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作戦


「く、来んじゃねぇッ。……なんで、医者の俺が!」



 Dr.レンはひたすらボヤきつつも、バリッサを引きつけるべく砂利道を疾走する。ミュートロギアにいるだけあるな。その動きは俊敏でどうにかバリッサの魔の手から逃れ続けている。

挿絵(By みてみん)


 コルト・ガバメント(M1911)が火を吹いた。追いかけるバリッサの右足の甲に命中したが、その足は止まることを知らない。



「い、いったぁああああい。アナタを私の恋人にしてあげるわぁー。二人で愛の巣を作るのよぉー」


「ワケわかんねぇこと言うんじゃねぇッ……気持ちわりぃ!」



 再び(コルト)が乱射され、バリッサの体に着弾する。しかし、バリッサは全く動じない。むしろ、Dr.レンに撃たれるのを喜んでいるようにも見える。

 撃たれたところは赤黒い穴が開くものの、すぐに治癒して跡形も無くなった。普通の武器では、元となる鬼たちを殺すことが出来ないとメルデスか誰かが言っていたが、恐らくそういうことなのだろう。


 俺はそんな光景を物陰でひたすら覗っていた。これは、オルガナが立てた作戦通りだ。俺は足でまといということらしい。まぁ、間違ってはいない。

 Dr.レンを囮にしてメルデス達を待つという単純なもの。しかし、バリッサはまんまとその手に乗ってくれている。

 一方で、そのオルガナはというと。



小此木(こおのぎ)へ、告ぐ。四時の、方向、上空三メートルに、小型槍(マイクロスピアー)


【リーダーへ告ぐ。了解】



 インカム越しに指示を出した。その直後。こだまの足払いを天雨美姫が跳躍して避けたその場所に、亜音速で飛翔してきたかなり大きな物体。

 その飛翔物は天雨美姫に着弾し、小さな棘のようなものに分離した。それらが空中で天雨美姫を囲み、襲う。彼女は漆黒のコートを翻しつつ、それらを回避、又は刀で撃墜した。

 空中は身体の制御が難しいと聞くが、やはり人間技とは思えないな。


 こうして、オルガナは、天雨美姫と戦う上でこだまが有利になるような布石を打つべく、他の狙撃手(スナイパー)たちに地上から命令を下しているのだ。また、彼女(オルガナ)自身も徒手格闘を用いて天雨美姫のスキをつく。

 流れるような身のこなし。狙撃手とは思えない。さらに、目隠しをしているなんて。ホントはあれ、見えてるんじゃないか。


 それに対して、天雨美姫はこだまのカウンター攻撃を防ぎつつ、狙撃手(スナイパー)たちの横槍、オルガナの介入に対処していく。そんな超人的な動きなんてできない俺はただそれを見守るしかできない。


 てか、メルデスたちは何をしているんだ。早く来いよッ……!


 その時だった。

──ブロロロロロロロロロロロロロ

 遠くからエンジン音が聞こえた。それも、空から。音はどんどん大きくなる。

 やがて、その正体が露わとなった。黒塗りのヘリコプターが、こちらに向かい、低空飛行をしているではないか。輝く月を覆い隠すように現れたその巨体はメルデスたちかと思ったが……違う。

 近づいてきたヘリコプターの側面には、白い文字で所属が記されていた。



「『UNA』……?」



 そのヘリコプターは、俺たちの姿を見つけると、さらに降下してきた。気流が乱れ、巻き起こされた強い風が俺たちを襲う。その距離はおよそ五十メートル先。こだまの着衣が大きく煽られてなにか見えた気がするが気のせいだ。

 リアル鬼ごっこをしていたDr.レンとバリッサもその光景に動きを止める。オルガナも警戒しつつ、ヘリの飛ぶ空を見上げた。


 『UNA』とは、『United Nations Army』の略。つまり、国連軍という(わけ)だ。つい20年ほど前に発足して以来、様々な国際紛争やその他諸々で活躍している。


 そのヘリから、はしごが下ろされ、天雨美姫がそれをちらりと見た。少し悔しそうに下唇を噛むが、すぐに踵を返して走り出した。

 彼女は、政府子飼いの暗殺者。つまりは……撤退か。



「逃がさないよッ」



 こだまがスカートも気にせず、前線に出て天雨美姫が逃走するルートを塞ごうとすると、視界の端でカメラのフラッシュのような閃光。耳を劈くような着弾音と、亜音速で飛散する鋭利な(つぶて)

