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 薄暗い部屋。冷たいコンクリートで囲まれた空間。その部屋に窓はない。

 ベッド、シャワー、トイレ。生活に必要な設備は揃っている。


 ちょうどその時、シャワールームから人が出てきた。

 黒く長い髪から雫を垂らす彼女は、バスタオル1枚を身体に巻いただけの姿。


 この部屋にはたくさんの監視カメラが取り付けられていた。しかし、彼女はそれを気に留めることはない。気づいていない訳では無かった。長い間、このような生活を続けるうちに、慣れてしまったのだ。


 脱衣場の鏡に映った自分の姿をちらりと見た。

 黒い髪。虚ろな黒い瞳。額に巻かれた白い布。



「いつまで続くの……?」



 来る日も来る日も、鏡を見つめて、問いかける。

 何時も脳裏に浮かぶのは、一人の少女。青い空の下で、向日葵よりも満開の笑顔で笑う、妹だ。切りそろえられた黒い髪。仔犬のような愛くるしい瞳。今すぐに抱きしめてやりたいが、彼女の脳内の幻影は所詮、幻影。掴もうとした瞬間に、抱き締めようとした瞬間に泡のように消えてしまう。



「必ず、迎えにいくからね」



 彼女は、タオルを放り投げ、服を着た。

 しかしそれは、寝巻きではない。真っ黒のシャツに、真っ黒のタイトなズボン。動きやすさから、彼女は好んでこの服装をしている。そして、その上に真っ黒のコートを羽織る。コートの襟を立てると、彼女の顔が半分以上隠れた。


 シャワーを浴びたのは、寝るためではない。

 これから外へ行くからだ。



「準備は良いか」



 厚い鉄の扉の向こうから、男の声が聞こえた。彼女としては聞きなれた声。仕事のある夜はこうして声を掛けに来る。



「はい。今行きます」



 彼女は目を閉じて、ひとつ、深呼吸をした。

 そして、目を開く。

 鏡に映った彼女の瞳はさっきとは違う。


 頭の中に声が響いた。



《時間だな?》



 その声は少し嬉しそうだ。



「今日は、レッドリストのうちの一人を処分するって」



 彼女は、壁に立てかけていた刀を手に取る。その刀には鞘がない。抜き身のまま置かれていた。それを、彼女は黒いギターケースの中に隠し、背中にかけた。

 扉を開け、待っていたスキンヘッドの男と合流した。



「これが今日の標的(ターゲット)だ。特に質問はないな?」


「はい。……えっと、あの、今度はいつになったら妹に会わせて貰えますか。少し顔を見るだけでも」



 彼女は男に詰め寄った。しかし、その言葉は容赦なく遮られる。男は資料をぐいと押し付けた。クリップ止めされた紙がヒラヒラと落ちる。



「余計なことは考えず、任務に集中しろ」



 男はそう言い捨てて、廊下の奥へ消えた。

 美姫は床に落ちた写真を拾い上げる。老人が写っており、資料に拠ればこの男を殺す様だ。放っておいても死にそうなものを、と目を細めるが命令には逆らえない。



《あいつら、我を解放するという約束を忘れているのではないか。しらばっくれるようなら、いっそこの施設ごと破壊して……》



 頭の奥で響く声が、去っていった男に対し、不満を漏らした。だが、美姫はクリップを止め直しながら反駁する。



「それは、私が許さないから」


《ふん。この邪魔な封じ布さえ無ければ、お前ごと取り込んでやるのに。我はめんどくさい奴に憑いてしまった》



 声がこのセリフを吐くのは何度目だろう。彼女はもう慣れっこだった。そして、先程渡された書類を再確認した彼女は、薄暗い廊下を独り歩いていった。



■◇■



 ずいぶんと、潮の香りがきつくなってきた。もう少しだな。


 電車を乗り継ぎ、二時間半。

 途中の駅にいた駅員に話を聞いた限り、こだまがこっちの方面に向かったことは明らかだ。

 時刻は二十二時二十七分。無人駅に降り立った俺は、周囲に彼女(こだま)の姿がないか探した。古い木製の駅舎は真っ暗だ。外にひとつだけ街灯があるくらいで、静寂と闇に包まれていて不気味だ。駅の裏側は鬱蒼とした森林で、フクロウのなく声が聞こえてきた。

