負傷者三名、行方不明者一名
「なんだ、これ……!」
絶句した。リャンと別れてからで、良かった。
居てもたってもいられなくなって駆け出した。冷たく硬いアスファルトを蹴る。荷物は駅前のコインロッカーに預けた。
身軽になった俺はひたすら走る。
すっかり日が落ちた通りには仕事帰りのサラリーマンがトボトボと歩いているが、その間をすり抜けてすり抜けてすり抜けて……
脚を動かしながらも、メールの文面を脳内で復唱する。
【緊急(準機密事項):クレイス姫、夜裂が行方不明。尚、その場には神威、菊川、栁も居た模様。いずれとも連絡が取れない状況。所在地も不明。このメールを見た者は直ちに捜索せよ。また、鬼等に遭遇した場合に備え、帯刀、帯銃を徹底すること】
なんてこった。
もう、あの二人は帰りついている頃だと思ったのに……こんなことになっているなんて!
俺が推測するに、きっと、なにかに巻き込まれているクレイス姫を菊川はジェットコースターの上から見つけたんだ。
取り敢えず、菊川が見つめていた辺りまで走ってきてみた。
先程のオフィス街を抜けると殺風景な景色が広がる、住宅街の裏手の道に出た。
なにか遺留物のようなものが無いか……転々と配置された街灯を頼りに周囲を見回しながら慎重に歩く。
この辺は、ガキの頃たまに遊んでいた所だから、何となく空間把握ができている。人が隠れていそうな場所なんかを重点的に覗いてみるが見当たらない。
あの頃はまだ開発も完全じゃなかったおかげで人もそこそこ住んでいたし、近くには交番もあったもんだから子供たちが遊ぶのを特に止める親も居なかったが……十年も経てばこの都会はまるきりその性質を変えてしまうことが多々ある。
此処もその一つの例に過ぎない。
怪しげなバーが数件ポツリポツリと並び、いかにもな感じの事務所がその二階部分に出来ていたり……治安が悪い事で有名な地区となってしまっている。
常に周囲の気配に気を配り、あまり目立たないように、なるべく自然に歩くのを心懸けた。
でも、ほんとにこの辺であっているのだろうか。
俺の仮説が正しければ、どうしてクレイスはこんな所に来たんだ? フレイアが付いていながら、何でこんな危ない所をわざわざ……
ガタンッ
考え事の所為で、少し気が緩んでいたらしい。物音に対して鳥肌が立った。慌ててその方向を向く。
「ダイキ……?」
小さな店舗と店舗のあいだの隙間から見知った顔が現れる。
間違いない。ほんの数時間前に別れた、菊川大輝その人だ。
その表情は苦痛に歪んでいた。整った彼の顔には大きなアザや切り傷があり、制服も所々破れて汚れていた。体を壁に預けて立っているが、それがやっとの様である。
彼と目が合った。
「ダイキ……ッ!」
「アキト……あはは、ごめんよ」
安堵したような笑みを浮かべた菊川は、まるで糸の切れた操り人形かのように崩れ落ちた。
何が……何があった!
あんな状態の菊川を見て、足がすくんだ。動けなくなった。
高校生では群を抜くと言われる彼が、何故ここまで傷ついて……いるんだ。他の四人は……何処に!
