決着
潮の香りがどんどん強くなってきたのが分かる。オルガナの誘導は的確だ。迫り来るバリッサの攻撃を避けながらも確実に海までたどり着けるように俺たちを導いてくれている。先程のこだまへの援護を見ていても思ったが、彼女は本当に戦闘センスが抜群だと思う。
松林の中を転々と移動する俺、岸野、そしてレン。月明かりに照らされ林床は比較的明るい。地面に足がつく時間はほんの一瞬だ。次の瞬間には近くの松の木に着弾したペイント弾の色を頼りにまた次の場所へと空間を移動する。
【次の、弾で、最後。次に、飛んだら、すぐに、三十メートル後方に、バックしろ】
オルガナからの案内が聞こえた。そうか、もう海はすぐそこだもんな。荒波が岸壁に打ち付ける音が聞こえてきたし。さぁ、ここからが肝心だ。
でも、我ながら不思議に思う。
なんで俺は、今こんなに闘志に溢れているのか。
なんで俺は、ミュートロギアに協力している……?
いや、違う。ミュートロギアに協力したんじゃない。あの松林の奥の方で戦っている彼らのため、そして、彼らと同じ理由だ。世界の為だとか、そんなんじゃない。もっとちっぽけで、それでいてなによりも強い理由。
俺はふと姉貴の顔を思い出した。と同時に、不思議なことが起こる。
杏色の髪、ウサギみたいに頭の上に大きなリボンをつけている。天真爛漫な笑顔のその少女。喋り方があほで、俺の名前を全く覚えようとしない。運動能力は並外れているのに、授業は寝てばっかりいる一人の少女。彼女が俺の意識の中で、泣いていた。俺に背を向けて。その彼女の名は、
(──こだま)
「海に出るぞ。オレから絶対に離れるな!」
岸野が声を張り上げる。血を吸い、ギラギラと輝く刀を握りしめた。俺になら、出来る。大丈夫だ。そう、俺は『選ばれた存在』なんだから。
これが俺の運命なら、受けて立とう。でも、この力を使うのは俺が必要だと思うから使うんだ。誰かに指図されて使うんじゃない。俺のため、俺が大事にしてるものを守るために使うんだ。
一気に視界が開けた。目の前に広がるのは月をゆらゆらと讃えた広大な海。眼下には白波が爆ぜる岩礁。壊れた祠が目に入る。
夢の光景が頭をよぎる。あの時のこだまも、泣いていた。猛火の中を独りぼっちで。きっと今もお前はどこかで泣いているんだろう。姉を想って。そして、自分の不甲斐なさを呪って。
泣くんじゃない、こだま。お前は俺とぶつかった時、自分だって役に立ってみせるって言ってた。怯えたような声で。お前は、独りじゃねぇ。怖いんなら、怖いって言えばいい。
お前はどんだけガキでバカでアホでも……れっきとした女の子だ。メルデスは、お前を戦いから遠ざけて守ろうとしたが、俺は違う。お前にだって戦わなきゃいけない時があるんだから。
でも、これは一つだけ言える。お前を守るために一緒に戦うことは出来るんだ。
だから、お前は独りじゃない。
そして、今からバリッサと戦う俺も、独りじゃない。俺を信じて仲間を託してくれた男がいる。彼を信じて、俺を助けてくれる男もいる。そして、俺を信じて今まさにみんな、戦っているんだ。
「鬼ごっこはもうおわりよォオオオオッ」
背後から迫ってきた女は鞭を振るいながら俺たちに突進してくるが、それを岸野は寸前で躱して彼女の背後に回り込んだ。彼は能力の連続使用で肩で息をしている。これ以上この女から逃げ回るのは不可能だ。レンもそれを悟ったか、額から一筋の汗を流す。
俺は、ここでケリをつける。
そのための準備はすべて整った。
バリッサは猛スピードで俺たちを追いかけてきていた。そのスピードを殺し切るには少々時間がかかった。彼女は今、岸壁スレスレに立っている。
俺の作戦通りに。
「これで私を追い詰めたつもりかしらァ?」
月の光を背に受けたバリッサは息ひとつ切らさずに俺に話しかけてくる。髪は大きく乱れ、目は血走り、口元は裂けんばかりに笑みを浮かべている。
その姿はまさに鬼、怪物である。
こいつを目の前にすると、やはり緊張で足が竦む。レンに処方された塗り薬のおかげで足の痛みは全くない。手のひらがじんわりと温かくなってきたのが分かる。
