淡い期待
「こだま、入るぞ」
少しギシッと音のする扉。
鍵はかかっていない。中を覗くと、確かに杏色の髪の少女がいて俺に背を向けていた。
返事は無いが、俺に用があるから呼んだのだろうし入っても問題ではないだろう。
「何の用?」
一向に振り返らないこだまに再度声をかける。
彼女は部屋のガラス窓に向き合い、小さく縮こまりながら座り込んでいた。
更に近づいて、肩を叩こうとした時……俺は気付いてしまった。
出しかけた右手をそっと引っ込める。
ガラスにうっすらと反射った彼女の目に溢れていたもの。
──何で、泣いているんだ。
どうしたものかと困ってしまった。
このまま立ち去る訳にもいかないし、かと言ってこだまに話しかける勇気も、慰める度胸もない。
もう一度、出直す……か。
「そこで何してるの」
丁度その時、こだまがそのままの姿勢で話し掛けてきた。
ちゃんと、聞こえてたんだな。
「お前が来いって言うから来たんだよ。どうかしたのか」
取り敢えず彼女の涙に気づいていないかのように聞き返した。
そんな俺の問いかけには答えず、彼女は顔を擦りながらスクッと立ち上がる。
パンッ!
何をするのかと思えば、自らの両頬を叩いた。
そしてくるりと振り返る。
その口元は、笑っていた。
でも───
「ふっふー! なんでしょーかっ」
明るい声でビシィッ! と指先を俺に向けてくる。
『なんでしょーかっ』って言われても、知るかよ……。
それに、そんな泣き腫らした目で言われても、俺はその口先だけのテンションについて行ってやる程、空気の読めないやつじゃない。
「こだま、その手どうした」
今やっと気づいたが、彼女の手には白い包帯が巻かれていた。
手のひらと手の甲を覆うように巻かれたそれは、はっきり言って下手くそだった。
加えた力が均等じゃないのか布が襞になっている部分もあれば、最後の結び目なんか解けかかってるし。
もしかして自分で巻いたのか……?
「な、何でもないよっ……。ほら、か、カッコいいでしょっ」
明らかにおかしい。
サッと隠したが、その直前、俺は手のひら側に赤いものが滲んでいるのを見た。
「ほら、見せてみろ」
「やだっ」
「何でもないならいいだろ。ほら見せろよ」
……何してんだ俺。
別にほっときゃいいのに。
半ば強引にこだま腕を引いて確認する。
初めは抵抗していたが、諦めたのか俺の言った通りに手のひらを広げ、さらにソファーに移動して並んで座った。
「消毒したのか?」
「痛いからやだ」
傷はやはり手のひらにあった。まだ完全に血が止まっていないようだ。
傷の形状を見ると、なんとも不思議な形をしていた。
天雨美姫と戦ったあの夜に出来た左手の傷跡とは違う……刃物によるものじゃない。
軽く婉曲している。もしかして……
「嫌な事でも、あったのか」
「……」
俺の推察は正しそうだな。
この傷は、こだま自身によって付けられたもの。彼女が拳を握った時の、ちょうど爪が手のひらにぶつかる位置。
そこを中心に抉られたような傷なのだ。
「ちょっと待ってろよ」
この教官室には簡易的な水道がある。
ティッシュペーパーを数枚拝借し、水で濡らした。
ソファーに戻ってくると、こだまは不貞腐れたような、険しい顔をしていた。
さっき自分で叩いたせいか、まだ頬が赤い。
まぁ、俺をビンタで昏倒させるような腕力だもんな。
「全く滲みない保証は出来ないけど、我慢しろよ」
「や───」
「やだじゃない」
こだまの小さな手をとる。
よく見れば、やはり女の子らしい可愛らしい手だ。
《バカっ、バカバカバカバカ》
直接手に触れたことで深層意識が俺の脳内に雪崩込んでくる。
ハイハイ。なんとでも言えっての。
何でこんなことを俺がしてるのか、自分でもバカバカしいからな。
「痛いーーーっ」
「まだ何もしてないだろ」
全く。
大袈裟なやつだ。
出来るだけ傷口に直接触れないように優しく血液や、少し出始めていた膿を取り除く。
動いたら滲みるぞ、と脅しをかけていたのが功を奏したか、こだまは普段の何倍も大人しくしていた。
教官室に暫しの静寂が訪れる。
なんだか、こだまと居るのにこんなに周りが静かってのがなんだか気持ちが悪いな……。
まぁ、こだまと出会って数ヶ月しか経っていない。
こんな事もあるのだろうかとしみじみ思っていた時───
「似てるね」
唐突にそう言われ、反応が遅れてしまう。
顔を上げてみるとこだまの腫れた目と俺の目が合った。
何故か恥ずかしくなってすぐに目を逸らした。
「まぁ、俺もよくやって貰ってたからなぁ……全部姉貴の受け売りだよ」
「でも、ちがうね」
「そりゃ違うだろ、俺も姉貴も別の人間だし……」
「ううん、ちがうの」
不可解な発言に、思わず手を止めてしまった。
何が、違うんだ?
