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逃走

またまた三人称視点とアキト視点が混ざっています。ご了承ください。



「何で奴らが此処に……ッ。クソッ」



 岸野が(デザート・).(イーグル).を握りしめ、忌々しげに唸った。額には大粒の汗がながれ、怒っているのか、まさかと思うが恐れているのか、眉がぴくぴくと小刻みに震えているのが分かる。隣にいるDr.レンの表情も芳しくない。彼もまた愛銃(コルト・ガバメント)が手元にあることを確認した。

 このふたりがここまで恐れるネメシスとは、一体どんな組織なんだ。


 もし、都市伝説が本当で、彼らが異能を専門とする諜報機関であるのなら、ミュートロギアが狙われるのもわかる。しかしタイミングが悪すぎる。どう転んでもミュートロギアが不利だ。

 俺たちは現在メルデスらの姿が確認できる、少し離れた草むらに隠れているのだが、見える限りで味方はネメシスらしき人間達の半分くらいしかいない。メルデスは杖をついて立っており、先頭にいる男と何やら話している様だ。その距離は約四十メートル。


 その後ろには先程俺を励ましてくれた大人達であろう姿もあったが、いない人の数の方が多い。さらに、生きている彼らも消耗していることは間違いない。俺も含めてだが、目の前で状況を伺う岸野も度重なる異能力の行使で随分とキツそうだ。実際、ここまで移動してくるのに空間移動で一度に進める距離が当初より短くなっているのが顕著だったように思う。



「飛び込んでいってもどうしようもねぇ。どうしたらいい。恐らくオレが居ないからスグに突っ込んでこねぇんだろうが……」


「ネメシスって………強いんですか」



 小声でブツブツと呟いている岸野の言葉を遮り、疑問に思ったことを訊ねてみた。ようやく声も出るようになってきたのだ。彼らがこんなにも慎重になるのだから、想像はつかないこともない。しかし、この状況を把握するためには俺も知っておくべき情報だろう。

 岸野が俺の方をゆっくりと振り向いた。隣にいるDr.レンも同様に俺を睨む。常にキレてるようなイメージの二人に睨まれ、俺は蛇に睨まれた蛙のように萎縮した。



「メルデスから何も聞いていないのか?」



 Dr.レンが呆れたように俺に訊き返した。勿論何も聞いていない。都市伝説は知っているが、所詮それは都市伝説。そもそもネメシスは実在しないと思ってたし。



「ヤツらは国連が管理運営している特殊国際警察みたいなモンだ。世界各国の警察や軍、はたまた、直接スカウトされた精鋭だけで組織されてる。勿論、全員が異能力者だ」



 やはりそうか。

 Dr.レンの説明を聞いて確信に変わる。

 さらに、岸野が俺の先程の質問に対して答えてくれた。



「ンなわけで、強いに決まってるだろっての。特に、菅谷(すがや)(あさひ)の2人には気をつけねぇと……ヤツらは人間超えた化けもんだ」


「あそこにその二人共が……?」


「ん? いや、旭が居ねぇな。どっかに隠れてやがるかも」



 Dr.レンが、あれが菅谷だ、と指さして教えてくれた。

 かなり遠くにいるため顔までは見えないが、茶色い髪で背丈が高く、月の光を少しばかりテラテラと反射する黒い革のロングコートを身に纏っている。彼がメルデスと何やら話をしているように見えた。


 岸野が目を凝らしてその旭と呼んだ人物を探そうとしていた時だ。



「ねぇ、あれ!」



 俺は気づいてしまった。菅谷と呼ばれた男の後ろに控える女に拳銃を突きつけられている人物がいることを。その人物も女で、長い、銀色(シルバー)の──。


 どうするんだ、と俺が焦って訊く前に動き出した人物がいた。

 俺の隣にいた銀色の長髪の男。Dr.レン。岸野の静止も振り切ってノコノコとひとり草むらから出ていってしまう。



「バカかアイツ!」



 岸野も草むらから出てDr.レンを追おうとしていた時だった。


 こちらを見つめる少女がいた。少々奇抜なヘソ出しの軍服を着た華奢(きゃしゃ)な少女。菅谷と呼ばれた男とは少し距離を置いているが、紛れもなくネメシス側の人間に間違いない。切りそろえた白髪が潮風に少しばかりたなびいている。背中には狙撃銃のようなものを斜めに掛けていた。

