ショッピングモールにて
「君のこれからのことについて、この前の話の返事を聞いてもいいかい?」
男は笑顔でそう切り出した。
少女は、静かに彼の目を見つめる。
「僕らも色々と考えた結果、現時点では、この方法に賭けるのが最善策だという事に変わりはないよ。でも、君に少しでも躊躇いや恐怖があるのならば、強要はしない」
天蓋付きのベッドに半身を起こした少女は、長いまつげの瞳を伏せた。
「勿論、君に万一のことがないように僕らも最善を尽くす……だが、まだそう簡単に答えが出ないだろう。それでもいいんだ。なんせ、この話はあまりにも君へのリスクが大きいからね」
男は彼女を安心させるように、そっとその手を重ねる。
「じゃあ、また来るよ」
男の手も十分に白いが、彼女のそれは白磁器かのように透き通った白さである。そのか細い指には沢山のかすり傷があり、多くを語ろうとしない彼女が、彼らの想像もつかないような苦労を乗り越えてきたのだろうとみえる。
暫くして、彼は手元を操作してその場を離れようとした。
モーターの回る音が微かに……
「待ってください、メルデスさん」
堅く口を閉ざしていた彼女が彼の手を強く握った。
呼び止められたメルデスは驚いたような顔で再び彼女と正対する。
「……お受けします」
美しい声が静寂の部屋に響いた。彼女が再び、透き通るような碧眼をメルデスに向けた。その声も瞳も、どこか震えていた。
「いいのかい、クレイス」
メルデスは再度確認を取る。小刻みに震える白い手をそっと包み込む。
「あなた方に協力するように、とお父様に昔から言われて参りました。ですから、私は……」
「お父さんはそう言っていたかもしれないが、君はどうなんだい?」
メルデスが珍しく少し強めの口調で聞き返した。
彼女の本心を確かめるように。
クレイスはやはり少し動揺しているようだった。揺れる瞳を隠すように目を閉ざす。
「私は……。いいえ、お父様の言いつけでなくてもあなた方に協力したい。助けて貰ったのですから。そして何より……」
少し間を置いたクレイスは、今度は力強い声でハッキリと言った。
「クレイスとして生を受けた、私の業ですから」
再び開いたその瞳には、か細く青い炎が灯っているようだった。
彼女の決意を聞いたメルデスはまた微笑んだ。
すると、いつ合図をしたのか、部屋のドアが開いて赤毛の少女が姿を見せる。
「ここからは彼女が君の身の回りの世話をするよ」
「初めまして。フレイアと申します」
フレイアは真剣な面持ちで頭を垂れる。
「彼女は普段外交を担当してくれているから、君の母国語で話してくれても結構だよ。君とは同い年なんだ。だから、気楽に話しかけるといいよ」
突然の来訪者に戸惑うクレイスだったが、歳が同じということもあり安堵の表情を浮かべた。
「じゃ、僕はそろそろお暇するよ。ふたりで仲良くするといい。これからの事はもう既にフレイアに伝えてあるから、彼女から聞いてくれるかな」
そう言ってメルデスは部屋をあとにした。
無機質な廊下を小さなモーターの音が移動していく。その後には、赤いシャツの上からジャケットを羽織った大柄の男がピタリとついて歩く。
「よくイイって言ったな。あのお姫サン」
低い声で呟いた。
「僕も少し意外だったさ。でも、お陰で早めに手を打てるかもしれない」
「その事なんだがな、メルデス」
次の瞬間には、彼の顔が驚愕めいたものになった。
岸野が『意思疎通』で何かを伝えたらしい。
「岸野……続きは僕の部屋で話そうか。もしそうなら、あまり悠長にしていられないかもしれないな」
険しい表情の二人は、足早にその場を離れた。
刻一刻と、その時は迫っているようだ。
■◇■
「リャンくん! グレンが作ったこんにゃくゼリー、一つあげる」
「いいんですカ? じゃ、いただきマス」
何故こいつがいるのか。俺が誘ったのだ。
だが、間違ってもらうと困るのは、こいつと昼飯が食いたかった訳じゃないって事。
「こだま、帰ったらする事、覚えてるだろうな」
「ピロピロくんにはあげないんだからね?」
会話が成り立たないのはいつもの事だ。
気にしない気にしない。
つーかさ、なんでリャンの名前はちゃんと覚えたんだよ。一応、俺の方が付き合い長いだろ?