やっと足が動いた。恐る恐る彼に近づく。
彼が出てきた細い隙間は奥行があるらしい。ケータイのライトで照らし出すと、足元に何かの端末だったものらしい精密機械の破片が散乱していた。それを踏み締めながら、恐る恐る奥に入る。
「神威……タツヤ!」
菊川と同様に、体の至る所に傷を負った二人が横たわっていた。
震える脚をどうにか押さえつけて側に寄る。
良かった……息をしてる。死んで無い。
「本城……アキト?」
死角から突然名前を呼ばれて、慌てて振り向く。ケータイのライトを向けると、青白い人の顔が暗闇の中に浮かんだ。俺たちと同じ臙脂色の制服、スカートから覗く細い足、緩くウェーブした赤毛のミディアムヘア。
まつげが長く、強気な心意気を孕んでいた紫の瞳は、捨てられた子犬のように絶望の色を隠せずにいた。
「夜裂……何があった」
彼女の震える手は、自らの肩を抱いていた。青くなった唇を噛み締め、俺をじっと見つめている。
そして俺は重要なことに気づく。
クレイスが居ない。どこにも居ない。
「私の、所為。私の所為ですの……」
消えてしまいそうなか細い声が、まるで呪文の様にその言葉を繰り返す。ポロポロと零れた涙が頬を伝った。
「メルデスさん、俺です。見つけました。現在位置を送るので今すぐ医療チームをお願いします。はい、怪我人が居ます」
メルデスは、「そうか、分かった。ありがとう」と言ってすぐに通話を切った。流石、用意周到な男だ。その三十秒後には人のバタバタという足音が聞こえてきた。
険しい顔の岸野とDr.レンを先頭に、路地に入ってきた大人達は慣れた手つきで意識の戻らないタツヤ達を運び出して行く。
「おい、どうなってやがる」
「分かりません。でも俺がここに来た時は、もう……」
「フレイア。説明しろ。何があった」
岸野がフレイアを詰問する。
然し、彼女は俯いたまま掠れた声で「私の所為……私が……」と呟くばかりだ。
「岸野、取り敢えず先ずはここから離れるぞ。話はそれからにしてくれ」
苛立った様子の銀髪の医者が彼を急かす。
「あぁ。処理班、あとは頼む。何人かは残ってクレイス姫を探せ。他は帰るぞ、付いてこい」
「行こう、夜裂」
俺の柄じゃないが、この際仕方ない。冷たく冷えきった彼女の肩を抱き、歩かせる。震える手も陶器のように冷たくなっていた。服に泥が付いていたりはするが、目立った傷もない。菊川達が守ってくれたのだろう。
菊川達があんなになるなんて……本当に何が起きたんだ。
鬼が現れたとは考えにくい。何故なら、そうだとしたら彼らは今頃鬼化して俺たちと一戦交える事になっただろうから。
だとすると……。考えうるのはただ一つ。リャンの父親、またはその傘下の何者か。フレイアとクレイスを襲い、クレイスを連れ去った。俺たちは一般人相手に武器を使うことを禁止されている。だから、彼らも為す術が無かった。そう考えるのが妥当だろう。
商店街の時は鬼を使ったのに……何故今回はそうしなかったかが謎だが、きっと穏便に済まさないといけない何かがあったのだろう。
嫌な予感しかしない。
大きく身震いした。
□◆□
指揮官室は慌ただしかった。捜索隊からの連絡が次々に来るも、全て「確認出来ず」というものばかり。大人達の焦りが身にしみて伝わって来る。
「おい、フレイアはまだ来やがらねぇのか」
「私が、呼びに、行こう」
ガタン、と椅子を引いたオルガナ。随分前から痺れを切らしていた。そんな彼女を呼びに行かせたら昨日の俺の二の舞のようなことが起こる気がする。それはまずいだろう。
「私、行ってくるわ。フレイア最近あまり元気なかったし、少し話をしてくる」
姉貴がオルガナを制した。岸野と何やら目配せをしている所を見ると、昨日の俺の一件は姉貴も周知の事なのだろう。敢えて俺には何も言わないけど。
メルデスの元に次々と舞い込んでくる情報と、それを一つ一つ処理していくセギさん。忙しそうな二人を尻目に俺たちは特にやることも無い。
「ところで、アキトくん」
しかし、メルデスが手を動かしながらも俺に話しかけてくる。
「昨日君が見た男は、この男じゃないかな。岸野、あの写真を」
あの写真?
