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鬼との邂逅

 

 赤い髪の青年が駆け抜けるのは、硬いアスファルトの地面でも、芝生でも、ましてや陸上競技場のタータンの上でもない。しかし、彼は驚くべきスピードで駆け抜ける───民家の屋根の上を。

 時には垂直の壁を何の苦労もなく、まるでそこが地面であるかのように、走り抜ける。



「しっかし……こんな真っ昼間になぁ。まさか今回は、天雨美姫(あんさつ)絡みじゃないのか……?」



 彼は独りごちた。

 栁達哉(やなぎたつや)は、アジトに帰り着くや否や、仲間の安全確保の指示を受けて準備もそこそこに飛び出してきたのだ。



「多分……こだまはこの辺りにいる筈……」



 随時、本部から送られてくる対象(こだま)の現在位置に随分と近づいていた。丁度いい高さの四階建ての建物を見つけ、その屋上で足を止めた。


 双眼鏡を覗き、周りを見渡す。

 幸い、彼女はすぐに見つかった。杏色の髪などそうそういるものではない。川沿いの土手の方に向かって真っ直ぐに走っている。



「こだまだけ……じゃないな」



 双眼鏡を腰に下げたホルダーに突っ込むと、彼はまた走り始めた。



 □◆□



「アキト……大丈夫でしょうカ」



 リャンフォンが足を止めて振り返る。ここまで随分と走ってきた三人。ここで初めて、立ち止まった。リャンフォンとこだまはまだ比較的余裕そうだが、黒髪の少女───神崎静は肩が激しく上下に揺れるほど息を切らしていた。無理も無い。勉強は得意な彼女だが、体力に関しては人並み……いや、それより少し劣る、と彼女自身も自覚しているところだった。


 見晴らしの良い、川沿いの道。商店街の方から走ってきた道とT字に交差した部分、古びたガードレールの(そば)に三人の姿があった。



「わからない。でも、きっと……」



 こだまは唇を噛んだ。自分より、本城暁人は遥かに弱い。そう強く確信していた彼女にとって、メルデスとの約束で戦えないという無力さ、そして何より、格下の彼にまたしても守られてしまったという悔しさはなんとも耐え難いものだった。


 リャンフォンが心配そうにこだまの顔を覗き込む。


 見つめられていることに気づいたこだまは慌てて笑顔を作った。



「リャンフォンったらぁ、そんなに見つめないでよぉ。はずかしぃなぁー……」


「───ミュートロギア、ですよね」



 突然、ずっと黙り込んでいた静が声を上げた。


 “ミュートロギア”───その単語を聞いたこだまが、びくりと小さく肩を震わせた。

 リャンフォンも驚いたように静を見る。



「こんな事をするのは、ミュートロギア以外ありえません! お父様の職場のお知り合いなども、今までに何人彼等の所為で亡くなったか!」


「神崎サン、落ち着いテ……」


「数ヶ月前だって、彼処(あそこ)で! 遺族に御遺体が帰ることも無く、犯人は誰も捕まっていない……。そしてまた今日も……! あんな、残虐非道な(やから)は絶対に許せませんッ!」



 彼女の足元に、雫がぽたぽたと落ちる。生徒会長を志す彼女、そして何より、本当の事を知らない彼女にとっては至極真っ当な考え方だろう。

 リャンフォンも否定する事無く、首を少し縦に振った。


 こだまは、静かにその言葉を聞いていた。

 握りしめた拳。でも彼女は、笑って言った。



「そうだね! 早く誰かがボッコボコにしてくんないかな!」




────「どんなことを言われても、知らないふりをするんだよ」



 こだまの中でメルデスの言葉が再生された。そう、メルデスと約束したから。自分の命の恩人と、約束したから。

 彼女は約束を守った。

 それだけが、彼女の心の支えだったに違いない。



「グスッ………すみません、少し、感情的になってしまって」



 ハンカチで目元を拭いた静が顔を上げる。


 そして、少し会釈した後、ポケットで震えていた携帯電話を耳に当てた。走って逃げている最中にも何度か鳴っていたのをこだま達も分かっていた。恐らく彼女の家族からだろう。


