水槽の少女
コポ……コポコポ……… ウィ───カシャン
機械音と、水の音が混ざり合う。聞きなれない音に精神が研ぎ澄まされていく。
部屋に入った瞬間、身震いした。何故か異常に寒いのだ。
「外して、よし。ただし、ここで、見た、ことは、絶対に、口外、しないこと」
オルガナに許可され、目隠しを外す。目がチカチカするのを防ぐため目を閉じたまま外したが、まぶたを介してあまり光が入ってこなかった。暗いところなのか?
恐る恐る目を開けてみる。
「これは……っ?」
……目の前の光景に言葉を失う。驚愕する俺の横に立つオルガナが(恐らく)それを見つめながら語りかけてくる。
「これが、始祖の鬼、リリーの、躰だ」
薄暗い部屋の中央に、大きな円柱形の水槽。その周りにはたくさんの機器が接続されている。液晶ディスプレイ付きで何かの波形をとっているものや、よく分からない着色された液体を保存しているらしいものなど様々だ。しかし、驚いたのはそこじゃない。
水槽の中に、少女がいた。
透明な、少女。
透明と言っても、色が透けているのではない。何故か、彼女の中が空っぽになっているような、そんな印象を受けるという意味でだ。
閉じた瞳。
(この子が、始祖の鬼 リリー?)
そうは見えない。
その表情は、鬼どころか……むしろ、天使のようだ。穏やかな顔で、眠っているように見える。
彼女の躰は水の中に浮いていて、無数の管が取り付けられている。それらは全て周りの機械に繋がっている。その四肢には、銀の枷がそれぞれ取り付けられていた。
「見せたかったのはこの子なんですか」
「そうとも、言えるが、そうとも、言えない」
ピッ ピピッという音にビビる俺。突然、機械の一つが電子音を発した。その機械を見ると、黄色いランプが点滅し、グラフの波形が激しく揺れる。
「ど、どうしたんですか」
「見ろ」
オルガナは俺の方に顔も向けず少女の方を見ている。
ゆっくりと、リリーの方を向き直る。
「ひッ………!」
始祖の鬼の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。口元も、薄ら笑いを浮かべている。
「ここにあるのは、躰だけじゃ?」
「そうだ。しかし、現に、こうやって、彼女は、目覚めて、いる」
俺を見つめる瞳は、虚ろな赤い色。その奥に、どこまでも落ちていってしまいそうな、深い闇が見えたような気がした。
オルガナがそばにあった機械を操作する。
すると、リリーの躰に繋がった管の一つに液体が送り込まれた。
暫くすると、再びリリーの瞳は閉ざされ、安らかな寝顔に戻る。
「鬼の力が、強くなって、いるのだ。こうやって、時々、彼女が、目覚めることが、ある。ここ数ヶ月で、その頻度は、多く、なり、続けて、いる。心臓、魂が、他にある今、躰単体で、復活する、ことは、ないと、思うがな」
「刀は、天雨美姫が持っているとして、心臓は? あの女もそれを探してた……」
記憶が正しければメルデスは、3つのうち2つが日本にあるって言っていた。ここが、日本だとすれば、あと一つは外国にあるはずだ。なのに、何故あの女が現れたんだ。
「それが、つい最近、日本に、入ったと、報告を、受けた」
「なんでまた?」
「代々、心臓を、守っていた、部族の村が、紛争に、巻き込まれて、壊滅した。そこの、村の長が、娘に、心臓を、託して、逃がした、らしい」
なんてタイミングの悪い話だ。それに、どうしてわざわざ日本なんだよ。確かに治安は他国に比べていい方かもしれないが。
「その娘がまさか、ここにいるとかないですよね?」
いるとしたら、このアジトのどこかにこいつの心臓があるってことだろ?そしたら、鬼とかいう奴らが、ここに来ちまうかもしれない。あのバリッサとかいう女だって。
そう思うと、身震いした。あの光景がまたフラッシュバックする。迫ってくる狂気がまざまざと蘇る。
「それは、ない」
オルガナが言い切った。なぁーんだ。と、ひとまず安心するが、それだけで終わるほど甘くはなかった。
「彼女は、行方不明だ」
な、何だと? 行方不明って……。
「じゃ、じゃあ、鬼の手に、心臓がわたったらどうするんですか!」
「ようやく、状況の、悪さを、理解、したか」
表情が読み取りづらい彼女だが、呆れたように、溜息をついた。
はいはいすみませんね。危機感のないやつで。
「で、俺に、戦えって言いたいと?」
「そうだ」