それでも俺は、こいつを倒さなきゃならない。
メルデスの言葉を借りるなら、浄化する。この悪魔のような女をこの世から浄化する。今までに殺された人々、そして、店長の仇をとるんだ。
オルガナはどこから俺たちを見ているのかわからないが、きっとこちらの指示を待ってスコープを覗いているに違いない。目隠しをしている彼女がスコープを覗くのかは分からないが、確実に。
どこから見ていても分かるように、刀を頭上に掲げた。
刀身に跳ね返った光は、恐らく彼女に届いただろう。
今までタツヤに習った剣術の一つひとつを脳内再生していく。呼吸を沈め、丹田に息を封じ込めるような感じ。腰を低く落とし、左手に持つ刀は高く掲げたまま、切っ先を敵に向ける。右手は前へ突き出す。
流派の名前は忘れたが、接近格闘術と融合させ確実に相手に刃を当てるための構え。たった二週間剣術を習っただけの俺が使いこなせる気はしないが、それでも、やるしかない。一か八かの賭け。
──タァンッタンタンタァーーーン
四発の銃声が遠くから聞こえた。
「懲りないわね。無駄だと言って……ッ?」
風、遮蔽物等をすべて考慮した上で発射された四発は同時にバリッサの四肢の関節、両肩と両膝へ、寸分の狂いもなく着弾した。
余裕だったバリッサの顔つきが苦悶の表情に変わる。
そして彼女の身体は膝をつき、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。しかし、さすが彼女だ。鞭は手放していない。
しかし俺はそれに怯むほど臆病でもない。すかさず飛び出した。狙うは彼女の心臓。彼女が多くの人間から奪い取ってきたモノ。そのために、まずは俺の手で彼女に触れなければならない。
刀を持たない右手を伸ばす。彼女に逃げ場はない。すぐ後ろは、崖なのだから。
彼女の左腕を握った。するとあの夜のように手が人間のように戻っていく。いや、本当にただの人間に戻っていく。彼女の体から黒い何かが離れていくのが見て取れた。レン、岸野充もその光景を固唾を飲んで見守っていた。
バリッサはなす術もなく、自らの身体から鬼の力が抜けていくのを苦虫を噛み潰したような表情で待つ。
──かに見えたが、彼女は諦めてなどいなかった。
「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアッ!」
大地が揺れ、海が沸騰しそうな程の絶叫が響き渡る。脳が揺さぶられ、内臓がこみ上げそうになる。
(やっぱり……使えたのかッ!)
恐れていたこの攻撃を至近距離からまともに食らってしまった。『破壊之咆哮』。その名にふさわしく、彼女の咆哮は俺の身体の中をめちゃくちゃにした。凄まじい痛みが身体中を同時に襲う。吐血がこぼれる。いや、吐血くらいで済んだだけマシかもしれない。
しかし、ここで自分を褒めるとすれば、俺はバリッサの腕、そして、刀を離さなかったことか。無意識だったが、俺の手はまだ彼女の腕を強く握りしめている。
左目の視界が赤く染まり始める。まずい、早くこいつをッ!
「小賢しいッ!」
「斬れッ! クソがき……アキト!」
バリッサが治癒した右腕を翳した。鞭が大きくしなる。バリッサはそれを俺に向かって振り下ろす。
後ろで岸野が叫んだ。
そしてそれらとほぼ同時に俺は……
「らぁああああああッッッ……ッ!」
彼女の咆哮には敵わないものの、絶叫を上げながら左手の刀を薙いだ。片目が見えない中で振り回された刀は、それでも何かを捉える感触を伝えた。刀はバリッサの左肩を捉え……そして──
「ギヤァアアアアアアアアアアッッッ……!」
バリッサが吼えた。彼女はどうやら死んでいないらしい。失敗したのか……。
よろよろと後退するバリッサは充血した目で俺を睨んでいる。
………ん?
じゃあ、俺が握っているこの腕は、一体?
「よ、よくもッ……貴ッ様ァアアアアッ!」
バリッサが左肩から血をまき散らしながら俺に再び向かってくる。ダメだ……避けれない。身体中の痛みで動けない。
俺は自分の未熟さを呪った。
何一つ守れなかった。
期待に応えれなかった。
俺は……!
