喇叭の天使
「どう云う、つもりだ、メルデス」
低く唸ったのは言うまでもなくオルガナであった。
いつにも増して険しい顔付きであることは確かである。
そんな彼女を目の前にしても相変わらず飄々としているメルデス。両者の間で緊張が走った。
「問い詰めても仕方が無いよ。そもそもアキトくんが僕らを完全に信用している訳じゃないのは君も知っているだろう? ――――それに、僕らの方で何となく見当が付いているんだよ」
「……何?」
オルガナが身を乗り出した。初耳といった様子である。
メルデスがセギに対して目配せをした。ウインクでそれに応じた彼は怪訝そうな顔をするオルガナに画面を見せた。
彼女はそれをまじまじと凝視する。
「この男は……?」
画質はあまり良くないが、画像には一人の男の影が映り込んでいた。特筆すべきはその頭髪。剃りあげた頭の頂点付近に残した黒髪。さらにそれを三つ編みという技法で束ねている。いわゆる、辮髪そのものであった。
「ハッキング元があんまりいいカメラじゃないからこれ以上は無理なんだけどねー。メルデス曰く、多分この男じゃないかって」
不思議な形のカーソルがつつくと、別のフォルダが開いて今度はハッキリとした写真が現れた。人相の悪い男。写真越しに見ても分かる、悪意のこもった目付き。恰幅の良い体を見れば、金回りは良さそうにも見える。そして先程のものと彼が共通するのは、やはりその特徴的な辮髪だった。
オルガナは、ゆっくりとメルデスに向き直る。
再び彼が口を開いた。
「彼は、王青鸞だ」
「……マフィア、か?」
「近いけど違うかな」
眉を顰めるオルガナ。回りくどい彼の言い方に不快感を示す。
すると、遂に沈黙を守っていた男が声を発した。
「マフィアの下でコソコソと悪巧みを働いてる糞野郎だ。麻薬取引から人身売買まで何でもござれ……顔は少し変わっていたが間違いない。今はサーカス団の座長をしてるらしいが……ただの隠れ蓑だとしか思えねぇ」
「それが、どうしたと、言うのだ。悪党など、吐いて、棄てるほど、いる。所詮、その内の、一人だろう」
オルガナの言葉から何かわからない憎悪のようなものが顔を覗かせた。それを諌めるかの如くメルデスが岸野が言わんとした言葉を続ける。
「でも、可能性は十分にあるさ。経験則―――と言ってもたった1件の事案だが、バリッサの様な人物が鬼に選ばれたんだ。同様に考えれば有り得なくもないだろ? それに、日本にやって来たタイミングもバッチリと言えば否定はできない。違うかい?」
彼女はまだ納得がいかないようだ。自らを落ち着かせるためか女性にしては大きめの手をぎゅっと握ったり、開いたりし始めた。
「あぁ──実は、君たちにまだ話していない事があった」
メルデスの唐突な告白に一同は息を呑む。この男は時に大事なことを隠す、それは彼らが一番知っている事だった。それが聞けるとあれば黙って耳を傾ける他ない。
「こだまの持つ、鞘についてだよ。あれは、間違いなく始祖の鬼 リリーの一部だ」
「そんな、大事な、事を、何故、今……。鞘と、新手と、何の、関係が、ある」
オルガナが問い詰める。しかし、メルデスという男はそのような事くらい折り込み済みである。落ち着いた言葉で続けた。
「こだまは今、彼女と時折脳内で会話することができるみたいなんだ。そこで彼女はこう言ったらしい。“私は彼女であり、彼女もまた私である”、“私は彼女の心、鬼と呼ばれる存在は私の負の感情が具現された物”だと」
カチリ、と子気味良い音がしたかと思えば、重厚なボーンボーン……という音。よく見れば、部屋の奥の時計の長針がちょうどⅩⅡを指し、五時を知らせていた。
「何も聞かずに協力して来たが、ンな種明かしがあるとはな。お前の事だから今更驚きはしねぇよ。で、お前の話を要約すりゃ“鬼”はハナから悪の心とやらを持ってるって事か? 子供向けの童話みたいな話だな」
「解釈によっては、ね。どう捉えるかは僕ら次第さ。こだまに頼んでみたが、終焉の鬼はそれ以上何も教えてくれなかったからね」
「ケッ……」
岸野はドッと椅子に背中を預けて仰け反った。もうお手上げだというような様子。暗くてはっきりしないものの、彼の目の下には暗い影が落ちているのが見て取れる。
しかしそれを隠すかのように、再び疑いの目線をメルデスへと送る。黙っていたオルガナも同様だ。目隠しをしているものの、眉をひそめつつメルデスを見つめている。
唯一、黙って頷いたのはセギだった。
「ボクもそう思うかなー。じゃ、ボクからも根拠のようなものを一つ」
その様子を見兼ねたのか。彼が動いた。
プロジェクターから発せられた光がスクリーンへと投影された。見ると、それはどうみてもかなり古そうな宗教画のようだった。
古びたそれはデジタル化されているとはいえかなり劣化の激しいもので、素人目に見ればなにか区別することは出来ないだろう。
「これは、旧時代……つまり、1500年前に災厄が起きるよりずっと前に描かれたってされてるんだけど、注目してほしいのはこの辺」
子気味良いクリック音で拡大されたそれの中央部には、半裸の男。そして、よくよく見るとその周りにも半裸の人々がひしめき合っているようにも見える。