 ヘリコプターの側面が開き武装した男が、マシンガンを乱射し、こだまを牽制したのだ。しかしそれでも彼女は天雨美姫の背中を追う。



「マジかよ」



 天雨美姫に執着し続けるこだま。マシンガン男は忌々しそうに口元を歪め、後方になにか叫んだ。すると、ヘリコプターが向きを変え、機械音を立て始めた。俺は唖然とした。ヘリの左右に格納されていたミサイルが、こだまの方を向いたのだ。


 嘘だろ……? 俺たちは、何と戦っているんだ?


 二発のミサイルは火を噴きながら、黒煙の尾を引き、左右からこだまを挟み撃ちにしようと迫る。目撃者……および邪魔者は処分するってか。

 でもその軌道だと、天雨美姫まで巻き込むんじゃないのか。不老不死だから大丈夫、ってことかよ。


 メルデスは、国連がミュートロギアを陥れるために裏で手を引いていると言っていた。こだまの背を追いかけ始めたオルガナも同じようなことを言っていた気がする。それを俺は半信半疑で聞いていたが、本当なんだな。そんな残虐非道な奴らがこの世界を回してるだと?

 ふざけんじゃねぇぞ……!


 しかし、俺に何が出来るかといえば、何も出来ないのが事実。こうしている間にもミサイルはこだまを粉砕しようと迫り来る。逃げろと言いたいが、逃げたところで、二発のミサイルが衝突すればこの一帯にいる俺たちは皆、爆発に巻き込まれて御陀仏だ。


 さらに様子を見ていると、オルガナの姿を捉えたヘリの操縦士が無線で何か言っているのが見えた。



「こだま、ここは、引くしか、ない!」



 微かにそういったように聞こえた。ヘリの音でよく聞こえないが。真っ直ぐ駆けて行ったオルガナはこだまの小柄な体を担ぎ、再び走り出す。


 しかし、何故だ。無駄だと彼女なら分かってるはずなのに。俺も最後の抵抗ではあるが、頭を抱え込み、その場で伏せる。



「離せッ! 離せッ! 離してよォッ……!」



 こだまが抵抗する声が、ヘリの轟音の隙間から聞こえる。

 もうおしまいだ。九死に一生を得たと思ったところだったのに。俺達はもう……! 頭を抱え、岩陰で息を殺した。



「遅くなってすまなかったね。アキトくん」



 そんな俺の肩を叩く人物がいた。落ち着いた声。冷静さと優しさを内包した若い男の声。

 振り返り目を開けると、そこには笑顔のメルデスがいた。額には汗が浮かんでおり、スーツの裾や所々には泥や、草などが付いている。俺は、幻覚でも見ているのだろうか。



「よくこだまを守ってくれたね。ここからは、僕らに任せたまえよ」



 そう言ってメルデスが立ち上がる。白い現代的な造りの杖をついていた。

 直後、爆発音。

 しかし、爆風はやってこない。その代わりに、聞き慣れたドスの効いた声が響き渡る。



「オイオイ。こいつらが来てるなんてオレは聞いてねぇぞ。物騒なモン持ち出してんじゃねぇってのッ!」



 岸野充が青筋を立て、鋭い眼でヘリコプターを睨みつけていた。指輪で装飾した中指をピンと突き立てている。その後、海上に爆炎が見え、水柱が立った。ヘリの操縦士も、マシンガン男もぎょっとした表情を浮かべていた。



「ご苦労、岸野。たまには、役に、立つ」


「あァ? たまには、ってなんだ。いつも役に立ってるじゃねえか!」



 さらにオルガナにまで中指を立てて激昂するも、彼女は涼しい顔をしている。いつもの光景に少しホッとした。

 既に、地上には天雨美姫の姿はない。降ろされたはしごに黒いコートをヒラヒラとさせながら掴まっている。



「お姉ちゃん! 待って! 待ってッ……」



 オルガナに抱え上げられているこだまが声を張り上げるが、天雨美姫は一度も振り返らずに真っ黒なヘリに乗り込んだ。彼女を回収したUNAのヘリコプターは急上昇し、北の方向に飛び去っていく。