 俺は、彼女からなんとも言えない威圧的なオーラを感じたように思った。いや、それどころじゃない。彼女は、危険だ。俺の直感がそう告げる。


 つまり、Dr.レンが、危ない。

 俺も岸野に続いてDr.レンの後を追おうとした。

 すると、どういうことか周囲が濃い霧に覆われる。何も見えなくなり、やむを得ず俺と岸野はそこで立ち往生してしまった。先程まで目の前に見えていた敵も味方も見えなくなった。

 この霧を出したのは味方サイドなのだろうか、それとも、(ネメシス)サイドなのか……。


 先に行ってしまったDr.レンの姿すら見えない濃霧。こんなのが突然発生するなんて、自然現象だとは思えない。異能の仕業だということは明らか。

 周囲を警戒した。もし先程の仮定が後者なのだとしたら。何処から攻撃が飛んでくるかわからない。焦るな、俺。



「岸野さん、メルデスさんに合流しないと……」


「こんな情ねぇこと言いたかないがな……この体力じゃ正直あの人数を安全に空間移動(テレポート)させられるか微妙なところだ。それに、今テレパスでメルデスに話しかけてるが応答がねぇ。多分奴らに邪魔されていると考えた方が妥当だ」



 なるほど……。状況は最悪というわけだ。既に俺の背中には冷たい汗が小さな川を作っている。



──ザッ。

 背後から聞こえた微かな足音に過敏になった俺の耳が反応する。岸野も同様だ。振り向きざまに(デザート・).(イーグル).の安全装置を外しつつ音源に銃口を向けた。

 先程目の前にいたはずの、菅谷という男だろうか。それとも、あの場にいなかった旭という男か。万が一、向こうに俺たちの姿が見えているとすれば一巻の終わりだ。その足音はまさに死の足音。



「見えねぇところから奇襲するなんざ卑怯だな。それとも、オレと真っ向から勝負するのが怖ぇのか? 生きてここから帰れたらテメェをコンクリ詰めにして大阪湾に沈めてやろうか? なんか言えよこの腰抜けが」



 岸野がドスの聞いた声で相手を挑発する。

 ……てか、脅し文句がさ、今でも大阪湾という地名は1500年前のまま残っているから知っているけど、旧関西圏のヤクザが使うのと全く一緒だし。

 やっぱりこの人ヤクザ確定でいいや。



《黙れガキんちょ。俺は、ヤクザじゃねぇ。離れるんじゃねぇぞ》



 なっ……?

 突然岸野の声が脳内に語りかけてきた。勝手に接続(マインドコネクト)すんなっての! と抗議しようと思ったがすぐに向こうからの接続が切られてしまって言い返せない。


 そ、それよりだ。

 今は目の前の敵に集中しないといけない。見えないから何も出来ないけど。いつ襲ってこられても対応できるように刀をもう一度強く握り直し、下段に構えた。


 岸野の威圧に対して相手は何の反応も示していない。恐れおののいて逃げ出したか? その方が有難いんだが……。



「よっ、アキト!」


「うゎっ!」



 突然背後から声がかかって変な声を出してしまった俺。聞いたことのある声だ。すぐさま声のした後ろを振り返る。

 そいつは空中に浮いていた。つんつんとした少し赤っぽい黒髪。ニカッと笑い、背中に二本の刀を斜めがけしてクロスさせている。



「オイ。栁達哉(やなぎたつや)。何故テメェがここにいる? 成人してねぇやつは留守番してろという命令だったハズだ」



 岸野が静かに唸るような声で問い詰める。タツヤは少し困ったような顔をした。

 その時俺は気づいた。



「タツヤ。もしかして、ダイキも来てるのか?」



 そう、タツヤは何も無いところに浮いているわけでは無かった。目を凝らすと小さな透明の立方体(キューブ)に指の吸盤で張り付いているだけだ。この透明な立方体(キューブ)には見覚えがある。菊川大輝の異能力、『立方防御(シールドキューブ)』だ。こんな使い方もできるとは……やっぱあいつすげぇわ。

 首肯した達哉は「よっ」と言う掛け声とともに地に足をつけた。



「どうやってここまで来た。場所は秘密裏に伝達されていたハズだ。それに、テメェらだけで転送装置は使えねぇだろ。誰の差し金だ」


「あぁ、この霧を発生させている張本人サンに連れてきてもらったんッス。実のところ、セギさんにも手がつけられなくなっちゃったんスよ」



 この霧を出したのは味方なのか。というか、セギさんにも手がつけられないって……どういうことだ。



「霧……? そんなの使える奴いやがったか」



 岸野が心当たりがないぞとタツヤを睨む。本当に彼はこの状況を分かっているのだろうか。先程からの軽い口ぶりにしてみても、そうは見えない。



「霧っつーか、あれっスよ」



 その時、重圧感のある音とともに大地が大きく揺れた。霧が出ているにも関わらず風が吹き荒れる。こんなの、自然界じゃ、ありえない……あ。


 俺は気づいた。こんなことを可能にする異能力の使い手がいた事を。俺の身近に。そうだ、彼女の名は……!