 ふと、駅の時刻表が目に入る。


 げ、今のが終電じゃん……。


 しかし、こうなれば、ここでこだまを探すしかない。居なければ最悪ここで野宿か。晩飯食ってこればよかったな。お腹空いた。


 こだまの夢に出てきたあの神社をはじめとした観光施設は、5年前閉鎖されてしまった。神社だけはひっそりと残ってはいるものの、ここを訪れる人はほぼいない。天雨美姫が鬼の封印を解いた時と重なる。

 現在では幽霊が出ただの、鬼が潜んでるだの、色々な噂が飛び交っている。

 って、幽霊は兎も角。鬼に出逢うのは困る。飛び出してきたせいで、武器と呼べるものはこれと言って持っていないのだ。まぁ、あった所で互角に戦えないし。


 悲観的になりかけた自分を奮いたたせるように、大声で名前を呼んでみることにする。



「こだま! どこだ……!」



 とにかく、こだまを見つけてどうにか早くここを立ち去るのが先決だ。思い切って声を上げるが、何も返ってこない。


(あの声も、聞こえなくなったな)


 電車に飛び乗ったあたりまでは微かに聞こえていた声だが、今はもう聞こえない。何故だろうか。術者が弱ってるのか? それとも、声の主から遠ざかっている? でも、ここであっている筈だ。こだまの思い出の場所で俺が知っているのは此処しか無いのだから。

 俺の記憶によると、あっちの方向に松林があって、その先が祠のあった崖のはず。


 とりあえずそちらに向かって歩いていこうとした時だった。



「誰じゃ……!」


「ひぇっ?」



 (しわが)れた声が、背後から飛んできた。突然の事に、俺は堪らず素っ頓狂な声をあげてしまう。

 振り返った先にいたのは、白い和服の老年の男性。立派な口ひげを蓄え、髪も真っ白だ。



「誰じゃ! 盗っ人か」


「ち、違うんですっ。ひ、人を探してて……」



 泥棒だと思われたらしい。険しい顔で俺を睨んでいた。

 懐中電灯が俺の顔に向けられる。

 眩しッ……。


 老人の右手には、刺叉が握られていた。その老人と目が合う。彼は目を細めてしばらく黙り込む。険しい表情、その場に緊張感が張り詰めた。警察を呼ぶとでも言われるのだろうか……刑事を目指す俺としては死活問題だ。



「この辺りに、熊が出るのは知っとるか」


「え?」



 突然尋ねられ、一瞬頭が追いつかなかった。



「し、知りません……」


「はぁ。うちへ来なさい。こんな夜中に歩き回るのは危ない」



 怖い顔の老人だが、根はすごく優しい人のようだ。憐れむように落ち凹んだ目を向けたあと、踵を返し刺叉を杖がわりにしてずんずんと歩いていく。その後に続いた。


 老人が案内してくれたのは、大きな建物だった。それに俺は見覚えがある。と言うよりむしろ、此処を探していた。



「ここって」


「ここの神主 兼 管理人をしておる。さ、入りなさい」



 神社の事務所も兼ねた彼の家に通された俺。

 昔行った、婆ちゃんの家を思い出すような、古い蘆草(いぐさ)の香り。懐かしい匂いに心が安らぐ。



「どこから来た」



 急須に茶葉を入れながら老人が訊ねる。が、なんと答えよう。ミュートロギアというわけにもいかないし……。



「えっと……電車で2時間半くらいのところ、です」


「そうか」



 老人の顔がちらりとこちらを向いたがそれ以上何も言ってこない。どうにか乗り切れたようだ。と言うより、老人も根掘り葉掘り訊く気はないらしい。

 俺が通された居間には、いろいろな骨董品などが並べられていた。美しい色の陶器や、きらびやかなガラス細工、刀が数本。

 その中に一つ、妙なものがあった。


 刀の鞘だ。

 それにだけ本体が無く、鞘だけなのだ。



「人を探しておると言ったが、警察には連絡したのかえ?」



 老人がお盆にお茶を載せてやってきた。それを受け取って一口啜る。非常にいい香りで良いお茶だということが分かった。



「いえ、警察にはしてないです。その、ただの家出かも知れないので。それより……あの鞘。なんで、鞘だけなんですか?」


「あぁ、あれはのぉ」



 その時だった。


──ガシャーーーーーーンッッッツツツツ!