このまま俺がミュートロギアで戦わなかったら、本当に世界が終わるぞと、言いたいんだな。なぁ、そうなんだろ。
オルガナの目は俺を諭すかのように見つめている。多分。
「わかった。わかりました。俺なりに努力する。後であんなこと言っちまった菊川にも謝ります。それでいいですか」
「分かったなら、結構」
かなり適当に言ったが、案外アッサリと聞き流してくれた。いまいちこの人の考えや感情が読み取れない。目が隠れていること以上に、感情を押し殺しているようにも見える。
「ならば、訓練に、もどれ。ただし、本気を、出すこと。そして、ここで、見たことは、絶対に、誰にも、言わないこと」
そう念押しして、オルガナは目隠しを再び俺に手渡す。目を隠し、視界を塞ぐ
と、そこに別の人の気配を感じた。
「オルガナ。なんでこのガキを聖域に入れてんだ」
この声は、多分あの岸野という男だ。初めて会った時と同じで、微かにタバコとコロンの匂いがする。ガキじゃねぇし。れっきとした高校生だし。
「こっちの、事だ。気に、するな。メルデスには、話を、してある」
「………ケッ」
「お前こそ、何を、している」
「定時の巡回だ。文句あんのかこのアマ」
既に目隠しをしてしまい、声しか聞こえないが、岸野の声はドスが聞いていて、明らかに不機嫌そうである。だが、オルガナはそんなのお構い無しのようだ。
「暇か。なら、こいつを、訓練場に、連れて、行け」
えっ、この人に? 怖いんですけど、オルガナさん。
まぁオルガナも何を考えてるかわからないから、かなり怖いが岸野はガチで怖い。どう見ても、裏社会の人間、つまり、ヤクザにしか見えないし。
「なんでオレなんだ。ふざけんじゃねぇぞ。そもそもお前のそういう態度が嫌いなんだよこのやろう。フツーに喋れねぇのか? あ?」
「口ごたえ、するな。低脳が」
おーこわ。岸野がすごんでも動じないどころかそれを上回るような毒舌をしゃあしゃあと吐く。仲が悪いのだろうか。それとも真逆か?
「ッ? て、低脳ってなんだ。コミュ障のテメェに言われたかねぇッ!」
「早く、行け。でないと、グレンに、全部、言う、からな」
オルガナの声に、若干の苛立ち。落ち着いてはいるが声が少し大きい。というか、やっぱりここの人間はゲスいな。いや、特にオルガナとメルデスがゲスいのか?
「ヌグググググググ……」
岸野もお手上げのようだ。
っていうか、ホントだったんだな。グレンさんLove説は。
■◇■
目隠しをされた本城暁人と額に青筋をたてた岸野充が出ていった後のその部屋には、オルガナの姿があった。吐く息が寒さで白い。
「オルガナ~?」
そこへ、背後から声をかけてきた男がいた。振り返らずともオルガナにはそれが誰なのか分かった。というより、彼女は彼が声をかけてくる前からずっとそこに居たことを知っていたのだが。
「セギ。どう思う?」
「なにがさ。オルガナちゃん、もっとわかりやすく話そーよ」
パソコンを大事そうに抱え、オルガナの隣に立ったセギはいつものノリで話しかける。猫のように笑う彼を一瞥した彼女。
「本城暁人は、本当に、戦う気に、なったと、思うか?」
「そんなの、オルガナの方がわかってるっしょ?」
「……」
オルガナは、水槽に浮かぶリリーを見る。
「いずれ、彼は、我々を、救う運命に、ある。必ずだ。その時は、もうすぐ、そこまで、来ている」
突然オルガナが踵を返した。銀色の長い髪を翻す。まっすぐ聖域の出入口へ。その姿をセギは見送った。
「こだまと、本城暁人は、我々の、希望だ」
出ていく直前、彼女はそう呟いた。セギはその言葉に微笑する。
「まったく…………彼女も、もう少し気楽にすりゃぁいいのになぁ」
聖域の中に、一人残されたセギ。正確には、始祖の鬼 リリーと、二人。
「『ヨハネの黙示録、1章3節。この予言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである』か……」
セギが、聖書の一説を諳んじた。
…………その時、再びリリーが赤い瞳を開いた。口元は笑みを浮かべている。それを見たセギは迷うことなく機械を操作し、彼女を再び眠りにつかせた。
「さぁ、ボクもうかうかしてられないね。うっ、さむぅっ」
足音を響かせ、セギの姿もその場から消えた。出ていく間際に大きなくしゃみを一つする。
残ったのは、静かに眠るリリーと、水の音、そして、機械の音。
暫くすると明かりが消され、聖域は暗闇となった。




