一筋の希望
なんて強さだ。一撃の重さが今日の昼間の奴らの類に及ばない。そして、舞うような可憐な剣捌き。
もし俺が味方なら、その美しさに魅入ってしまっただろう。だがそれは、もしもの話だ。鎬を削る今、そんな悠長な事を考えて等居られない。
──キンッッ、という固い音と共に銀色の破片が宙を舞い、天井に突き刺さったのが見えた。
使っていた刀が遂に折れたのだ。俺はよく刀先を折る。達哉曰く下手くその証拠らしい。そりゃ、付け焼刃に等しい俺の技術は下手くそと称すべきものだろうな。
振り下ろされた所に刃を滑り込ませ、払おうとするところに先回りして峰を当て……防御一辺倒な刀捌を余儀なくされているのも理由の一つだが。
すぐさま俺は、老人が握っていた刺叉を拝借し、さらに迫り来る攻撃を弾いた。さらにちゃぶ台を蹴りあげて一度、彼女を後退させる。
俺は今、狭い部屋の中で老人を背中に庇い戦っている。彼のコレクションであろう骨董品も、割れたりして辺りに散乱していた。畳も斬撃によって傷つけられ、ボロボロだ。
序に、アイシングが不十分だった俺の腕は、ミシミシと痛み始めていた。どうにか歯を食いしばって痛みを堪える。先ほど、なんとかしてこちら側に引き寄せたこだまも、目覚める気配は皆無。
周囲に民家もなく、ここに来る人間はそういない。助けを呼ぶことも不可能。
いや、万一可能だとしても、来たところで、この女が本当にリリーの魂を宿しているとしたら、敵を増やすだけだ。
つまり、現状を短い言葉で表すと絶体絶命だ。
どうしてメルデスたちに何も言わずに来てしまったのかと、激しく後悔した。少なくとも、姉貴に何か言えば良かったかもしれない。
その時、部屋の明かりが突然消えた。突然の暗闇に、俺は視界を失う。
なぜ電気が消えてしまったかは不明だが条件は相手も同じ筈だ。俺は息を潜め、できるだけ音を立てないようにする。そうすれば、相手は俺の所在が掴めない。
タイミングを伺うんだ……。
目が慣れるのを待っていたその時だった。
──ザシュッ。
部屋に、窓から吹き込む潮の香りをかき消すような、鉄の匂いが充満する。生暖かい飛沫が背後から飛んできた。
悲鳴をあげる間もなかったのか、ドサ、と重い音だけが暗闇に響いた。
殺され、た。恐らく、あの老人が。
「任務完了。次の任務に移行する」
どうして、こんなに暗い中なのにこんな事が!
まさか、この暗闇は彼女が故意に作り出したのか? 俺はまだ暗闇に慣れきらないままだが、振り返った。
「……ッ!」
彼女と目が合った。正確には目が見えただけだが。
あの夜と同じく、暗闇に赤く光る双眸。それは、まっすぐ俺を見ている。
いや……違う。そうじゃない。
天雨美姫が見ているのは、俺じゃなく──俺の背後。
その瞳孔はカッと開き、ソレを凝視していた。
彼女に……何が見えているんだ。
突然、明かりが戻った。白い蛍光灯が、部屋を明るく照らす。
暗闇に少し慣れ始めていた俺の目は、再び視界を奪われる。ぎゅっと目をつぶった。
■◇■
《何をしているのだ、美姫。このくらい軽くひねり潰せるであろう?》
頭の中に響く声。彼女は心の中で声に返答する。眉根を寄せ、珍しく顬に玉汗を浮かべていた。
「体が動き辛いの。まるで、空気が普通以上の質量を持ってるみたいに」
