単独行動
「え、休み……?」
SHRでの連絡で堪らず呟いてしまった。
リャンが休みなのだそうだ。
「どうかしたのか、アキト。昨日帰ってきた時はあんなに意気揚々としてたのに起きてきたら元気ないよ?」
「いや、別に」
隣の席の菊川が心配してくれているようだが、思っていたより素っ気ない返事になってしまって少し申し訳なく思った。
リャンにだってきっと事情があるんだ。いや、若しかしたら風邪でも引いたのかもしれない。帰りにあのテントに寄ってみようか……。
──それに、リャンの親父さんに会ったら、確かめなきゃいけないことがあるしな。少なくとも、リャンをミュートロギアに関わらせたくなんかない。その為には俺が先手を打つしかないだろう。
「あ、なんか、こだまも休みみたいだし……どうしたんだろあいつ。昨日は元気そうに見えたけど」
斜め前の空席を見つめながらそんな事を言う菊川。それで俺もやっと気づいた。
こだまも、居ないじゃないか。どうせ居ても寝ているが、同じ教室である以上、顔を合わせなければならない事が億劫だった。しかし休みとあればその心配はない。少しばかり緊張が緩んだ瞬間だった。
それでも昨日の悶々とした感情のままの俺は、それ以上菊川との会話を続ける気になれなかった。勉強するわ、と一言。自分の世界に閉じこもる。
気難しい奴だと思われたってもう構わない。前の学校でもこんな風にしてた。むしろこっちの方が当たり前だった。まぁ、そのせいで変なヤツらに目をつけられてボコられたことはあったけど。
菊川はそんな俺の態度をみてもまだ心配顔だったが、何を言っても仕方ないとでも思ったのだろう。
それ以降は何も言ってこなかった。
そんなこんなで今日の俺はボッチ確定。
教室の移動の時も、昼飯の時も一人でふらり、アンティーク調の少しカビっぽい臭いのする廊下を歩いていた。
丁度、俺たちの一つ下のフロアを歩いている時だった。小さな人溜まりが出来ている事に気づく。ちらりと見えた名札の色からして、一年生だろう。女子生徒が五、六人何かを囲むようにしてトイレの前でガヤガヤとしている。
あー怖い怖い。女の社会の怖さって奴だろうな……。
何で女子はああやって群れを作んのかねぇ。
「……あ」
その輪の中心に見知った顔を見つけた。
ふんわりウェーブした赤毛。フレイアに間違いない。自称優等生だ。友達が大勢居ても変じゃな……
「何辛気臭い顔してんのよ。ガリ勉」
「なんか昨日、ヘマしたらしいじゃない? オルガナさんに随分と怒られてたよね。何しでかしたのかしら」
「まさか、クレアが休んでるのもその所為だったりするのかな」
「ほら、いつもみたいに言ってご覧なさいよ、『無能に言われたくないわ。私は有能で完璧ですから』ってね」
おいおいおいおい。とんでもない場面に遭遇しちまったらしいぞ。きっと、あの会話の感じからして内部の人間なのだろうが、フレイアの友達……では無さそうだ。フレイアはと言えば、黙って俯いたまま言葉の嵐が過ぎるのを待っているようだ。関わりたくないねぇ……。
とは言っても、アレの前を通らねば教室には戻れない。数人でそれなりに幅をとってるお陰でなかなかに通りづらいぞ……!
つーか、フレイアは俺だけじゃなくて、他の人間の前でもあんな態度なのか……。まぁ、そりゃ嫌われる訳だな。俺とは違うタイプの嫌われ者、という事だろう。
然しながら、スカートの裾を握りしめたまま俯くフレイアを見ていると何だかいたたまれない気持ちになった。解りやすく言えば“同情”と言うのだろうか。
「ちょっと、そこ通っていいか。あぁ、そう言えば。さっきスグそこで佐和山先生がスカート点検やってたぞ? 今のうちに退散しとくのが身のためだよ」
気がついた時にはもうその言葉を発した後で、スカートの短い女子生徒達は蜘蛛の子を散らす様にトイレへ引っ込んでしまっていた。
───優等生らしくスカートを膝のあたりまでちゃんと伸ばしているフレイアを除いては。
「何のつもりよ」
相変わらずの態度に、今の俺は怒りを通り越して笑いがこみ上げる。
「ば、バカにしてるならとっとと何処かへ行って下さいませっ。別に何ともないですので!」
「いや、その、クレイ……クレアは今日休みなんだな」
「……貴方まで私を責めに来たのですか」
身長差の所為で下から睨みつけられるような体勢だ。目元が腫れてるのがよく分かった。よく眠れていないようで、目の下にクマまである。
「別に? どうせレン先生が大事を取らせたってだけだろ」
普通に考えればそういう事しかありえないだろう。朝食の席でも見かけたし。まぁ、昨日の一件に深く関わる俺とかじゃないと分からないことかも知れないが。少なくとも俺は、フレイアに非は無いと思っている。
医務室での大人達の発言は些か気になるが、今はその話をするべきじゃないのは弁えてるし?
