彼の秘密と新たな敵影
「セギ! 何か分かったのかい?」
メルデスを始め、レンや夕妃、オルガナ……岸野を除いたミュートロギアの中心メンバーが顔を突き合わせる中、重い扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのはセギだった。いつもは余裕綽々、危機感のない顔の彼が珍しく目の下に隈をつくり、蒼白気味の顔に汗を浮かべている。深い緑色の髪もボサボサだ。
「うん、オルガナのお陰で岸野の行方は大体わかったよ」
「岸野は? アキトの行方はどうなのよ!」
想定以上の緊急事態に心做しか殺伐とした空気の指揮官室の中。そこで最もピリピリしていたのはこの彼女だろう。セギに食いかかったのはあの青年の姉、本城夕妃であった。彼女もまた暗い顔をし、目が少し充血している。
「大きな声出さないでくれない? 寝てないんだからさぁ」
「四の五の言ってる場合じゃないのよ! 携帯の電源も入ってないし、GPSも追い切れない! 防犯カメラにも写ってなければ目撃証言もない。絶対おかしいじゃない!」
「あー、防犯カメラはなんか色々弄った形跡があったよ。この後ちゃんと調べるから待ってよ」
「その、通りだ、ユーヒ。少しは、抑えろ」
いつになく取り乱す夕妃を宥めたのはオルガナだった。キッとオルガナを睨みつけた彼女だったが、観念したかのように長机の上に頭をぶつけた。ゴチンと明らかに痛そうな音がする。そのまま夕妃は糸の切れた操り人形のように動きを停止した。
「で、セギ。何がわかったんだよ。岸野は何処にいる。GPSが追えたのか?」
「ううん。違う。そもそも岸野の携帯は彼の部屋の中にあったんだよね。オルガナがドアを蹴破ってくれたお陰で見つけられたよ」
「ちょっと、いいかな? け……蹴破ったのかい? あのドアを」
「あぁ、その、通りだ。何か、文句が、あるか」
つい数時間前、オルガナとセギは彼の行方を突き止める手がかりになればと岸野の部屋へ向かった。だが、完全個室の彼の部屋は無論鍵がかかっていて開かなかったのだ。
金属製の重い扉ではあるが、オルガナの本気を侮ってはいけないらしい。
「いや、あれは……言ってくれれば僕の方から開けれたんだけどねぇ」
夕妃の姿に苦笑していたメルデスがさらに頬を引き攣らせ言った言葉に、部屋がしんと静まり返ってしまう。バツが悪そうなセギとオルガナ。腹いせなのか、オルガナは誰にも気づかれないようにそっとセギの左足を抓る。
「いや、いいんだ。また直せばいい……で、何がわかったのかな?」
気を取り直して訊ねるメルデス。抓られた痛みからハッと我に返ったセギは大急ぎで部屋のプロジェクターを準備し始めた。阿吽の呼吸でレンが消灯した部屋は薄暗くなり、セギのパソコンだけが煌々と青白い光を発している。
そして突然、白い布に照らされていた画面が黒くなる。電源が切れたのではない。真っ黒な画面の中に暫くすると薄ら文字が浮き出てくる。なんとも不気味なWebサイトのようだが……
「これ、裏サイトの掲示板なんだけどね。あ、裏サイトってのは麻薬とか銃の売買を取り扱ってたりするあれだよ? で、その中でもこのチャット……」
普通なら即ブラウザバックすべき所をセギはどんどん奥へと進んでゆく。そしてついに、ひとつの書き込みまで辿り着いた。周りではcocaineやマリファナなど色々な言語で物騒な言葉が並べ立てられているが、その一言だけが少し異様だった。
【Wolf head→Ivy】
赤い文字で書かれたそれはちょうど半月ほど前に書き込まれていた。涙目の夕妃と顰めっ面のオルガナが小首を傾げる。暗号のようにしか見えないが、この二人には解読するすべが全く思い浮かばない。
「狼の頭から蔦? 何よそれ。意味わかんないわよ」
「こらこらユーヒ、そうカリカリするもんじゃないよ。少なくとも僕には分かったさ。レンは兎も角として……セギもよく分かったね?」
厳しい口調の夕妃を制してメルデスは強引に話を進める。彼にはこの暗号のようなメッセージの意味を理解出来たらしい。彼の問いかけにレンは小さく頷き、セギは少し気まずそうに顎を引いた。