この神社の敷地に入った時から思っていたことだ。標的は高齢の男だったため、支障はないと見越していたが、思わぬ刺客が二人も紛れていたことに、暗殺者は内心焦っていた。
先程交戦した不思議な髪色の少女も殺しきれなかった。部屋の中で刀を振り回す少年に関しても、斬撃を全ていなされ、標的に刃が届かない。
これまで、屈強なSPを引き連れた金持ちや政治家等を手に掛けてきたが、全く問題なかった。むしろ、こんなに簡単でいいのか疑問に思うことさえあったというのに。
《誰かが……邪魔をしてる》
頭の中の声もようやくその状況に気づいたようだ。
その時、部屋の明かりが突然消えた。
「リリー、早く」
《ハイハイ》
突然の暗闇に目が追いつかない。すぐさまリリーと呼ばれた声の主はその力をもって、天雨美姫の視界を安定させる。
少年は未だに暗闇に慣れていないようだ。キョロキョロと頭を振っているように見えた。
彼女もハッキリと見えてはいないが、リリーの援護のおかげで大体の概形や色などは分かる。
(これは、好機)
暗殺者は音も立てず、少年の背後、暗闇に戸惑う老人の目の前に回り込んだ。老人の首を目掛け、一思いに斬り捨てた。迷いなど微塵もない。彼女は愛する妹のためだと心に言い聞かせる。鮮血が吹上がり、それなりの質量を持った球体がゴトン、と落下する。
少年がそのことに気づき、振り返る。だがもう遅い。すでに老人は処分したのだ。冷徹な目で少年を見る。目的のひとつは達成された。
「任務完了。次の任務に移行する」
任務の二つ目は、資料にあった刀の鞘を持ち帰ることだ。
彼女は、少年が自身の目を見て怯えているように感じた。幾度となく見てきた視線。もう今更、なんとも思わない。躊躇うことなど……ない。
少年は未だに、彼女の目しか見えていないらしい。
ならばいっそ、このまま処分しよう、と彼女が思ったその時だった。
暗闇の中でも景色捉える彼女の目。それは確かにその姿を捉えた。
少年の背後に立つ、少女
不思議な髪色の、少女。
先ほど吹き飛ばし、ガラス窓に叩き込んだ……少女。
何故か、彼女の名前を知っていた、少女。
《何を迷ってる。さっさと斬りなよ》
頭の奥で、声が天雨美姫を急かした。
その時、電気が復旧した。明るくなり、リリーは能力を解除して暗殺者の視界を最適化する。ぼやけていた視界が明瞭になった。
そして天雨美姫は彼女と正対する。
■◇■
「みきてぃ、もう、これ以上人を殺さないで」
こだま……?
目は見えないが、音は聞こえる。今のは……こだまの声だ。鈴が鳴るような、可愛らしい声。そうだ、俺がこの女に刺されたあの日に聞いた声と同じ。
「誰だか知らないが、私は与えられた任務を全うしているだけだ。邪魔をするなら、処分する。今すぐその鞘を渡せ」
「嫌だ!」
やめろ、こだま! お前は戦えないだろ。この女に敵うとでも思ってるのか!
クソッ……未だに目を開くことが出来ない。さっきまでこだまは俺のそばで倒れていたはずなのに、いつの間に背後に回っていたんだ。
「許さないからっ……人殺しのみきてぃも、みきてぃに、人殺しさせてるやつを、私ッ……」
「五月蝿い! 貴様に何がわかる」
見えなくてもなんとなくわかる。天雨美姫の周囲の空気が変化した。俺に向いていた殺意の矛先が、こだまに変わった。
まさか彼女は、こだまを妹だと認識していないのか。このままじゃ!