 2、3言、電話の向こうの人物と言葉を交わした彼女は、通話が切れると笑顔でリャンフォンとこだまの方に向き直った。



「家の者が迎えに来てくれているそうです。お二人も良かったら……」


「わ、私は大丈夫だよっ! 一人で帰れるから!」


「ボクも大丈夫ダヨ。もうすぐそこだカラ」



 静の提案を断った二人に、静は驚いたような表情をしたが、少し向こうに止まった黒の高級車を見つけ、



「では、また学校で。くれぐれもお気をつけくださいね」



 と、小さく笑いかけ、小走りで車へと向かった。

 車からはタキシード姿の老紳士が降りてきて、恭しく頭を下げながらドアを開けた。静は一言二言なにか話しているようだったがすぐに車に乗りこみ、そのまま走り去って言ってしまった。


 それを見届けたリャンフォンがこだまに向き直る。



「良かったら送りますヨ……と、言いたい所でしたが、大丈夫って言われそうデスネ?」


「えへへ、せいかーい! 気持ちだけもらっとく!」



 もう、いつものこだまだった。

 リャンフォンは安心したように息を吐いた。



「じゃあ、ボクはここで! 気をつけてネ」


「リャンフォンも!」



 握った拳と手のひらを胸の前で合わせ、お辞儀をしたリャンフォンはこだまに背を向けて歩いていった。

 こだまもくるりと反転し、反対向きに歩き始める。



「───タツヤ?」


「いつから気づいてた?」



 一人で歩いていた筈のこだまの横にいつの間にか青年が並列していた。

 赤い髪の彼にこだまは真面目な顔で訊ねた。



「立ち止まってしばらくしてからかなー。で、なんで私のところに来たの?」


「そういう風に指示があったんだよ。今すぐアジトに戻るぞ」


「アジトに? タツヤ、戦わなくていいの?」


「ネメシスが片付けてくれるだろう。アキトの方はちゃんとダイキと神威が何とかしてくれてる」


「そっかぁ……」



 何処と無く、こだまの返事がいつもより上の空な事をタツヤが感じ取れないはずも無かった。

 実際、彼は先程の一部始終を電柱の上から見聞きしていたのだから、こだまの気持ちは痛いほど分かった。



「手、出してみろよ」


「ヤダ」


「頑固だなぁ、こだま。───ま、オレがあんまり優しくしてっとアイツに怒られちまうからなぁ……。っと、イケね。よし、こだま! 走るか!」



 こだまが聞き返すよりも先に、赤い髪の青年は弾丸のようなスピードで走り出した。その姿を見たこだまはニッと笑って地を蹴る。一瞬にして加速された小さな身体は青年とグングン距離を縮めていく。