 同時に、こだまの身体を覆っていた光は薄れ、光る刀と共に消え失せた。


 夜空の向こうへ消えていくヘリコプターを、俺たちは何も言わず見つめていた。月はそんな俺たちを静かに照らす。ヘリコプターの風圧で不自然に波打っていた海も平静を取り戻し、ゆらりゆらりと光り輝く月を写し込んでいる。皆の複雑な気持ちを表しているように感じた。

 ヘリの音が遠のいて聞こえなくなったそこには、波の音と、こだまのすすり泣く声が残った。



「さて、じゃあ帰ろうかと言いたいところだけど、そうもいかないようだね?」



 その空気の中で初めに口を開いたのはメルデスだった。

 そうだ、俺達が相手にしないといけないのは、まだ居るんだ。



「あらヤダ。あなた達、誰かしら?」


「やぁ、第一の鬼 バリッサ」



 メルデスが笑顔で話しかける。俺の場所からは、バリッサの周囲を取り囲む武装した人々の姿も見えた。全員帯銃しており、その銃口は全てバリッサを狙っている。

 彼女が気付いていない筈はないし、バリッサにとってこの状況はピンチの筈だが、彼女の顔はうっすらと笑みを浮かべている。

 腰に左手を当て、右手で髪を掻き上げた。その妖艶な姿は見るものを虜にする何かを持っている。



「邪魔しないでくれるぅ? 彼と幸せになるのよん、ね? だぁーーりぃーん」



 そして、Dr.レンに向かって投げキッスを送った。



「だ、誰が『だぁーーりぃーん』だよッ! 気持ちわりぃッ……化けモンを嫁にした覚えなんかねぇぞ!」



 相当疲れたのか、肩で息をするDr.レンが再びコルト・ガバメントを構えた。すると、その隣に岸野充がいかにも意地悪そうな顔で出現した。



「あ? どーした、レン先生ぇ? 手前のワイフだったのか? ぁ?」


「っせぇだまれ、低脳。『ぁ?』ってのが余計腹立つッ……! 後でお前の脳ミソ(いじ)ってまともな人間に作り替えてやるからなッ!」



 それがきっかけでDr.レンと岸野充が口喧嘩を始めた。最近似たような光景を見た気もするが、まぁ良いや。この状況で、よく喧嘩なんかできるぜ全く。



「で、どうするつもりかしら? 私と殺り合うとでも?」


「あぁそうさ」


「人間風情が、私に挑む? ふふっ、面白いこと言うわね」



 何故かこの状況を楽しんでいるようにも取れる彼女の口調。メルデスは笑顔で彼女に話しかけ、気を引いている。その間に、泣きじゃくるこだまを隊員の一人に預けたオルガナが茂みの奥へと姿を消した。



「もしかして、私の傭兵(どうぐ)たちを壊したのはアナタたち?」


「鬼化させられた彼らのことをそう呼んでいるとするのなら、そうだ。僕らが全て浄化したよ」


「へぇ、やるじゃない? まぁ、いいわ。使い捨ての駒に過ぎないもの。言うなら、ポーンを消費したってだけ」



 狂ってる。人間を、なんだと思ってるんだ。元はといえば、この女だってただの人間であるはずなのに。その言葉に、先程まで喧嘩していた二人も言い争いをやめ、不快感を顕にする。



「リリー様の加護を受け、不老不死の存在になった私と、ただの人間。どちらが強いかなんて明白よね? それに、(クイーン)を守る(どうぐ)はまだいくらでもいるのよ」



 自信ありげに、高笑いを始めたバリッサ。その笑い声は月にまで届きそうなほど、辺りに響いている。しかし、彼女の言う傭兵(どうぐ)は見渡す限り居る様子がない。ハッタリだろうか。


 でも、もし彼女の言う事が事実なら、彼女の言動に気圧され膝が震える。

 しかし、この男はそんなことに動じていない。流石、ミュートロギアの指揮官を務める男なだけある。メルデスは笑顔を崩すことなく話を続けた。だが、明らかにその声色には憤りが含まれているように感じた。



「そうかもしれないね。でも僕らにはアキトくんがいる。君も見ただろ。彼の“力”を」



 その一言に、バリッサが反応した。高笑いが止み、顔から笑みが消え、俺の姿を彼女の瞳が捉える。

 待て待て待て待て。

 まさかメルデスっ 俺には……そんなっ……心の準備がッ!

