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ネメシス

 

「取り逃しました。申し訳ございません」


 とあるビルの最上階、そのフロアの最も奥にある部屋。

 会議室ほどの広さはないものの、高級そうな革張りのソファーに深く腰掛ける男が一人で使うにはあまりにも広く、そして豪華である。部屋の両脇には骨董品の皿や、著名な画家の絵画、そして、男が座っているのとは別に部屋の奥にデスクと椅子が鎮座している。どれも一流品を揃えているのは彼の趣味か、或いは単なる自己顕示か。

 この部屋の主であるこの恰幅の良い男。歳はもう五十代後半であろうか。髪には白髪が混じっている。彼自身もシワ一つない、超高級ブランドのスーツを着ており、一箱数千円もする煙草を惜しげも無くふかしていた。


──時は本城暁人が第一の鬼バリッサと戦ったあの夜、その数時間後である。

 謝っているのは先程述べた恰幅の良い男ではない。その部屋にはもう一名、男がいた。日本人にしては背の高い彼。その引き締まった身体を半分に折り曲げ、男に向かって頭を下げている。癖毛気味の茶髪をすべて後ろに流し、室内だと言うのに黒革のコートに身を包み、泥のついたブーツを履いている。


 彼は暫く頭を垂れたままだったが、(ようや)く顔を上げた。歳は二十代の後半。先んじて目に付くのは、その整った顔を隠す右眼の黒い眼帯。だが、この恰幅の良い男にとっては見慣れたものなのでさほど気にした様子はない。



「仕方ないなぁ。菅谷くん。あぁ、鼻の横、血がついてるよ」



 彼は笑顔で菅谷と呼んだ男にソファーへ腰掛けるように勧める。黙って灰皿を差し出した。



「いえ、必要ありません。報告だけですから」


「上司にそんなお堅いこと言うもんじゃないよ? そうか、君は命令だと言えば従うんだったかな」



 菅谷と呼ばれた男は彼の言葉に顔を顰めたが、ようやく観念した。向かいのソファーに遠慮気味に腰掛けた。さすがに煙草に手を伸ばすことはしなかったが。指摘された鼻の横を服の袖で拭う。



「今回の件に関しては完全にこちらの準備不足。全責任は私にあると言えます」



 菅谷はこのような状況に慣れているらしい。物怖じすることも無く、ただ己の拳に目を落としていた。



「まったく、あの男を取り逃がすとはねぇ。あ、いや。責めているという訳ではないよ。君たちは日頃から色々とやってくれてるし、なんせ突然の出動だったろ? まぁ、私がかけてあげられる言葉といえば……」



 彼は言葉を切り、葉巻の煙を大きく吸い込む。ふう、と一息つくと煙は男の鼻や口から吐き出された。吐き出された煙はモヤのように男の顔を隠す。



「次は“必ず”うまくやれ。ということくらいだ」



 その表情は菅谷から見えない。

 束の間の沈黙。その沈黙を破ったのは菅谷の方だった。スっとその場に立ち上がり、男を見下ろす。



「もちろんそのつもりです、幸下(ゆきした)さん。では、始末書がありますので」



 紫煙が晴れ、そこから覗いた恰幅の良い男、幸下の顔は笑っていた。クククと笑うその顔は時代劇の悪代官を思わせるような……

 菅谷は再び頭を下げ、ソファーを離れ足早に部屋を去ろうとした。色々な意味で居心地の良い部屋ではない。その本音を部屋の主も知っている。しかし、それも踏まえた上で背中に向かって幸下は声を掛けた。



「堅物だねぇ……昔はもっとヤンチャしてたのに」



 幸下の言葉に、ドアノブにかけていた手が止まった。木製の分厚い扉を向いたまま左眼を細める。彼が言わんとした事を察し、菅谷は不愉快この上ない。だが、堪えた。自身の立場と部下達の事を思えばそうせざるを得ない。



「昔は、始末書を書いてくれるヤツがいたのでね」



 そう呟いたきり、彼は部屋を後にした。出た先には若い男が控えていた。色黒のその男は日系人なのだとか。幸下の部屋に呼ばれるたびに合わせる顔だが菅谷はあまりその男のことをよく知らない。恐らく秘書だろう、くらいの認識だ。

 若い男は笑顔で菅谷に会釈して幸下の待つ部屋へ入った。


 その姿をしっかり見届け、扉が締まりきった事を確認して菅谷はため息をつく。



「あの、化け狸が……」



 彼の悪口に値する呟きを聞いていた人間は居ないはずだ。高級そうな赤い絨毯が敷かれた廊下を独り歩き出す。突き当りにあるエレベーターは既にそこに止まっていた。

 全面ガラス張りになった四角い箱は菅谷を載せて、下へ下へと降下してゆく。街の景色が見渡せる。ほぼ真下には、1500年前まではこの国の皇族が住んでいたとされる場所の跡地が広がっていた。堀と呼ばれる部分には水が溜まり、夏の間に大量発生した藻がビッシリとその水面を覆っている。もう外は明るくなってしまっていた。