 刹那、暴風が俺たちを襲う。


 突風とともに視界が晴れ、夜空には光り輝く月と星。Dr.レンもすぐ近くにいて何がどうなっているのか分からないといった表情だ。


 先ほどと同じ景色だとおもっていたが、その中に異質なモノが混ざっていた。不自然に隆起した大地。その頂上(てっぺん)に立つショートヘアーの女。白いシャツが風に揺れる。

 俺だけではない、岸野もまたその姿に唖然とし、同時に心持ちを軽くした。そして、ほぼ同時に呟いた。



「本城……夕妃ッ?」


「あ、姉貴ッ?」



■◇■



 少し時間を遡る。

 本城暁人や岸野充、レンがあの草むらに現れる少し前のことだ。



【メルデスに、告ぐ。本城暁人が、第一の鬼を、追い詰めた】



 インカムで話しかけてきたのはオルガナだ。メルデスは苦し紛れだが笑顔で応答した。



「それは良かったよ。こちらも順調だ。あともう一撃で全て浄化し終えるよ」



 そう言うとメルデスはインカムのモードをスピーカーに戻した。ゆっくりと向き直る。その表情はやはり芳しくない。白い肌がふだんよりも蒼白になり、尋常ではない汗が落ちている。それでも彼は笑っていた。近くで戦っていた隊員が駆け寄る。



「メルデスさん……どこか具合が悪いんですか」



 先程、アキトの前に進み出たあの女性隊員だ。彼女たちはあの場をどうにか切り抜けてメルデスたちに合流したのだ。メルデスは彼女にも笑顔を見せる。



「どうってことないよ、心恵さん。最近運動してなかったせいかもね。オルガナに叱られちゃうなぁ」



 あはは。と力なく笑うメルデス。

 彼女は心配でならなかったが、彼の力が必要なのも事実。彼が鬼化した人たちを纏めて浄化してくれているおかげで隊員の犠牲は最小限に抑えられているのだ。

 メルデスの足元が緑色に光を発する。彼を中心に同心円状に広がる光。仲間たちがメルデスの周りに寄ってきた。彼の力の及ぶ範囲に居れば普通の人間は鬼から身を守れる。

 逆に、鬼はその動きを止められその瞬間を待つのみ。



長内(おさない)、お前んとこの坊やは俺たちで必ず育てるからなッ……向こうで見守っててくれ」



 メルデスが掌を握った途端、鬼と化した味方も含め砂となって霧散した。


 そして、銃声や刃物がぶつかり合う音、怒号、悲鳴が飛び交っていたのが嘘のように静寂が訪れた。彼らはメルデスを囲むように立ち尽くし、各々の想いに浸る。仲間を失った悲しみ。死んだ者とはいえそれを斬り捨て、撃ち抜き、殺したことに対する罪悪感。そして、生きて帰れることの喜び。

 皆、この瞬間に生きていることを実感する。

 いつもはその後暫くしたらその場を離れ、アジトに戻るのが通例だった。


 そう、いつもは。



「久しいな。メルデス」



 皆一斉に声のした方を向いた。黒い戦闘服にフルフェイスのヘルメット、全員がサブマシンガンを携帯している集団が立っていた。味方ではない事は明らかだ。なぜならその銃口は、全て彼らミュートロギアの方へ向いていたから。

 その先頭に立つ男が先程、メルデスの名を呼んだ人物であろう。彼だけはヘルメットも被っていなければ戦闘服でもない。


挿絵(By みてみん)


 若い男だった。声は低めで落ち着いているが、その一語一句には威圧感がある。

 隊員達は彼を知らないようだ。皆キョトンとした顔をしてその男を眺めている。


 少し巻き毛気味の赤茶色の髪をすべて後ろに流し、黒い革のロングコートを着こなす、日本人にしては大柄な男。顔立ちは端整で身体も細身だが、明らかにその表情、立ち姿は強者であることを図らずとも誇示している。ミュートロギアの隊員達は彼のオーラが彼らの数倍も、いや、数十倍もの強者が持つそれであることを感じた。さらに異彩を放つのが、彼の右眼に付けられた黒い眼帯。その奥に何があるのか隊員達に想像もつかなかったが、明らかに動揺が走った。


