L'épilogue~雨のち晴れ~
「ったく……無茶しやがって、馬鹿野郎。久々に能力まで使ったんだぞ」
「あはは、ごめんごめん」
真新しい包帯を彼の白い身体に手際良く巻きながら、何度目だろうかと言うようなセリフを吐く。言葉が乱暴なのは元来であり、今に始まったことではない。そういう彼も頬や手に擦り傷が沢山あるが、目の前の男の怪我に比べれば軽いものである。
白っぽい部屋。綺麗に整頓された室内には小さなデスクセットと本がぎっしり詰まった本棚、そしてキングサイズのベッド。VIP用の病室のようにも見えるが決定的に普通と違うのは、窓が無いことと、往診に来た医者が黒い巻紙の煙草を吸っているということだろうか。ハーブのような香りが煙と共に充満している。
「ハラハラさせやがって、メルデス」
メルデスと呼ばれた男は勿論、この大きなベッドに上体を起こして寝かされた男のことである。左胸には複雑な手術痕が生々しく残っていた。
「まぁ……マズルフラッシュが見えたからね、どうにかギリギリ避けられたんだ。あ、実は、心臓の側に撃たれても致命傷にならないポイントってのがあってさ。相手を油断させるためにもそこを敢えて撃たせるっていう技術があるんだよ? 随分前に習ったんだけど実践した事がなくて不安だったんだよね……。いやぁ、成功してよかったよかった」
嬉々として話すメルデス。
レンは溜息をついた。なんて呑気な男であろうか。すっかり顔色も良くなっているが、こうまでもあっけらかんとされると怒る気も失せるというものだろう。
「他のみんなはどうしてる? 特に、アキトくんとか」
その質問を発した瞬間、レンは口篭ってしまった。
つい数分前まで集中治療室に閉じ込められていた彼は事務的な連絡以外しか聞いておらず、ごく一部の人物としか面会も許されていなかった。だから、どうしても気になっていたのだ。第二の鬼の正体は王青藍ではなく、鈴風だった事。それにトドメをさしたのは本城暁人だった事。彼の事を一番気にかけていたあの青年が今どうしているのか。気掛かりでならない。
「本当に彼には申し訳ない事をしてしまったよ。もっと早くに僕が正しい判断を出来ていたら……彼をここまで苦しめなくて済んだかもしれない」
「そもそも大人達の仮定が間違ってたんだろ? 気に病むことはない」
「まぁね……。きっと、鬼は人じゃなくて、人の感情を巣食うのかもしれない。そう思ったよ」
あの時、彼らはバリッサの前例を元にして王青藍をマークした。だがそれは或る意味敵の作戦にまんまと乗せられてしまったとも言えるだろう。結局は誰が悪かったという訳ではなく、敵が上手だったという事。ただそれだけだった。
誰も彼を責められる筈ない。
その時。
バンッという爆竹の様な爆音に、部屋にいた彼らは揃って肩を震わせた。音がした方向を一斉に見る。重厚な木製の扉があったはずなのだが、大きく開け放たれていた。余程勢いよく開いたのだろう。蝶番が歪み、更にはドアノブが落下した。そこに立っていたのは……
「メルデスぅうううう!」
杏色の髪、白い大きなリボン。クリクリとした大きな瞳は軽く潤んでいる。そんなウサギのような少女がドアノブを握りしめたままベッドに駆け寄ってきた。そのスピードはまるで弾丸の如く。入ってきた時、レンが鍵をかけていた筈だが、そんな物は彼女の前にはただの障害物でしか無く、突然の襲来に誰も対応出来ない。
「こだま……ッ? 待って僕、服着てないッ……」
「メルデスぅ、メルデスぅううう!」
「い、一分ッ、一分待ってくれ、こだま!」
普通は年頃の女の子の方が気を遣うべきのようにも思われるが、こだまはそんなことお構い無しだ。包帯を巻いただけの裸の上半身に飛びついた。彼女なりに力加減をしつつ、温もりのあるメルデスの身体を抱きしめる。生きている。それを全身で感じた。