「みんなと違うの。君だけは」
「ど、どういう事だ? 俺は別にお前を特別扱いしてるつもりも無いし、そもそも俺達初めて会ってから2ヶ月くらいしか経ってないぞ」
落ち着け、俺。
こういうのに慣れていないせいか少し手元が狂いそうになった。
「何となく、そう思っただけだよ」
ポツリと呟いた声は殆ど消え入りそうな大きさだった。
何となくみんなと違う、か。
さっき廊下で俺に笑いかけた、あの笑みが脳裏に蘇る。
疑いながら生きる俺の──
……まさかな。
仮にこだまが俺と同様、深層意識を聴ける能力者だったとしたら……ありえない話ではないだろう。
でも、何かが違う。
「ねーね、終わった?」
「え、あ、あぁ。もう終わるぞ」
手が止まったままだった。
不確定要素だらけのこだまの発言は何故か引っ掛かるような、もどかしい様な……ある意味絶大なインパクトのある言葉のように感じた。
キュッと最後の結び目をきつく結ぶ。
よし、俺としては上々の出来である。少なくとも初めの状態なんかに比べれば格段に保護力もアップしてるしな。
「やっぱりじょーずだね!」
仔犬のような笑顔で彼女はそう言った。
「別に、そんな事ねーよ。暴れたら解けるからな?」
「そーゆー所はゆーひそっくりだねー」
もうさっきの泣き腫らした顔じゃない。
ホッとした。
張り詰めていた部屋の空気がこだまの笑顔に応える様に暖かくなっていくような気がした。
「で、なんの用で俺をここに呼んだんだ?」
すかさず俺は本題を振る。
こだまは……
「あぁあああああ……ええっとぉー」
下唇を噛みつつ、何故か俯き始めた。
また何か問題があるのか……?
それとも、俺、なんか地雷踏んだか?
「えぇっとぉ! グレンはオルガナから聞いて、オルガナは岸野から聞いて、岸野はメルデスから聞いて、タツヤはダイキから聞いたんだけどね」
突然早口でまくし立て始めたこだま。
なんか人の名前がゴチャゴチャと出てきたが、えっと、ダイキがタツヤから聞いて、メルデスが岸野から聞いて……?
「ごめん、もう一回言ってくれるか?」
それでもやはり混乱する俺と目を合わせようとしないこだま。
「ありがとう、だって!」
少し叫ぶように発せられた言葉。
俺はそれを理解するのにいつもの倍以上の時間を要した。『ありがとう』それは、感謝の言葉……そうだ。
「それは……誰が言ってたんだ? 最初が誰だって?」
「だ、誰でもいいでしょっ。言ったからね? 私言ったからね!」
はぁ……。
聞こえてるから二回も言わなくていいっての。
まぁ、よく分からないが、受け取っておこう。
「ってことで、明日からはかてーきょーししなくてもいいんだからね!」
「……はい? 明日からは、って……まだ一度も一緒に勉強してないだろ。それにお前、留年……」
何で突然そうなった?