「貴方なんかに慰められるなんて、私も堕ちたものです」
不貞腐れた顔でそんな事を言われてもなぁ……。
まぁ、プライドが高いのは悪いことじゃない。それに今は彼女を冷やかす気にもなれない。
丁度その時、午後の授業の予鈴が鳴り響いた。古びたスピーカーからノイズ混じりに聞こえてきたそれを最後まで聞き終わる。
「まぁ俺は、仮にも上級生だしな。また何かあったら言ってくれてもいい。んじゃ、またな」
何も言わずに立ち去るのも気が引けて、柄にも無く早口でそんな事を言ってしまった。
暫くフレイアは元から大きい瞳をぱちくりとさせていたが、トイレからさっきの女子生徒達の声が聞こえてきて慌てて立ち去って行った。
その去り際、微かな声で
「ありがとうございました」
そんなことを言われたような気がしたが、空耳だったような気もする……。
こんな時でも廊下を走ろうとしないフレイアの背中を見送って俺もその場を後にした。
□◆□
えーっと、どっから入るんだろ、これ。
学校帰りにあの広場までやってきた俺だったが、テントの中に入るための扉が見つけられずに、かれこれ二、三周した所だった。
仕方なく近くのベンチに腰を下ろす。中から人の声もしないし、若しかしたら皆さん総出で何処かへ行っているのかも。
まだ日はある。もう少し待つことにしようかな。
水の流れるような音がして見渡すと、それは水の音じゃなくて銀杏の葉がハラハラと落ちていく音だった。先週こだまとここへ来た時はクリスマスツリー並みにもっさりしていた銀杏の木だったが、すっかり寒々しい装いをみせている。
「本城くん……?」
思いがけない声にビビってしまった。ベンチから転げ落ちる。
「だ、大丈夫ですか?」
「神崎さん……?」
スッと差し出された白い手の先。不思議そうな顔の神崎静が俺をじっと見ていた。
「大丈夫、です」
彼女の手を煩わせる訳にもいかない。自力で立ち上がって制服についた落ち葉をはらう。
にしても、何で神崎さんが此処に?
よく見たら、彼女の手には大きめの茶封筒が抱えられていてうちの学校の校章がプリントされていた。
実は俺も同じ物を持たされている。姉貴、もとい、夕妃先生からだ。今日配られたプリントなんかが入っている。
「それは?」
「ああ、もう少しでリャンフォンさんが母国へ戻られるらしくって。それで生徒会からアンケートに答えてもらったりしようと思って。ついでに先生方から書類も色々とお預かりしてきたのですよ」
流石、次期生徒会長である。スラスラと物事を順序だてて話す様子は風格とも呼べるものが漂っている。
にしても、そうか。もうすぐリャンは帰るのか……。なら一層早くリャンの父親に確認を取らないといけない。白だったなら問題ないし、万が一黒だとしても……リャンを巻き込まずに対処する術を俺が考えればいいだけの話。
「えっと、本城くんは? と、というか! 昨日は大丈夫だったのですか? あの後……」
「え、あ、その。これは今日休んでたから夕妃先生がこれ持っていけって。昨日の事は全く問題ないですよ、スグにあの後警察に保護してもらったので……」
こういう所が素直じゃないと言われる所以なのだが……癖はそんな簡単に直るものでもない。
なんせ、俺が自発的に持って行きたいと申し出たんだから。
そして、サラっと嘘をつくのが上手くなった自分に驚く。
「そうだったんですね、ホッとしました。リャンフォンくんもとても心配なさっていましたし。ところで……なんだかいらっしゃらないみたいですね?」
「そうなんだよ。もう暫く待とうかと思ってるんだけど、神崎さんは?」
俺がそういった途端何故か黙り込んでしまった。
なんか、既視感を感じる。今日はそういう日なのだろうか?