 盛大な破壊音。割れた破片が畳に散らばり、俺達は咄嗟に頭をかばう。窓ガラスを突き抜け、何かが飛び込んできたのだ。



「く、熊かッ?」



 老人が部屋にまで持ち込んでいた刺叉を構える。

 しかしそれは熊でも、幽霊でも鬼でもなかった。



「こ、こだま……?」



 だめだ、完全に気を失っているが、杏色の髪、子供っぽい顔つき。紛れもなくこだまだ。ここで何をしてた……何で気を失うような事に?



「何がどうなっておる。こやつはお前の知り合いか」



 突然の出来事に、威勢よく刺叉を構えたのは良かったものの老人は腰を抜かしたらしい。わなわなと震えている。



「そうです、すみません。おいこだま……何してんだよ! どうしたんだ!」


「みき……てぃー」



 意識を取り戻したかと思ったが、再びぐったりとする。揺さぶっても応答がない。外傷はほとんど見当たらないが、完全に気を失っている。

 てか今、なんて言った。みき……?



「誰じゃお主っ! どこから入ったッ」



 俺達の背後、老人の正面に……彼女は立っていた。

 黒く長い髪、赤い目。抜き身の刀。真っ黒なコートに身を包んでいて、さもそれは死神の様で。

 間違いない。あいつはあの夜……俺を殺そうとした女。


挿絵(By みてみん)



「天雨美姫っ……!」


「どうして名前を知っているのか知らないが……目撃者は処分する」



 チッ、姉妹揃って人の顔と名前覚えるの苦手なクチか?

 それにしても、こいつがここに現れたということは、()けられた? もし俺かこだまが標的なら、尾けられていたことになるよな。不覚だった。この老人まで巻き込んでしまって申し訳ない。



「標的の処分を、優先する」



 天雨美姫が刀を構えた。ギラりと不気味に光る。寝かせた刃の表面が美しく波打っている。彼女はそれを振りかざした。窓際から跳躍してくる。

 接近してきてわかった。赤い目が狙う先。それは俺の想像と掛け離れていた。



「く、来るなぁああああああああああッ」



 な、なんでだ! あの老人が標的だと?

 天雨美姫は、俺たちを軽々と飛び越えて……老人目掛けて刀を振り下ろす。

 ……させるかよッ!


──ギンッ

 奥歯が浮くように耳障りな高音。鋼と鋼が衝突し、拮抗する。



「っぶねぇっ……!」



 ひとまずこだまを放置し、老人のコレクションであろう刀を拝借した。そして、暗殺者と老人の間に割って入る。攻撃を止められたことに少し驚いたようだが、殆ど表情も変えずに彼女はバックステップで体勢を整えた。



「邪魔をするのなら……先に処分する」



 こだまは気を失ったままだ。そもそも、意識があったところで、戦えない。メルデスとの約束を守るなら。出来ることはひとつだろう。これで彼への貸しはチャラにしてもらおうか。

 それに、一方的な暴力は嫌いだからな。

 俺は決意した。



「やれるもんならやってみな。俺がふたりを守る」



■◇■



 その様子を見ている者がいた。

 月明かりを背に受け、松の木に腰掛けている。いや、違う。松の木に張られた巨大な蜘蛛の巣だ。



「太陽は嫌いなのよねー。今日もいい夜だわ。ね? タラちゃん」



 女は、愛おしそうに、手の上を這う蜘蛛に話しかけた。くすんだ金色の髪がそよいだ海風にふわりと舞う。



「私が手を下す必要はなさそう。リリー様の気配を追っていたらこんな所に出会(でく)わせるなんてね。ふふふ。念のため、傭兵(どうぐ)も呼んだけどねぇ、無駄だったわぁ」