メモリーカードやハードディスクを弄りながら更にどんどんとサイトの深層部まで進んでいくセギは溜息をつきながら口を開いた。
「たまたま見ちゃったんだよね。ほら、岸野ってみんなに隠れてコソッとシャワーに行くじゃん? でもたまたまある日、ボクの隣のシャワールームに入ってたからさ、これは好機だしイタズラしてやろうって水をかけに行ったわけ……って、これ言っても大丈夫な話?」
武勇伝かのように嬉々として話していた彼だったが、少しメルデスの顔色を伺った。メルデスは「仕方ないだろう」というような少し渋い表情で首を縦に振る。
「じゃあ言うけど……アイツ、背中にすんげぇ刺青があるんだ。いや、背中だけじゃなくて上半身全体的に。【蔦】みたいな紋様の」
「見た目からしてあっても変じゃないわ。それがどうしたのよ」
それでもピンと来ない夕妃は相も変わらずセギに食って掛かった。しかし、もう一人……オルガナはなにか思い当たる節があったようだ。眉をピクリと上げた。
「成程……噂で、聞いた事が、ある。“銀狼会”の、若頭。【蔦乃若狼】。五年前に、姿を、消した……フッ、あの、低脳が。笑える、話だな」
「銀狼会って、や、ヤクザじゃない!」
鼻で笑ったオルガナと愕然とする夕妃。やれやれとメルデスが溜息をつく。今まで同じ釜の飯を食べていた、ある時は生命さえも預けた男の出自がそんなものであれば誰でも初めは驚くのが普通であろう。
「こんな事になってしまったからには仕方ないよ……出来るだけここだけの話にしてやってくれ。で、セギ。それ以上の情報はあるかい?」
「やだなぁ。無かったらこんなに慌てないよ。ほら、ボクら宛の……いや、メルデス宛のメッセージさ」
一同の視線が即座にスクリーンへと集まる。変わり映えの無い画面にしか見えないが、セギがEnterキーをカチリと押した瞬間、突如画面いっぱいに広がった文字列。不気味な赤い文字。
【Wolf head→Witch hunter Witch】
「【狼の頭から魔女狩り魔女】ね……もう少しマシな言葉はなかったのかなぁ」
少し不快そうに口角を上げたメルデス。頭をカリカリと掻いた。彼の次の言葉を予測したように、セギが動画を繰り出す。周囲は暗いが非常に画質がいい。そこには、白髪混じりの男と数名のガラの悪い男が映っていた。
「うん……間違いないね。場所は?」
「それがねぇ、本部の事務所にはここ数日帰ってないんだ。色んな場所を転々としてる。あ、でも……安心してよ。マーキングはもう済ませた。最近作ってた偵察機、それの試作品の被検体にさせてもらったんだ〜」
なんと仕事の早い男であろうか。メルデスやレン、オルガナは満足げに頷いた。弟のことを後回しにされたと不貞腐れる夕妃を除いては。
「で、どうする。まさかお前が出向く訳じゃないだろ、メルデス」
「時と場合によるね。ただ、多分この感じだと……僕じゃないと請け合ってもらえないと思う。なんせ、ネメシスも手をこまねいてる反社会勢力のトップなんだからね。変な小細工は効かないよ」
その言葉に、レンは明らか不服そうな顔をした。無理もないだろう。外にはネメシスを始め様々な脅威があり、現状、“銀狼会”の意図も読めない。そして何より彼の体調を誰より心配している。ここの所あまり大きく崩れていないとはいえ、何がいつ起きるか分からないのだ。
「やだなぁ、レン。そう怖い顔をしないでくれよ。先ずは視察隊を出すさ。タツヤくん、呼んでくれるかな? 控えには救護の檜口と、オルガナの裁量で狙撃手を一人つけてやってくれ」
「了解、した。A隊は、いつでも、出動れるよう、言いつけて、ある」
頼もしいオルガナの返事。すぐさま部屋を飛び出して行った。
「あ、夕妃? ちょっとさー、話あるからボクの部屋、来てくれない?」
指揮官室に暫し訪れた沈黙。それを破ったのは、機材の片付けを始めていたセギだった。深緑色の瞳がソワソワと爪を噛む夕妃をじっと見つめる。目線だけ寄越した夕妃は相変わらず不機嫌極まりない。然し、黙って頷いた。
スクリーンが天井へするすると上がり、部屋の電気がつけられる。ゾッとするほど静かに佇んでいた大時計がゴーンと鐘を鳴らして深夜二時を報せた。