 しかし彼は待ってくれない。あの時と同じ、強引な語り口で舞台を整えてゆく。もう、引き返せない。



「そう。彼がいる限り僕らの勝ちさ。だから、戦いを挑むんだよ。全員、撃ち方始め!」



 その一言を合図に、バリッサに銃口を向けていた味方が同時に発砲した。銃弾は真っ直ぐにバリッサの身体の各所を撃ち抜く。銃創からは鮮血が垂れ流れ、ドレスを赤く染め上げる。

 一瞬、バリッサがよろめいた。

 だが、次の瞬間。



「調子に乗るなァッ……サル共がァ!」


挿絵(By みてみん)


 バリッサの体からどす黒い何かが噴出した。店長が殺された、あの夜のように。

 すると、俺たちの周りから叫び声が上がった。そして、バリッサの身体から飛び出たどす黒い何かから人影が躍り出る。ハッタリじゃ無かったんだな。正気の宿らない虚ろな目の人々。彼らは、俺たちを襲い始めた。

 味方が俺とメルデスを囲むような陣形をとって応戦する。



下僕(どうぐ)共ッ! 愚かな人間(サル)共を蹂躙してしまえッ!」


「やっぱりまだ隠してたか。みんな、落ち着いて。ここをどうにか切り抜けろ!」



 彼は味方を鼓舞するように叫んだ。そして、俺に向き直る。碧い瞳がじっと見つめてくる。



「アキトくん。君は、バリッサに集中するんだ、いいね? 他は僕らに任せてくれ。僕らがめいいっぱいサポートする。君の力で彼女(バリッサ)から鬼を引き剥がして、彼女自身を浄化するんだ」



 メルデスがしゃがんで、俺の肩に手を置いて語りかける。近くで見ると顔色が悪いようにも見えるが、今はそれどころではない。



「浄化……って」



 メルデスはやはり、真っ直ぐ俺の目を見てきた。分かってるだろ、と言いたげな目。


 飛び交うのは、悲鳴や怒号。

 何かが爆発する音や、銃声。

 刃物が空を切り、硬いものがひしゃげるような鈍い音。

 そして、時折、波が岩肌に打ち付ける音。


 ここはもう、戦場だ。



「君ならできる。いや、君にしかできない。ここで、僕らが生き延びるにはこれ以外道はないんだ……ッ!」



 味方の守備網を掻い潜って現れた敵を、振り向きざまに拳銃のグリップで殴り(ほうむ)……いや、浄化したメルデス。砂がサラサラと地面に落ちた。続けざまに味方に襲いかかろうとした女の背中を撃ち抜く。

 優勢とは言い難い状況。


 彼女(バリッサ)を、殺す。それしか残された道は、ない……か。



「俺じゃないと、ダメなんですか」



 俺はまだ、彼らほど強くない。人の死を割り切ることも、できない。未だに俺の心は揺れている。やるべき事は、分かってるんだ。やらなきゃいけないって分かってる。

 それでも俺は………。



「アキトくん。言っただろ? 君は、『選ばれた存在』なんだ。君以外に僕らを救える人間はいない……頼む」



 また、あの時の目だ。いつも気丈に振る舞うメルデスの、気弱な目。

 彼は俺の手を握った。白く、冷たい手だ。



《僕はそう長くない》



「え?」



 突然、頭の中に聞こえた声。

 メルデス……どういう事だ? 長くないって。しかし、俺が訊ねるより早く、メルデスが再び話し始めた。



「僕にもやるべき事がある。今だけでもいい。僕達を信じてくれ。バリッサはあの松林の中に逃げた。君がそこまでたどり着くまでの時間は稼ぐ。そこからは君に任せるよ」



 そう言い残すと、メルデスは杖を頼りに立ち上がった。呼ばれたかのように岸野がその隣に出現した。



「覚悟はいいな? ボウズ」



 鋭い目で俺を見る岸野。ヤクザのような見た目の男だが、メルデスの信頼は人一倍であるようだ。何を言わずとも、これからやることは分かっているようだった。



「彼のテレパスが彼女(バリッサ)の前では通用しないからこれを使うといい。オルガナも君を援護してくれる。既に何人か君のバックアップに待機させているからね」


「良かったな。至れり尽せりじゃねぇか」



 そう言ってメルデスが黒い小さな機械を手渡してくれる。恐らくインカムかなにかだ。耳の中にねじ込むと微かに人が話す声が聞こえている。岸野が襟元にマイクのようなものを付けてくれた。