「どうかした?」
「とても厚かましいとは思うのですが……」
スッと小脇に抱えていた茶封筒を俺の前に差し出す。
「この後、習い事のヴァイオリン教室へ行かないと行けないのです。お願いしても……?」
流石、お嬢様。ヴァイオリン教室だなんて聞きなれないフレーズに戸惑いつつも差し出されたそれを丁寧に受け取る。
とても申し訳なさそうな顔の神崎さんを見ているととても責任感の強い人物だと見て取れた。
「別にいいよ。渡すだけで大丈夫なんですよね」
「えぇ。先生も中身を見ればわかると仰っていたので。ほんとに宜しいのですか?」
「別に気にしなくていいって。俺は暇ですし、此処でボーっとしてるの好きなんで」
ペコペコとお辞儀をしながら走り去っていく神崎さんを見送り、再び一人の世界へ身を委ねる。
鞄の中から黒い四角い箱を取り出す。電源を入れて銀色のアンテナを伸ばしてやると女性の声が聞こえてきた。滑舌の良いその声からして、夕方のニュースと天気予報だった。
中学生の頃から俺はこれで世の中の情報を得ていた。世の中を知ったつもりでいた。
あの頃からこの時間のアナウンサーだけは一度も変わったことがない。この声を聞けばその頃がありありと思い出されるくらいに。でも、それが紡ぐ言葉はトチ狂った偉いヤツらに捏造られた虚構だと身をもって知るハメになった。
【警察の調べによると、昨日起きた事件での死者は5名。目撃者の証言に拠ればミュートロギアの構成員とみられる数名が小動物を操って人々を襲い、更に逃走時に爆弾を爆発させた、との事です。現在、商店街は閉鎖されており復旧の目処は来月になる見込みです。夏休み明けに続き、首都界隈でのミュートロギアによるテロとみられる事件が多発しており、警察、及び国連は日本国民に向けて注意を呼びかけています。また、それについては来週水曜日、日本時間で早朝から緊急の会議が行われることが決定しています。続いては──】
(ネメシスの事についても一切触れられていない……か)
思った通りといえば思った通りだが、やはりネメシスの存在も非公開のようだ。世間界隈ではやはり彼らはタダの都市伝説の一片に過ぎず、ミュートロギアという絶対悪と人々を守る国連組織という薄っぺらな認識しか蔓延って居ないのだ。
随分と薄暗くなってきた空を見上げる。まだほんのりと赤く色付いて居るが、じきに暗くなるだろう。
明日の天気は晴れらしいが、今週末は雨が降るらしい。見上げた空にはうろこ雲。典型的な秋の気候に他ならないな。
そんなこんなでラジオをBGM代わりにしつつ、半刻程経った頃だった。
「アキト?」
流石、晩秋の夕暮れ。寒さに身を縮ませていると、背後から声が掛かった。紛れも無く、リャンの声だった。
「あ、いや。その、学校から色々と預かってて……」
ラジオの電源を慌てて切った。
しどろもどろにまた俺は何を言って……。心の中で苦笑しながら茶封筒を差し出した。見慣れた文字で『王 鈴風くん』と書かれているものと、何も書かれていないもの。
「寒いノニ、ずっとここに居たんデスか! 中に入って下サイ」
「え、いや、俺は……」
「ホラ、こんなに冷たい!」
軽く叱責されるような形になった俺は色鮮やかなテントの内側へと案内される。確かに。リャンは剃り上げているということもあるだろうけど、頭に薄めのニット帽を被り、スーパーの袋を下げた手には手袋がはめられている。
中に入る時、塩ビの臭いが鼻をついた。いや、それ以上に、外と同じくらい冷えたテントの中には色々な動物の匂いが充満していた。久しぶりに嗅いだ臭いだった。こだまとここに来て以来だ。
「ストーブ付けたノデ、此処で温まっテ!」
俺の肩を抱いて古めかしい石油ストーブの前に座らせたリャンは、手に下げていたビニール袋を持って更に奥へとひっこんでしまった。
仕方なく、火がつき始めたストーブで暖を取る。暖かい。ジリジリと肌が焼けてしまいそうな感覚もなぜか心地良い。
ざっと見たところ、簡易的な水道と調理場、そして木のテーブル以外は生活感が見当たらない。足元もスグに草だし、たまに動物の鳴き声も聞こえてくるようになった。
ん? なんか外がガヤガヤと騒がしいな……。
「我回来了~」
斜め後ろから聞こえてきた複数の足音。そして彼らの話す言葉は日本語ではない。
俺の姿を見た彼らは硬直する。俺もどうすれば良いかわからず固まってしまった。見たところ四人。男が二人と女が二人。髪型は至って俺たちとそう変わらないが、少しつり目気味の双眸などを見るに、日本の生まれではないだろう。つまりは……
「欢迎回来。他是我的朋友。アキト、この人達がこのサーカスの団員ダヨ」
奥から出てきたリャンは彼らと暫く中国語で何か会話をしていた。時折ちらちらと俺を見る他の団員の視線が少々気になったが、リャンが暫く話すと、漸く緊張の糸を解いてくれたようだ。
