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此処に居る意味

 


 白い病室。

 窓はなく、蛍光灯の光だけがその部屋を照らしている。

 消毒の匂いと、薬品の匂い。そして、微かに香る煙草の薫り。


 俺がミュートロギアで初めて目覚めた場所。

 Dr.レンの城もとい、医務室である。



「特に異常は無さそうだ」



 全ての検査を終えた彼が部屋へと入って来た。

 カルテをまじまじと眺めながら椅子へ腰掛ける。

 彼に続いて、ストレッチャーに乗せられたクレイスが運ばれて来た。まだ意識は戻っていないようだが、その表情は先程なんかよりずっと穏やかだ。


 俺もホッと胸を撫で下ろす。

 でも、異常無しってことは、やっぱり……



「何か言いたげだな」



 他の医療スタッフが部屋を出ていったのを見計らっていたのだろうか。

 深い溜息を吐きつつ、Dr.レンが言葉を投げてくる。

 ここの大人達は人の思考をすぐに読もうとする癖でもあるらしい。

 それとも俺は顔に出やすいタイプなのか……?



「身体に異常が無かったって事は“鬼”絡みの何かなんだろうなと思っただけです」


「まぁそうだろうな。コレばっかりは医者(俺)にはどうも出来ない。お前の()()()()もきっと、な」



 気づいて……たのか。

 何も言われなかったし、別に言う程の事ではないような気がしたから何も言わなかったが彼はちゃんと見ていたようだ。


 そう言ったきり、Dr.レンは資料に目を通しながら黙り込んでしまう。

 クレイスの無事も確認出来て、俺は部屋に戻ろうかとも思ったが、何故か足は動かなかった。そう、何か訊きたい事があった気がするのだ。


 カチリ、と小さな音がする。

 俺の目の前で黒い巻紙の煙草に火を付けた。

 吐息に紫煙が混ざり、それを間近で受けた俺は小さく咳き込んだ。


 だが、何故か暫くすると気持ちが落ち着いてきたような不思議な感覚に陥る。

 そして思い出した。



「レン先生は、どうしてミュートロギアに居るんですか」



 カルテを(めく)るDr.レンの手がはたと止まる。



「何でそんなこと聞きたがる」



 そう言いつつも、彼は眺めていたバインダーを棚へ戻した。そして煙草の灰をトントン、と灰皿へ落としつつ向き直る。その目は真っ直ぐ俺を見据えていた。



「元の生活が恋しくなったか?」


「いえ、そうじゃなくて……アイツ、こだまみたいに明確な目的があったりするのかなって、思っただけです。何でみんな、レン先生も含めて、此処に居るんだろうって」



 ずっと思っていた事だった。

 勿論、異能にとっては普通の生活の方が難しい事の方が多い。

 此処なら安心して異能として存在出来る、同じ悩みを持った仲間もいる。

 でもきっと、それだけじゃない。

 “鬼”との戦いを甘受する彼らの根底にはもっと違うものがあるように思うのだ。

 それは、あの晩。バリッサを(たお)したあの夜にも感じたことだ。“大切な何かを守るため”それを強く感じた。



「随分と暇な事を考えたもんだな。まぁ、俺は……恩を返すためだ」


「恩返し?」


「一人はお前も知っている奴、もう一人は多分知らねぇだろうな」



 空気を取り込んだ煙草の先端が紅く光る。

 そう言った、いや、呟いた彼は少し遠い目をしているように思った。

 俺が知っている人物……オルガナだろうか。


 俺も大きく伸びをしつつ、彼の言葉に思いを馳せる。

 ……恩返し、か。

 姉貴も、メルデスに助けられて此処に居ると言っていたもんな。

 俺だって、それも少しある。反発心はあれども、あの晩俺を此処に担ぎ込むように指示を出したメルデスや、目の前にいる彼が居なければここに無かった命なのだ。


 それは、(わきま)えているつもりだ。

 でもやはり、俺は彼等を甘んじて受け容れる事が出来ない。そこに明確な目的が無いから。

 Dr.レンの様な素晴らしい医療技術も、オルガナの様な類稀なる戦闘技術も、姉貴のような便利な能力も持ち合わせていない俺。

 よく分からない『選ばれた者』としての力とやらがある()()()

 ただそれだけで俺は此処に。



「いずれ、見つかるさ。此処にいなきゃ出来ないこと、いや、此処に来たからこそ出来た事が。今まで歩いてきた道とは違っても、結局お前が居るそこがお前の居場所で、その先に道が出来るんじゃねぇのか」


「この状況を、受け容れる他ないって事ですか」


「そこまでは言わねぇよ。ただ、俺の経験則的にそんな感じって事だ。苦労してるのは何もお前だけじゃない。死ぬ思いをしてでも違う道を歩もうとした奴だって居る。臨床心理は得意分野じゃないが、お前はたぶんその男同様、芯の強いタイプの人間だ。俺の知り合い曰く《強い信念は人を歪ませるが、芯の強い奴は自分で歪みを直して正しい選択が出来る》ってな」