すると岸野は懐から端末を取り出して画面を見せた。解像度が悪くてはっきりとは読み取れないが……それでも、この特徴。間違いない。
「そうです。でも何で……」
「テメェがあの時話さなかったのも此奴がどういう奴か知っていたからだろ。本城暁人。実は、アレよりも前から俺たちはこの男を追ってた」
「その通り。だから僕は君に無理に言わせようとはしなかったんだ。君の友人の事も岸野から聞いていたからね」
そういう、事だったのか……。突然、自分が恥ずかしくなった。顔を覆いたくなるくらいに。この複雑な胸中を知られぬように、出来るだけ真顔でいることを心掛けた。
なんだって、自分一人で被害妄想を膨らませて居たのだろうか。
突然黙りこくった俺の顔をチラリと見たメルデスだったが、新たな連絡が矢継ぎ早に入り、それどころではなくなる。
それでも口は、俺たちに向かって話し続ける。
「今朝の伝言読んだよ。君のその証言から導き出される答えが……今のこの状況、そう考えるのが妥当だね。目撃者の話を聞かないと断定は難しいけれど。それに……」
メルデスが何か言いかけようとした時、部屋の扉がゆっくりと開いて二人分の人影が現れる。
ひとつは、俺の肉親、本城夕妃のもの。
もうひとつは……
「この度は、本当に、申し訳ございませんでした……私、もう……」
「誰も君を責めてないよ、兎に角話を聞かせておくれ?」
メルデスはいつも以上に優しい言葉をかける。誰も責めていない、というのは少し語弊があるかもしれないが、メルデスが話している間は彼女も大人しくしているだろう。
俺の目の前にいるオルガナは終始、棘のようなオーラを発し続けて憤りと焦燥を滲ませていた。
「さぁ、何があったんだい? 襲撃者の特徴や、何故あの場にいたかを出来るだけ詳細に話して欲しい。あ、ユーヒ、僕のこっちの作業を少ししておいてくれないかな?」
姉貴に情報収集の仕事を引き継いだメルデスは、車椅子を操ってフレイアの側に寄った。椅子にちょこんと座った彼女はどうにか泣かないように、歯を食いしばっているように見えた。握りしめた制服のスカートがクシャリとシワになっている。
「クレイス姫が、遊園地へ行ってみたいと仰って……それで私達は電車に乗って行ったんですの。それで、しばらく駅から、歩いていたら……クレイス姫が突然走り出して……『誰かが、呼んでいる』と」
消え入りそうなか細い声だったが、その一言一句は俺の元まで聞こえていた。『誰かが、呼んでいる』……か。同じような経験がある俺としては、その正体を確かめたくなる気持ちは分かるが……。
「そしたら、突然変な輩に絡まれました。制服を着ていたので、何処かのチンピラの様でしたが、そいつ等は私たちのことをジロジロといやらしい目付きで見てきて……逃げようとしたのです。でも、そしたら……背後から別の男たちが迫って来ているのが見えて……」
「神威が止めに入ったんだね」
その言葉にフレイアは相槌を打った。そう言えば、神威も警護につかせているといつか言っていた気がする。
「でも、相手は大柄の男が十人くらい居て……鬼ではありませんでした。だから、神威も武器を使いませんでした。そしたら、神威が……。奴らは、ナイフ等の武器を持っていました。私もクレイス姫も何も出来なくって……出来ることといえば、先輩方を呼ぶことくらいでした」
成程、あの電話はフレイアからのものだったのか。しかし、銃火器専門の神威はまだしも……格闘技全般に通じている菊川やスピードに定評のあるタツヤがやられる相手なのか?
地域に蔓延るただのチンピラなんて、日頃から戦闘訓練はおろか、本物の戦地に繰り出している彼らからすれば子供のお遊戯程度じゃないのか?
俺の疑問は、俺だけのものじゃなかったらしい。無言を貫いていた岸野が口を挟む。
「ンなチンピラにのされる様な奴らじゃねぇだろ。じゃなきゃとっくに死んでる」
「私も、そう思ったのです! それに、相手の大半は大して戦闘に慣れているようには見えませんでした。でも一部の奴らは、人間離れした技で次々とその場を錯乱させたのです。跳躍力も、筋力も普通じゃ有り得ません。薬物によるドーピングか、そういう仕事をしている輩なのか……」
フレイアが嘘を言っているようには、見えない。伏せがちになった瞳に嘘はないように見える。必死で伝えようと、混乱した頭の中を無理やり言葉として紡いでいる。そういうふうに見えた。
「助けに来てくれた御三方が動かなくなって……でも、私はクレイス姫の手をずっと握り締めていました。するとフードをかぶった長身の男が、クレイス姫に手招きをして……そしたら、彼女は私の手を振り払って行ってしまった……! 私がもっと……しっかりしていれば、もっと強かったら……! 誰も傷つけずに済んだのに……クレイス姫を守れたのに……ッ」