明らかに赤面するメルデス。耳まで赤く染まる。
「生きててよかったぁ……ホントによかった! ふぇええ」
「心配かけてごめんね」
離れようとしないので、仕方なくメルデスは彼女の頭を優しく撫でた。高校二年にもなれば父親でさえも嫌悪感を抱く年頃の筈が、相変わらずのこだまの行動には常々頭を悩まされるメルデス。だがその反面、メルデスもまたこだまに随分と目をかけているのは昔と変わらない。結局傍から見ればどっちもどっちである。
だが、流石に見るに耐えなかったのかレンが強引にこだまを引っペがしにかかった。暴れる彼女は握りしめたままのドアノブを振り回しつつ応戦するも、流石に大人の男に羽交い締めにされればなす術はない。
「ICU出てきたばっかのヤツに抱き着くな。傷口が開いてそこにバイ菌が入ったらどうする」
「だって、心配だったんだもん! なかなか会わせてもらえないし! いっぱい話さなきゃなの!」
腕をブンブンと振って抗議する様はまるで小学生程度だ。しかしこれが彼女である。頬を膨らませている姿はやはり兎のようだ。
取り敢えず近くにあったジャケットを羽織ったメルデスはこだまに向き直る。
「話って、君が鬼と戦ったって話かな?」
「それもあるんだけどね、あのね! グレンがね……って、ぇええええッ? あ、あのー、そのえっとー……」
「約束、忘れちゃったのかな?」
メルデスは笑顔だが、その声は先程よりワントーン、いや、ツートーン程低い。レンや岸野のようにガミガミ怒るよりもこうやって諭すように怒るのがこだまには効果的だと知った上での行動である。まぁそもそも、あまり声を荒げて怒るタイプの人間ではないが。
こだまはバツが悪そうに俯いている。返す言葉を探しているようだが見つからなかったらしい。縋るようにレンを見るがそれぞれから目を逸らされてしまう。
「えっとー、そのー……ごめんなさい」
「よく頑張ったね、こだま」
思ってもいなかったメルデスの言葉に目を丸くするこだま。正直、彼女もメルデスとの約束を破ってしまったことに後ろめたい気持ちを持っていた。なのに彼は叱責の言葉ではなく、彼女を褒める言葉を使った。優しい笑顔だった。
「僕が少々過保護すぎたんだ。君はもう立派に戦える。いや、むしろもう君無しではこの戦いは乗り越えられない」
一つ一つこだまの脳裏に刻まれるようにゆっくりと話す。ずり落ちそうになったジャケットをもう一度肩にかけて話を続けた。
「ただ、今回の事で完全に向こうに面が割れた。だから、こだま? 今後は周りをよく見て気を付けて行動するんだよ」
こだまは彼の言葉に目を輝かせながらウンウンと頷く。
メルデスは本城暁人に話した通り、こだまが鬼の標的になる事を誰よりも危惧していた。そして、こだまを戦いから遠ざけた。鬼の目が彼女に届かないように。だが、メルデス自身がこんな状況であり、ミュートロギアの存続すらも危ぶまれる今。終焉の鬼の加護を受ける彼女をこれ以上秘匿するのはかえって難しい。正直、終焉の鬼を信用し切れるとは断定出来ない事が気掛かりであるメルデス。だが、ICUで報告を受けた後、ひたすら考え抜いた先の苦渋の決断であった。
「わかった。あ、そろそろ行かなきゃだよ!」
部屋の時計をチラと見たこだまがそわそわし始める。レンも時計を見て納得した表情だ。メルデスもニコリと笑って頷く。
「メルデスも! わたし、ユーヒとアキト呼んでくる!」
「ん? そう言えばふたりがアジト内にいる気配がないね。呼んできておくれ」