 名前を呼ばれたメルデスがその男の前へ数歩、歩み出る。彼はいつも通りの笑みを浮かべていた。男はそれが気に入らなかったのか、目を鋭く細めた。



「やぁ、菅谷くん。久しぶりだね? 突然どうしたんだい。旭さんは一緒じゃないみたいだけど」



 メルデスは彼と知り合いのようだ。ある程度の距離をとり、菅谷と呼んだその男の四十メートルほど前方に立つ。杖を持つ手が震えているのは、疲労によるものか。それとも、別の何かなのか。

 メルデスのフランクな返事に対し、さらに不快そうな表情の菅谷。



「その足……まぁ良い。旭さんは非番だ。会いたかったのか」



 いいや、別に? と挑発的に笑ったメルデス。金色の髪と黒いジャケットが風を受けてバサバサと波打つ。



「メルデス、この五年間貴様をどれほど捜したか。貴様はネメシス史上最高の策士であり、最大の汚点だ。大人しくこちらの指示に従ってもらおうか。ネメシスの名の元にメルデス=サングシュペリ、貴様をここで逮捕する」



 逮捕の宣告をされても尚、メルデスは笑っていた。周囲の殆どは菅谷の発言に動揺しているようだ。無理もない。これまで自分たちが信じて従ってきた男が、ネメシスの一員だったなんて聞いたこともなかったのだから。


 (メルデス)に対する信頼が揺らぎ始めたのが、背後のざわつきで分かる。菅谷という男が嘘をついているという可能性だってある。そんな事は、大人の彼らがいちばんよく分かっていた。しかし、一度生まれた疑惑はそう簡単には、消えない。



「そうだね。五年前、僕は君を裏切って逃げてその先で彼らに匿われた。君達から逃してくれたよ。その恩がある。だから僕は此処にいる。そして今は、僕が彼らを守る立場だ。そうそう簡単に牢獄に入れられる訳にはいかないのさ」



 強気なメルデスの発言。背後に控えるミュートロギアの面々は少し安心した。



「まぁ、君には個人的な怨みもあるんだろうけどね」


「フン。やはり貴様は五月蝿い奴だ。綺麗事を並べて……正義のヒーローにでもなったつもりか」



 皮肉を並べる菅谷がメルデスを見るその視線には、明白に侮蔑の色が滲んでいる。そんな蔑むような目線を浴びながらもメルデスは薄ら笑いを浮かべ、菅谷を見つめていた。彼の言葉を笑い飛ばす。



「ヒーロー? そんなのじゃないよ。僕は、いや僕らは許されないことをしたんだ。その償いをしているだけさ。だから、脅されようが、殺されようが、君たちの元には戻らない。僕の性格は君が良く知っているだろう」


「そうか。ならこれならどうだ。貴様の性格ならば、コレは切り捨てられるのか?」



 菅谷の背後に近づく影がある。その影は人の形をしていた。それが何なのかを悟った時、メルデスを始め、ミュートロギアの面々は絶句した。味方が人質にとられた。その事実もあるが、それ以上に彼らの言葉を奪ったのは、其の人物に拠るところが大きい。



「オルガナっ……?」



 ここで初めて、メルデスが菅谷に動揺の表情を見せた。それを見た菅谷は不敵に微笑む。彼の後ろに連れてこられたのは、銀色(シルバー)の長髪。カーキ色の戦闘服には血がついている。おそらく彼女の血だろう。目隠し──はいつもの事だが、両手を縛られ、こめかみには拳銃を突きつけられていた。


 彼女を連れて来たのはふたりの女。一人はショートヘアの強気な印象を受ける女。スタイル抜群の彼女は黒の戦闘服を着ていて、オルガナに拳銃を突きつけている。もう一人は白髪を虚ろな目の上あたりで真っ直ぐに切りそろえ、長い後ろ髪を背中のあたりまで伸ばした少女だ。少し奇抜なヘソ出しの軍服のようなものを着ており、手には小さめの体には不釣り合いな狙撃銃が握られている。