「勉強するんだぞ。わかってるよな?」
そう、今日から俺とこだまのマンツーマン指導が本格的に始まる。その為にも、逃げられては困るのでこうして昼食を共にしているのだ。
近所のショッピングモール内にあるフードコートは、今日も混雑していて、通りすがりの見知らぬ人々は変人をほぼ百パーセントの確率で二度見していく。
さらにその隣には辮髪の留学生、リャン。人々の目を惹くには充分すぎる組み合わせだった。俺はかなり居心地が悪い。
「分かってるってばぁー。プルプル君はほんと煩い」
「プルプル君って、アキトのコト?」
不貞腐れるこだまの発言に対し、リャンが首を傾げた。
プルプルのこんにゃくゼリーを頬張りながら。
プルプルなのはそのゼリー……いや、俺の口の端が僅かにプルプルし始めたような気もするなぁ。大きな溜息が零れた。
「あーもう! 分かったから早く食えよ。ってか、俺にも寄越せ」
そうだ、名前はもういいとして俺にだってそれを食べる権利はある。なんせ俺はお前の家庭教師だぞ。
「やだ」
「やだ……ッ?」
「やだ」
こだまはジト目で俺からゼリーでいっぱいの保冷袋を遠ざけている。
畜生ッ。もういいよ!
ガタッと少し荒っぽく椅子を引いて立ち上がる。突然立ち上がった事にリャンが驚いて顔を上げた。
「ちょっと買うもの思い出したから此処に居てくれ」
こだまを一人にしておくのは色んな意味で危険だが、リャンと一緒ならまぁ、いいだろう。少しその辺を歩いて、頭を冷やそう。
スクールバッグを肩にかけて、何も言わずにその場を去る。
リャンが背中越しに何か言っていたように思うが、フードコートの喧騒の中ではハッキリとは聞こえなかった。
どの道、振り返るつもりは無い。
取り敢えず、上のフロアにあるゲームセンターにでも行くか。
フードコートのある一階からエスカレーターに乗り、二階のゲームセンターへ。学校に近いこともあり、同じ制服の生徒が数名見られる。
俺のようにボッチでふらついている奴は居ないけどな。
その時、俺は視界に違和感を覚え、薄暗いゲームセンターの中をよくよく見た。俺はずんずんと騒がしいBGMの中を進んでいく。
赤い髪のそいつは丁度、クレーンゲームに興じている最中だった。
但し、赤い髪と言ってもタツヤではない。ゆるくウェーブした、元からの赤い髪。
「夜裂? 何してるんだ」
俺の呼び掛けにビクゥッと背筋を伸ばす。
当たりだったみたいだ。
自称優等生さんがこんな所で何を。
「あなたは……確か」
そう、俺が感じた違和感は赤毛のフレイアによるものと言うよりは、今話しかけてきたこっちの人物によるものの方が大きい。
凛とした声。
振り返った彼女は美しい碧眼と、黄金の長い髪をもつ少女。海外の女優さんかと思うくらいの美人だ。
いや、でも待てよ。確かあの時フレイアは……。
「もしかして、クレイす……」
「シィーーーーーーッ! 今はその名前で呼ばないッ」
何故か、フレイアが俺の口を押さえつけにかかる。
ただ、その時の声が大き過ぎて近くにいた人がチラリとこっちを見た。
「いいですか、此処では彼女の名前は『クレア』です」
「ンゴッフゴフゴフゴッンフフゴッ」
痛い痛い痛いッ。
顔が潰れるッ。そんなに押さえつけなくていいだろッ!
「あの、フレイアさん、彼の顔が蒼白に……」
「と、当然の報いですっ!」
クレイス、改めクレアさんが止めに入ってくれたお陰でどうにか俺は自由を取り戻した。顔が平面になっていない事を確認しつつ、恨めしい視線をフレイアへ送る。
「痛い……。で、何でこんなことろに居るんだ?」
「私の服を買いに来たのですよ」
改めて訊ねると、クレアさんが笑顔で答えてくれた。何だかもう、笑顔が眩しい。
さすがお姫様とだけあって、住んでいる世界が違うような、そんな雰囲気がある。
「なるほど。え、でも……あれ?」
今、気づいた。
何故か、クレアさんがフレイアと同じ格好、つまり、臙脂色の制服を着ている。
「現在、クレアは私のクラスにやって来た美人留学生。私は、日本語の話せない彼女のためにその類希なる語学力と対人能力で通訳をかってでた優等生よ」
うん、なんだか最後の方は自慢でしか無さそうだったが、成程そういう事か。
「でも、外に出るのは危ないんじゃないか?」
彼女は、鬼に襲われたのだ。
何処に持っているのか分からないが、リリーの心臓も持っているらしい。こんな所にうろつかせていて本当に大丈夫なのか?