メルデスの言葉に笑顔で応え、こだまは自ら破壊した扉から飛び出していった。その背中を見ながらレンがはて、と首を傾げる。メルデスの着替えを手伝いながらボソッと呟いた。
「こだまが『アキト』って言ってるの初めて聞いた」
「僕もさ。君がバリッサにハニートラップを仕掛けた話並に驚いたよ」
「……要らないジョークが言えないようにしてやろうか?」
「やだなぁ、これは死ぬまで治らないさ。それ迄は我慢してくれるかな?」
翠色の瞳を細めた彼の視線は何処か遠くを見つめているようだった。迫ってくる運命は避けられない。だが、彼はそれを見極めようとしていた。彼が此処に居る意味を果たす為、彼女との約束を果たす為に。あの子の笑顔を守る為に。
メルデス=サングシュペリの闘いは終わらない。
□◆□
冷たい風が目の前を吹き抜ける。周囲をぐるりと海に囲まれたこの土地。だが、磯の香りよりも土の匂いが鼻腔をくすぐる。足元には枯れ草とその隙間に生えた疎らな苔。海から吹き付ける風は冷えているが、柔らかい日差しに守られた俺たちは凍えずに済んでいる。それに此処は周りに比べて幾分か太陽に近い。小高い丘の上、寒そうな桜の木に囲まれた場所。
三人分の黒い影が北東の方角に向かって伸びている。
身を屈めた俺の視線の先には人の背中ほどの大きさの石。その下の地面は周りの土に比べてフカフカとしている。俺の両手の爪の間には黒い土が詰まっていた。
「お花、いるわよね」
俺の傍らで立っていた姉貴が同じようにしゃがんでその石を見つめる。そして、パラパラと何かを蒔いた。彼女が手をかざすと枯れた大地から青い芽が頭を出す。それはどんどんと大きくなりながら葉の数を増やし……そして、真っ白な花を咲かせた。
白い花弁が笑っているようだ。白百合の花言葉は、『純潔』『無垢』。彼らに良く似合う。
そしてその傍らには半分以上が焼け溶けた硝子細工の骸。
「ありがとう」
俺は小さな声で姉貴に感謝を述べた。彼は死んだ。Dr.レンでももう手の打ちようが無かったらしい。衰弱していく彼を俺はただただ見ているしかできなかった。
静かに手を合わせる。瞳を閉じて……。
「ここからなら見えるだろ、故郷がさ。リャンと過ごしたあの場所がさ。なぁ、風太」
石に刻まれた文字をじっと見つめながら話しかける。そう、彼等はもう戻って来ない。きっと、リャンのお母さんの所へ行ったんだ。
『王鈴風 風太 ここに眠る』
石にはそう刻まれていた。
「お前の正義が、あのボウズとライオンを救ったんじゃねェか?」
背後から微かに煙草とコロンの香りがしたかと思うと、彼もまた隣にしゃがみこんできた。左頬に大きな傷跡のある男。指に挟んだ煙草の紫煙が後方へと靡いていく。
「そうだといいですけどね……」
「少なくとも、オレ達が介入してたら状況は違ってた。きっと、お前はあのボウズを救う決断が出来なかったんじゃねェか?」
確かにそうかもしれない。もしかしたら、リャンはすぐに俺を殺していたかもしれない。彼の過去を知ることなんて無かったかもしれない。もう一度、彼の笑顔を見ることは叶わなかったかもしれない。
よくよく考えれば、彼は何度も俺に気づかせようとしていたようにも思う。猿に襲われたあの後、彼は動物を操れる姿を俺に見せた。『仇』に異様な執着のようなものを見せていた。それに気付けなかったことは悔やんで止まない。でも、彼は鬼に成りたくて成ったんじゃない。そう思う。
やっと俺は立ち上がった。前を向く。
水平線を見つめると、その向こうに陸地が見えた。黒い黒い海に隔てられた大陸。俺の手では届かない場所。彼らはきっと彼処へ帰ったんだ。
その時だった。
「あら、二人ともこんな所にどうしたの?」
姉貴が素っ頓狂な声を出す。誰かを見つけたようだが……誰だ?