「ほかの人にしてもらうもんっ」
───成程な。
つまりは俺が嫌いだと?
「あぁそうかよ。なら初めからそう言えよ。俺を指名するんじゃねぇ。俺だって暇じゃないんだよッッッ」
つい、強い口調になってしまう。
何をムキになってんだよ、俺は。
──これだから、俺は……
別に、期待してたわけじゃない。
初めからめんどくさいと思ってた。
関わりたくなんて……いや、それは、否定出来ないかもしれない。
そう、いつもそうだ。
近づこうとすれば必ず何かボロが出る。
俺は、人間なんて所詮そんなもの。なんていう、聖人君子みたいな考えをもてるような人間じゃない。
だから心のどこかでやはり期待してしまうのだ。
──信じてもいないくせに。
今目の前で、俺がなぜ怒っているのか分からないというような表情を浮かべる彼女に、俺はきっと小さな期待をしていたのだ。
別に恋愛とかそんなのじゃなくて……もっと、大切な何かを。
愛する姉を想い続ける純粋な彼女に、心の何処かで……。
「悪い。言い過ぎた。んじゃあな」
虫の居所が悪すぎる。
そう、だって期待していたのは俺だ。
こだまは別に俺を貶めようとした訳でもない。
一方的にキレたのは俺の方だ。
ドアノブに手を掛け部屋をあとにしようとした。
その時。
「痛ッッッツツツツツ」
「誰かッ! ……って、アンタ達何してるわけ?」
突然開いた扉に思い切り顔面を強打した。
鼻が折れたのではないかというような激痛にのたうち回る。
突如現れた闖入者を仰ぎ見る余裕もないが、その特徴的なキンキン声で粗方検討がついた。
「別にっ、何もしてないよ!」
「ふ、フレイア、どうかしたのか?」
痛みに慣れ、漸く俺も、いつもと空気が違うことに気がついた。
フレイアの様子から緊迫した状況が伝わってくる。
「お姉様か誰かがいるのかと思って来ましたのに!」
「オルガナさんは多分まだメルデスの所だ」
「何があったの?」
フレイアの身体からは蒸気が昇り、ここまで走ってきたことを思わせる。
表情も硬い。かなり動揺しているようだ。
「それなら、仕方ありませんわね……。クレイス姫が……倒れたのです」
思わずこだまと目を合わせる。
「それは何処でだ。レン先生は呼んだのか?」
「下の訓練場の射撃室ですの。Drにはまだ……」
「こだま、レン先生呼んできてくれ。兎に角、動かせそうなら俺が担いで彼女を医務室に連れていく!」
ちらりと部屋を見渡し、ガラスの向こうの景色に目をやる。
成程。部屋の時計を見れば、今は丁度夕食時。
訓練場には人は居ない。それで、人影が見えて此処に来たのか……。
ん? てか、なんでこんな時間に射撃室に?