ただ、日本語は話せないみたいだ。それでも彼らは見知らぬ俺に興味を持ったらしい。ストーブを囲んで暖を取りつつ、リャンを介しながら色々なことを聞かれたし、自分たちが世話をする動物達の話も沢山聞いた。とてもいい人達だった。
しかし、一時間ほどそうして話していると一人がリャンにそっと耳打ちした。
リャンは少し難しい顔をしながら頷き、俺に向き直る。
「そろそろ、帰った方がいいヨ? もう外も真っ暗だし」
「あ、ああ。そうだな。なんかごめんな、これ渡すだけの筈が……」
チラリと携帯で時刻を確認すると、もうすぐで七時だった。リャンの父親を問いただす為にも、もう少し粘りたかったが……仕方ない。今日は帰るしかなさそうだ。
茶封筒をリャンに渡すという第一目標は達成出来たし、明日以降に持ち越そう。
「あのさ、最後に風太に会って行っていいか? 前、会いに来るって言ってたのにまだ会ってないからさ」
ふと思い出した。何故か脳裏にあの靡く黄金の鬣が駆け抜けたのだ。呼ばれた、そう、そんな感覚だろうか。
「勿論ダヨ! 風太もきっも喜ぶヨ」
そして、笑顔で手を振ってくれた四人にさよならを伝え、俺はテントの更に奥へと誘われる。
珍しい色の鳥、ネズミの親子。檻の中の姿さえ優美な虎。利口そうな猿。沢山の動物が見慣れない人間を興味深そうに舐め回す。逆に俺も、動物園でしかお目にかかったことのないような光景に息を呑みつつリャンの背中を追った。
そして、一番奥まったところに彼は寝そべっていた。威厳のある面持ち。しかし、リャンの姿を見た途端子猫のような優しい目になった。いとおしそうに檻の中からこちらを覗く。リャンも笑顔で駆け寄った。
「ホラ、風太。ボクの親友が会いに来てくれたヨ。アキト、もっと近づいていいんだヨ! その方が風太も喜ぶ!」
やはりこんな近くでライオンを見るなんてなかなか無い。食べられたりなんかしない、そう分かっていてもやはり少し怖気付くが、リャンに手を引っ張られ、初めて俺はライオンの鬣を触った。思ったよりも油っぽい毛だが、サラサラとしていてもしぬいぐるみか何かなら一度は抱きついてみたいようなそんな手触りだ。
リャンは風太の喉元を優しく撫でている。とても、気持ちよさそうだ。大きな猫、と形容しても過言では無いだろう。
「ほんとに、仲がいいんだな」
「初めて遭ったときモ、そう言ってたネ」
ニッコリしながらリャンが答えた。
「え、そうだっけ? 覚えてないやぁ……」
「風太はボクの家族なんデス。さっきの人達も、皆」
そう言ったリャンの目はとても優しかったが、同時になにか哀愁のようなものを感じた。──家族。そう言えば、母親の話、聞いたことないな。
その時、ゴロゴロと風太が喉を鳴らした。
「アキト、何だか元気ないデスネ」
不意を突かれて明らかに動揺したのが自分でも分かった。風太を撫でる左手がピクリと痙攣する。
これを望んで来た筈なのに、素直に「うん」と即答出来なかった。でも、やっぱり……
「いや、あの、実は……」
意を決して心の内を曝け出そうとした、その時。
さっきさよならを言ったばかりの団員の一人が焦った顔で駆け込んできた。リャンに小声で何か言った。
くるりと振り返ったリャンは、ぐいと俺の腕を引っ張る。教科書の入ったスクールバックは今入ってきた男が持っていて反対の手に握らされる。
「ど、どうした?」
「父親が帰って来た。こっちの裏から出れるヨ。さ、早く行って! 話、明日学校で聞く」
リャンも焦っているようだった。まぁ、息子を殴るような父親だ。この反応を見るからに、他の団員が俺に向けた視線の違和感はきっとこれだろう。リャンの親父の事を考えると俺は招かれざる客だったということ。
話をさせてくれ、と提案しようとしたが、もう一人の団員が走って来たのを見て一旦口を閉ざす。どうしたのだろう。リャンや先に来た一人とは違って安堵の表情である。
「他又出去了。但、但他会再回来的」
「没错。アキト、また出かけたみたいなんだけどまた何時戻ってくるか分からないカラ、今日は……」
「ああ、リャン達に迷惑かけたくないからな。今日はこの辺でお暇するよ。荷物有難うございます。谢谢」
何故だ、帰ってきた途端に出かけていくなんて……もしや、此処に俺がいるのがバレてるのか?
それとも何か外で騒動を起こすのか……?
いずれにせよ、尾行するしか無さそうだ。それに、俺としても一対一で話すにはその方がいい。リャンたちを巻き込まなくて済む。
挨拶もそこそこに荷物を担いで裏口から飛び出した。
晩秋の空はもう真っ暗だった。吐く息が白い。チカチカと瞬く星たちには目もくれずに走り出す。オリオン座がそんな俺を見下ろしていた。ケータイが鳴っているようだが構わない。
俺は、必ず……!