「うっさいわねっ! 私をなんだと思ってるの? お姉様に認められし天才少女、夜裂フレイアよ」
色々とツッコミどころ満載だが……ツッこんでいるとキリがなさそうだ。キャンキャン喚く言葉の半分以上はゲーセンのBGMと共に聞き流しておく事にした。
「なるほどな。夜裂がクレアさんのSP兼通訳って事がよく分かったよ」
「ふふん、私の凄さをようやく理解したようね」
いや、そこじゃない。
「で、アンタは何してたのよ。まさかボッチ?」
いちいち癪に障るなぁ。
頭冷やそうとしに来たはずなのに、逆に血圧上昇してるんじゃないか?
「んな訳ないだろ。こだまとかと昼飯に来て、ちょっと俺だけブラブラしてただけだ」
「アキト、アキトー!」
ほら、キタキタ。
俺の連れが……あ? れ?
「リャン……? こだまはどうした」
「それが、居なくなっちゃっタ。トイレに行ったっきり……」
うそーーーーッ!
マジかよ。逃げ足が早いと姉貴に言われていたが、思っていた以上の小賢しさだな。これからの家庭教師生活が思いやられるよ。
「何を青ざめた顔してるのよ。で、こちらは?」
「あ、ボク、アキトのクラスで勉強してイル、留学生の鈴風デス!」
リャンはフレイアとクレイ……クレアさんに向かい、日本式の丁寧なご挨拶を。でも、残念ながら2人とも純日本人じゃないんだなぁ。
「中国の方の出身ね? 你好」
フレイアがここぞとばかりに持ち前の語学力を発揮。まぁ、你好くらい、俺でもわかるし?
と、何故か謎の対抗心を燃やしたことに気づく。
「発音がすごく綺麗ですネ! お隣の方モ、留学生デスカ?」
「そうでしょそうでしょ! やはりネイティヴにしか私の凄さは分からないのよウフフフフ」
なんでこっち見ながらニヤついてるんだよ。腹立つからやめろ、フレイア。俺は留学経験もない唯の一般高校生だぞ。そんな事で勝ち誇ってんじゃねぇ。
「ええ、私も留学生。クレイ……ぃア、クレアと申しますっ!」
あ、あっぶねぇぇぇえええ。
今、クレイスって言いかけた。フレイアも引き攣った顔で手をわなわなと震わせていた。
「クレアさんデスか! いいお名前デス」
二人の少女にニッコリと笑いかけて握手まで。
リャン……お前、社交力めちゃくちゃ高いな。早くも目の前の二人がお前を気に入ってるみたいだぞ。
「って、そんな事より! こだま、探すぞ!」
そうだ、それが最優先事項だ。勝手にどっか行かれて逃げられても困るし!
もっとリャンと話をしたそうにするフレイアとクレイスを他所に、リャンを引き連れて、こだま捜索へと繰り出した。
■◇■
「へへーん。脱出せいこーう!」
こだまは一人でショッピングモールの中を彷徨いていた。
だが、やはり彼女の髪色は目立つ。
フロアを歩く人々が彼女に注目していた。が、こだまはそんなのお構い無し。花の蜜を吸う蝶のように、店の前で止まったかと思えばまたすぐに歩き出す。
「まったく。メルデスに言われたから仕方なくアイツに教えてもらうことになったけど……」
ブツブツと独り言を言っているようだ。
そう、あれは、2、3日前の事───。
■◇■
「こだま、なんの話か分かるね?」
メルデスはいつになく困った顔をしていた。呼び出されたこだまは不貞腐れたようにそっぽを向く。
「流石に、ミュートロギアが運営に絡んでる学校とはいえ、これ以上何もしてやれないんだ。このままじゃ、ホントに留年する事になるよ」
「……りゅーねんってなに?」
メルデスのメガネがずり落ちる。メガネを掛け直し、仕切り直した。
「みんなと一緒に進級できないって事。フレイアたちと同じ学年になるって事だよ」
「ふーん」
自分のことなのに全くもって興味なさげな間延びした返事。メルデスはガックリと肩を落とした。
「こだま。もし今年留年したとするよ? そしたら、来年、何処かのタイミングで成績表に1がついてしまうと、大変なことが起きるんだよ」
「大変なこと?」
「退学だよ。分かる? 退学」
真顔でメルデスを見つめ「たいがく……」とオウム返しをしていたこだま。みるみる顔色が変わった。瞳が輝きを失う。漸く、その言葉で深刻さを理解したようだ。
