とある週末
「弟が、心配、なのか」
「そりゃもちろん心配よ」
バリッサの一件があってから、数日後。週末のある日。
ここは、訓練場の斜め上にある部屋。訓練場側の壁はすべて特殊なガラスが貼られており、その部屋に入れば訓練の様子を眺望することが出来る。
基本的に教官が使うので、教官室と呼ばれている部屋だ。
その壁際には、オルガナと夕妃の姿があった。オルガナは先日の通りの戦闘服。腕を組んで顔を少し下へと向けている。対して、夕妃は白いシャツにカーキ色のスキニーパンツ。休日は大概この服装だ。平日、学校にいる間に着ているカチッとした黒スーツではない。
「見たところ、身体能力は、悪くは、なさそうだ。戦闘センスも、皆無、ではない」
「んなこと心配してるんじゃないわよ」
夕妃は菊川から手ほどきを受ける弟の姿を見下ろし、爪を噛んだ。この数日でかなり動きが良くなっているのは彼女の目でも明らかだ。我が弟ながら運動センスがあるのは一応承知していたが……まさかここまでとは思わなかった。菊川も手加減しているだろうが、その動きについていけている。
「本城暁人は、夕妃の、たったひとりの、家族、だからか」
「それも、あるわ。でも、それ以上にアキトは優しすぎるのよ。私なんかよりずっとね。父さんみたいにぶっきらぼうなところはあるけど、根は母さんみたいにとても優しい」
「だから、トドメを、さすのを、躊躇う、と」
「かなりストレートな表現だけど、まぁ、そうね。それに、あの子は自己犠牲というか……そういうのをイザという時惜しまないタイプというかね。頑張りすぎる所があるのよ、少し」
夕妃の表情はとても心配そうだ。長いまつげを伏せ、何度目か分からない嘆息を漏らす。オルガナは再び下にいる本城暁人を見た。その様をじっと観察する。
「彼は、まだ、本当の、戦いを、知らない。どれほど、過酷で、どれほど、意味の、あることか。己が、神に、与えられた、使命が、何なのか。それが、分からなければ、訓練を、しても、無駄だ」
オルガナは人一倍、感の強い人物だった。その彼女がアキトのやる気のなさを感じ取れないはずが無い。その声は怒りを含んでいた。だが、弟を想う姉はそれが孕んだ危険な香りをすぐに嗅ぎ分ける。
「アキトに何する気よ。暴力で分からせるとか言い出したら、今ここで痛い目見せるわよ」
「別に、お前の、知った、ことでは、ない、だろう。ただ、このままでは、夕妃の、予想、通り、本城暁人は、死ぬぞと、言いたかった、だけだ」
夕妃の脅しをひらりと軽く躱し、オルガナは出入口の壁に立てかけていた狙撃銃を手にした。カチャリと乾いた音を立てる。それを彼女は肩にかけドアノブに手を伸ばす。白く大きな手にグッと力がこもった。
「では、私は、これから、狙撃部の、訓練場を、見てくる。くれぐれも……弟を、甘やかし、すぎるな」
「ふん。あんたも弟に甘いくせによく言うわ」
「別に、甘い、わけでは、ない。あいつが、勝手に、しているだけだ」
少々乱暴に扉を開けて彼女はその場から姿を消した。
オルガナが出ていったあとの部屋。夕妃の心配そうな表情がガラスに映り込む。
「何が、神に与えられた使命よ。なんで、アキトが」
「ゆーひっ!」
突然、背後から抱きつかれた。夕妃は心臓が止まるかと思った。
「うわっ! こだま、いつから居たの?」
「さっきそこでオルガナにゆーひどこ? って聞いたら教官室だって。びっくりした?」
こだまは悪戯っぽく笑っている。赤のワンピースの上に白のセーラー襟のパーカー。これは、彼女のお気に入り。まるでタンポポが咲き誇ったような明るい彼女の表情。
「また気配消すの上手くなったわね。でも……」
夕妃はこだまの杏子色の髪に手を伸ばす。
そして、優しい手つきで撫でた。
「髪をくくるのはまだまだね。ほらここ、髪の毛が飛び出てるわ」
「うぎゃ。ゆーひ、よろしくー」
「まったく。私は弟だけじゃなくて、こだまにまで甘いんだから」
リボンを解き、髪を下ろす。持っていた櫛で丁寧に髪をとかした。こだまがきょとんとした顔で夕妃をみつめる。
夕妃は首を振って何でもないわ、とこだまに笑いかけて言った。
「あら、髪が伸びたわね。切らないの? そろそろ染め直した方がいいんじゃないかしら」
「あのさ、ゆーひ」
「ん?」
「最近ね、声が聞こえるの。頭の中に」
「そうなの? どんな声?」
「女の人の声でね、私を呼んでるの」
「メルデスには相談した? そういうのは私の専門じゃないからどうも言えないわ。はい、できた。あんまり暴れるとすぐに解けるからね?」
夕妃は話している間にこだまの髪をくくり終えた。見事なポニーテールだ。先程のような飛び出た髪の毛など一本も無い。
「わぁーい! ありがと! やっぱり、ゆーひ髪くくるの上手だね! 誰かに習ったの? お母さん?」
「ううん。家はお母さんが早くに亡くなってしまったから。私ね、高校生の時は美容師さんになりたかったのよ。だから、学校で友達の髪をいじったりしてたの」
「そっか。えっと……なんか変なこと聞いちゃったみたいだね」
「気にしてないわよ。珍しいわね。こだまが気を遣うなんて」
