介入者
「この鞘は渡さないよみきてぃ。この鞘は……私たちの希望だから」
吹き荒れる風の中、こだまと天雨美姫が睨み合う。潮風も、血なまぐさい香りも。全てごちゃ混ぜになった部屋の中。
鞘のない刀。
刀のない鞘。
相対する二人が、俺の目の前で緊張の糸を張り詰める。オーラを見る異能力などは持ち合わせていない俺だが、これは、マズイ。危険だ。巻き込まれたら一溜りもないことは明白だ。
二人は沈黙している。お互いの出方を探っているのか……または、なにか作戦があるのか。
先に動いたのは、天雨美姫の方だった。剣先を躍らせ、無表情のまま、暴風の中を素早いステップで突破し、こだまの懐に飛び込む。
対して、鞘しか持たず丸腰のこだまは微動だにしない。
「こだま……ッ、何ツったってるんだよッッ! 防げッ!」
叫んだ時にはもう遅い。既に暗殺者の殺傷圏内だ。こだまを妹だと認識していないであろう彼女に、躊躇いという言葉は無いみたいだなッ。クソッ!
俺が刺叉を振り回す暇など、皆無だ。切先は、真っ直ぐ、美しい直線軌道を描きながら、こだまの喉元を狙って突き出された。コンマ一秒後にはこの部屋に、バカだが無邪気で……笑顔がまだあどけない少女の死体が転がるのかと思うと、ゾッとした。
その瞬間を見れるはずもなく、俺は目を閉じる。だが……何故かその直後。
「……何?」
天雨美姫の訝しむ声が聞こえた。
何が起こった……?
「みきてぃ……いや、もうその呼び方はやめる。お姉ちゃんを、返せ!」
これは、こだまの声? 恐る恐る目を開けた。
こだまは、生きていた。先ほどいた場所を動いていない。確かにそこに、こだまは立っている。息をしている。風に杏色の髪を靡かせ、その瞳は怒りを秘めているかの如く天雨美姫を見つめている。
今、『お姉ちゃん』と呼んだ……。
だが、果たして天雨美姫はどう思ったのだろうか。
こだまを妹だと分かったのだろうか。
喉笛に突きつけられた刀は、こだまに届く直前で止められていた。こだまの、左手によって。切っ先を素手で握りしめているため、掌から血が滴っている。しかし、こだまはそんなこと気にも留めていない。
天雨美姫が焦ったように、引き抜いて手元に戻そうとするも、刀はびくともしなかった。なんて握力だ。ぼたぼたと彼女の血が畳を赤く染め上げる。
「お姉ちゃんを……返せっ!」
こだまが、可愛らしい声を荒らげた。こだまの叫び……届いてくれ! 五年離れていようが、お前は姉だろう! お前が探し求めてる妹じゃないのか!
俺も祈る。彼女さえ落ち着いてくれれば、事は収まる。
「貴様の姉など、知らない。邪魔をするなッッ!」
黒髪の女は大きく手を振り、刀の自由を奪還して数歩下がった。赤い瞳が大きく動揺しているが、それはこだまの叫びを聞いてではない。思い通りにならない事への焦り、そう見える。そんな……何で気づかないんだよッ!
口惜しくも天雨美姫には届かなかった。部屋を渦巻いていた暴風が止んで……。
──バチッバチバチッ
スパーク音と共に、天雨美姫の身体が光を発し始めた。禍々しい赤色の光。時折、稲妻のようなものが身体の周りで弾けている。その光はどんどん強さを増す。
何が起きている。天雨美姫は電気系の能力者だったのか? いや、ちがう、何か違う気が……!
「ゲボっ……グッ、ハッハッ……なんだ、これッ……」
突然、俺は息苦しくなってきた
この部屋を取り巻く、いや、全体の空気が重くのしかかってくるような感覚。そして俺を襲う更なる力は、恐怖。何が何だかわからないオーラのような光に圧倒されている。内臓が押しつぶされるような……肉体的な圧力に立ち上がる事も、遂には声を上げることも出来なくなった。
マズい。呼吸が、辛い……。
こだまは? 大丈夫なのか?