「な、なんでもないですの! ただ、パーティーに皆さんいらっしゃらないからどうしたのか気になっただけですの!」
「そんな事言って、始まる前からソワソワしていましたよ? フレイアさん」
「く、クレイス姫は余計な事は慎んでくださいましっ!」
声と話し方ですぐにわかった。女の子らしい甲高い声と、少し落ち着いた透き通るような声。黒いスーツに身を包んだフレイアがクレイスの腕をペちペちと叩いている。顔が赤いな。
対してクレイスは初めて会った時同様にドレスの装いで、風が凪ぐ黄金の髪は陽の光を浴びて内側から輝いているように見える。
「なんか、久しぶりだな。夜裂。どうかした?」
「あ、貴方が引き篭もっていただけですの!」
指をビシッと俺の方に向けてキャンキャンと騒ぐ姿は小型犬みたいだ。よかったよ、相変わらずでさ。初めて会った時を彷彿とさせる物言いに少し吹き出してしまった。そんな俺を訝しげに見てくる紫色の瞳。
「ありがとな、夜裂、クレイス。あの時は助けてくれて」
「私は何もしていませんよ。終焉の鬼の力です」
クレイスがサファイアの瞳を細める。一挙一動、一言一句が大人びてるよな……。一つ下とは思えない。お姫様の貫禄、と言うやつだろうか。
対して、フレイアは喚くのをやめて俯いている。なんか、癪に障る事でも言ったかな? なんと言うか、フレイアって情緒不安定っつーか、なんつーか、感情表現が忙しいな。まぁ、もう一人思い当たる奴は居るけど。
「皆のお陰ですの。私の力じゃ、ないんですの。特に、アナタの言葉のおかげですの……」
か細い声でボソボソと言っているから聞き取りづらい。黒いスーツのジャケットの裾を押さえる手が震えている。すると、クレイスがフレイアに何か囁いた。ビクッと肩を震わせた彼女の手から何かがぽとりと落ちる。見た事のある形状……。
「ひゃっ、あのッ……これはその……」
「模擬弾じゃねェか。持ち出したのか?」
岸野が指摘した通り、模擬弾だ。もしかして、あの時のか? 雨の中手渡した後……俺の手元にも戻って来てないし、てっきりフレイアが戻してくれていると思っていたのだが。どういう風の吹き回しだろうか。大急ぎで彼女はそれを拾い上げる。
「ち、違いますの! 持ち出したのはその男ですッ。でも、その……コレのお陰で私……」
フレイアがつかつかと歩み寄ってきた。頭一つ分低いところにある彼女の顔がようやく俺の方を向いた。火照ったように赤い頬。得体の知れない緊張感が俺にまで伝染してくるみたいだ。
「アナタに助けられたのは、これで三回目ですの。だから、最後にきっちりお礼を言おうと思いましたの。ありがとうございました」
深々と下げた頭。赤毛がふわりと風で舞う。小さな背中だけど、彼女の足はしっかり地面についていた。
「俺は別に何も……」
「アナタのお陰で、引き金を引けたんですの。いつもよりもずっと軽かった。ただ真っ直ぐに、何も考えずに。それでわかりました。私の中の枷はお父様でも、お母様でも、お姉様でも、運動音痴でも無かった、わたし自身でしたの。アナタの言う通りでした」
顔を上げた彼女は握り締めた手のひらを開いてみせる。特殊な弾頭の銃弾。それ以外には何の変哲もない。それでもフレイアは大事そうにそれを手中で転がす。
「ナニナニ、私聞いてないわよアキト? フレイアになんてアドバイスしたのよ? ねぇねぇ」
「なっ、何も言ってないッ。姉貴、何ニヤついてんだよ!」
姉貴が後ろから背中をツンツンツンツンしてくる。あぁ、鬱陶しいッ! 恥ずかしいからやめろよ……。心恵さんといい、姉貴と言い……なんでそういう風に誤解するんだよッ!
フレイアまで何かさらに耳まで赤くなってるしッ!
ん? なんか既視感が……
「おぶっ」
ほらやっぱり。ビンタされました。フレイアのちっこい手が思い切り振り抜かれた。こだまに食らったのよりは断然マシだが痛いものは痛い。
「今呼んだ?」
ん? なんか、鈴がなるみたいな声がしたけど……空耳?