 そう一息で言うと、彼は意味ありげに、そして自嘲気味に小さく笑った。短くなった吸い殻をクシャリと灰皿へ押し付けて新たな煙草に手を伸ばそうとする。



「また、吸って、いるのか。愚か者」



 しかし、その手は箱に届かず空を切った。

 新たな声の主が取り上げたからに他ならない。

挿絵(By みてみん)

「何しやがんだ、()の分際でッ」


「こんな男が、兄な、筈が、ない。騒ぐな、レン」


「はいはい、兄弟喧嘩は他所でやってくれたまえよ」



 突然部屋のドアが開いてゾロゾロと入ってくる人影。

 オルガナ、メルデス、そしていつ戻ったのか分からないが、姉貴も一緒だった。



「あら、アキト。まだ居たの? 率先して動いてくれたらしいじゃない。ありがとね」



 ついさっき帰ってきたばかりというような格好の彼女。

 俺がここに居座っていた事を心底不思議そうに思っているのか、小さく首を傾げる。

 そして、薄手のコートをサッと脱いで腕にかけた。



「特に異常無しとは報告を聞いたけどやっぱり心配でね。何事も無くて安心したよ」



 煙草の箱を没収されてかなり不機嫌な顔になっているDr.レンに話しかけるメルデス。その視線はクレイスが眠っているカーテンの仕切りの方を向いている。



「あぁ。()()()()()()()()()()()()()よ」


「そうか、なら尚更安心したよ」



 メルデスはホッとした顔でこちらに向き直った。



(ん……?)



 先程のDr.レンの発言に些か消化不良を覚えた。

 どっちも、とはどういう事だ?

 眉をひそめる。聞き間違いだろうか?



「おい、こいつが、居る。話して、良いのか」



 そんな俺をちらりと見たオルガナが少し焦ったようにメルデスたちを諌めるが、もう遅い。

 やはり俺の聞き間違えではないらしいな。

 どっちもと言うのは何を意味するんだ?



「おや……」



 まるで悪いことをしているのを母親に見つかった少年の様な笑みを浮かべるメルデス。

 俺は何も悪くないぞ?

 勝手に口を滑らせたのはそっちだぞ……!



「この事は内密に……」


「ねぇ、私も多分知らない話だわ。いいじゃない、隠し事はナシにしましょ?」



 メルデスの言葉を遮ったのは姉貴だった。

 姉貴も知らない情報なのか……?

 ヤバそうな臭いしかしないんですが。


 一刻も早く立ち去りたい俺の思いとは裏腹に、メルデスが観念したかのように口を開く。



「まぁ、今後も暫くは彼女を僕らだけで保護していく事になるし……仕方ないね、話そう」



 俺も含め、姉貴やオルガナも簡易の小さな椅子に座らされた。

 メルデスは勿論、車椅子のままだ。



「今、この事実を知るのは彼女自身と、僕、そしてレン、オルガナ、セギだけだ。何故、ここまで機密事項として扱うか。それは、クレイス姫を守る為だ。それを充分にわかって欲しい」



 たった、五人。

 それだけしか知り得ない情報を……。

 ゴクリと音を立てて唾が喉の奥を流れた。



「彼女が“始祖の鬼(リリー)の心臓の守護者”という事は知っているだろう? そう、どっちも、という言葉が意味するのは“心臓”のことなんだ。一つは無論、クレイス姫の心臓。そしてもう一つは───」


「始祖の鬼の、心臓が……?」



 俺はメルデスの次の言葉を待てずに呟いた。

 隣にいる姉貴も動揺した目付きで間仕切りの白いカーテンを見つめる。



「そうさ、彼女の身体には()()()の心臓が入っているのさ。これが彼女の一族が担ってきた役割であり、業なんだ」



 時が一瞬止まる。

 先程のメルデスの言葉を3回は反芻しただろうか。

 ───二人分。

 確かに彼はそう言った。



「家系的な特殊体質……ね」



 やっと姉貴が言葉を発した。

 その発言に対して、メルデスは深く頷いた。



「彼らの血筋は代々医療に関わる種族だったそうだ。そして1500年前の災厄の時、散り散りにして封印したリリーの心臓を彼らが引き取った。そして、代々、クレイスの名を冠する者がその心臓を自らの内部に取り込んで受け継いで来たんだ。《クレイス》は旧東欧の古い国の言葉で《鍵》を意味する。彼女自身が、言わばその心臓の枷であり鍵なんだ」