「負けないんだからねッ!」


「やっぱ、こだまはそうでなくっちゃな!」



 栁達哉が白い歯を見せて笑いかけ、さらに加速した。



 彼らの走った後には旋風(つむじかぜ)が起こる。

 二人の姿は一瞬にして遥か向こうへ。普通ならばありえない光景だが、政府からの外出禁止令が発令中の今、それを見ている者など誰一人として居なかった。



 □◆□



「あーあ。逃げちまったかぁ」



 商店街にほど近い、オフィス街に佇む高層ビル。

 その屋上に立つ男がいた。

 時々吹く強い風が、男の赤いネクタイを揺らす。

 金色のタイピンがキラリと太陽光を跳ね返した。


 少し隈の出来た双眸が見下ろす商店街のアーケードには大穴が開き、更には黒煙が猛々と立ち上っている。



「さぁて、オジサンも仕事しなきゃな。そろそろ上司(すがや)に怒られる」



 男は、吸っていたタバコの吸殻を踵で踏みつけた。

 全体的なくたびれた印象とは裏腹に、その口元には笑みが浮かんでいた。


 忽然と姿が消える。

 ほぼ自由落下に変わらない速度で、彼はビルとビルの間をワイヤーを伝って降下した。

 排気ガスで汚れた壁を降りたため、膝についた埃を手で払う。


 そこから通りに出ると、見慣れたふたつの顔が彼を出迎えた。男と女。男の方は黒革のコートに身を包み、何より特徴的な黒の眼帯。彼の上司にあたる。

 そして……



「遅いですよ!」



 一番に声を荒らげた、ショートヘアの若い女。

 大きい、いや、豊か過ぎる胸を持ち上げるかのように腕組みをしながら、ビルの隙間から現れた男───旭大輔(あさひだいすけ)に噛み付く。



「スマンスマン。ちょっとこのビルに用があってね」


「放っておけ、輪堂。で、旭さん、伝言は?」


「ああ、聞いたよ。同じ場所で、テロ? らしいな」



『テロ』その言葉で彼らに緊張が走る。



「今回は……死体がない、だなんて言うおかしな事態じゃないといいんですけどね」



 輪堂と呼ばれていた女が溜息混じりに吐き出した。

 と、丁度その時、真っ黒な戦闘服を纏う武装した男が駆け寄ってきた。



「菅谷さん、配備完了。狙撃部隊も配備しましたが、中の様子が黒煙で見えず、援護は難しいとのことですが……」


「それに関しては問題ない。で、どうなんだ。今回はちゃんと居るんだろうな?」


「はい、動体検知ドローンを先行投入したところ、反応がありました」



 菅谷と呼ばれた彼は暫く黙り込んだ。

 報告をした男は、何か不味いことを言ってしまったか、と額に汗を浮かべ始める。



「生体反応は……いや、いい。なんでもない。突入させろ」



 菅谷の指示を聞いた男は一瞬安堵の表情を浮かべ、すぐに切り替えて無線に向かって指示を出した。

 その様子を無言で見つめる旭。しかしやはり、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。



「第一班および第二班、突入! 挟み撃ちにしろ!」



 双方の班のリーダー格の男から「了解」の返答(レスポンス)。その数秒後には、激しい銃の乱射音が辺り一帯に響き渡った。

 更には、新たな爆発音も。

 激しい戦闘が起こっていることは間違いないが、それは味方が敵を撃破する音。誰もが、そう信じて疑わなかった。

 唯一、一人の男を除いては。



「菅谷よぉ」



 本部が置かれた、黒のボックスカーに背を預けて立っていた旭。彼が、真剣な眼差しでアーケードの出入口を注視する菅谷の背中に語りかけた。菅谷は振り返ることもなく、「なんでしょう」と、答えた。



五年前(・・・)のあの時に現れた奴らがまた現れた。そう思ってるんだろ?」



 ピクリと眉が動いた。



「……だったらどうするんです」


「報告し忘れてたが、オレが何回か片付けたぞ。最近、な」


「何だと……」



 その瞬間。

 銃声がピタリと止んだ。爆発音も、人の声も、何もかも。


 ───ゴンッッッ


 いつの間にか移動していた菅谷が……旭の胸ぐらを掴んでいた。黒い車体が凹みを生じ、旭の身体は黒い車に押し付けられた。

 そして、菅谷が吼える。



「何故貴様はいつもいつもッ……!」



 歳上であろうが、『()上司』であろうが、関係ない。

 今、現にネメシスの指揮を執るのは菅谷であり、上司は菅谷なのだ。怒って当然である。周囲は何事か、と空気を張り詰める。その場にいた殆どが彼の出す威圧的なオーラに気圧されたじろいだ。

 が、そんな菅谷の剣幕も旭大輔の前では意味を成していない。



「悪ィ悪ィ。始末書なら何枚でも書くからよ、今は……」


「そういう話をしているのではない……ッ! もしも、そうだとしたら……」


「あぁ、それはもう、仮定形(もしも)じゃ無さそうだぜ?」



 突如、その場に響き渡る悲鳴。

 それは、か弱い一般民衆のものでは無い。

 苛酷な訓練をくぐり抜け、選りすぐられた精鋭部隊。相当な期間鍛え上げられた屈強な男どもが蜘蛛の子を散らすように、訳の分からないことを叫びながらアーケードの中から逃げ出してきた。

 ドンッ! と乱暴に旭を突き飛ばした菅谷は蒼白な顔で転がるように逃げてきた男を捕えて問い詰める。



「何事だッ!」


「ありゃ、に、人間じゃない……! 化けモンだッ……異能力者でも、ない……あんな能力、聞いたこともッ……」


「そうか」



 それだけ聞くと、菅谷は男の服の襟から手を離した。



「ご苦労……早いこと手当してもらうんだな」



 そして、少し間を置いた菅谷は大声を張り上げた。



「貴様ら、引け! これは命令だッ」



 突然の退避命令。

 本部で慌てふためいていた男達が菅谷を驚いた顔で振り返る。



「それはどういう……」


「言葉の通りだ。貴様らは下がっていろ」


「然し……」


「言葉の意味が分からないのかッ。この男のように落ちぶれたくなければ俺の指示に従え!」



 こんなにも、部下に対して荒ぶる菅谷を誰一人見たことがなかった。鬼教官と呼ばれる側面もある彼だが、そこには一定の根拠の提示があった上での暴言であり、こんなにも横暴に指示を飛ばしたり……他人を貶す事など滅多にない。