さらに画像を動かすと、ある部分でセギの手が止まる。
「よくよく見てくれ。何が見える?」
「これは、喇叭ラッパを、もつ、天使……?」
所々欠けてはいるが、人影が細長いものを口に咥えているように見えた。その細長いものは先端が大きく広がっており、彼らの知るトランペット、大雑把に言う所の喇叭ラッパに酷似している。
「とある学説に拠れば、これは最後の審判を描いた作品らしい。神が死者を天国へ導くのか……はたまた、地獄へ落とすのか。それを象徴してるんだってさ」
「7人の、天使……まさか」
「大体は正解さ。オルガナ。ただ、一つ訂正するとしたら、8人なんだけどね。まぁ、これは色んな学説があり過ぎて特に何も言えることはないけど」
部屋に薄気味の悪いような空気が流れる。
沈黙……。
然し、その中に一人だけ。違う意味で冷や汗をかく人物が……
「セギ。俺にも分かるように言え。残念ながら俺は神も仏も信じねぇタチだからな」
「えぇー、岸野さぁ、キミ、何年ここにいるのさ。そのくらい知っててくれないと困るんだけど?」
「頭が、悪くて、理解、出来なかった、のなら、素直に、そう言え、低脳」
良い意味でも悪い意味でも、部屋の緊張感が一気に解き放たれる。メルデスはにこやかにその様子を見守っていた。
岸野の額には玉のような汗と木の根の如く張り巡らされた青筋がいっそう引き立っている。
「ッセェ。外で奴の身辺調査してやってんだ。もう少し労りやがれクソッタレ」
「んもー、仕方ないなぁ。岸野、ヨハネの黙示録は分かるだろ?」
「あぁ。それくらいはメルデスから聞いたことがある。奴らはそれに載ってる“災厄”を象徴してるかなんかだろ」
「ざっくりとした理解ありがとう」
いちいち癪に障るセギの発言に胸糞悪そうな顔の岸野だが、致し方ない。彼ほど聖書などに精通している人物は今ここに居ないのだから。
「恐らく岸野が理解してるのは、子羊が開いた七つの封印の記述だと思うんだよね。でもそれには続きがあってさ、七つ目の封印が解かれたら、厄災の喇が吹かれる。そして、その喇叭を吹くのが七人の天使ってこと」
彼は再び画像を拡大して見せた。そして続ける。
「向かって左側が天国。そして、右側はその逆だ。天使たちはこの絵のだいたい中央に立っているものの、どっちかと言えば地獄寄りと言っても過言じゃない。で、ここからは完全にボクの推測になるんだけど、彼らは恐らく、元々地獄側にいたんじゃないかなって」
「で、犯罪者から“鬼”の存在が? 強引過ぎやしねぇか。そもそも、悪い奴らは裁かれて地獄に堕ちるっつーのが定石じゃねぇのかよ」
岸野がセギの持論に苦言を呈した。が、セギは余裕綽綽とした顔で返答する。
「この天使ってのは、最後の審判を下す天使さ。非情じゃないととてもやってられない……だから、彼等のような人物が選ばれた。……ま、これはただのボクの勝手な推測。今までは黙ってたけど、メルデスの話を絡めれば現実味はかなり帯びてくるんじゃない? 信じるも信じないも岸野次第だけどさ」
「はぁ……神とやらはめんどくせぇ奴だ……ったく」
頭を軽く掻き毟りつつ、ガタンと椅子を引いて立ち上がる岸野。
「岸野? 何処かに行くのかい」
メルデスが不思議そうな顔で訊ねる。切れ目の双眸がメルデスを睨む様に振り向いた。間接照明の真下に入った彼の顔が顕になった、やはり、目の下に陰りが見える。
首をポキポキ鳴らしながら問いに答えた。
「本城夕妃がそろそろ戻る時間の筈だろ。様子見ついでに行ってきてやる」
「彼女なら大丈夫だと思うよ。それよりも、今後の事を……」
「いや、いい」
引き留めようとしたメルデスの言葉を遮る。
「俺にはやっぱ理解出来ねぇ。だが、お前がそう言うんならそういう事だと思う。そう思える内は、お前の手でも足でも、何にでもなってやるさ」
言い捨てた彼はそれ以上何も言わず、メルデスもかける言葉を見つけられず、ドアが開いて閉じる音だけが響いた。
少なくとも、メルデスには遠ざかる足音が嫌に大きく感じられた。
「律儀な男だねぇ……」
セギが感嘆を漏らす。
「兎に角、その男を、追えば、いいんだな」
大きな溜め息の末に、オルガナも席を離れる。どうやらこれで一旦お開きのようだ。メルデスももう何も言わなかった。
例のように最後まで残っていたセギがデスクの資料に目を通すメルデスに話しかける。
使ったコードなどをガチャガチャと片付けながら。
「最近身体の調子は?」
メルデスは視線を上げて答えた。その表情はいつもと変わらぬ笑顔だった。
「悪く無いよ。レンも別に気にする程の事じゃないって言ってたしね」
「そっかぁ」
全ての機材を移動用の黒いカバンに詰めたセギが遂に指揮官室の扉のドアノブに手を掛けた。
その背中をメルデスが見つめる。背中越しにセギは続けた。
「今、メルデスを失えば確実にボクらは終わりだよ。だから、くれぐれも……」
「大丈夫。僕は、最期まで役目を果たす」
「ははは、知ってるけどね。君はそういう奴だって。5年も一緒にいるんだから」
そして、部屋にはメルデス以外の誰も居なくなった。
大きな溜め息。勿論、彼のものだ。
「急がなくちゃ……僕は、約束を果たさないといけないんだから」




