終焉の鬼
「君は、いったい誰なんだ?」
俺の質問に、少し考え込むような仕草をするリリー。無の空間に静寂が流れた。
半透明の彼女は、やはりあの時見たリリーとはどこか違う。『味方です』と言っていたが、それはどういう事なのだろうか。
『私は、一部で“終焉の鬼 リリー”と呼ばれているようです』
「終焉の、鬼?」
何やら物騒な名前だ。儚げな彼女の見た目からしてそんな恐ろしいものには見えない。でもって、始祖の鬼 リリーとはどう違うのだろうか。『始祖』と『終焉』。相反する名前をつけられたその意味は……
『そう、私と彼女は相反する存在。言わば、月と太陽。ですが、私は彼女であり、彼女もまた私なのですよ』
「それは……どういう?」
『そもそも私は、人間ではなく、彼女の“心”なのです。現在は『鞘』の形となってこだまのそばに居ます。今、力を取り戻しつつある“七つの鬼”は、彼女の“負”の感情が具現化されたモノ。そして私は……』
終焉の鬼 リリーは口を噤む。
言おうか、言わまいか……悩んでいるようなそんな顔だった。
『私は、終わらせる者。リリーが始めた全てのことを終わらせる者です』
さらに彼女は続けた。
『私は、彼女のほんの一部分でしかありません。ですが……彼女を終わらせることが出来るのは、私しかいないのです』
「なぁ、その終わらせるって言うのは……」
『最悪の場合、殺すことになります』
断言した。力のこもったその口調からして、冗談でも不確定要素でもない。その時が来れば、殺すのだ。でも、そうなったら……
『恐らく、貴方がお思いになっている事は正しい。そう、彼女が死ねば私も死ぬ。でも……それで良いのです。全ては、私が臆病だった所為なのですから』
少しでもつつけば崩れ去ってしまう……そんな気がした。
その表情も、身体の前でギュッと拳を握るその動作も全て。瞳が微かに潤んでいるようにも見える。
「大丈夫……か?」
『人間でない』と言った彼女だが、その表情の機微も何もかもが“人間”そのものだ。透けていることを除けば、彼女は一人の人間。儚げな少女だ。
『ええ……すみません。私のことは、これくらいにしましょう』
零れかけた雫をサッと払った彼女は、俺に向き直った。
『貴方には、彼女を斃す手助けをして欲しいのです』
そう来るだろうな……。分かってたさ。
少女の涙を見たせいで危うくすんなり「うん」と言うところだったが……、大きく深呼吸をして終焉の鬼 リリーに向き直る。
「助けたいのは山々だが……俺よりももっと頼りになる奴は一杯いる筈だろ? それこそ、メルデスとかオルガナに頼む方が確実だ。俺はそもそも、ミュートロギアも性にあってないんだ」
『ええ、存じております。しかしながら、貴方でないとダメなのです』
えぇー……
彼女の発言に既視感を感じて軽い頭痛を経験した。何でいつも俺なんだ。俺じゃなきゃ、ダメなんだ?
『納得がいかないようですね。しかし、貴方は他の人にはできないことが出来る。貴方にしかできないことがあるのです。その資格が貴方に与えられたのですよ』
はっきり言って、そんなの要らない。俺はただ、平穏な日々があればそれで良かった。
学校帰りにバイトに行って、勉強して、寝て、そしてまた姉貴に起こされて学校へ行く。ゆくゆくは大学へ行って、そして、刑事になる。そんな何気ない毎日があれば良かったのに……。
「それ、断れないのか。俺にそんな資格があるとは思えないし、あったとしても本人がこれじゃどうしようもないだろ」
『断るのは……貴方の自由です。でも、貴方がやらなければ代わりは居ないのです。世界を救うのも……あの子の姉を救えるのも』
大口を開けて大の字になって寝ているこだまに目を向ける。話題に上っているとは露知らず……相変わらずの阿呆ヅラだ。
そんな彼女は、姉のことを今はどう思っているのだろうか。あの夜、こだまの必死の訴えに何一つ耳を貸さなかった姉のことを、今も追い続けているのだろうか。救いたいと願っているのだろうか。
『彼女の決意は変わっていませんよ。日々の訓練も文句一つ言わずにこなしてくれていますから』
「……訓練?」
アイツ、最近訓練場で見たことねぇぞ。寝てるか、飯食ってる以外の姿を見てない。
『私を使いこなす為の訓練です』
リリーがニコリと微笑みながら言った。
もしかして、あの夜のアレの事だろうか……。光り輝く刀、凄まじい衝撃波。後から聞いてもこだまはよく分からないと言っていたが……
『貴方も見たでしょうが、私は始祖の鬼に対抗することが出来るのです』
確かに、あの時。天雨美姫に傷を負わせ、さらに対等に渡り合うことが出来ていた。いや、国連の横槍さえ無ければ……
『ただし、使用者に多大なる負荷がかかりますし、調整が難しいのが難点です。始祖の鬼は彼女自身の力をも振るう事が出来ますが、私は殆ど自らの力を振るう事が出来ません。リリーの“心”というあやふやな存在であるが故の欠陥です』
なるほど。で、こだまだけ特別レッスンをしていたという訳か。
いや、そうなると……俺は何をしろというんだ。
こだまが戦ってくれるのなら、俺が果たすべき役割なんてないんじゃないか?