まぁ、そんなことは後回しだ。
“始祖の鬼の心臓”をもつクレイスが倒れたなんて……。
気がつけば、こだまは既に部屋を飛び出していた。
俺もフレイアを連れて部屋を出る。
こだまとのイザコザはまだ引っ掛かる部分もあるが、そんな事、今は重要じゃない。
オルガナに普段ならキレられるが、緊急事態だ。
階段を二つ飛ばしで駆け下りて真っ直ぐに射撃室へと向かった。
□◆□
「大丈夫かッ?」
喘ぐ様な呼吸。脈拍も早い。
吐血などをしていなさそうなのは不幸中の幸いか。いや、だからといって安心なんてしていられない。
なにかの発作か……それとも……
俺達が射撃室に飛び込んだ時も、まだクレイスは倒れたままだった。
しきりに胸を抑えながら、時折何かを喋ろうとする。
しかし、その声なき声を聞き取っている時間など無いよう思えた。
「運べますのッ?」
「あぁ。これでも鍛えられてるからな。後は、クレイス次第……」
念の為額に手を添えて温度を計……
「ガッ……………」
頭痛だ。今までに経験したことが無いくらいの、突き刺さる様な頭痛。
何かがどっと流れ込んで来たような、そんな変な感じ。
思いもよらない事に尻餅を付いてしまった。
ほんの一瞬の出来事だったのに、俺の額にはクレイス同様、大粒の汗が滲んでいる。
今のは、何だ……
「ちょっ、アナタまでどうしたのよ!」
「いや、俺は大丈夫……」
「退け、アキト。邪魔だ」
驚いたのか、フレイアが俺に駆け寄って来たが、次の瞬間には襟首を掴まれて、クレイスから引き離されていた。
銀髪の医者の後ろ姿が見える。岸野とは少し違う、ミント系の残り香のある煙草の臭い。
「フレイア、どういう状況だった」
「私が、その、此処で射撃の練習をしていましたら……突然」
「まさか、流れ弾あてたりしてねぇな?」
「そそそ、そんな事は致しませんっ! 断じて!」
Dr.レンが冷ややかな目をフレイアへと向ける。
彼女は唇を噛んで下を向いてしまった。
だが、Dr.レンはそんな事にいちいち構う人間ではないようだ。俺の方をふり向いて、医務室へ運ぶのを手伝う様に指示を出した。
黙って従う俺。
「……あれ」
こだまがいない。彼が来てくれたからには、こだまが彼を呼んだのだろうし……
しかし、この場にあいつの姿は何処にもない。
───って、俺は何を。
別にあいつが居なくたっていいじゃねぇか。居たら気まずいだけだ。そう気づいた瞬間、少しホッとした。
部屋の外には、Dr.レンが持ってきたらしいストレッチャーが置いてある。そこへクレイスを二人がかりでリフトする。
流石は、ミュートロギアNo.1医師、Dr.レンだ。
何もかもが的確で素早い。鮮やかだ。
普段の無愛想な態度はそのままだが、彼の医者としてのプライドの高さが窺える。
「フレイア、メルデス達に報告に行け。んで、射撃室は一旦立入禁止にするように伝えろ。いいな」
「分かりました……」
Dr.レンが来て、彼女は多少緊張から解き放たれたのか。
脱力したように小さく返事をした。
彼同様に、フレイアは普段のギャースカピースカ騒いでいる様子しか知らない俺にとって、今の彼女は少し新鮮だった。
クレイスを載せたストレッチャーが、甲高い摩擦音を上げながら訓練場を足早に出ていく。
後方を俺が支え、Dr.レンはクレイスの様子を観察しながらもストレッチャーを誘導する。
まだクレイスは喘ぐ様な激しい息をしている。着ている衣服にも汗が滲み、彼が支えておかないと直ぐに転げ落ちてしまいそうなくらいに胸を抑えながら苦しんでいる。
「……る……く、……く、る」
俺には微かにそう言ったように聞こえた。
『来る』……?
それはつまり……まさか
額に触れた時の烈しい頭痛。
クレイスが持っていると言われている“鬼の心臓”
そして、昼間の商店街での出来事。
俺は大きな身震いをした。
□◆□
フレイアは運ばれていくクレイスの姿を最後まで見送っていた。
彼女の表情は……今にも泣き出しそうだった。
「何で、私はいつも……私は、完璧じゃなきゃいけないのに」
そう、小さく呟いて、天井を仰ぎ見る。
長い睫毛を伏せて大きく息を吸う。
そしてゆっくりと吐き出した。
クレイスが倒れて、そのままにしていた訓練用の拳銃を手に取った。
元あった場所に数ミリのズレもなく、コトン、と戻した。
「お姉様、どうして私は……。いえ、今はそれどころじゃありませんわ。早くご報告しなくては」
彼女は射撃室を飛び出した。
扉が後ろで大きな音を立ててしまった音がするが気にしない。
カンカンカンカンッ、と彼女の靴の音が無機質な廊下の向こうへ段々と消えていった。