いや、違う。居る。いつから居たんだ。クレイスの背後からぴょこんと白いリボンが飛び出す。フレイアが子犬なら、此奴は兎。バカっぽい顔を晒しながら躍り出てくる。
そして、更なる来訪者は彼女だけでは無かった。更にその後方からのそりと現れたのは、銀髪の女。冷たい顔つきで、目は布で隠されている。その姿を見たフレイアの肩が震えた。何故か俺の背後に回り込む。盾にする気か? やめてくれ。俺もあの人には因縁が……。
「オルガナ、あんたなんの用?」
何やら姉貴も同じようだ。もともと強気な姉貴だが、こんなに棘のある口調で人に話しかけるのは珍しい。
「そう、構える、な。別に、リンチを、しに、来た、訳、では無い」
落ち着いた低めの声でゆっくりと話し始めたオルガナ。こっちに歩いてくる。縋るように岸野を見るが、目を閉じて沈黙している。あの時みたいに助けてくれないらしい。帰還命令を無視した事に腹を立てているという噂は知っていた。きっとその事だろう。
息遣いが聞こえてきそうなくらいの距離まで近づいてきた。この心臓の音は俺のモノだろうか、背後のフレイアのモノだろうか。いずれにせよ喉の乾きが止まらない。
グッと彼女の拳が突き出された。俺の顔の方へ真っ直ぐ伸びる。来るッ……。堪らず俺は目をぎゅっと閉じた。
「餞別、だ。受け取れ」
「へ?」
鈍器の如き拳は俺の顔面にめり込むことは無かった。それどころか不可解な発言。恐る恐る目を開ける。彼女の白い腕が俺の頬を掠めそうな所に寸止めされている。身長差があまり無いため彼女の顔を否応なしに直視することとなった。
「お前、では、無い。お前だ。早く、しろ」
三人称の重複使用。普通は聞き返すところだが保身の為自ら愚考せざるを得ない。恐らく前者が俺で、後者が……
「私、ですの……?」
グイッと催促をするオルガナ。フレイアは震える手を俺の肩口あたりから差し出した。チャラ……という音と共に何かがフレイアの手の中に滑り落ちた。俺は文字通り身を引いて彼女の方を振り返る。彼女の掌の上で何かが光り輝いていた。
指の隙間から細長い筋が垂れ下がり、風で時折揺れる。
フレイアが顔を上げた。真っ直ぐに見つめる先には勿論オルガナが居る。二人の間を海風が駆け抜けた。オルガナが小さく頷く。
ネックレスだ。フレイアの瞳の色と同じ。紫色の輝きを内包した石。たぶん、紫水晶。
「お姉様……これは」
「餞別、だと、言った。それと……」
突然口ごもった。なんだ、それ以外にどういう経緯があるんだ。他人事だとは思うがやはり気になる。こんな鉄仮面女でも人にプレゼントとかするんだな。まぁ、こんな事を口に出したら冷たい海にぶん投げられるのは分かってるから言わないけど。
「謝罪、だ。然し、勘違い、するな。お前の、戦闘を、認めた、訳では、無い」
「……はい」
「然し、お前は、我々(ミュートロギア)に、必要な、人間、だ。覚えて、いるか。私は、過去に、こう、言った。『お前には、期待、している』と」
フレイアの表情は硬いままだ。だが、オルガナの顔を覆う布の向こうにあるであろう瞳をじっと見つめている。そして、彼女の言葉に頷いた。
そう言えば、俺もそれは聞いた。『誰かの役に立てばその時点で有能だ。お前には期待している』と言われたと。
「私は、未だ、お前に、失望、など、して、いない。だが、一つ、言いたい、のは、お前、には、お前なりの、有能で、ある、場所が、ある。私を、追うのは、もう、やめろ。今から、歩む場所に、お前の、居場所は、ある」
「お姉様……」
「ねーねー、なんか字が書いてあるよー」
この二人の雰囲気の中に割り込み乗車してきた人物が若干一名。いつの間にかフレイアの背後に回り込んでいたアプリコット色のポニーテール。流石に俺も気になるな……。どれ、見てやろう。
「ん? これ何語だ?」
美しく整形された紫水晶。オルガナからの贈り物らしく銃弾の形をしている。そして、その側面に何やら文字が彫り込まれているのだが見たことの無いアルファベットの羅列である。
『WUGHT TIFS HI』
まず読み方からわからない。英語っぽく読もうにも読みづらいから英語ではなさそうだし……。何処の言語だろうか。
多国語を喋れるフレイアなら分かるだろうという計らいなのだろう。
「お姉様、これは何語ですの?」
えっ?