 その眼差しは、片目だけとはいえ……いや、だからこそかもしれないが、それだけで人を殺めてしまいそうな……。


 その場にいても立っても居られなくなった部下の男達は一目散に逃げ出した。先ほど出撃命令を出した男も無線で「退避だッ!」と一言叫んだ後、その場から姿を消す。



「す、菅谷先輩……? どうされたんですか」


「黙れ輪堂。貴様は、ヤツらと戦う覚悟はあるか?」


「急に何を言い出すんですか……」



 輪堂茜は困惑した表情で菅谷に縋り付く。

 いつも素っ気ない菅谷をよく知った彼女だったが、余りにも酷く突放すような……そんな印象を受けた。しかし、そんな事で引く女では無い。

 その程度の覚悟でネメシスに残ったのでは無いのだから。



「中で何が起きていると言うんですか! 戦闘員を逃がすだなんて、そんな大変なことが起きているなら……先ずは上に……」


「上? ヤツらはあの存在を認めたりはしないさ」



 どこか遠い目をした旭が、頑なにそれ以上を語ろうとしない菅谷に代わって答えた。

 服に付いた砂を払いつつ立ち上がる。



「いいか、輪堂ちゃん。敵も味方も関係ない。お前を殺そうと襲ってくる奴らは全て葬れるか?」


「え……そりゃ……」


「万が一、それが、お前の顔見知りだったり、オレ達だったりしてもか?」



 さらに訳が分からないと言うような顔色の輪堂。

 どうにか理解しようと、二人の言葉を反芻するが上手く呑み込めない。そうしている間に、菅谷が動いた。



「輪堂……お前は此処に残れ」


「菅谷先輩っ! 私は!」


「伏せろ……ッッ!」



 旭の警告にすぐさま反応した二人の頭上、スレスレの空間を何者かが引き裂く。

 輪堂は、身の毛のよだつような悪寒が身体中を駆け巡るのを感じた。



「クッ……!」



 旭大輔が引き金を引く。

 シグザウエルP230が周囲の空気を揺らした。

 耳を劈くような銃声。


 真っ直ぐに飛翔した銃弾は対象に寸分違わず命中。

 そこで輪堂は我が目を疑った。



「砂に……変わった?」


「ボサッとするな、輪堂。ここまで来たら貴様も手を貸せ」



 絶命したと思われる傷を負った鳥が、突如砂に変わる。

 そんな現象を今まで見たことなど一度たりともなかった。

 輪堂は困惑を隠しきれない。が、もう進むしかないのだ。彼について行く。そう決めたあの日から、こうなる運命だったのだと悟った。



「菅谷ぁ……ここで食い止めねぇと……」


「分かったことを……。勿論、ですよ」


「輪堂ちゃんよ、お前さんの戦い方はいつもなら素晴らしいが今日は止めといた方がいい。傷を受けるのも、最低限にしろ。いいな」



 言われた事の意味が分からない……そう感じたが、輪堂はぐっと堪える。今ここで自分ごときがこの二人の足を引っ張るなどあってはならない……。



「ハビ、お前も出番だ」



 菅谷が虚空に向かって呟いた。



《お主は先刻、妾が出る必要も無いと申していたであろ?》



 菅谷の腰の高さほどしかない小さな影。

 人の形にも見える。その話し方こそ古めかしいが、声は幼い子供のよう。



《ヤレヤレ……『きゅうじつしゅっきん』とやらは、(たこ)うつくぞい?》



 直後、その場に影はなくなっていた。代わりに菅谷の右手には一振りの日本刀が握られていた。

 ギラりと妖艶に輝く。それを見たものを必ずや魅了してしまうであろう美しい紋様が刻まれた刀。飾刀のようにも見えるが、その鋭利な切っ先は肉を切り裂く能力を持つ、と容易に誇示する。


 刀に彫られた紋様───焔を身に纏う鳳凰……



 三人は、遂に奴らと対峙する。

 新制ネメシスと『鬼』の邂逅はこうして果たされた。



https://ncode.syosetu.com/n8236ec/8/

2018/11/25にこの後のネメシスサイドの動きをほんの少し切り取ったSideStoryをSSへ追加致しました(上記URL)

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