亡霊
ドアをノックする音が聞こえた。
慌てて服を着る。
誰だろうか。
此処に帰りついてまだ五分も経っていないのに……
「アキト? 入んぞー」
俺が返事をする間もなくドアが開いた。
別に、入ってくるのは構わないけどよ……せめて、了解の声くらい聞いてから開けろっての。
「またあそこだったらしいな。でもって、刀も欠けさせたんだって? まだまだだなぁー」
入ってきた彼は、話しかけてもないのにベラベラと喋りつつ俺の了承も得ることなくドカッとベッドの上に腰を下ろす。
「おい、タツヤ……ベッドに上がるならせめて靴を脱げ」
「あ、悪ぃね」
「で、なんか用か? もうあの本は返したろ」
汗でグッチョリ濡れた制服のシャツを洗濯物を入れるバケットに突っ込みながら訊ねた。
あぁ、あの本ってのは、まぁ、察してくれ。
タツヤから借りた本だ。詰まりはそういうやつだ。
「あー別にその話をしに来たんじゃ無かったけど、その話をしたいなら喜んで……」
「いや、いい。───で、なんの話?」
一旦調子に乗らせると止まらなくなるのは既に学習済み。
彼の話を上手いこと遮った。タツヤは少々不貞腐れていたが、言わせてもらえばまだ夕方だ。何でわざわざそんな日の高い時間にンな話を聞かなくちゃなんねぇんだよ。
「ったくよー。それだから優等生は……んで、オレがここに来たのはだな、一つはメルデスさんがお呼びってことを伝えに来た」
やっぱりか……。
散らかっていた机の上を整理しつつ溜息をつく。
そりゃあ、呼ばれるだろうなと覚悟はしていたさ。なんせ、俺はまた『同じ場所』で『同じ奴ら』に襲われたのだから。
たった2度とは言え、偶然と言えるだろうか。俺自身も引っかかっていた。
嫌な予感が頭をよぎるが……頭を振って無かったことにする。
───仕方ない。行くか。
ついでにこいつを追い出さねば。
数週間前、布教活動と題して知らない間に大量の本が引き出しの中やらベッドの下やらに搬入されていたことがあった。
もう、そうはさせん……。
「伝言サンキュ。って事で、ほら、早く出ろよ。鍵掛けっから」
「あ、も一つ伝言。なんか知らないが、こだまから」
こだまから?
思いもよらない人物からの伝言に、作業をしていた手を止めた。
何だろうか。今日の勉強会をやめようという話なら、俺も今日はもうする元気無いし、何よりメルデスに呼ばれちまったから無理だ。
「教官室で待ってるって。遅くても構わないからってよ」
「え……?」
あの、こだまが……?
自ら俺を教官室に呼んだ……?
あんなに勉強を嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。
予想とは真逆の事実に正直、驚きを隠せない。
ガチャガチャと俺のベッドの周辺を漁ろうとするタツヤの腕を掴んで引き離しつつ訊ねる。
「ホントにこだまが言ったのか?」
「疑り深いなぁ、アキト。オレが嘘ついてると思うー?」
そう言うタツヤの顔は真顔だった。
と言うより、すこし眉を寄せている。これはホントらしいな……どうする、アキト。行くのか、行かないのか?
「女のコの誘いは断っちゃダメだぜー? っと。んじゃ、オレはこの後用事があるから失礼するぜい」
腕の拘束を振り払いつつベッドから離れるタツヤ。
そのままさっき入ってきたドアに手をかけた。
『女のコの誘いは断っちゃダメ』……か。
まぁ、そうだな。今までに何度それで姉貴に殺されかけたか……。仕方ない。メルデスに会いに行った後にでも行くか。
「分かったよ。サンキューな。……つーか、用事って何だよ? 今日の外出は禁止だろ」
そう。外は警戒態勢が敷かれており、市民へ外出禁止令が出ている。ミュートロギアに関係があろうとなかろうと、これが解除されるまでに外を彷徨けば、何がなんでも拘束される。
更に、ネメシスが出動したということもあって偵察部隊すらも出せない状況なのだとか。
見ると、タツヤはまたいつものやらしい顔をしていた。
小指を立て、もう一方の手が親指と小指を立てて耳元に……なるほどな。意味がわかった俺は「愚問だった。悪かったな」と謝った。
自慢げな顔の彼はそそくさと俺の部屋を出て行った。
一応、顔だけ出して廊下を見ると鼻歌なんかを歌いながら意気揚々と自室に戻っていく姿が見えた。
別に羨ましい訳では無いが、どうしてこうもこの男にはいつもいつも彼女が居るのか……。
そりゃ、フレンドリーだし、悪いやつじゃない。然しながら菊川程のルックスも無ければ、二文字で彼を表すなら確実に《変態》だと誰もがお墨付きをするだろうに……。
まだまだ俺は、タツヤのことを……いいや、ここにいる人間のことをよく知らないのかもしれないな。
廊下の向こうへ消えていく赤い髪の彼の背中を見ていて、ふと、そんなことを思った。
□◆□
コンコン
「どうぞ、入って」
「失礼します……」
薄暗い部屋。
高級感のあるカーペットが敷かれ、奥の大時計が異様な存在感を放つ、指揮官室と呼ばれる部屋。
神妙な面持ちの大人達が顔を突き合わせている。
やはりいつ来てもこの場所は緊張する。メンツもさることながら、空気が重いことは否めないだろう。
特に今日に関しては、背中に嫌なものを感じるくらいに空気が悪い。
「遅い。何時だと、思って、いる」
「すみません……」
中でも一番の威圧感を放つこの銀色の長髪の女性。
目隠しをするように黒い布を巻いている彼女は、見えているのかわからないがこっちを見ながら早く座れと俺を急かす。
歯向かえば何をされるか分かったもんじゃない。