「もう、いい、聞き飽きた。戯れ言は、充分だ」
遂に、あの女が沈黙を破ってしまった。
フレイアを責め立てる。
「私は、そもそも、お前が、警護を、する事など、反対、だった。お前は、強さを、甘く、見ている。お前は、こちら側の、才能が、無い。早く、自覚しろ。才能の、無い者に、技術を、教える、つもりなど、無い。私が、お前を、拒み続けた、理由が、分かったか」
「お姉……様」
「オルガナ、あんた、人情ってもんないわけ? なんで今のあの子にそんな事言うのよ! この際言わせて貰うけどね、暴力で解決出来ることも無いし、あんたの独断と偏見で斬り捨てていい物なんてないんだからね!」
誰よりも早く、オルガナに抗議したのは姉貴だった。デスクが割れそうな程の力で拳を突き立てる。机上の紙類が雪崩を起こし、ペン立てが倒れる。
フレイアは……黙っていた。人形のように、そこに座っている。一方的とはいえ、あんなに慕っていた相手にこんな事を言われて正気でいられる方がおかしい。自信家の彼女は相当面倒くさい存在だったが、今の彼女の方が見ていて辛い。
毅然とした態度を崩さないオルガナは、怒り狂う姉貴をチラと一瞥しただけで、表情一つ変えずに反論する。
「暫く、実践から、離れて、甘く、なったか、本城夕妃? 逆に、言わせて、貰えば、人情で、解決出来る、事など、あるのか。情は、時に、人を、惑わせ、狂わせる。生命を、奪う事だって、ある」
「あーそう! あんたが何故そんな風になったか……理解しないとは言わないわ。でも、この子達は何も知らない。あんたの考えを押し付けることだけは絶対にやめて。あんたがそう言うなら、私は最前線にだってまた出てやるわよ!」
オルガナと姉貴の間で火花が散る。姉貴らしい、真っ当な道徳思考と、オルガナの軍隊にも匹敵しうる過激思想。水と油のように溶け合うことなど有り得ないだろうな。
指揮官室の中のムードは最悪そのものだ。ひたすらデスクワークに打ち込み続けるセギさん。腕を組んでため息をつく岸野。更に気が滅入りそうだ。
「二人とも、落ち着き給えよ。内輪揉めしてる場合じゃないだろう! アキトくん、何度も済まないがフレイアを頼んでもいいかな? 君ももう部屋でおやすみ。あとは僕らに任せてくれていいから」
この状況に終止符を打てるのはやはりこの男しかいないだろう。普段より強い口調で一喝した。
「わかりました。あ、でもひとつだけ、無理なお願いと分かってはいますが……お願いしたいことがあります」
「なんだい? 聞くよ」
「リャン……その、容疑者の男の息子……彼は関係ないんです。どうか、彼の生活とかは守って欲しいんです。その代わり、ちゃんと俺が果たすべき役割は果たしますから」
オルガナが俺を睨んでいるのは横目で見えているが、構わない。俺は、姉弟なだけあって情で動く派の人間なんでね。
俺が、リャンの父親をこの手で殺めることになっても……リャンが必要以上に苦しまない方が俺も苦しくない。息子やその相棒にあんな無茶ぶりをする、暴力を振るう父親であっても、リャンにとっては家族なんだ。
まっすぐ見据えた俺の目と、メルデスの緑の瞳が交錯した。
彼はニッコリ笑う。
「勿論、最善は尽くすよ。君や彼にとって一番良い方法をね」
「ありがとうございます」
深く一礼をする。やっと、俺は此処での身の振り方がわかってきたように思う。本日二度目、フレイアの手を取った。
手を握ると今の彼女の深層意識を読んでしまいそうで怖い。だから、出来るだけ肩や腕を支えて部屋をあとにする。
俺なんかがかけてあげられる言葉は何処にも思い当たらなかった。俯いた彼女の顔ははっきり分からないが、時折ピチャリと足元に落ちる雫が今の彼女を物語っていた。大人達がひっきりなしに行き交い、それを見守る子供たちも不安そうな表情だ。
「夜裂、部屋何処だ」
出来るだけ、事務的に。彼女の傷ついた心の核に触れない様に慎重に話しかける。
「射撃室……」
「え?」
言葉は聞き取れた気がするが、信じられずに訊き直してしまう。
「お前、何言って……」
その瞬間、バッと振り返ったフレイアが俺の手を、握った。
《無能は、要らない》
──脳裏に響く声。違和感に顔を顰めた。この声は、フレイアの声じゃない。男の声だ。少し嗄れたような……でもこれは確実に、フレイアの深層意識。今までこんなことは無かったが、きっと、この言葉が彼女の深いところに枷となり、縛り付けているのだろう。
フレイアの潤んだ瞳が俺をじっと見つめる。そして、震える唇を開いた。
「話、聞いてもらえませんか」