フレイアでも、分からないのか? きょとんとした瞳で小首を傾げる。嘘だろ。読めないどころか何語かもわからない……とはどういう事なのだろうか。
「秘密、だ。知りた、ければ、自分で、調べろ」
そう吐き捨てる様に言い残して、オルガナは踵を返した。が、すぐに足を止めた。ほんの少しだけ振り向いて……口角を少し上げた。鉄仮面が少しだけ笑った。
「ひとつ、ヒントを、やる。その、言葉は、恐らく、私と、もう一人、しか、わから、ない。以上」
悪戯っぽく言った彼女の髪が揺れる。
彼女のヒントはヒントなのだろうか? 何かの暗号なのかもしれないという予測はつくが……。謎が深まるだけだった気がするな。
「フレイアさん、そろそろお時間ですよ」
「あ、ほんとだほんとだ。私そういえば呼びに来たんだった」
クレイスが腕時計を見てそう告げる。こだまも何かを思い出したように頭の上に豆電球光らせてるし、岸野も同じように時計を見て頷いた。見回すと姉貴もオルガナも皆頷いている。しかし俺は何のことか分からない。キョロキョロと挙動不審に顔色を伺うが全くわからない。
「あれ、もしかしてアキト知らない? クレイスとフレイアはこの後ここを出るのよ」
「何で?」
「私は外交官として、クレイス姫は……」
「此処に居るのはやはりリスクが高すぎるのです。ですから、フレイアさんと一緒に安全な国まで」
なるほど。それでフレイアはこの前みたいなチョンチョンのスカートでもウチの制服でもなく、黒いスーツなのか。無い胸を張って誇らしげにふんぞり返っている。
きっと、彼女の居場所はそこなのだろう。俺自身がふわふわと宙に浮いた状態だから断定は出来ないけど、彼女はずっと俺よりも地面に近いところを歩いてる。きっとオルガナもそれが言いたいだけだったのかもしれない。
「そっか。元気でな」
どんな表情をしていたのか、自分でも分からない。でも、目が合うとフレイアが何故かすこし寂しそうな顔をしたような気がした。そして、ポケットから小さな紙切れを取り出す。
なんだなんだ……なんか緊張するんだが。
「め、メール寄越してくれても構いませんのよッ。勉学に関しては私の方が有能ですから相手をして差し上げるということですの!」
半ば押し付けるように俺の手に紙を握らせた彼女は茹でダコのようになっている。別にそんなの頼んだ覚えは無いんだが。緊張して損したっていうか、俺は何を期待してたんだッ。
つーか、そういう上から目線な発言が良くないって言ったのに……。俺の心配を他所に彼女はクレイスの手を引いてずんずんと何処かへ行こうとする。
オルガナがその首根っこを引っ捉え、岸野が少しニヤつきながら声をかける。態とらしく紳士的なお辞儀をして手のひらを見せた。
「オイ、どこ行く気だァ? お帰りはオレにお捕まり下さい?」
「うっ、うっさいですの! この低脳ッ。手を出すのはグレンさんだけでよろしくてよ!」
「あ、ぁあんッ?」
「フレイア、よく、言った。正解、だ。さぁ、岸野、早く、飛ばせ。先方、との、約束に、遅れる」
思わずクスリと笑みが零れてしまった。こうやって、また元の鞘に収まっていくのだろうか。
《チリリリン…………チリリン》
季節外れな音色が俺の鼓膜を揺らした。冷たい風が足元の落ち葉を巻き上げて旋風を起こす。高く舞い上がった桜の枯葉が空の青へ消えてゆく。
「また、何処かで」
風鈴の音色に応えるように、誰にも聞こえないような声で呟いた。全てが終わった時、俺は何処でどうなって居るのだろうか。俺の足は地に付いているのだろうか。俺はその時笑えるのだろうか。出逢った彼らは俺の中で何になって居るのだろうか。
お前らは俺に確かな爪痕を残した。この傷はきっと癒えることは無い。折れた肋よりも痛む。でも、俺はもう逃げない。ミュートロギアと共に、少しずつ歩む。『鬼』という存在に目を背けない。この哀しみを、俺は未来に変える。
必ず始祖の鬼を封印する。もう、こんな事は繰り返させない。彼女を鞘に戻し、俺達も元いた場所に戻してみせる。
それまで、見守っててくれ。
見上げた空、輝く太陽。
それに負けない黄金の鬣の獣が辮髪の青年を乗せて横切った。そんな気がした。
……To be continued.
第二章最終話までお読み下さりありがとうございます。
本章は如何でしたでしょうか。
次話は前章に引き続きBreakTimeⅡ(登場人物紹介)をお届けいたします。