突如吹き荒れる風。明らかに、窓から吹き込むものとは異なる、不自然な風が耳元を掠めた。ただならぬ状況だ。
俺は無理やり目をこじ開ける。
風は、天雨美姫を中心に、それはまるで台風のように、部屋にあるもの全てを蹂躙した。割れて散らばった陶器片や、ガラス片などが飛び交う。そして、天雨美姫に正対し、彼女をじっと見つめるこだまは、しっかりとその場に立っている。杏色の髪が大きく靡く。
「この鞘は渡さないよ、みきてぃ。この鞘は……私たちの希望だから」
こだまは、胸元に抱き寄せた鞘を、しっかりと握りしめた。
■◇■
気を失っていた時。
こだまの意識は、何故か、小高い丘の上にいた。そよ風の心地よい、草の香りがする綺麗な場所。夢のような感覚もあったが、こだまはそこに行った記憶が無かった。
その丘の上に笑顔で手招きする人物を見つける。
在りし日の、姉の姿。
「みきてぃ……何でここにいるの?」
すると突然、景色がパズルのピースをばらすようにガラガラと崩壊していく。
「おねぇちゃ……」
伸ばしかけた手は、姉には届かない。姉の姿も、散り散りになって消えた。景色は全て、パズルのように崩れ、暗闇になったのに、足元はどこかに立っているような感覚だ。
『こだま』
後ろから、声が聞こえる。その声は、こだまをここへ導いた声だ。振り返った先にいるのは、黒髪の少女だった。恋しくて恋しくて堪らない存在。
「おねぇちゃん……!」
『すみません。私は天雨美姫ではない。彼女の姿を借りただけ』
そこに居た姉の姿は、申し訳なさそうな顔をしてサラサラと崩れた。
そして現れたのは、こだまと同じくらいの歳の、可愛らしい女の子だった。体は白く輝いていて、よく見ると透けているのがわかった。その表情は少し苦しそうで、ふわふわとした髪は風もないのにその場で緩やかに靡いている。
『私は、刀の鞘であり、リリーの心。ある人は私を終焉の鬼と呼ぶ』
「終焉の……鬼?」
彼女は胸に静かに手を当てて、話し始めた。
『天雨美姫……あなたの姉を苦しめているリリーは始祖の鬼。そして、私は、そのリリーと相反する存在。しかしながら、私は彼女であり、彼女もまた私なのです。彼女が始めたことを終わらせるのが私なら、私が終わらせたことを始めるのも彼女』
こだまは静かに彼女の話を聞いている。時折頷きながら。ピンクのポニーテールがゆさゆさと揺れた。
『私があなたをここに呼んだのは、あなたの力が必要だから。あなたに助けて欲しいから。あなたのお姉さんを。そして、リリーを』
「……ごめん。よくわかんない」
こだまは、いまいち彼女の言うことが難しくて理解できないといった様子で首を傾げている。終焉の鬼リリーの顔が若干こわばる。ここまで阿呆だとは思っていなかったらしい。
『そうですね……言い換えるならですね』
「──みきてぃが、お姉ちゃんが助かるなら、協力するよ」
困った顔で再び説明を試みようとしたリリーの言葉を遮った。その言葉に一片の迷いもない。こだまのその顔は真剣そのものだった。
「色々細かいこととか、あなたが何なのかは分からない。でも、苦しんでるお姉ちゃんを助けられるなら、私、協力する。何でもする」
こだまは、昔の姉の姿を思い出していた。怒ると怖くて、私よりも背が高くて、剣道が上手で、強くて、カッコよくて……優しい姉。
あの日、自分を助けようと崖を降りてきてくれた。
あの日、自分を殺そうとした。
あの日、自分を助けるために、死のうとした。
その時の姉の言葉を、こだまは忘れていなかった。
今でもあの言葉、その時の姉の顔、目、息遣い……すべて覚えている。
《嫌だよ……こだま、助けて……》
何度も夢で聞いた最後の言葉はこだまの鼓膜に染み付いている。彼女の温もりとともに。
『それが、あなたの本心ですか』
リリーがこだまに再確認した。
「そうだよ。私が、助ける」
リリーは安堵の表情を浮かべ、一歩こだまに歩み寄った。
彼女の肩に手をかける。頬を優しく撫でた。
『では、あなたがすべきことはただ一つ。天雨美姫を倒して、刀を奪うのです。あなた自身の手で。そして、私にその刀を収めてください。そうすれば始祖の鬼リリーは力を失います。ただし、刀を破壊してはいけません。破壊すれば始祖の鬼の侵食を食い止める力がなくなり……天雨美姫が完全に、取り込まれます』
「わかった」
『それに、あなた以外の人間が刀を奪っても駄目です。いいですね。恐らく、あなたの姉はそれを承知の上であるからこそ、刀を手放すことはしないはずです。それでもどうにか刀を』
こだまはまたしても、首を傾げている。
リリーは嘆息し、これ以上説明をするのはやめることにした。そのために彼女はあの青年をここに呼んだのだから。
「とりあえず! 刀を取ればいいんだねッ」
こだまは高校生にしては少しばかり慎ましい胸を張り、笑顔でリリーを見た。それを見たリリーの顔にも笑みがこぼれる。
『ええ。こだま、あなたは希望です。さぁ、早く行って』
こだまを、闇が支配する意識の世界から送り出す一筋の光。それに向かってこだまは走り出した。その出口で振り返る。リリーに向かって大きく手を振った。
その表情は、希望に満ちていた。