彼女から一番離れた空席に腰を下ろした。
「こらこら、オルガナ。何も遅くなったのはアキトくんの所為だけじゃないんだ。大目に見たまえよ」
メルデスがいつものようにオルガナを諌めた。
そう、俺だけの所為ではない、と言うのは……なんせ、バイクの運転手が菊川だったので……随分と遠回りをして帰るハメになったのだ。俺達がいくら右だの左だの指示を出しても、彼は見事に間違え続けてくれたし。
おかげで帰りもこんな時間になってしまったというわけである。
バイクで颯爽と現れたところまでは良かったんだが……天は二物を与えずとはよく言ったもんだと思う。ま、アイツは二物以上与えられている気もするが……。
まぁ、今はさほど大事なことではないな。
さて、ここに呼ばれた理由は予想済みだが、大人達がここまで深刻そうな顔をするのは何故だろうか。
まだ学校にいるらしい姉貴と医務室のDr.レンを除いた、岸野、オルガナ、セギさん、メルデスが揃いも揃って緊張の糸を張っていた。
ネメシスの介入があったからだろうか……。
それとも、他になにかあるのか……。
「先ずは、状況を、報告、しろ」
「あぁ、ええと……」
かくかくしかじか……自分の目で見たこと感じた事を報告する。
同じ場所であった事は当たり前だが、その時間、状況。
敵の数、その特徴。
部屋には俺の声と、セギさんが奏でるキーボードを叩く音、そして時計が時を刻む音……誰も口を出さず静かに耳を傾けていた。
「以上です」
ひと通り話し終わる。
全て洗いざらい……いや、一つだけ言わなかった事がある。
言うべきか……言わないべきか。
俺の心は揺れる。
丁度その時……メルデスの緑色の瞳が俺を見つめているのに気づいた。口元には微笑を称えている。
慌てて取り繕った。ぎこちない笑みを返してみる。
……顔に出ていたのだろうか。
万が一、こいつに問い詰められたら……メルデスの事だ。また、どんな手を使ってでも吐かせる……そんな気がしてならない。
せっかく着替えた真新しいシャツに嫌な汗が染み込む。
「ご苦労だったね、アキトくん。もう戻りなさい、疲れただろう」
メルデスの言葉は俺の思っていたものとは全く違った……。
それもそれで何かあるのではと不安になる。
コッコッコッ、と時が流れる音がする。
「メルデス……」
オルガナが銀色の髪を揺らしながらガタンッと椅子を引いて立ち上がった。
彼女からやってくる視線の棘の様なものがグサリと俺を穿いた。
やはり、彼女は気付いていたんだろう。
俺が隠し事をしているという事に。
この流れ……詰問されるのは避けられないな。
諦めかけたが、何故かメルデスがそれを遮るようにオルガナに手のひらを向けた。
「さあ、今から大事な話し合いをするから君は席を外したまえ。用があればこちらから呼ぶからね」
───そんなこんなで俺は指揮官室を追い出された。
気がつくと扉に背を預けてぼぉっと突っ立っていた。
いや、俺の主観的言い方をするなれば……脱出成功だ。大きく深呼吸をする。詰まっていた空気が肺から押し出され、新鮮な空気がどっと俺の体を駆け巡った。
少し落ち着いた俺の脳裏にはあの光景が蘇る。
辮髪の大柄な男───リャンフォンの父親は、何故あのタイミングであの場所にいたのだろうか……。
まさか、彼が……だとしたら……ッ
最悪の妄想をかき消すために頭をブンブン振った。
少しクラクラしたが、そんな筈はない、ただの偶然だと自分に言い聞かせることが出来た。
スゥウウウ───と、もう一つ深呼吸をすると、次なる用事を思い出した。
「こだま……」
杏色の髪の少女からの呼び出し。
だが……やはり、さっきのメルデスといい、こだまといい……何かおかしい。
どちらにしても何か企みのようなものがあるような気がしてならないのだ。
しかし、双方の思惑が解らない。
勿論、彼の善意、という可能性も、こだまが素直に勉強に目覚めたという可能性だって大いにある。それは否めない。でも……でも……。
岸野のテレパスとは違って俺の『深層潜入』はその人自身に触れる必要がある。つまり、何も見えないのだ。彼らの腹の中が。
ふっ……本当に俺のこの能力は役立たずにも程がある……。
終焉の鬼は本当にこの能力が必要な物になると思っているのだろうか。
いや、むしろこんな能力……無かった方がずっと良かった。
そしたら俺は、もう少し誰かを疑わずに済んだかもしれない。
誰かを───信じられたかもしれない。
何でもかんでも疑ってしまう俺のこの性格はどうかと自分でも思うが、そうでもしないと生きていけない。そんな衝動に駆られるのだ。
疑いたくて疑ってるんじゃない。
でも、俺には何が真実で、何を信じれば良いのかが解らないんだ。
鏡のような廊下の壁面をふと見つめる。
勿論───俺が映っていた。
「そんな事でウジウジしてても仕方ねぇだろ」
そう言っているように見えた。自分の映し鏡なのに。
───あぁ、成程な……。
ふと湧き上がったその解に心の奥で何かが頷いた。
タツヤと、俺の決定的な違い……。
「俺は、何のために此処で……そんなの……」
───ワカラナイ。
自嘲的な笑みを浮かべた自分の亡霊が鏡の向こうで嗤っていた。
帰還する間に芽生えた充足感はもう何処にも見当たらなかった。
また元の俺に戻った俺の足音は無機質な廊下で背後をついてまわる。
教官室までの道程がとてつもなく長い時間のように思えたのは言うまでもなく、足音が俺を追い抜いてくれるなんてことも無かったのであった。




