔を。

 黒く大きな瞳をキラキラと輝かせてメルデスの顔を覗き込んだこだま。怪我さえしていないものの、衝撃で目を覚ましたらしい。



「どうして汗かいてるの?」


「こだまちゃん。少し離れて、あっちのお兄さん達の方に……」


「あの人悪い人?」



 モゾモゾと彼の腕の中から這い出たこだまの小さな指が指し示す先。

 銀色の輝きを含有する、酷く冷たいそのフォルム。こっちを向いた黒い穴からは白い煙が線を引く。

 その彼の足元に山積する瓦礫の山。そしてその背後は、空洞だった。覗けば炎に包まれた下階が見える。菅谷はかなり強引な手法で上へとやってきたらしい。


 死神の足音かのように、それはゆっくり、確実に迫る。

 何故かそれは、あたかも俺が地に伏しているかのような響きを伴って……。



 □◆□



「起きろ、本城暁人」



 キィ……という錆びたような音、何人たりとも寄せ付けない鋭利な気配に飛び起きる。夢を、見ていたらしい。冷や汗をかいていた。

 岸野に聞かされたメルデスたちの過去。やけにリアルで気持ちが悪い。いや、この気持ち悪さはこだまの悪夢(ゆめ)を覗き見たあの時に似ているだろうか。



「貴様もだ、岸野充」


「ぁ?」



 黒いコートが翻った。南京錠を解いたのはあのティナという優男。俺の方には目もくれず、岸野の方に姿を消した。



「どういう風の吹き回しだ。アキトだけじゃなくオレまで解放する気にでもなったってのか? オイ、何か言えや」


「答える義理はない」



 立ち止まることなくそれだけを言い残す。その背中はなにか、焦っているようにも見えるし、どこか緊張しているようにも見えた。

 いつからそこにいたのか、ライラと呼ばれた白髪の少女が俺の手を引こうとする。赤く、そして酷く冷たい目がこっちを直視していた。

 白く細い指。強く掴めば折れてしまいそうだが、この子が……あのオルガナを破ったらしい。信じられない。



「自分で歩けるから手を離……」



 その時、彼女の指先が俺に触れる。瞳と同じくらい、指先も冷たい。ゾッとするような冷たさ。

 だが、それだけで終わりではなかった。



 《痛い》



 脳内に、電撃の如く飛び込んできた言葉。シナプスに乗ってビリビリと駆け巡る。

 彼女の、深層意識………?



「何、見ているの」


「え、いや……なんでも」



 咄嗟に腕を引いた俺だったが、目は無意識に彼女を見ていたらしい。不思議そうにこっちを見るその目はやはり冷たいが、無表情の中に、やはりまだあどけなさが見える。声だって、か細くて、少し聞き取りづらいくらいに控えめだ。


 岸野も俺同様に、ティナという男に連れられて出てきた。

 状況説明が一切ないことにキレているのか……いや、いつも通りか。あの不機嫌そうな眼差しは。


 これから何が起きるのか、全く何もわからない。



「……悪い夢の続きみてぇな展開だぜ。全くよォ」



 少し大きめの独り言は並列させられた俺にははっきりと聞き取れた。



「なんの夢ですか」



 別に、他に意味はなかった。強いて言うなら、この不安を何とか耐えようと、気を紛らわせようとしただけだった。


 岸野は、俺をチラと一瞥する。身長差のせいで睨みつけられたように感じる。



「昔の夢だ。今頃なんだってんだよ……」



 昔の夢……まさか、俺が見てたあの夢じゃなかろうか。

 でも、俺の能力は触れていないと意味が無い。それも素肌に。壁一枚隔てられた彼の夢になど潜り込めるはずがない。



「見てんじゃねぇよ。気持ち悪ィ」



 気がつけば、彼を凝視している俺がいた。

 勿論、彼から五年前の話は聞いた。でも、あんなにリアルに聞いちゃいない。メルデスに銃を渡されたことも、あんなふうな事があったことも……何より、こだまが一緒だった事も。


 まだ何か、隠してるのか。

 それともあれは、ただの俺の空想の産物なのか。



「さ、ここからは目隠ししてもらいますからね」



 視界を奪われる俺と岸野。

 視界だけじゃない、聴覚をもヘッドフォンで塞がれる。

 どこかへ移送されるらしい。



 何も見えない暗闇で俺の中の不安と疑念が渦巻いた。


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