PCを抱えたセギに続いて部屋をあとにした夕妃。その背中をメルデスとレンが見送った。話すことが無いのか、それとも何か気まずいことでも両者、黙りしている。
二人の間の空間には、確かに後者の空気が淀みを作っているように感じられる。キャスター付きの椅子に座ったレンが背もたれに体重をかけ、ギシギシと音を立てる。故意ではないにしても、二人きりの静かな部屋には大きく響く。
「……誰か来た」
「あ?」
メルデスが目を閉じたままポツリと呟いた。足音すらも聞こえなかったのに、五秒ほどすると扉を叩く硬い音が聞こえた。タツヤやオルガナでは無い。彼はそう直感する。
返事を待たずして重い扉がギッ……と開いた。
「なんでこんな時間に起きてるんだよ、こだま。ガキは寝てろ」
「レン、何も言わなくていいよ。彼女はこだまだけど、こだまじゃない。そうだろう?」
何処かいつもと異なるこだまだということは、レンも薄々気づいていた。括ってはいないものの、腰より少し高いくらいまである杏色の髪やクリクリとした丸い瞳、華奢な身体……それらは正しくこだまだ。だが、何か違うものを孕んでいる、そんな空気を纏っている。
フリース素材のゆったりとした寝巻きに身を包み、底冷えしそうな無機質な廊下を歩いてきたであろう足は素足だった。
一言も発することなく、ニッコリと微笑みながら歩み寄ってきた彼女に思わず身構えたレン。何も言わずにメルデスに向かい合って腰を下ろす。こだまと顔を突き合わせるメルデスもまた少し緊張の面持ちだった。
「そんなに怖い顔しないでください。あの子に伝えて貴方達に報せるよりもいいかと思ったのです。今頃こだまは夢の中……御気に触りましたか」
彼女は目を細め、そして、鈴が鳴るような声──彼等が聞き慣れたこだまの声でメルデスに訊ねる。だが、その口調も表情もが不自然で、まるで模造品だった。
「あまりいい気はしないよ。手っ取り早い、と言うよりは……コレが可能になっただけ、違うかい? 終焉の鬼、リリー。話を聞くところに拠れば……クレイスにも乗り移ったらしいね」
「ええ、前者はもとより、後者もまた否定しませんよ。でもそれは貴方も想定していた若しくは、知っていたでしょう? それでも貴方はあの子と私を引き合わせた。違いますか」
彼の質問に答えつつ、さらに質問を投げ返した。いつもと全く違うこだまの口調や言い回し。リリーの事をある程度は聞かされているレンだったが、やはり違和感からか眉間のシワをいっそう深くさせた。メルデスは透き通るような碧眼を細め、左手でメガネをスッと上げた。
「その話は終わりにしよう。で、何を教えてくれるんだい?」
「そんなに私を信用なさっていないのなら言う必要も無いでしょう」
「信じるか信じないかはそれを聞いた上で僕が決めるよ」
あくまでも峻別の姿勢を崩さないメルデス。諦めたようにこだまの姿を借りたリリーが溜息をついた。顔にかかった杏色の髪をふわりと耳にかけ直す。
「いいでしょう。私がここに居られるのも大半は貴方のお陰ですから。単刀直入に言いましょう。遂に四番目が宿主を見つけました」
勿論、彼女が言う『四番目』というのは、第四の鬼の事である。その発言にすぐさま反応したのはレンだった。
「四だと? 三番目はどうした」
「彼女は常に、非常に用心深い……時が満ちるまでは大きな行動を起こさないでしょう。前回少々しくじったのも起因して、今はかなり大人しくなっているのでしょうね。そして恐らく、始祖もこれを把握した」
「だから最近、外が静かなのだと言いたいんだね」
腑に落ちないレンを置き去りに二人の会話は先へ先へと進んでいく。
手を顔の前で組み、口元をそっと隠すようにしたメルデス。表情を隠すためなのか、はたまた、何か考え事を並走させているのだろうか。眼鏡越しにこだまの姿をした彼女を見る目がいつになく冷たい。
「だけどね、終焉の鬼。ここで一つ疑問が生じる。君の発言からして、君は他の鬼の出現や動向などを感知できるらしいけど、それにしては行動が消極的すぎる。何かカラクリでもあるのかい?」