「輪堂、ライラ、ご苦労だ。さぁ、メルデス。この女も指名手配犯には変わりないが、まずは貴様の身柄が優先されている。貴様が大人しく従うと言うのならこの女は返そう」


「はぁ、卑怯な所はちっとも変わってないね。菅谷くん。僕が従ったところでどうせここに居る全員を連行するんだろう?」


「卑怯? 貴様の口からその言葉が出るとはな」



 呆れたというように菅谷は鼻で笑う。メルデスの質問に対しては何も答えなかったが是と考えて良いだろう。

 銃口を突き付けられたオルガナはピクリとも動かない。死んではいないのだろうが、気を失っていることは確かだろう。オルガナほどの人物をここまで戦闘不能にできる人間はそう多くない。それでもあのふたりの女はそれをやってのけた。かなりの戦闘力があると言える。さらに、後方に控えた戦闘服たちの戦闘力も計り知れない。


 メルデスはああ言ったものの、抵抗することは出来ないと考えていた。何か奇跡のようなことでも起こらなければ、彼の頭脳を以てしてもこの場は切り抜けられない。



「さぁ、早くしろメルデス。俺の気が短いことは貴様も()()知っているだろう」



 菅谷が急かす。



「分かった。僕が行こう。その代わり彼らに手出しはしないでほしい」


「め、メルデスさん?」



 隊員達から驚きの声が上がる。先程の女性隊員がメルデスの手を掴んだ。



「仕方ないよ。菅谷(あいつ)は強い。おそらくその後に控える二人もね。今の僕らが抗える相手じゃないんだ」


「流石だなメルデス。合理的な思考は変わっていないようだ。さぁこっちにこ……」



 菅谷が満足気な表情をしたのも束の間だった。語尾を詰まらせる。

 辺りに突如広がる白い壁。いや、これは霧だ。そう気づいた時にはもう遅かった。半径一メートルの範囲すらも見えなくなるほどの濃霧に囲まれる。



「無駄な悪足掻きを」


「アンタ何様のつもりィ? 仲間傷付けるやつは許さないんだからァー」



 霧の奥から聞こえた声。音源がはっきりしないが、女の声であることは確かだ。菅谷はどの方向から襲われても対処できるように全身に緊張を張り巡らせる。すると、鋭くなった嗅覚が先程までそこになかった異臭を捉えた。


(酔っ払いか……?)


 鼻を突くような刺激臭。アルコールに間違いない。その時、地面が微かに揺れたのに気づいた。次の瞬間、大きな揺れに変わる。菅谷はぐらつく足元に少々戸惑いつつも状況を冷静に分析した。


(二重能力者(バイサイキッカー)は数が少ない。あの岸野充くらいだろう。そう考えると新たな敵は二人以上。時間をかけ過ぎたな)


 結論からいえば、彼の考察は半分正解で半分不正解である。なぜなら彼の目の前で異能力を行使したのは、彼女だけなのだから。


 刹那、暴風が菅谷を襲う。と同時に霧が晴れる。


 彼の目の前には、先程までなかった岩の壁が立ちはだかっていた。菅谷はその頂上を見上げる。



「………………貴様ッ!」



 菅谷はその姿を見てピンと来た。彼女の姿を見たことがあった。いや、正確にはもう少し若い頃の写真を。彼らの捕縛対象(リスト)の中にあった。その中でも、最優先事項の中に含まれていた少女。



(『自然掌握(フィジカライザー)』の本城夕妃ッ!)



 突如、菅谷を襲う雷撃の槍。無論、それを放ったのも彼女だ。


自然掌握(フィジカライザー)』──世界にも二、三人いるか居ないかと言うほどに珍しいSランク能力者。それを以てすればありとあらゆる自然現象を意のままに操ることが出来る。本城夕妃はそんな能力の使い手である。

 雷撃の槍が次々と菅谷を襲い、彼は後退せざるを得なくなる。



「輪堂ッ、人質を離す……な」



 振り返った菅谷は絶句する。



「す、すみません菅谷先輩ッ……」


「ちぃーっす」



 茶髪の青年が彼の部下のショートヘアの女を組み伏せている。彼は爽やかな笑顔を菅谷に向けた。黒い戦闘服の戦闘員たちも皆砂利の地面で寝そべっている。白髪の少女はその場から消えていた。


 人質にとっていた女は、彼女と同じく銀色の髪を持つ男がおぶっていた。彼は菅谷を睨みつける。



「貴様は、たしか」


「妹は返してもらうぜ」



 その瞬間、銀色の髪の二人が消える。但しこれは、ただの空間移動(テレポート)ではない。



「『対価交換(キャスリング)』ってほんとこういう時に便利だよな」



──ゴキッッッ。岸野の拳が菅谷の整った顔に向かって炸裂した。不意をつかれた菅谷の体は宙を舞い、地面に豪快に滑り込んだ。



「久しぶりに生の人間殴ったが……随分と鈍っちまってるぜ」




■◇■




 岸野が言う『対価交換(キャスリング)』というのは空間移動(テレポート)の中でも低位の能力で、二点間にある同程度の重さの物体をすり替えるというものらしい。俺にはさっぱりだけど。