「今からお前に使うのは空間移動のなかでも、座標移動って部類の能力だ。飛んだ瞬間には、もうその場所にはお前とバリッサ二人きりになる。奴にとってはお前が突然現れたように見える。そこを突いて奇襲しろ。わかったな?」



 俺の血のついた刀をしっかりと握らせながら、立ち上がらせる岸野。その大きな手は暖かい。少し意外だった。



「もし失敗したら……」


「失敗は許されねぇ。ぜってーあのアマぶっ殺してこい」


「もう少しオブラートに包んだ言い方があるだろう? ま、気楽に頑張ってくれたらいいよ」



 岸野の発言にツッこむメルデスだが、言ってることは一緒だし。と、俺も心の中でツッコミを入れる。



「んじゃ……せいぜい死ぬんじゃねぇぞ。『選ばれた存在』サンよぉ」



 岸野が不敵に微笑んだ。

 その瞬間、景色が反転した。

 俺は、松林の中に立っていた。土の匂いや、潮の香りが一層強い。見渡しても、メルデスや岸野の姿はない。



(いた……!)



 数メートル先に、バリッサの姿を見つけた。血濡れたドレスで走っている。この場から逃走しようと思っているらしい。

 俺は進行方向へ先回りをして彼女を待ち構えた。仮想戦闘(シュミレーションシステム)では、こんな感じのステージを経験したこともあるし、その時と違って敵はバリッサ一人だけ。余裕だ、と無理やり自分に言い聞かせるが、刀を握る手は既に汗でびっしょりだ。さらにここに来て、太ももの刃創が疼き始める。痛みをこらえ、タイミングを見計らう。



「バリッサ!」



 俺は彼女の名を叫び、木の影から飛び出した。まっすぐ駆け、バリッサに肉迫する。突然現れた俺を見て、バリッサは明らかに動揺した。

 彼女の頚部をめがけて刀を振りかぶったその瞬間。

 バリッサが、笑った。


(マズ……い)


 刹那。

 彼女の咆哮が耳を(つんざ)く。脳を激しく揺さぶられたような感覚。鋭い頭痛が俺を襲った。痛みに耐えかね、刀も手から離してしまう。


──ポタリ

 何かが地面に落ちた音。液体のようだが。次の瞬間、視界が赤く染まった。突然の出来事に脳の処理が追いついていないらしい。



「なん、だ、これ……」



 目を擦っても視界の赤い色は消えない。手にドロドロとした液体がまとわりついただけだ。

 これは俺の、血?



「ハッ……ッ!」



 俺は突如、思考を停止せざるを得なくなる。背後から何かが迫ってきた気配。体勢を崩しつつも、身体を左に逸らして回避する。

 それが通り過ぎる瞬間、耳元でビュッッと空気を切り裂くような音が聞こえた。だが、視界の赤い色が邪魔をしてそれを放った敵の姿を特定できない。考えうるのはバリッサくらいだが。


 俺は今、恐らく血の涙を流している。先程触った時のドロドロとした感触、そして、さびた鉄の臭い。赤い視界。どれだけ拭っても、赤い色は取れない。視界もボヤけ、あまり鮮明に見えねぇ。


 そこへ、突然銃声が鳴り響いた。なにかに引き寄せられる感覚。



「おいアキト。見せてみろ、コッチ向け」



 これはDr.レンの声? 大きな手に抱えられたかと思ったら、体がふわりと浮いた感覚を感じる。幻覚? 現実?



「ありゃあ、『破壊之咆哮(ロアーインパクト)』ってヤツだな。資料には無かったが……多分、鬼の力でパワーアップしたってやつだ。かなりの使い手だと、内臓全部ヤられるって聞くが、どうだ、レン。こいつ、まだ行けそうか」