霞み始めた意識の中でこだまを案ずるが、何故かこだまは平気なようだ。もしやこれは天雨美姫が発する“気”というものなのだろうか。
「お姉ちゃんは、そんな事しないっ! お姉ちゃんのなかから、出てってよッ!」
毛を逆立て、慟哭するこだま。
すると、こだまの身体からも天雨美姫同様に光が発せられた。ただし、天雨美姫と決定的に違うのは、こだまの光は柔らかく、それでいて全てを照らしそうな、金色の光であること。
「うわぁああああああああああああああああッッ……」
こだまが叫び声を上げると、それに応えるかの如く光がどんどん強くなる。
刹那。
俺には、こだまの後ろに立つ女が見えた。ウェーブがかった髪を揺らめかせ、こだまを包む光の化身のごとき人影。なぜか、俺を見て微笑んだように思った。
そして俺は、吹き飛ばされた。周りにあったものも全て後方へ。一瞬の出来事だった。
なにが、起きた……?
俺が理解しようと試みる、その思考さえも吹き飛ばされた。
気がついた時には、砂利の敷かれた地べたに頬を擦り付け、転がっていた。
俺と一緒に飛んだのであろう、刀が1本。突き刺さっている。左の大腿部だ。痛みをこらえ、どうにかして仰向けになる。引き抜くと、鮮血が流れ、刀身からもポタポタと赤い雫が落ちた。
ポケットに入れていたハンカチできつく縛る。
これでどうにか……
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
左足が心なしか、痺れてきた。
ふと鼻腔をくすぐるのは、潮の香り。先ほどの息苦しさは全くない。夜空には星がまたたき、満月が辺りを明るく照らしているお陰で、何も周りが見えないということは無い……
……あれ?
夜空………?
さっきまで室内にいたのではないだろうか。
そんな疑問が浮かぶ。そう、こだまの身体から光が発せられて……こだまは……?
「こだまっ! どこだ……ッ」
こだまの姿を探すべく、痛む足を引きずりながら、どうにか立ち上がる。多少無理すれば、この程度の怪我なら歩けるだろう。念のため血の滴る刀も手に持ったまま歩き始めた。
足元の砂利が俺を何度も転ばせた。だが、思いの外すぐに、こだまを見つけることが出来た。
こだまの夢に出てきた、崖の淵。波が砕け、白い飛沫を上げ、月の光がそれをキラキラと光らせている。
彼女は海の方を向いて立っていた。先ほどではないが、こだまの体は光を放ったまま。刀の鞘を左手で握りしめている。
そして、海に背を向け、低い姿勢からこだまを睨みつける黒い塊。天雨美姫だ。赤い目を光らせ、肩で息をしている。服はところどころ破れ、血の痕が残っていた。
天雨美姫も俺と同様に吹き飛ばされたようだ。しかし、その傷つき方は俺よりはるかに上。顔や手にも焼け焦げたような痕がいくつもある。
しかし、流石だ。得物は手放していない。
それを杖がわりに立ち上がる。闘志は消えていないようだ。
次の瞬間、天雨美姫は跳躍し、こだまに斬りかかった。目にも止まらぬ速さ。先ほど、俺と戦っていた時とは大違いだ。
手を抜かれていたのだろうか。
しかし今はそんなことどうでも良い。俺は目の前の光景に釘付けになる。
1度目の斬撃を身を翻して躱したこだまは、天雨美姫と距離をとる。
2度目。天雨美姫が低い姿勢のまま、砂利を撒き散らしながらこだまの足元を払おうとする。が、しかし。こだまは先日の体育で披露したような、2m越えの跳躍をみせて回避した。
――painted by トヲヤマカ
人間離れしすぎだよ……2人とも。
疾風の如き天雨美姫の斬撃を、こだまが蝶のようにヒラヒラと舞って退けている。俺が入り込む余地はどこにもない。
天雨美姫からしっかりと距離をとったこだまが、左腕を前へ突き出し、鞘を掲げる。何をする気だ……
「そんな鞘で、私と闘おうっての?」
ため息混じりに、天雨美姫が問う。身体に巻き付けるように刀を後ろへ深く引き、体勢を低くする。かなり変則的だが、居合切りによく似た構えだ。
「お姉ちゃんを取り戻すためなら……私誰とだって闘うよ」
「愚か者が……」
天雨美姫は、こだまが話し終わると同時に、大地を蹴った。大きなクレーターを生じ、天雨美姫の身体がこだまに急接近する。そして、こだまの身体を下から上に両断するかの如き太刀筋で、刀を振るう。
これ程のことを、天雨美姫は1秒程でやってのけた。
しかし、その刃はこだまにまたしても届かない。
その斬撃を、こだまは同じく刀で受け止めた。光り輝く刀。
いつの間に………!