『ええ、貴方は、戦う必要は無いのです。勿論、貴方自身の命を守る為に戦うことにはなりますが……貴方の本当の役割は戦うことではありません』
それは……一体どういう事だ。
メルデスに言われた『鬼に対抗する力』は接近戦で効果があると言われたのだ。じゃなきゃ無理して菊川たちと訓練する意味がない。
「じゃあ、何をしたらいいんだよ。───ッ?」
突然、リリーが俺のすぐ目の前に来ていたのに気づく。
美しい瞳が俺を見つめて……
『話を、聞いてあげれば良いのですよ。此処で』
俺の胸板に小さな手が重ねられる。
夢の中だというのに、ひどく冷たく感じられたその手は雪のようで、少し握れば折れてしまいそうなくらいだ。
心臓がドクンと跳ね上がる。
「ど、どういう事なんだッ。それは俺の『潜在潜入』の事を言ってるのか……?」
『貴方はそう呼んでいるのですね? でも、それはただの副産物に近い。恐らく、貴方の本当の能力はまだ開花していない』
……彼女は、肝心なことを何故隠すんだ。言ってしまえばいいのに。もどかしい俺の心を試すかのようだ。
『私とこうして話ができている事が何よりの証拠。貴方がその資格を有する証拠ですよ。時が来れば、分かります。貴方に与えられた使命も、そのために与えられた力も』
スッと俺から離れるリリー。
不安な俺とは裏腹に、安堵したような笑顔を見せる。
『そろそろ夜明けです。こだまも目覚めることでしょう。精神世界はお返しします』
すると、真っ黒だった世界が少しずつひび割れていく。ひび割れからは白い光が溢れてきた。……ッ、眩しい。
『貴方は私の、私たちの希望の光。貴方は選ばれた。私は、貴方に賭けます』
俺の足元までひび割れが侵食してくる。空間は光が乱雑に入り乱れて崩壊寸前だ。向こうで笑うリリーが紡ぐ言葉が聞こえなくなってくる。
『いつも……っま……その………時が………拓………!』
そして俺は、光の中へ……落ちて、落ちて、落ちて落ちて落ちて
【──10月11日、今日のお天気は、晴れ。絶好のお洗濯日和となるでしょう。気温は……】
ラジオの音声気づいて跳ね起きる。
……ん? 天気予報が流れているということは。
「遅、刻ッだぁああああああああああああああああああ」
独り絶叫する。
時刻はもう8時。完全に遅刻だ。
ちくしょう、リリーめ。もっと早くに起こせよ……いや、無理か。なんせ、こだまの夢を介して話してたんだもんな。こだまの目覚めに合わせたらこうなるに決まっていた。
ベッドの中で拳を震わせるものの、当たる相手もいないため取敢ず枕を殴っておいた。
■◇■
(何だったんだよあの夢は……)
はぁー。
深い嘆息が漏れる。文句の一つや二つ言ってやりたいところだが、彼女にどうアプローチすればいいかも分からないため俺の中でイライラが悶々とするのみだ。
「アキト?」
突然横から呼ばれて焦る。
菊川が俺の顔を覗き込んでいた。
「え? あ、うん。どうした」
「いや、さっきからボーっとしてたもんだから。大丈夫?」
「いや、うん……大丈夫だ」
いいや、大丈夫じゃない。全く宜しくない。
何故かって?
教えよう。
今日がテストの初日だからだ。
なんでよりにもよってこんな日にリリーは俺を呼び出したんだッ……!
声に出せない怒りがこみ上げる。目の前のこだまは、やはり気持ちよさそうに寝ているんだから、さらにたまったもんじゃない。
テスト自体にはどうにか参加できるものの……最後の見直しの勉強等をする余裕は皆無。
到着早々、俺は席につくハメになったのだ。秋の深まりと共に肌寒かったはずだが、俺は汗だくだ。
「じゃ、今からテスト配布するからねー」
夕妃先生がプリントを配り始める。
もうこうなったら仕方がない。俺の実力……見せてやる。
左手が疼くぜェっッッッ。
と、半ば自嘲気味に厨二病を炸裂させる。が、そんな事で事態が好転するはずも無く……無慈悲にも開始のゴングが鳴った。
ポタポタと滴り落ちる汗にもどかしさを覚えながらも、俺はペンを走らせた。




