お姉様の正体
「あの子が……リリーの心臓の守護者?」
「そうさ、無事に保護できて良かった。アキト君にはまた借りが出来たね」
大きな振り子時計が存在感を放つその部屋には、着替えを済ませた俺とフレイアが呼び出されていた。いつもの如く、ブルーライトで顔が青白く浮かび上がるセギさんや、気難しい顔で腕を組む姉貴も居る。そして俺たちの目の前には先程発言した金髪の男。車椅子に腰掛けるメルデス=サングシュペリがニコニコとしていた。
一通りの報告を終えたかに思ったが、なかなか帰らせて貰えない。
ここは、テストという名の正当防衛を振りかざして退出すべきか。隣にいる赤毛の少女はさっきよりは大人しいものの、時たま俺を睨んで来るし。
それに、今現在この部屋には八割方ヤクザと思われる男、岸野充や歩く破壊兵器、オルガナがいない。居ないうちに退散してしまいたい。
「そういえば、アキト。フレイアとは初対面じゃない?」
「え、あぁ……まぁ」
初対面にして、もう既に嫌われてるんだけどね。
「お互いさ、自己紹介だよ自己紹介〜。同じ釜の飯を食べる仲じゃないか。さぁさぁ」
せ、セギさんまで……。
横にいるフレイアは……
「……」
あーやっぱり。犬歯を剥き出しにして俺を睨みつけている。
だから、俺は何をしたんだっての。
「初対面ながら、犬猿の仲かな?」
その光景を見たメルデスがクスリと笑いながら発言した。
その表情は実に愉快そうである。俺はちっとも愉快じゃない。不快だ。
てか今、猿の話題は禁句だろ……襲われたばっかなのによ。危機感があるのかないのかよく分からないよホント。
「メルデス、いいジョークだねぇ。気に入った」
セギさんまで……メルデスとは少し異なる深い緑色の瞳を細めている。……洒落になりませんから。おやめ下さい。
「おや? アキトくん、どうしたんだい難しい顔して。仕方ないな、フレイアの機嫌が直るのは時間がかかるから僕が代わりに紹介してあげるよ」
「あ、じゃあボクも手伝おうかー」
いや、別にいいのに……。セギさんも何故かニコニコしている。
「それじゃあ、まずは名前からだね。彼女は夜裂フレイア。イギリスと日本のハーフだ。確か、お父さんが日本人だったかな。アキトくんの一つ下、高校一年生だ。ここでの仕事は主に外交。実は12ヶ国語を話せるエリートだよ。つい昨日までイギリスに行ってもらってたんだ」
ほう。見た目に反して凄いんだな。あのバカと同レベルで考えていたがその考えは取り消してあげることにしよう。「ほら見たことか」と言うような視線は腹立たしいがな。
「それじゃ、ボクから追加ね。えーと? 海外で既に名門大学を飛び級で卒業して博士号まであるんだね。将来の夢はお姉様のような完璧なレディーになること。趣味はお姉様に遊んで頂くことで、日課はお姉様の像をただひたすらに拝むこと。それからそれから……身長は153cm、スリーサイズは……」
「ストォーップ! それ以上言わなくていいッ」
意味不明というか、若干いかがわしさを感じる内容が羅列され始めた所でフレイアがセギの言葉を遮った。み、耳元で叫ぶなッ。
前半は感心すべき内容だった筈なのに……セギさんの情報収集力が初めて恐ろしいものに感じられた。どこからそんなの出てくるんだよ。
絶対にこの人、敵に回すと大変なことになる。別に後ろめたいことがあるとは言ってないけど、気をつけよう……。
しかし……余程素晴らしいお姉さんなんだな。
少しフレイアの崇拝度合いは変態の域のように思うが、そこまで尊敬できる人がいるなんて凄いと思う。俺も別に姉貴を尊敬しない訳じゃないが、かと言って崇拝するようなものでもない。
コンコン
ノックする音に全員が振り返った。
「あぁ、噂をすれば来たんじゃないかな? どうぞ入って」
まさか此処に呼んだのか?
この流れからすれば、確実にその『お姉様』という人物で間違いない。隣のフレイアの目が爛々と輝いている。
な、なんて言って謝ろう……身に覚えのないことを謝るのは至難の業だ。まずは、相手の第一印象を見極めて、そしてどのように謝るのが無難かを即座に判断する必要がある。俺は身構えた。
「お姉様ぁぁあ!」
扉が開くと同時にフレイアが駆け出……
ゴスッゴキッ……べちっ
え、ぇぇええええええええ………ッ?