「退学って、学校辞めなきゃいけないってことだよね! ヤダヤダヤダヤダヤダ!」
子供のように駄々をこねるこだま。頭を抱えて机に突っ伏した。杏色の頭をゴンゴンと打ち付けるのを見て、メルデスはまぁまぁと窘めざるを得ない。
「僕らだって、君に退学なんてして欲しくないんだ。将来のためにも」
「どうすればいいのぉ……」
「いやぁ、それは勉強するしかないよ」
「やだぁああああああああああああ。メルデスはわかんないよ! 教官室に閉じ込められて、ゆーひに叩き起され、オルガナに睨まれながら計算ドリルするこの苦しさは!」
おいおいと泣き出すこだま。
色々と突っ込みたいところではあったが、メルデスはいたたまれなくなってきた。そんな甘さがこの事態の一端を担っているのは半分無自覚と言ったところか。
「うーん……じゃあ、アキトくんとかはどうだい? 彼なら勤勉だし、なんせ、夕妃の弟だ。教え方も悪くないはずだろ?」
「な、なんで、アイツに教えてもらわなくちゃいけないの」
口を尖らせて抗議する。かなり不満なようだ。眉根を寄せている。だが、メルデスはお構い無しに続けた。
「まぁ、別に菊川くんとかでもいいけど……こだま、まだ彼に言ってないんだろ?」
その言葉で、こだまが目を逸らした。メルデスが深く溜息をつく。
「ほら、やっぱり。彼が居なかったら、君は此処に居ないかもしれないんだよ? 丁度いい機会じゃないか。君の性格だと、二人きりの方が言い易い、違うかい?」
「うぅ……」
■◇■
「メルデスの意地悪ぅっ!」
頬を膨らませて不満を漏らす。
その時だった。
「痛っ」
「おっとぉ」
周りをよく見ていなかったせいで人にぶつかってしまった。
尻餅をつくこだま。
相手は、すぐに手を差し伸べてきた。
「怪我はないかい、お嬢さん」
「あ、ごっ、ごめんなさい」
謝りながら、彼の手を借りて立ちがる。
スカートの裾に着いた埃を払いながら見上げたこだまはその顔に心当たりがあった。
「あれっ? あの時の、オジさん?」
「ん? あぁ!」
こだまは彼に会ったことがあった。学校帰りに『鬼』に襲われた時に助けてもらったのだ。
中年の彼は、くたびれた見た目からはあまり想像出来ないが、長い棒を振り回し、果敢に『鬼』に立ち向かった警察官であった。
「あのっ、あの時はありがとうございました」
敬語など普段は全く使えないこだまだったが、反射的に言葉が出てきた。
あの時と同じ、赤いネクタイをした彼は笑顔で手を振る。
「いやいや、オレの仕事は市民を守る事なんだから感謝されるような事でもないって。それより、あの後は大丈夫だったか? 保護しようと思ったらどこにも居なかったし」
「お、お陰様で逃げれたから! でも、凄いねオジさん。すごく強かった」
「お嬢さんに褒められるとは光栄だなぁ。でも、お嬢さんたちと一緒にいたあの少年も頑張ってたじゃねぇか。で、お嬢さん、この際聞くけど名前はなんて言うんだ?」
「アイツは別に何もしてないよ……。え、私の名前? こだまって言うんだよ!」
満面の笑みで自己紹介をするこだま。
しかし、その名前を聞いた男は、一瞬だが眉間に皺を寄せた。が、すぐに笑顔になる。
「いい名前だな。ところで、今日はあの少年は一緒じゃないのかい?」
「んーと……はぐれたっていうか、逃げてきたっていうかぁ……」
目を泳がせながら、言葉を濁す。すると、その時。
「こだまー! そんな所にいたのかよ」
「げ! 来た……オジさん、バイバイ! またね〜」
上のフロアにあの少年の姿を見つけたこだまは人混みに紛れるようにその場から逃げ出した。
またしても、蝶のようにひらりとどこかへ行ってしまった彼女の背中を見つめ、男は呟く。
「こだま……まさか、な」
こだまが逃げていったのとは反対向きに歩き出す。
こだまを追う、ふたりの少年と擦れ違ったが、彼の存在には気づかなかったらしい。立ち止まることもなく通り過ぎた。
「次会う時は、話をしようじゃないか。本城サンの坊ちゃんよ。ついでにあのお嬢さんのことも、聞かせてくれよ……」
意味深な彼の呟きを誰も聞いてはいなかっただろう。
この男、旭大輔は、一体何者なのだろうか。