 フッとその景色が消えた。エレベーターの内部も暗闇に包まれ、暫くすると頭上の蛍光灯が灯る。それでも、周りの景色は全く見えない。暗闇ばかりだ。


 その狭い箱の中で、彼は先程の神社での事を思い出していた。

 


「『何時(いつ)か君の、君たちの助けが必要になる』『その時は僕から君たちに逢いにいく』……か」



 菅谷はボソリと呟く。彼は、五年ぶりに見たメルデスの顔が酷くやつれたように見えていた。そして、右眼が疼き始める。彼の事を思い出すといつもそうだった。



「まさか心配しているのか……あの裏切り者を」



 そんなはずはない、と菅谷はフッと笑う。しかし心のモヤは晴れることがない。何を、彼は知っているのか。菅谷はどうしても引っ掛かる()()をふと思い出した。まさか……いや、きっと知っている。自分達の知らない情報を、(メルデス)は知っている。それもまた菅谷を悩ませる一つの種だ。

 


───チーン

 (ようや)くエレベーターが降下するのをやめた。ふわりと体が浮くような感覚の後に、重々しい音とともに扉が開く。



「おかえりなさい、菅谷さん。どうでしたか」



 丁度、入った部屋でデスクワークをしていた男が菅谷に声をかけた。

 菅谷も十分に端正な顔であるが、どちらかと言えば少し荒々しさのある顔であるのに対し、目の前のその男はほっそりとした鼻筋。日本人では無いようだ。優しそうな目は茶色(ブラウン)というよりは、琥珀色(アンバー)に近い。ウェーブした少し長めの髪は薄い紫色。

 菅谷とはタイプの異なる、世間一般でいうところのイケメンである。また、その振る舞いや言葉の選び方からしても知的で柔和な人間であるように思える。



「『次は“必ず”』だそうだ」


「さすがは幸下さんですね。あ、コート預かりますよ」



 作業していた手を止め、彼は菅谷のコートを脱がせてどこかへ持って行った。かなり気の回る男のようだ。さらに、濡れたタオルを持ってきた。鼻の横についた血の跡を拭くためだ。まだ残っていたらしい。

 夏だというのに、渡されたタオルで顔を拭く菅谷はコートの下に白いハイネックの長袖の服を着ていた。戻ってきた男に菅谷が話しかける。



「ティナ、そう言えば他の奴らはどうした」



 ティナと呼ばれた彼は「あー……」と、言葉を詰まらせた。目が泳いでいる。


 今、菅谷が居るこの部屋には、彼とティナと呼ばれた男しかいない。しかし、やけに広いこの部屋にはティナの使っていたデスクの他にもいくつか同様の作業スペースのようなものが見受けられ、それぞれに使用している痕跡があり、散らかる様は先程まで此処にいたことを伺わせる。



「みんなで奥の部屋に引っ込んじゃいました……」


「またか」



 部屋の奥、確かにそこにドアがある。一つではない、幾つかある。その内の一つ、中から光が漏れる扉に向かってずんずんと近づいて行く菅谷。その後ろを追いながらティナは苦笑いをしている。僕が言っても聞いてくれなくって、と微かに苦情を漏らしながら。



「貴様ら……」



 部屋に入るなり、案の定額に青筋を立て始めた。一言呟いたきり言葉を失う。これも彼らの日常である。部屋にいた全員が振り返った。皆その表情はバラバラだ。



「おかえり、菅谷」



 扉の一番近くに寝そべっていた男が声をかける。うっとおしそうな黒くて長い前髪。目がほとんど隠れてしまうため表情が読み取りづらい。彼の名前はダラスという。

 その奥から、今度は抑揚のない声が飛んできた。



「おそかったですね」



 ゲーム機から手を離そうとしないこの白髪の少女は、メルデスに銃口を向けていたあの狙撃銃の少女、ライラである。菅谷をちらりと見たきりまたテレビゲームに熱中し始める。

 その隣には華奢な彼女とは対照的な大柄の男が。同様にゲーム機を握りしめている。白衣を着ている所を見る限り、医者か研究者のようにも見える。



「まいど、ごくろうさんやなぁ。あ、菅谷もや……」


「やらん」



 ニカッと白い歯を見せて笑うこの男。切りっぱなしのオレンジ色の髪に、ぐるりとタオルのようなものを巻き付けており、目は茶色だが赤みの強い茶色である。程よく焼けた肌で陽気な雰囲気が漂う。