 クレイスの中で、そんな事が起こっていたなんて想像もつかなかった。

 言葉を失う。


 暫く何かを考え込んでいた姉貴の顔が険しい。

 元から知っていたという、オルガナ、Dr.レンの表情も硬い。



「よくそんな子を外の世界に出したわね? どうぞ狙ってくれと言わんばかりじゃない」


「勿論、危険は承知さ。彼女も十分わかっている。けど、彼女は承諾してくれた。じゃないと僕もこんな事しないよ」



 姉貴の懸念は最もだ。

 昼間のあの騒動だって、あの場にいたのが俺達じゃなくてクレイスだったら……フレイアがついていたとしても、最悪の事態が起こっていたかもしれない。



「その事、なのだが」



 ずっと黙っていたオルガナがメルデスに向き直って言った。



「何故、フレイアに、警護を、任せた。通訳なら、良い。だが、いざという時、彼女では、クレイスを、守れない。今すぐ、外せ」



 いつも落ち着いているその声色は、今日は特に酷く冷酷で斬り捨てる様なものに聞こえた。

 でもなんで、フレイアじゃ、ダメなんだ?

 あんなに仲良さそうにしていたじゃないか。

 自称優等生らしいし……。



「そんな事言うものじゃないよ、オルガナ。まぁ、警護に心配があるのは確かだ。僕もバカじゃないからね、実は近くに数人配備させてるんだよ? 学校内だったら神威くんがいつも目を配ってくれてる」



 メルデスが諭すように弁明する。

 オルガナはまだ腑に落ちない様だったが、神威の名前が出て少し安心したように小さく息を吐き出した。

 かなり信頼されてるんだな、神威。

 ───でも、それに比べて、フレイアは……



「おい、話をするならそろそろ出ていってくれ。ここは会議室じゃねぇんだ」



 イラついた様子のDr.レンが髪をかきあげながら不貞腐れた顔をしていた。

 煙草を没収されてまだ怒っているらしい。

 何だかんだいいながら、相思相愛な双子なんだなぁと微笑ましく思ったが、いけないいけない。

 顔に出るとまた何か言われるかもしれないからな。無表情を心がけねば。



「いや、もうお開きにしよう。また何か異変があったらすぐに知らせてくれ。さあ、アキトくん達も出ようか」



 メルデスに促されるままに、俺達は医務室をあとにした。

 無機質な廊下に出る。

 俺の部屋はここから右に行く方が近道だった筈。

 姉貴達とは反対方向。俺は一人歩き始めた。


 途中、訓練場(ジム)の前も通った。沢山の人達が格闘技なんかを訓練していた。奥の射撃場(シューティングルーム)は非常線の様なもので立ち入りが制限されていたが、その隣のトレーニングルームにも人の姿が見える。

 心恵(このえ)さんや、菊川たちの姿も勿論あった。


 みんな、戦いに備えてる。

 来るべき時の為に。

 きっと、此処に居る目的を果たす為に。


 ふと足が止まった。

 ピンク色、いや、杏色の髪の少女の姿を俺の目が捉えた。

 楽しそうだ。とても。



『みんなと違うの。君だけは』



 ふと、彼女が放った言葉が()ぎった。


 遠くで彼女が高く大きく掲げたその手には白い包帯が巻かれたままだ。

 俺は小さく唇を噛んだ。さっき言い損なったけど、後で姉貴にも言っとかなくちゃな──家庭教師はもうやらなくて良くなった、って。


 再び足を進め始めた。無機質な廊下をコツコツと歩く音が虚しく響く。何人かの大人とすれ違ったが、どれも話したことのない人だった。だから何も言わず、しても会釈程度でそれきりだった。でも今俺は猛烈に誰かと話をしたいのだ。

 いや、誰かじゃ無いな。もう俺の頭の中にはその顔が浮かんでいたのだから。



「リャン……」



 こだまが無事ここに居るという事は、きっと彼も無事だ。

 彼の屈託のない笑顔がまぶたの裏で蘇る。彼ならきっと大丈夫。何故かそんな確信にも似た感覚がある。

 全ては言えなくても、俺のこの心の中を誰かにぶちまけてしまいたい。自分を傷つけないように守ってきた殻が俺を絞め殺す前に。

 ミュートロギアの中の人間には、やはり何処かで身を委ねることを拒む自分がいる。どれだけ彼らが歩み寄ってくれていたとしても、それを不審に思ってしまう自分。

 なぜならそこには、組織としての利害関係があるから。そんな気がしてならないから。


 俺が此処に居る意味。理由。俺の役割。

 何もかもが地につかずあやふやで。

 恩返しの為に此処に居るというDr.レンや、とんでもない業を抱えるクレイス───そして、姉を助けたいと願うこだま。

 そんな彼らに比べて俺は……。


 胸が、苦しい。


『信じれば人は変わる。アキト、信じてみろ。他人を、そして、己自身を』


 親父の言葉が蘇った。



「ごめん、親父。俺にはやっぱり無理だ」



 廊下の壁に映り込む俺の姿がぼやけて見えた。

 どんな表情をしてたかよく分からない。でも、誰にも見られちゃダメな気がした。

 ようやく近づいた自分の部屋に逃げる様に飛び込んで、ガチャ、と鍵を閉ざした。

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