入ってきた人物の膝がフレイアの鳩尾を深く突き刺し、手刀は脳天をかち割るかの如く振り下ろされ鈍い音をたてた。失神したのか、フレイアはその場に倒れてピクピクと痙攣している。
「その、呼び方を、やめろと、何度、言えば、わかる」
そう言いながら登場した銀色のサラサラヘアー、カーキ色の戦闘服。そして、目を黒い布で覆ったその女性は……紛れも無い。オルガナだ。二つ向こうの席に腰掛ける。何故だ……目隠ししてる筈なのに、睨まれてる気がする。
彼女は現在、俺が知っているミュートロギアの人間の中で最も凶暴で恐ろしい人物ナンバーワンだ。容赦なく手を出してくるからたまったもんじゃない。かと言って逃げる事も不可能、今まで逃げきれたという話を聞いたことがない。……俺の天敵である。
「やぁ、オルガナ。久々に会ったんだからもう少し優しくしてあげてもいいじゃないか」
「久々に、とは、言うが、毎日、一時間おきに、メールを、寄越して、いたぞ」
苦笑いしながら宥めたメルデスだったが、オルガナは出入り口付近で死にかけているフレイアを振り返ること無く言い放つ。
おい、フレイア。……毎日一時間おきって、ストーカーじゃねーか。
やっぱこいつも変人認定だ。そもそも、オルガナをお姉様と慕うのが良くわからない。まぁ……声も綺麗といえば綺麗だし、何も喋らずじっとしていればかなり雰囲気美人な感じもするが、目も隠しているし毒舌だし暴力の嵐だし……尊敬できるのは戦闘センスくらいだろうか。
ただ、確かに、俺があの夜独断で行動したせいで彼女が怪我をしたのかもしれないが。いや……待て。直接の原因は俺じゃなくて『ネメシス』の方じゃないか。俺はここに冤罪であることを申し立てたいね。
「まぁ、勿論、全て、無視、したが。それより、メルデス、報告だ」
遂に口から泡を吹き始めたフレイアを放置したまま、オルガナが報告を始めた。苦笑いをしていた姉貴も、パソコンで何やらずっと調べ物をしていたセギさんも真剣な表情になる。
「例の、89番ゲートを、確認に、行かせた、ところ、それらしき、猿、および、『鬼』の、姿は、確認、されなかった。引き続き、周辺の、捜索を、続けさせて、いる」
「は……? い、いなかった? どういう事よそれ」
姉貴がオルガナの報告に異議を申し立てる。俺も同じ気持ちだ。猿の逃げ足は確かに早い。でも、あの様子ならどこかで人を襲っていてもおかしくはない。なのに……
「お、俺の刀……無かったですか」
ふと思いだした。刀を放置して電話ボックスに飛び込んだことを。あんなのが路上にあれば大騒ぎになる筈。きっとオルガナたちが回収してくれてい……
「刀? そんなもの、無かった。報告にも、上がって、いない」
え、嘘だろ? 確かに俺は刀を放り投げた。地面にあたって高い音を立てるのも聞いた。
「お猿さんが持ってったんじゃないのぉ?」
セギさんがおちゃらけたように言う。勿論その可能性だって無いわけじゃない。無いわけじゃないが……不自然だろう。
誰かが持ち去った……?
だとしたらかなりマズい。確実にアレには俺の指紋も付いてる。血の気が引いていくのが分かる。
数年前に国連で採択された『異能特別取締条約』。賛否両論ある条約だったが、これを日本は世界の何処よりも締結に協力し、率先して批准国となった。それによって、異能を持つ者は全員、指紋や声紋、DNAサンプルなどの提出が義務付けられているのだ。勿論俺のものだって登録されている。
指紋鑑定なんてされたら……身震いした。そんな……俺は刑事になるんだぞ。こんな所で前科が付いちまったら……
「アキト、何青ざめた顔してるのよ」
「姉貴ぃ俺……刑事になれないかもしれない」
泣きそうになるのを必死で堪える。親父……こんな所で人生が詰んじまう……バカな息子を許してくれ。こんな所で泣くのもみっともないが、ひたすらそれに向かってやるべき事をしてきた俺にとっては死活問題なのだ。
「えっと、アキトくん。この世の終わりみたいな顔してるけど……その心配はないと思うよ?」
へ? メルデスの言葉に耳を疑う。その心配は無い? どういう事だ。
「暁人? このセギがいる限り『情報』なんかちょちょいのちょちょぉーいですり替えれちゃうんだぜぇ?」
「君が僕らの仲間になった時点で君の記録はこちらで適当に弄っておいたからね。そんなことくらいでは捕まらないよ」
初めて俺はミュートロギアに心から感謝した。途絶えたかに思えた俺の夢が……って、そもそもこいつらに関わらなきゃこんな心配もしなくて済んだっての。
やはり俺は何処までもひねくれた人間なのだ。