 そんなこんなで俺たちはオルガナを救出したのである。もちろん、岸野二人の体重だとDr.レンとオルガナ二人分の重さにはならないので俺も一緒に加勢しようと付いてきたのだ。てか、オルガナはDr.レンの妹だったなんて……まぁ、銀色(シルバー)の長髪なんてなかなかいないし、薄々そんな気もしてたんだけど。



「アキトー!」


「うぁっ!」



 突然抱きつかれて、姉だとはわかっていても少し動揺してしまった。が、すぐに気づいた。彼女の吐息から香るアルコールの臭い。はっきり言ってメチャクチャ酒臭いぞ。

 あんな戦い方をするからシラフじゃないんだろうなと思ってはいたが、言ってしまえば姉貴はベロンベロンという状態。つまり、泥酔状態。よく立ってるなって感じ。



「ぶわぁーかぁー。無理しやがってぇ」



 姉貴は酒癖が悪い。一般でいえば絡み上戸だ。さらに、シラフでは考えられないようなトンデモ行動に走ってしまうこともざらにある。

 しかし、姉貴やダイキ、タツヤたちが来てくれて本当に良かった。ネメシスって、実はそんなに強くないのかもな。高校生にのされちまうなんて……。



「こんなことならば、ハビも連れてくるんだったな」



 さっき岸野が拳一つでぶっ飛ばした男がフラフラと立ち上がる。整った顔の中央にある高い鼻からは血が出ている。もう闘志を失くしたのかとおもっていたが、そうではないらしい。彼は俺たちを睨みつけながら血を拭った。



「今日の目的は果たさせてもらうぞ。貴様らの処分はのちのち執行することになるがな」


「フン。てめぇは諦めの悪いやつだな。おとといきやがれ。バータレが」



 岸野の挑発にはなんの反応も示さない。なんだ、この男。隠し球でもあるのか……?



「キャアアアアアアッ」



 姉貴が異能力で生じさせた岩の向こう側、メルデスたちがいる方から聞こえた(つんざ)くような悲鳴。敵を組み伏せているダイキを除き、俺たちは皆岩の向こうへ回り込んだ。



(あ……あの子!)



 メルデスが地面に倒され杖は真ん中でまっぷたつに折られている。その背中をブーツで踏み付ける少女がいた。虚ろな目の少女。背中にかけていた狙撃銃は現在彼女の手元にある。ドラグノフと呼ばれるシリーズの狙撃銃に間違いない。その銃口はメルデスの後頭部にあてがわれていた。逃げたのかと思ったが、おそらく彼女も岸野のような空間移動系の異能力を持っているのだろう。ほかの隊員と一緒にいた神威も持っていた銃をしまう他ない。


 こちらが下手な動きをすれば、メルデスに届く前に引き金が引かれることは間違いない。彼女を包む不吉なオーラが彼女に躊躇いというものを感じさせない。



「本当は生け捕りにしたい所だったが我々には殺人許可(キリングコマンド)がある。始末書が面倒だが、仕方ない」



 彼らの狙いは、メルデスなのか? でも、そうか。よく考えればメルデスはミュートロギアの指揮官(リーダー)だ。国連から目の敵にされた組織を纏める人間なんだ。自明といえば自明であろう。

 ただ、このまま彼を殺させるというのとは話が違う。もちろん俺は彼を信用していないし、彼のせいでどれほど人生狂わされたか分かったもんじゃない。それでも俺は、彼を死なせてはいけないと思ってる。いや、彼に限った話じゃない。俺がこう思っている理由は明白。人間同士で殺しあっちゃダメだ。


 俺の親父はある殺人事件の犯人を追ってる最中に、その犯人に撃ち殺された。相手が帯銃していたため、発砲許可は出ていたが親父は何故か銃を持っていなかったらしい。話し合いで犯人を説得すると仲間に話していたとあとから聞いた。


 しかし、かく言う俺は、人を殺してしまった。みんなの為とかいう大義名分を振りかざし、バリッサというひとりの人間を殺したのだ。その事実は消えない。俺の手には今もその感触が嫌なほど残っている。