傍観者の俺でさえもそれの出現に気付かなかった。天雨美姫はその刀を見て、明らかに動揺し、バック転で大きく距離をとる。
「俺も、闘うッ!」
これはチャンスだ。天雨美姫がさほど強くなかったのか、はたまた俺との戦いや、先ほどの衝撃波で体力を消耗したのかは分からないが……今は確実にこだまが上だ。
天雨美姫を斃すなら、今だ。
痛む足を引きずりながら、俺は天雨美姫の後ろに回り込む。彼女はこだまの刀に釘付けだ。俺が後ろから天雨美姫の注意を引いたら、恐らくこだまにとって十分な隙が生まれるはず……
「お前は何者だ。少年」
げ……………気づかれてた……。
天雨美姫は俺の方を向きもせず、話しかけてきた。頭の後ろに目がついてんのか? 取り敢えず俺の陳腐な超陽動作戦は、秒殺された。
「俺はしがない高校生、そいつのクラスメイトだ。お前、本当に目の前のやつが誰か分からないのか。お前の妹のこだま……」
「そんな筈ないだろうッ! 今もあの子はネメシスに捕えられてるんだッ……私のせいで! 私が任務に失敗すれば……あの子は殺される。こんな奴、偽物だ!」
話で気をひこうとしたが、逆効果……だったみたいだな。怒らせてしまったらしい。こだまが悲しそうに、悔しそうに唇を噛む。
しかし、ネメシスつったら、都市伝説の組織だよな……。もしかして、彼女は暗示をかけられてるか何かか……?
再び天雨美姫の身体から、赤い稲妻が迸る。
たまらず仰け反り、無様に転けてしまった。
「はは、こんな足じゃこだまの手助けも……」
その時ふと、俺はメルデスの顔を思い出した。
かなり気弱な……
そうだ。
ここでこだまを死なせちゃダメだ。戦わせちゃダメなんだ……!
「こだまッ……お前はとにかく逃げろ! メルデスたちに知らせて……お前はここで死んじゃダメだッ!」
天雨美姫の気を引くように、そして、こだまに届くようにあらん限りの大声を出した。こだまは、ちらりとこっちを見たが、天雨美姫が動じる様子はない。再び……天雨美姫がこだまに斬り掛かる。
このままじゃ…………
「あら、自己犠牲? 美しいわね……………」
突如、俺の後方から不気味な声が。俺はこの声を聞いたことがある。
背筋が凍りついた。
身体の全機能が硬直した。
なんで、こいつが………………………………。
刹那。
俺の身体が宙に浮く。首がどんどん絞まる。爪がくい込んで、肉が引きちぎれそうだ。
「カハッ……クゥッ」
「美しいけど、そういうの、私大嫌いなのよねぇ」
バリッサは俺の首を片手だけで掴みあげている。
「そんな貴方の心臓が、リリー様の心臓なはず無いけど……念のため見てあげるわね? もし綺麗なオブジェになりそうだったら、私のコレクションの一員にしてあげるわ。ウフフフフフフファハハハハハハハ」
狂ったように笑うバリッサ。というか、こいつは確実に狂ってる。
クソッ………心臓抜かれる前に、呼吸困難か、脊髄損傷で死んじまうッ……。
待てよ……? 俺の手で触れれば………………
「あっと、お手々を使うのを禁止するわね?」
すると、俺の両手を何者かが掴んだ。目だけで確認すると……彼女の下僕であろう、男が2人。生気のない目でこっちを見ている。
チクショウ………天雨美姫と闘うこだまが、こっち向いてなんか叫んでるが、聞こえねぇ。
握りしめていた刀が地に落ちる。手の力が入らなくなった。
姉貴………ごめん。
親父………俺、今度こそダメかも。
母さん……俺……………
「だから、死ぬぞ、と、言ったのに」
聞き覚えのある落ち着いた声がする。
オルガナ……………さん?