 女はしばらく高見の見物を決め込んだようだ。




■◇■





「こだまが、いないッ?」



 メルデスが夕妃の報告を聞き、表情を一変させた。部屋の時計が二十一時を指している。



「そう。アキトもいないのよ。知らないかしら」



 メルデスは、二時間ほど前に転送部からきていた報告を思い出した。岸野も承知しており、二人は顔を見合わせる。珍しくメルデスが焦っていた。岸野は呟く。



「これは、ヤベェんじゃねぇか?」



 ただならぬ事態に、指揮官室にはミュートロギア幹部クラスの大人達が全員集められた。情報技術系統を纏めるセギ、戦闘部隊を率いるオルガナが慌ただしくその席に着く。



「行きそうな、場所に、心当たりは、無いのか」



 オルガナが腕を組み、メルデスを問いただした。

 メルデスは顎に手をやり、深く考え込んでいる。夕妃に関しては居てもたってもいられない様子で部屋の中を右往左往していた。



「いや……わからない。外に身寄りもないあの子がどこに行くんだろう」


「暁人くんについては、菊川くんたちから、焦った様子で走ってくのを見たって情報があるよー」



 セギは既に情報収集を始めていた。仕事の早い男だ。彼の顔がパソコンのブルーライトに照らされ青白く光る。



「そういえば……」



 夕妃が何か思い立ったようだった。視線が彼女に集まる。



「あの子、ついこの前、()が聞こえるって言ってたわ」


「声?」



 メルデスが眉根を寄せた。「あの子、言ってなかったのね」と大きなため息を漏らした夕妃。



「おっと、衛星画像ハッキングしたら、気になるのを見つけたよ。関係あるかわかんないけどさ、コレ見て」



 夕妃の話を遮って、セギが声を上げた。何かを見つけたようだ。華麗なキーボード捌きですぐにパソコンの画面をスクリーンに投映する。


 どこかの軍が飛ばした衛星の画像。各国の軍事基地や、原子力空母の現在位置が一目瞭然だ。日本の原子力発電所なども、光を放っている。



「ほらここ。物凄い高エネルギー物体が」



 地図上に、たくさんの光点が浮かんでいるが、中でも一際(ひときわ)強い光を発している点。だが、そこには発電所など存在しない。

 しかし、メルデスはこの場所に覚えがあった。



「此処……!」


「ここにいるの……? どうなの、メルデス!」



 夕妃が詰め寄るも、メルデスは難しい顔で考え込んでいる。そこに、さらに新たな情報が舞い込む。セギのPC画面上にメールが表示された。



「おっと、望月から報告。天雨美姫が今夜、三時間半くらい前に外に出たらしい。恐らく暗殺だ。かなり局のほうが慌ただしくて報告が遅れたみたい。南の方角に向かったようだよ」


「今すぐ、出かけるよ」



 メルデスは心を決めたようだ。そして、自らもその場所に赴くべく、身支度を始める。その様子を見て周りの人間も緊張感を高める。



「A隊を招集してくれ。子供は来なくていい。大人だけの招集だと伝えて。セギ、この場所までの最短経路を割り出して。それと、レンも連れていく。誰か呼んでくれ」



 予備の銃弾を準備しながら、メルデスは次々と指示を飛ばした。


 招集の館内放送が流れ、アジト内は慌ただしくなった。

 彼の指示から三分後、転送装置のある部屋には約三十名の大人達の姿があった。多くは、銃や刃物を持ち、防弾の戦闘服を着用している。



「岸野、行けそうかい?」


「あぁ。距離はそう遠くねぇ。俺の能力も併せりゃ中継無しで行けるぜ。てか、よくこんな辺鄙(へんぴ)なところにスポットがあったな」


「僕が作って欲しいって言ったんだ」



 岸野が驚いた顔でメルデスを見る。どういう事だと岸野が問いただす前にメルデスが先に口を開く。



「その話はまた今度だ。急がないと、間に合わないかもしれない」



 メルデスは、いつもの車椅子ではなく、杖をついていた。動かない右足を引きずりながらも、器用に早足で歩く。機動性を考え、外へ行く時は基本的にこのスタイルだ。



「メルデス、全員、揃ったぞ」


「ありがとうオルガナ……そうだ、夕妃」



 オルガナのそばに控えていた夕妃が顔を上げる。彼女も出動するつもりで準備は万端だった。



「君は残ってくれ。万一の場合に備えて、ね」


「万一の場合? それってどういう……」



 突然の指示に戸惑う夕妃。表情が強ばる。この言葉の真意を図りかねているようだ。



「そんなに身構えなくていいよ。念には念をってだけさ」



 メルデスがはははと笑いながら言う。夕妃は腑に落ちないようだが、指揮官(メルデス)の命令であれば従うしかない。唇を噛んだ。



「さて、行こう。みんな、乗り込んで!」



 戦闘員らは皆、電車のような乗り物に乗り込んだ。





 警報音と共に、彼らを乗せた電車は加速し、戻ってきたのは空になった車両だけだ。

 一人残された夕妃は、メルデスの“念には念を”という言葉を反芻していた。が、どういうことが起きるか、検討もつかなかった。ただただ、こだまと暁人(おとうと)、ミュートロギアのメンバー全員の無事を祈るのみであった。



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