「トネリコ、ライラ! いい加減にしなさいよっ。菅谷先輩も帰ってきたのに」


「なんやー、輪堂ちゃん。ええやんか、たまには娯楽も必要やで? てか、自分もやっ……」


「うるさい。変態。耳元で騒がないで」



 トネリコという名前らしいが、旧関西圏の言語、関西弁を話している。白髪の少女に変態呼ばわりされた彼は拗ねたように唇を尖らせた。



「変態ちゃうやんライラ。みてみ? なぁーんも変態な所なんかあらへんやろ? あそこのドアんところでよー分からんけどプルプル震えてるやつの方がよっぽどヘンた……ぐほぅえっっ」



 ライラが手にしていたゲームのコントローラーが彼の“裸”の鳩尾に食い込んだ。



「裸に白衣着てるほうがよっぽど変態」



 ごもっともであろう。

 ゲーム機を放り投げ、泣いて部屋を飛び出したトネリコ。確かに下半身は細身のジーンズを履いているものの、上半身は……裸なのだ。その上に白衣を羽織っている。

 誰一人として彼を追いかける人物はいない。いつもの事だからだ。



「で、お前は何してるんだ。輪堂茜(りんどうあかね)



 フルネームで呼ばれた彼女はビクッと肩を震わせた。黒のタンクトップを着ているのだが、たわわな胸元がどう見ても服にかなりの重圧をかけている。白い双丘が彼女の動きに連動して躍動する。

 普通の男ならそれを見て大喜びするのだろうが、少なくともここにいるメンバーにそのような人物はいない。



「そ、その……」


「輪堂さん、よく知らない爽やかイケメン少年に組み伏せられたのが悔しかったみたいですよ?」


「さ、爽やかイケメンはこの際どうでもいいでしょっ」



 ティナが補足したが、輪堂──巨乳短髪ですこし気が強そうに見えるこの女性──は顔を赤らめながら抗議する。しかし、『悔しかった』ことに関しては否定も肯定もしない。さらに言えば、彼女の足元にはダンベルや、ヨガ用マット……様々な道具が散らばっていた。



「輪堂、努力するのは大いに結構。だが、『始末書』は、書けたのか」



 その言葉に、全ての動きをフリーズした茜。

 ほかの人間には食ってかかる割に、菅谷にはなにも言い返さない。先程のティナ以上に目が上下左右に泳ぎ、言葉を探しているようだった。



「……最初はそこで筋トレしてたけど、輪堂、さっきまでゲームしてたよね? トネリコに(そそのか)されて」



 声を発することが出来なくなっていた茜を見兼ねたのか、ダラスが意地の悪い顔で呟いた。いや、呟きにしてはかなり大きい。それを聞いた菅谷の表情がさらに強ばる。



「す、菅谷先輩っ。申し訳ございませんでしたぁああああ……い、今すぐ、始末書を!」



 亜音速で菅谷の足元に三つ指をつき深々と土下座する輪堂。床で双球がムニュリと潰れ、その反動を利用するようにはね起きた。そして目にも止まらぬ速さで部屋を飛び出す。その顔は茹でたタコのように真っ赤だった。



「よし、始末書は輪堂の物が出来上がり次第持っていくとして……おい、あの人は」


「ああ、(あさひ)さんは……」



 その時、エレベーターが到着した音が聞こえた。誰かが来たようだ。


───ガシャンッ パリンッ

 何やら不可解な破壊音。奥の部屋にいる全員がため息をつく。恐らく、あの男が輪堂にちょっかいをだしたのだろう……と。特にティナはまたそれを掃除しなければならない、と頭痛のする思いである。薄紫の頭を抱えた。



「オチチチ。痛ってーな……」


「本当に懲りないですね、旭さん」



 奥の部屋に逃げ込んできた中年の彼に菅谷は()()釘を刺す。『一応』というのは、言っても無駄だと諦めているからである。

 無精髭を生やし、窶れた顔の彼は旭大輔。最年長だ。草臥れたワイシャツに赤いネクタイ、そして、金色のカメレオンを象ったタイピンはいつもと変わらない。摩っている額が赤くなっていた。



「それ、ブラジャーつけてんのか? って訊いただけじゃねーか……あ、そういえば戻ってくる時に白衣着た変態がエレベーターの隅で泣いてたんだが、職務質問するべきだったかな。今日は誰が泣かせたんだ?」



 ゲームに熱中していた白髪の少女、ライラがくるっと振り向いて、ピースした。顔は無表情のままだが。

 部屋にクスリと笑いが起こった。



「さて、旭さんもお帰りになった事ですし、昨日の反省会も兼ねて朝のミーティング始めますよ? 今日は仕事がいつもより多めですから、気合入れて下さいね」



 ティナが場をまとめた。彼はこの個性派ぞろいの彼らをまとめるには必要不可欠な存在である。リーダーは菅谷で間違いないが、彼らの頭脳であり核であるのはティナなのだ。その昔、()()()がそうであったように。故に、どうしても菅谷はその姿に金髪の狡猾な男を重ねてしまう。



───彼らは『ネメシス』

 彼らの一日は始まったばかりだ。

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