「まぁでも、刀が消えたのは少々気になるね……オルガナ」
「分かって、いる。それも、含めて、再捜索、だろう」
席を立ち、オルガナが踵を返す。銀色の髪がふわりと躍る。女性特有の芳しい香りが鼻腔をくすぐる。バリッサの魔の手から救ってもらったあの時も思ったが、何でそんなところだけ女っぽいんだよ。
ムクリ
白目を向いていた筈のフレイアが気を取り戻したようだ。
「お姉様っ」
オルガナの後ろをとった。というか、背後から抱きついた。身長差のせいで本当に姉妹のようにも見えるが……
「邪魔だ」
「ぎゃふんっ」
あーあー。投げられちゃったよ。大きな音を立てて激突し……その反動で扉が開いた。再び屍のようになったフレイアを跨いでオルガナは出ていく。
なんだか可哀想な気もするが……姉貴やメルデスたちの反応を見る限り今日に限ったことでは無さそうだ。それでもめげないなんて、ある意味ガッツのある奴と言えば聞こえはいいな。
「……本城暁人」
ひ、ひぃぃい
出ていった筈のオルガナが、ひょこりと顔だけ覗いて俺を見ていた。日頃から物音一つ立てないオルガナは……やっぱり不気味だ。
「ななな、なんでせうか……」
「グレンが、お前達、二人の、ために、食堂を、開けて、くれている。早く、そいつを、連れて、行け。いいな……返事は?」
「りょ、了解です……」
頷くと、彼女はやはり表情一つ変えずに引っ込んでいった。緊張から解き放たれた脱力感が俺を襲う。
大きく溜息のような深呼吸をした時、フレイアがぴょこんと飛び起きた。辺りを見回す。
「おっ……お姉様はッ?」
リカバリーの早いヤツだな……
「フレイア、グレンさんがご飯用意してくれてるってさ」
……キッ
な、なんで睨むんだよ……面倒臭い奴だな。
オルガナに『こいつも連れてけ』的なこと言われたけど……多分無理だ。こいつとは上手くやってける気がしないしね。
「ふんっ。行きますわよ、ヘタレ男ッ」
「……はぁ?」
服に付いた埃を手で払いつつ、何故か命令口調だ。フレイア……お前年下の癖に何様だよ。つーか、ヘタレってなんだ。果敢にも鬼化したであろう猿共に立ち向かってっただろーが。自分で言うのもなんだけどさぁ……。
「まぁまぁ、アキト。こういう子なのよ」
姉貴に諭され、グッとこらえる。そうだな……高一のガキ相手にムキになっても上級生として恥だ。ここは俺が紳士的になるべきだな。よし、落ち着け俺。
「はいはい。じゃあ行こうかフレイア」
「気安くファーストネームで呼ばないで頂戴。自分より低レベルな男には威厳をもって接することにしてますの」
イラ………ッ。
なんだよこのチビぃ。流石の俺もだな……
「こら、そんなこと言っちゃダメじゃないかフレイア。仮にもアキトくんは高二だよ。先輩なんだから……」
「お姉様がそう言ってらっしゃったのです! お姉様が法であり世界の秩序なのですっ!」
メルデスの注意に対して訳の分からない事を言い始めたぞ。
もしも、あんなのが世界の秩序だったらそれこそ世界が終わるぜ。確かにオルガナは岸野に向かって『低脳』とか言っているが……その真似をするにしては低レベルな気もするぜ? フレイアさんよ。
「あーはいはいはいはい。分かったよ。夜裂、で良かったよな? ほら、夜裂行くぞ」
「フフン、そこまで言うならついて行ってあげますの」
さっきまで死にかけていたとは思えないくらい上機嫌で態度のでかいフレイアに続いて部屋を退出する。メルデスやセギさんが憐れむような目で俺を見ていた。
はぁあ……。
俺はここ二ヶ月の間に、面倒臭いチビ二人に絡まれたことになるな。もしかして、なんかに取り憑かれてるのかな……御祓とか行った方がいいんだろうかね。
と、ちょっぴり本気でそう思ってしまう俺だった。
■◇■
「あーあ、暁人かわいそうに」
というセギの顔は実に愉快そうだ。その顔はブルーライトで照らされていることもあってさらに不気味である。
「悪い子では無いんだけどねぇ……」
二人の背中を見送った夕妃は苦笑いで呟く。「そうだね」とメルデスも同じ表情だ。
しばしの沈黙。大時計がコチコチと時を刻む。
時刻は八時半をすぎた頃。セギが大きく伸びをしつつ欠伸した。
「さて、僕はクレイス姫の様子を見てくるよ」
「じゃあ私も明日の授業の準備があるし行くわね」
部屋に残っていた三人もそれぞれ動き始めた。
セギもパソコンをパタリと閉じて席を立つ。また大きく伸びをした。部屋の明かりが落とされる。
指揮官室には、誰も居なくなった。
静寂の中、大時計は時を刻む。コチコチコチコチと。
それはまるで
第二の鬼が迫る足音のように……