 岸野? メルデスと一緒にいたんじゃあ。



「っせーな。少し黙ってくれるか。おい、アキト。聞こえてるか」


「あ、はい。聞こえて、る」



 俺は地面に寝かされて、身体のあちこちを触られている。口悪いし、すぐにキレて銃をぶっぱなすが、流石、一流の医者だ。触られていて嫌な気はしないし、何より手際がいい。



「内臓とかは見た感じ問題ない。大腿部に化膿が出始めてるが気にする程じゃねぇ。帰ったらテキトーに手当してやる。取り敢えず痛み止めは塗っておいた。後はお前次第だ」



 『テキトーに』ってなんだよ。しかしそんな事をツッこめる雰囲気ではないのでその一言については黙殺する。



「もしかして、メルデスさんに言われて?」



 服で顔を拭いつつ立ち上がる。少しぼやけるが、さっきよりは良く見える。

 見回す限り、周りは松の木と丈の短い草。先程よりも海の香りが強く、波の音が時折大きく聞こえる。そして、俺を取り囲むように武装した人々が木々の隙間に立っている。俺のそばには白衣を血で汚したDr.レン、周囲を警戒しているのか俺に背を向けて立つ岸野。



「チッ。そうじゃなきゃてめぇなんざ放っとくに決まってんだろ」



 岸野が背を向けたまま苛立った様子で返答する。

 すると、武装した人たちの中から大きな銃を手に持った小柄な女性が進み出てきた。



指揮官長(メルデス)から聞いたわ。アナタは、私たちの希望。アナタを全力で守るのが、私たちの使命(ミッション)


「そうだぞ。オレ達がアジトに戻るためにはお前さんの力が必要だ。鬼化したヤツらのことは気にすんな! オレたちに任せとけ」


「アジトで妻と娘が待ってるんだ。頑張ってくれ」


「ウチかて、一人息子がまだ小学生やねん。ウチが面倒みぃひんたら誰が見るんや」



 彼女の発言をきっかけに、大人達が俺を激励し始めた。口々になにか言うもんだから全部は聞き取れないが、それでも彼らの思いは一つだ。確かにそれを、俺は感じた。

 メルデスたちは、世界を救うだの、鬼を封じるだの色々言ってたけど………彼らはそんなこと望んじゃいない。いや、結果的には望んでいるのかもしれないが。

 しかし、彼らが戦う最大の理由は、『生きるため』そして、『守りたいものを守るため』


 俺は……俺には、彼らを見捨てることなんて、出来ない。単純なヤツだと思われるかもしれないが、そうだ。俺は単純なヤツだ。彼らのことを見捨てることは出来ない。それに、俺だって『生きたい』し、『守りたいものを守りたい』。



「たぶん、そろそろここも勘づかれる。本城暁人。もっかい聞くぞ。行けるか?」



 岸野が振り返り、俺に問う。その触れれば切れてしまいそうな眼差しは俺の眼を真っ直ぐに見据えている。もしここで俺が拒んだ時の命令がメルデスから(くだ)されているのか、はたまた、俺を試しているのか。いずれにせよ、俺の心は決まっている。



「あぁ。行ける。もう大丈夫です」



 岸野は俺の返答に、目を少し見開いたが、「そうか。ならいい」と呟いて腰の後ろに回していた右手をズボンのポケットに突っ込んだ。恐らく、前者だった場合、俺とメルデスが初めて会ったあの時のように脅そうとでもしていたんだろう。



「そうと決まれば。ほら、落とし(モン)だ」



 Dr.レンが手渡したのは、刀。この握った感触、間違いない。俺の脚を傷つけたあの刀だ。刀身に付いていた血は綺麗に拭われ、木々の隙間から零れた月の光を反射している。

 これで俺は、あの(バリッサ)を。



【ザサザザ………本城に、告ぐ。上空、何か、来る】



 その時、耳に取り付けたインカムからオルガナの少し焦った声がノイズ混じりに聞こえた。他の味方にもその連絡は届いているらしい。皆、急いで見上げた。



「ふふふっ。かくれんぼはおしまいね? あらっ! だぁーりぃーーーーんッ。みぃーつっけたぁー」



 バリッサが、空から降ってきた。俺、岸野、そして、Dr.レンの目の前に優雅に降り立つ。

 味方は皆、突然のことに戸惑いつつも即座に武器を構えた。俺もまた、ぎらりと光る刀を構え彼女(バリッサ)を睨みつける。



「よく考えたけれど、アナタのその“特別な力”とやらはやはり面倒ね。だから、この私が直々に、そして確実に処分してあげるわ。私、自分の目で見たものしか信じないの」



 そう言いながらバリッサは胸元の趣味の悪いブローチに手を伸ばした。

 蜘蛛の形のそれを外して手にのせると、それが……動いて糸を出し始めたではないか! そいつはカサカサとバリッサの身体を這いながらどんどんと糸を紡ぐ。ただ、普通の蜘蛛の糸とは異なり、黒い色をしている。この生き物は……ただの蜘蛛じゃない。

 そしてその糸は、何かの形を形成しているようにも見える。太いロープのように見えるが、違う。これは……!