はは、まさかな。こんな都合のいい事がある筈ない……
バスッ、バスッ、バスッッ
乾いた銃声が3回響き、俺の腕を拘束していた男達の手がさらさらと崩れて無くなる。
まさか、本当に、彼女が……?
「なっっっ! 邪魔した奴はどこのどいッッ……」
ゴキッッッッ
鈍い音がして、バリッサの手の力が弱まる。
明らかにこれは、肉と骨がぶつかり合う音。
どうにか彼女の手の拘束を逃れた。そして誰かが俺の首根っこを掴んで、そのまま跳躍した。
ふわりと女性特有のいい香りがする。
「ゲホッ………ゲホゲホっっっ」
魔の手から救い出してくれた彼女は乱暴に手を離し、俺は地面に倒れ込んだ。急に大量の酸素が肺に送り込まれたことで、むせる。
そんな俺の目の前に、泥のついたブーツが見えた。迷彩柄のズボン。彼女は、俺にスッと手を差し伸べた。色白の綺麗な手だ。
彼女は、銀色のサラサラとした髪を潮風に靡かせている。
「馬鹿者。他人の、忠告を、無視、するから、こうなる」
目を隠しているため、分かりにくいが、その表情や声色は明らかに……怒っている。
「ご、ごめんなさい」
「ったく………ごめんで済めば警察は要らねぇっての」
俺の斜め後ろから現れたのは……
「レン、先生?」
白衣姿の彼は、月光を反射して光る銀髪を掻き分けながら歩く医者。もう一方の手には1丁の拳銃。眉間に皺を寄せたDr.レンも、かなりお怒りのようだ。
ほんとすみませんね………
俺は本来、彼らのことを信用している訳では無いが……。この状況に来てくれたことに対しては、九死に一生を得た気分だ。
「で、あの女が第一の鬼?」
Dr.レンが、整った顔を顰めながら人差し指で指す。その先には…………
「おのれッ、よくも私の美しい顔をッッ!」
鼻血を流す、バリッサの姿。さらに、額に小さな穴が開き、そこからも血が流れている。大きく見開いた目。鬼の形相そのものと言っても過言ではない。っていうか、そのものだけど。
「……チッ。頭撃っても死なねぇのか。そんな顔してたらその“お綺麗”な顔が台無しだぜ」
「き、ききき、綺麗な……顔………? ステキ……」
ん……………………?
“ステキ……“?
バリッサが……まさかと思うが、て、て、照れている………?
恐らくDr.レンは、嫌味のつもりで言ったのだろうが…マジだと勘違いしているようだ。体をくねらせ、頬を紅葉させ、小声でなにか呟いていた。
Dr.レンの顔はというと……かなり引き攣っている。まぁそりゃそうだろうな……
「お、おい……どうにかしろよ」
「どうにも出来ないでしょ……」
何故か俺に助けを求めるDr.レン。ふ、服引っ張らないでくださいッ。するとオルガナが口を開いた。
「おい、レン。いい、考えが、ある。メルデスたちの、救援を、待つのに、最適な」
オルガナが提案したのは……………