 しかしながら、俺のこんなちっぽけな自論を暴露した所で状況は変わらないだろう。狙撃銃を突きつける少女はこの菅谷という男の指示をただ待っているようだ。虚ろな目でこちらを見ている。その顔つきは俺たちと歳は離れておらず、俺たちよりも少し年下かもしれない。そんな少女が手を汚すなんて。やはりこの世界を回すヤツらは……どうかしてる。


 メルデスは最期を悟ったのか、顔を俺たちの方へ向け、苦しそうな表情でニッコリと笑う。


 何でそんな顔で笑えるんだよ……メルデス。あんたはそれでいいのかよ……。



「殺れ。ライラ。ネメシスの名の元に処刑執行を許可する」



 菅谷の低い声がメルデスへの処刑を許可した。

 ライラと呼ばれた少女はこくりと頷き、引き金に指を掛ける。

 誰もが息をのんだその時だった。



「メルデスに、触んなぁッ……!」



 突如現れた小さな影。鈴のような声で叫びながら、弾丸の如き速さで狙撃銃の少女の細い身体に突っ込んだ。そんなこだまの攻撃をすんでのところで躱したライラという少女。この攻撃でその銃口はメルデスから離れ、こだまはメルデスを守るようにドラグノフの前に立ちはだかる。

 先程の涙は何処へやら、だ。そんなこだまの姿に俺は少し安心した。


 虚ろな目の少女はこだまをその無気力な目で見つめる。俺たちの後ろの菅谷という男は突然入った邪魔者に見入っているようだ。



「メルデスを傷付けるやつは、誰だってぶっ殺すよッ……」



 こだまのその言葉は脅しでもフェイクでもない、本気だ。鞘を握りしめる彼女のその表情は真剣そのもの。銃と刀、ましてや鞘だけのこの状況なら普通は無謀でしかないと鼻で笑うが、こだまは例外だ。彼女は始め、鞘だけでかの天雨美姫に苦戦を強いらせたのだ。鞘だけで人を殺しかねない。


 しかしそんなことをライラという少女は知る由もないだろう。止めないと……少なくともどちらかが死ぬことになる。



───キィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイッ

 その時、上空から甲高い音が聞こえた。航空機の音のようにも聞こえるが、それにしてはやたら大きな音だし、もっと言えば、低空飛行すぎる。まさか墜落? それとも、また国連軍か!


 突然の異音に皆上空を見上げる。雲一つない夜空に明らかに恒星とは異なる赤い光が二つ、こちらへ向かっている。



「なんだありゃ。クソでけぇ戦闘機だと? あんなの見たことねぇぞ」



 岸野が空から突然現れた鉄の塊に驚愕する。敵か味方か……それすらも分からないその飛行物体は確実にこちらに近づいている。飛行機よりも平たいが、先端が尖り、空気抵抗を考慮した構造(デザイン)。早く飛ぶことを目的に設計されたであろうそのフォルムでただの航空機でないことは明らかだ。



【あーあー。きこえてるかなー? おーい】



 ふざけているのかと突っ込みたくなるその口調。



「セギさんだー! おーいっ!」



 タツヤが戦闘機に向かって大きく手を振った。あの緑好き、セギさんが乗っているのか?



【やぁやぁネメシス諸君ー。残念だけど、此処は彼らを引き上げてトンズラさせて貰うからね? 岸野ー、死んだー? 死んでないならさぁこの後ろの荷台にさ、四十人くらいUNAの兵士が乗ってるからあとは頼むよー】


「何が『死んだー?』だ。あのお調子モンが……。だが、てめぇの言いたいことは分かったぜ」



 岸野が笑みを浮かべる。



「こだまッ! メルデス担いで戦闘機の真下に行けッ! 他の奴らもだ。走れェッ……!」



 岸野の号令を起点に、全員が走り出す。



「『防御立方(シールドキューブ)』ッ!」



 逃げだした俺たちを追撃し追いかけてくるライラという少女。彼女の周囲が透明な結界のようなもので覆われ、撃った弾は全てその場に落下する。



「へへッ。ざまぁ」



 隣を走るダイキが舌を出して笑う。その笑顔が何故か眩しい。イケメンはこういう時にもやはりイケメンなのだ……。なんか悔しい。

 茂みに隠れていたDr.レンとオルガナも合流する。生きているミュートロギアの人間は皆岸野充の元へ集まった。



「行くぜメルデス」



 こだまに背負われたメルデスに岸野が確認する。メルデスは勿論だ、と笑顔で返した。だが、ふと悔しそうな顔でこちらを見ている菅谷の方を向く。



「菅谷くん! 何時(いつ)か君の、君たちの助けが必要になる。その時は僕から君たちに逢いにいくか……」



 最後まで言い終わらないうちに俺たちの身体は砂利の地面から薄暗い場所へと移動する。その空間には銃火器や医療具が壁にかけられ、その壁際にはたくさんの椅子とベルトのようなものが。座面を触ってみると、まだ暖かい。さっきまで人が座っていたように。どちらが前か後ろかもよく分からないが、機内の奥の方に液晶画面が取り付けられており、下の景色が見下ろせた。