 蜘蛛が糸を出し終え、胸元に戻ったのをチラリと見たバリッサはそれを握りしめ、軽く一振りした。

──ピシンッ、と鋭い音がして、当たった地面が裂けた。

 黒い(むち)を手にしたバリッサは、口が裂けんばかりの不敵な笑みを浮かべる。



「さぁ、これでゆっくり(なぶ)ってあげるわ。光栄に思いなさいィ」



 鞭を体側(たいそく)から繰り出したバリッサ。しかしその攻撃は空振りに終わる。

 岸野が俺とDr.レンを抱え、バリッサの後方に回り込んだのだ。



「テメェらッ! 臆するなッ……撃てェッ!」



 岸野の怒鳴り声を合図に味方がバリッサに銃弾を浴びせかける。



「無駄無駄無駄無駄ッ……こんなの効かな、ッ?」



 弾丸の雨を一身に受けてもなお先程と同様、恐ろしい笑顔だったバリッサが、初めて顔を歪めた。痛みと困惑が顕になっている。

 そのまま片膝をつく。見ると、膝の関節当たりに赤黒い穴が開いていた。



「おの、れ。低俗な連中がこの私をッ……邪魔者を蹂躙しろッ!」



 再び噴き出したどす黒い物の中から、たくさんの人影。



「チィッ! まだいやがったのかよッ!」



 そいつらは、武装した俺たちの味方を襲った。岸野も予期していなかったらしく唇を噛み締め、険しい顔だ。

 しかし、さっきの……なんだか気になる。



「よそ見、してんじゃ、ないわよォっ!」



 鬼の形相の──てか、ほんとに鬼だけど──バリッサが鞭を大きく振りかざして俺たちめがけ、弾丸のように飛んできた。今度も岸野のおかげで逃れることが出来たが、俺たちの背後にあった木が大きく傷付き、倒木した。

 倒れた木は敵味方関係なく押し潰し、粉塵を上げる。



「岸野、このままだと味方が巻き添え食らって全滅しちまう。この場から奴を引き離せ!」



 Dr.レンが岸野に指示する。いつもなら何かと他人の発言に噛み付く岸野だが、今回ばかりは同意してバリッサをひき付けにかかる。少し姿を見せては距離をとって空間移動(テレポート)。その繰り返しだ。

 鞭を振り回しながら追ってくるバリッサ。彼女を先程の場所から出来るだけ遠ざけている間に、俺はどう戦おうかを必死に考えていた。



 一つだけ。可能性があるとすれば、さっきの場面。

 関節を打ち砕かれたバリッサが数秒であるが動きを止めた。そこを突くしか俺には考えられなかった。もちろん、先程の『破壊之咆哮(ロアーインパクト)』をやられてしまえばそれきりだが、それでもこの方法に賭けるしかない。

 俺はインカムの操作をスピーカーからマイクに切り替えた。



「オルガナさんっ! オルガナさ……」


【そんなに、叫ばなくても、聞こえて、いる。どうか、したか】



 落ち着いた声。彼女にならこの役割を任せられる。



「俺たちのこと見えてますか?」


【もちろん、見えている。要件は、手短に、明瞭に、伝えること】



 わかってるさ。彼女のこの事務的な口調は時にイラッとくるが、緊迫したこの場面ではそんなことない。むしろ、冷静になれた。



「崖の方まで俺たちを誘導してほしいんです。そこで、決着をつける。合図したら、アイツの関節を破壊して欲しい。出来ますか」



 心は、決まった。暫くオルガナの返答(レスポンス)がない。戦い慣れた彼女からしたら、バカげてて、稚拙な作戦かもしれない。


 それでも俺は……やらなくちゃならない。

 『生きるため』に。

 『守るべきものを守るため』に。



【本城に、告ぐ。了解、した。幸運を、祈る】



 ブレることがないオルガナの声に、俺は一人、微笑した。何故か分からないが、うまく行きそうな気がしたんだ。



そろそろ1章も残り僅か。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


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