確かに。メルデスの疑問は的を得ている。ここまでの事が出来るのならば、手っ取り早く鬼の所在を確かめて彼らに伝えれば良い話である。そうすれば態々危険を冒してまでスパイを送り込んだりする必要が無くなる上に、計画的に行動ができる。
今回の彼女の話にしても、重要な話ではあるがそれ以上の何かを練るには不十分だろう。
クリクリとした大きな瞳を伏せた彼女。しばらく口を噤み、思案していたが、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「私は、所詮欠陥品……リリーの欠片でしかない。ただ、その大きさは違えど欠片は互いに響きあう。切り離し棄てられた欠片であっても。そして、それは決して一方的なものではなくある種の共鳴なのです」
「つまりは、通信傍受じゃなくて糸電話みたいなもんだって言いたいのか?」
霧の中から霧の中へと飛び回るかのような、不明瞭なリリーの話にレンは苛立ち紛れに口を挟んだ。少し首を傾げつつも彼女は小さく頷いた。
「わかったよ、リリー。僕が少々冷静じゃなかったみたいだね。それで、君は何を望む。この情報で、僕らにどうしてほしいんだい」
「あの青年を……彼を早く取り戻してください。鬼の準備が整う前に先手を打たねばならないのです。“歩み寄る者”が居なければ貴方達に真の意味での勝ち目はない」
やはりそう来たか、その言葉をメルデスはある程度想定済みだった。彼女が言う『青年』はもちろんの事ながら本城アキトを指す。スーツの裾を直し改まった彼は、こだまの中に居るリリーに対峙する。その顔はいつになく引き締まっていた。
頬杖をついていたレンも、リリーの何処か含みのある言い方に難色を示した。彼女が言う『真の意味での勝ち目』とは、一体何を示すのか。誰にとっての真の意味なのか。
「最善を尽くすつもりさ」
「……医者がこんな所で口挟むべきじゃねぇとは思うが、リリー。言っておく。俺たちを舐めるなよ。手のひらで転がしてるつもりならその考えは棄てた方がいい」
レンの牽制は果たして届いたのだろうか。明らかにこだまのものとはかけ離れた薄笑いを浮かべ、頭を少し傾げてみせた。否定とも取れる反応だった。かと言って肯定もしない。
「それはお互い様ですよ」
「おい、何処へ行く」
ガタ、と椅子を引き部屋を去ろうとする彼女をレンは呼び止めた。それを無視して歩みを止めない彼女の腕を咄嗟に掴む。寝間着越しに柔らかい感触が伝わる。
振り返り、あどけない顔でにっこりと微笑むこだま、その細く小さな身体がその瞬間、突然崩れ落ちた。
「っぶねぇな。電池切れ……か?」
「たぶんね。悪いけど、こだまを今夜は医務室に。念の為脳波の計測をしてやってくれないかな」
「あぁ。わかった。お前はどうする」
「そんな顔しないでくれ。オルガナ達が戻ってきて指示を出し終えたら休むよ。君ももう今日のところは休んで」
終焉の鬼の制御下から逃れたこだまは、レンの白い腕の中でスヤスヤと心地よい寝息を立てていた。穏やかな寝顔だった。それどころでは無い筈なのに、二人は相変わらずだな、と破顔した。
昔もこうして、こだまは彼らに見守られながら夢の世界を漂っていた。あの頃の面影を今と重ねても、全くぴったり一致した。
「重てぇな」
照れ隠しからか、こだまを抱え上げたレンがボソッと悪態をつく。すると、珍しくメルデスが声を立てて笑った。時は丑三つ時、そうでなくても沈みがちだった指揮官室がほんのり色づいた。
「僕らが老けたんじゃないかな、レン」
「それもあるが言うんじゃねぇ。童顔だからって調子こいてんじゃねぇぞメルデス」
「あ、言ったね? 気にしてるのに」
「お互い様だぞ。じゃ、先に失礼するからな」
笑顔のメルデスは大きくかぶりを振った。重いと言いながらも彼女を抱えたまま器用に扉を開けてレンは無機質な廊下へと出ていく。
それを見届けたメルデス。突如彼のもとに訪れたのは、凄まじい眠気。張り詰めていたはずの緊張の糸は解けた後、睡魔を手繰り寄せたらしい。オルガナが戻ってくるのを待とうかとも思ったメルデスだったが、彼も人間である。その怪物はいとも簡単に彼を無意識の領域へと誘う。車椅子に座ったままの姿勢で眠りこけてしまった。




