ヨハネの予言
「──五年前」
先程の軽そうな雰囲気が一転した。別に彼の話を信じているからではない。だか、彼は語り方が上手いのだ。空気を作るのが上手い。
俺は幾度目かの生唾を飲んだ。
「あ、ひとつ言い忘れていたよ」
「はい?」
膝カックンを食らった気分だ。この怪しすぎる英国紳士の話を聞こうと身構えていた俺はベッドから転げ落ちそうになる。
対する彼はイタズラな顔をしている。疑似餌に掛かった魚を見るような瞳だ。人を馬鹿にしやがって……!
「馬鹿にしてるんですか」
「いやぁごめんごめん。突然この話をしても君が困惑するだけかなと思ったんだ。それに、どうだい。少しは緊張が解れたんじゃないかな?」
笑顔で茶化すメルデス。軽く眼鏡を直しながら、俺の瞳を覗き込んできた。こっちの考えや気持ちなどお見通しと言いたげな口振りだ。まさか、読心系の異能か?
にしても、これで俺を和ませようとしたののは愚策だな。俺はそんなので釣られるような軽い男じゃない。
「まずは、始祖の鬼 リリーについて話さないといけない」
「始祖の、鬼?」
お、おい俺。何ノってるんだよ。オウムの様に知らない単語を聞き返してしまう。催眠にかかったように俺はこの男の次の言葉を聞こうとしていた。連れた魚を品定めする様な視線と共に、彼は口を開く。
「君は、1500年前の大災害が、本当にただの災害だったと思うかい?」
1500年前の、大災害。その言葉を聞いて俺はまたゴクリと唾を飲む。知らないはずがないだろ。
それは、俺たち人類の歩みを知る上で、避けては通れない大災害。
地震や津波が相次ぎ、世界の火山が次々に大噴火を起こした。さらに、度重なる異常気象による不作、それに伴う大飢饉。
正体不明の疫病まで蔓延し、全世界の人口のおよそ1/3しか生き残ることはできなかったという。
その頃、かなり高度な文明が栄えていたが、それらでほとんどが壊滅した。今となってはその頃の技術に追いつき、人類もその頃とほぼ同じレベルまで回復したらしい。ただ、その頃の史跡があまりにも少なすぎるため、実質、どの程度まで人類が復興できたのかは定かではないのだが。
「そういった災害が起こったことは事実だよ。でもね、あれは彼女によって起こされたものなんだ。加えて、実際はそれ以上にたくさんの事が起きていた。だから僕らはあれを"災厄"と呼んでいる」
「その、始祖の鬼とどういう関係が?」
「実のところ、彼女がそれまでどう生きてきたか、どんな人物だったのか、それは未だにわかっていないんだよ」
いろいろと調べてるんだけどね、と苦笑いするメルデス。
って、いけね。興味津々で聞いちまったじゃないか。そう、この男は信用ならないんだ。と、ひたすら自分に言い聞かせる。
「ところで、君はヨハネの黙示録って知ってるかな? アポカリプスとも呼ばれてる。イエスキリストの弟子、使徒ヨハネが世界の終末を書いたものだ」
唐突に話が変わって俺はポカンとした顔を晒してしまった。この不気味な男に。
聖書は、世界で一番発行部数の多い書籍らしいが、特に信仰心のない俺には縁のない存在だ。それは旧時代、つまり大災害のずっと前から存在していたらしいと、一応、授業で習ったことはある。
俺は出来るだけ興味がなさげであるかのように視線を下へとずらした。しかし、それでもやはりこの男はお構い無しらしい。再び口を開いて話し続ける。
「まぁ、新約聖書でも最後に書かれてるような内容だからね、あまり知らないかな。とにかく、その黙示録には七つの封印から始まる終焉が予言されてるんだよ」
「予言?」
「あぁ。使徒ヨハネは彼女によってもたらされた災厄を予言したんだ」
メルデスが言ったことをまとめるとだいたいこうだ。
1500年前、突如として現れた七つの鬼は、ヨハネが予言した七つの封印が解かれるごとに現れて、災厄をもたらした。
俺達が知っているような災害を引き起こしたが、それだけでは飽き足らず、人間に取り憑いて人々を蹂躙した。
さらに、彼らは殺した人々の骸を操り、人々に殺し合いをさせた。
随分恐ろしい話だ。まぁ、突拍子が無さすぎるし。SFパニック映画の見すぎか何かかな。ともあれば、こんなヤバい所から姉貴共々脱出するべきだ。
「ま、そんなところだね」
笑顔でそう言い切ったメルデスはふぅと一息ついた。話がやっと終わったのか。俺もふぅ、と、心の中でため息を零す。
しかしながら、俺の中で一つの疑問が生まれてしまった。そんな殺戮が続いて、人間がいなくならなかったのだろうか。災害だけでも人類にとっては大打撃だった筈。なのに……。
「その後、どうなったか気になるんじゃないかな」
「なっ……」
「まぁ、そう急かさないでくれたまえよ」
ダメだ。疑問に思ったままに出来ないこの癖は直さないといけないな。俺はそうと口にしていないにも関わらず、メルデスは少し嬉しそうにニコリと笑ってまた話し始めた。
悔しいが完全にこの男のペースだ。
「彼らの前には高度な人間の武器はほぼ歯が立たなかった。するとそこに現れたのが、異能だったんだ。当時、異能たちは今ほど人口も多くなかった上に、ほとんどが表舞台に立つことなくひっそりと暮らしていたみたいなんだけど、人類が危機に直面し、立ち上がったんだ。彼らの参戦で、人間は始祖の鬼の力を封じることに成功した。七つの鬼の魂は、始祖の鬼の封印によって散り散りになり、再び眠りについた──と言われているよ」
分かったかな? と俺の俯き気味の顔をのぞき込むメルデス。彼の説明はすこし回りくどいが、わかりやすい。だがしかし。それを信じるかどうかは俺次第だ。嘘かもしれない。とんだデタラメを吹き込まれているのかもしれないんだ。
「あぁ、ちなみに、始祖の鬼 リリーは心臓・身体・魂の三つに切り分けられて別々に封じられた。その後、僕らミュートロギアが設立されたんだ。異能による集団がね。この時、異能は英雄として讃えられたと言われている」
「はぁ」
「さ、ここからが君にとって特に重要な部分になる」
彼はやはり俺に有無を言わせないつもりらしい。すこし対抗してやるか。
「もう勿体ぶるのは止めて貰えませんか。そもそも貴方を俺は信用してない」
「勿論さ。君は大人をなんだと思ってるんだい?」
メルデスがおどけて見せる。ただの高校生如きに何を言われても動じないぞ、と言いたげだ。笑顔の裏に自信が見える。
(ほんとこの人よく分からない……てか怖い)
そんな俺の気持ちを他所に、メルデスは一つ咳払いをしてまた話し始めた。
「そう、あれはちょうど五年前―――」