 茶色の戦闘服を着た男達が突然機外に放り出されパニックになっているのが見て取れた。その中にこちらを見つめる黒いコートの男、ショートカットの女、そして、少々奇抜な白髪で戦闘服の少女。


 その後戦闘機はどんどんと高度をあげ、彼らの姿がどんどんと小さくなる。それらが皆米粒ほどになったかと思うと、画面がホワイトアウトした。



【間に合って良かったよー。全く、感謝してほしいね】



 画面が切り替わり、ゴーグルをかけた男が映り込む。緑色の髪の男。セギだ。すごいな。コンピューターにも強いが、こんな戦闘機も操縦できるなんて。



「ありがとう、セギ。ところで、これはUNAの無人輸送機だよね」


【そーだよ。よく分かったねメルデス! で、この後のことなんだけど、すぐにパラシュート降下してもらうから。じゃないと、せっかく助かったのに死ぬことになるよ?】


「は? てめぇ何言ってんだ。わかるように話せ」



 突然恐ろしいことを言い出したセギに食ってかかる岸野。



【いや、実はこれさ、たまたま近くを飛んでたから内部制御機関をハッキングして無理やりコントロール権を奪ったんだけどさ?

バレたみたいで、自爆システム作動しちゃったってワケ】



 ……一瞬の沈黙。いや、絶句が正しい。

 嘘だろ。助かったと思った瞬間にピンチとか、何処のラノベの主人公だよ。



【あと二十秒そこらでドカンだから、頑張ってねー。ハッチは手動で開くようにしとくしね】



 俺たちはその言葉を聞くやいなや行動を起こす。近くにあったパラシュートを背負い、怪我人は動ける隊員の身体にきつく縛り付けた。

 体格差的にこだまの身体にメルデスを括り付けるわけにもいかないので岸野の身体に縛り付ける。


 神威が脱出用のハッチを開けた。暴風が吹き込んでくるがそれに耐えて二、三人が同時に機外へ脱出していく。かなりの高度を飛んでいるらしく、眼下に広がるのは夜景ではなく雲海。

 俺の番が来た。こんなの初めてだ。緊張で足が震える。パラシュートを開くための紐がきちんとそこにあることを確認して……。



「はよ行け」



 岸野に尻を蹴られて戦闘機から落下した。こ、心の準備がァッ……!


 気が遠くなりそうだが、ここで気を失ってしまえば真っ逆さまに落下、俺の身体は原型を留めないだろう。そんな死に方は御免だ。


 雲海を抜けたところで肩に付いている紐を思い切り引っ張る。すると、突然腕がもがれるような衝撃が走るが、違う。きちんとパラシュートが開いた証拠だ。俺の身体は自由落下を終え、ゆっくりと降下していく。

 慣れてきたのか少し余裕が出てきて辺りを見回してみる。丁度空が薄ら明るくなってきた所であった。



暁人(アキト)……君にピッタリの名前なんじゃないかな?」



 気がつくと俺の後ろには岸野と降下するメルデスがいた。



「“暁”とは、夜明け。“すべての始まりの光”だ」



 何故かその響きに懐かしさを覚えた。そうだ。母さんが、死ぬ間際に教えてくれたんだ。俺の名前の由来を。


 どんどんと明るさが増す空。雲の上から爆発音が響き俺の鼓膜を揺らす。淡いオレンジとピンク色のコントラストの美しさに息を呑む。


 暁色の髪の少女──何故かそんな言葉が俺の脳裏に浮かんだ。どうしてかは分からない。眩しい笑顔の彼女もの髪もまた“希望”の象徴なのかもしれない。不思議とそんな感情がこみ上げた。彼女の心の暗闇が、何時(いつ)か夜明けを迎えるのだろうか……。



「さぁ、そろそろ着地だ。帰ろう」



 地面はすぐそこだ。

 そして、俺が帰る場所も。


挿絵(By みてみん)

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