「……うるせぇババァ。とっとと引っ込め」
──ズガンッ
爆発音、いや、違う。これは岸野のD.E.が爆ぜた音だ。牛をも殺すその一発は、美しい直線軌道を描きバリッサの頭部を穿った。
衝撃によってバリッサの身体は仰け反りながら宙を舞い、その血液は美しいアーチを描く。
………そのまま彼女は夜の冷たい海へ落下した。波に紛れ、微かにザバン、と音がした。
ふらつく足取りでレンが崖の下をのぞき込んだ。
「なんも……見えねぇな。多分海の中に落ちた」
殺ったのだろうか。全く彼女が再び現れる気配がない。
奴は、死んだのだろうか。漠然とした不安が残る。しかし、視界も平衡感覚も曖昧な俺はその場に尻もちをつく他なかった。震える手で顔を拭う。
「良くやったな。アキト。お前はよくやった」
思いがけない岸野の言葉に正直、若干戸惑った。
へたり込む俺の前方に回り込み、彼は拳を突き出す。殴られるのかと思ったら、違うらしい。俺も刀を持たない方の手を握り、突き出すと、拳同士が軽くぶつかりあった。
岸野はその時、少し不器用そうな笑顔を作ったように見えた。いや、この言い方は語弊が生まれるか。彼は俺に向かって笑いかけたのだ。だが、直ぐに微妙な顔をする。困ったような、嫌悪するような。
「おい、流石にそれ持ったままは気色わりィぜ。いつまで握る気だ?」
辛うじて視界の安定している左眼を手元に向ける。片方は刀を握っていた。そして他方は……。
それを焦って放り投げる。地面に転がったそれは、数回バウンドした後に崖の上に静止した。
真っ白な腕だ。血の気の引いた、スラリとした腕。そう、これはバリッサの……! 今になって猛烈な吐き気を催した。海に向かってそれを吐き出すと、鉄サビの匂いとともに酸っぱい悪臭が口にも鼻にも広がった。最悪だ。
見かねたのか、汚ぇな、と悪態をつくレンが背中を摩ってくれた。
【本城及び岸野、レンに、告ぐ。無事か?】
嘔吐が少し落ち着いた頃、ノイズ混じりであるが、オルガナの声がインカムから聞こえた。岸野がそれに応答する。
「ああ、どうにかな。そっちはどうなってやがる」
身体の痛みなどから声が出せない俺に代わって岸野が対応してくれている。俺は何故かオルガナの声が妙に沈んでいる様に感じた。
【こちらも、一通り、片付いた。だが】
だが……? なんだ。なにか悪いことでも起きたのだろうか。まさか、味方が全滅したとか、そんなのじゃないよな? 悪い予感が頭をよぎる。俺を励ましてくれた大人達の顔が目に浮かんだ。
【かなり、深刻な、事態だ。岸野、今すぐ、戻れ。二人も、もちろん、連れて】
「深刻な事態ってなんだ、オルガナ。弾足してかなきゃいけねぇヤツか?」
【……】
オルガナが少し黙り込む。暫く通信中のランプが消えるが、再び点灯した。レンも神妙な面持ちで言葉を待っている。
【ネメシスが、現れた】
その言葉に、岸野、そしてレンが反応し、表情が強ばった。
ネメシス──天雨美姫の発言にもあった、都市伝説のように語り継がれる組織の名前。ある所では公安の端くれとも呼ばれ、またある所では国連の諜報機関であるとの呼び声も高い。
しかし、その実態は謎に包まれ、政府、及び国連はその存在を否定している。噂によれば、彼らは“異能専門”の組織であるとか。
もし彼らが実在したとしてもどうして此処に?
いや、国連の諜報機関という噂が本当ならば有り得るか。
先程、天雨美姫を回収に現れた国連のヘリコプターの操縦士がオルガナの姿を見ると焦ったように無線で何かを叫んでいた。
だとすると辻褄が合う。
【今、メルデスが、話を、つけているが、戦闘に、なれば、勝ち目は、ない。今すぐ、戻れ。逃げるぞ】
それきり通信が途絶えた。彼女が意図して切断したのか、またはそのネメシスがこの電波を妨害したか。
「お前ら、行けるか」
岸野が俺とレンに向き直り訊ねる。俺は声が出ないため、頷くことでその応えとした。レンに肩を貸され、もう片方は刀を杖替わりに支えた。レンも岸野に頷く。
次の瞬間には俺たちの姿は崖の傍から消えていた。
そこに残ったのは月明かりと、それに照らされた不気味な一本の腕。波の音だった。