えへへ、と照れ臭そうに笑うこだま。ふと、訓練場をガラス越しに眺めた。先程と変わらず、奥の方ではアキトが菊川に投げられている。彼女は暫く首を捻ったが、漸く記憶を掘り起こせたらしい。夕妃の服の裾をクイ、と引っ張った。
「あれ? ねぇ、ゆーひの弟、なんでA隊にいるの? そんなに強いの?」
「え?」
「あいつでしょ? あそこでダイキと受け身の練習してる……」
本城暁人を指さしながらもう一度こだまが訊ねた。それを聞いた夕妃はみるみる顔が青ざめる。
「なんで知ってる……の? ごく一部の人間にしか言ってないはずよ」
「あいつに訊いたら『そうだ』って。でもね、体育の時間にもっかい訊いたら違うって言うんだけど、そんなことないよね?」
暫く、教官室に沈黙が流れた。
表情を強ばらせた夕妃が引きつった笑顔でこだまに訊き返す。それはさも、般若の面を貼ったような。
「体育の……授業中に、訊いたの?」
「う、うん。そしたら、ダイキまで違うっていうんだけどね」
今度は夕妃がみるみると茹でダコのように赤くなる。
ガシッとこだまの肩を鷲掴みにした。こだまはえも言えぬ恐怖に慄いた。背筋に虫が湧いたような悪寒。
「こだま。この話はもう誰にも言っちゃダメだからね。いい? 特に、あの筋肉野郎には、絶対にダメだからね」
「ゆ、ゆーひ、どうしたの……?」
いつにない夕妃の表情に、普段は空気を読むということを知らないこだまも黙って頷くしか無かった。首をぶんぶんぶん、と大きく振る。掴まれた肩が痺れてきたのを感じた。
「アキト。あの野郎……後で呼び出してとっちめてやるわ」
その後、彼が教官室に呼び出されたのは言うまでもない。
■◇■
「ふぇくしっ!」
同時刻、上の部屋でそんな会話があるとは露知らぬ、俺、本城暁人は菊川大輝に接近戦の基本の動きを教えて貰っていた。
訓練場はかなり天井が高く、広々としている。また、俺達の他にも訓練に励む人が沢山いた。同年代もいるが、それよりも小さい中学生くらいの子供、大学生くらいの若い人、それから、親父と同じくらいの歳のおじさん……たくさんの人が筋トレを始め、武術、剣術など、各々の技を磨いている。
その表情は皆、真剣そのもの。
そんな空気の中に、俺がいて本当にいいのだろうか。
「アキト! よそ見すんなよ」
「うっ……ッ! ふ、ふぇくしっっっ」
菊川は接近戦での身のこなしが半端じゃない。一般でいう爽やか系で、少し茶色に染めた髪が、男の俺からしてみてもやはりイケメンだ。実際、ここでの練習中や学校でこいつと居ると周りの女子がキャッキャ言ってるのが聞こえる。視界の端で黄色い歓声がチラついている、とでもいえば良いだろうか。いわゆる勝ち組様だ。別に、羨ましくなんかは、ないけどな?
「風邪か?」
「いや、別にそうじゃないはず。ふぇくしっっっっ!」
(……どっかで噂されてんのか?)
「よし、そろそろ休憩するか。ほかの二人は午後から合流するみたいだし、今のうちに飯食おうぜ」
「オーケー。ダイキ」
「お! ダイキ呼びにも慣れてきたね。結構結構」
汗を拭き、Tシャツを着替えた俺達は食堂へと向かう。
ここ数日、バイト先があんなことになってしまったこともあり、学校が終わるとすぐにここに戻ってきては接近戦の練習などをしているが、今日は週末。朝からみっちりとトレーニングしている。
バイトを新たに探そうかとも思ったが、大学の入学費くらいはもう貯まっていたこともあり、一応こっちに専念している。
当初はもっと楽だったが最近はかなりきつい。やる気のなさを悟られないよう、まぁそれなりにやろうと思ってはいるものの想像以上のハードメニューに身体中が痛い。
もともと運動神経は悪いほうじゃなかったこともあってどうにか菊川の動きにくらいついている。最近は菊川をはじめ、褒められる機会も増えた。まぁ、やる気がないから褒められてもさほど嬉しくないけどな。
俺達は訓練場のすぐ向かいにある食堂に入った。無機質な廊下などとは違い、食堂の中はかなり温かみがある。木製のテーブルと椅子が整然と並んでいる。少し早めという事もあり、俺たちしかいない。
入るとすぐになんとも言えない、いい匂いがしてきた。
これは……カレーかな。
「うわー。すごくいい匂い」
「あら、ダイキさんにアキトさん」
奥の厨房から声がした。ふんわりとした喋り方。とても可愛らしい声だ。全てを包み込むような天使の声
「やぁ、グレンさん。今日はカレー?」
「そーですよ! チキンカレーです」
トコトコトコ、と本当に聞こえてきそうな足取りで小柄な人影がエプロンで手を拭きながら出てきた。
栗色の緩い巻き髪。ヘーゼル色の瞳で、少したれ目な所が可愛らしい。今日は濃い茶色のメイド服だ。
彼女は、ミュートロギアの家政婦さんで、名前はグレン=エドワード。通称はグレンさん。みんなそう呼んでいる。
凄くおっとりした雰囲気の人だが、料理に洗濯、掃除など、なんでもテキパキこなしてしまう。鏡のように輝く床も彼女が毎日丁寧に磨いてくれているからなのだそうだ。
二十四歳と言っていたが、その可愛らしい見た目のせいでもっと若く見える。少々、天然なところがあるが、それもそれで見ていてとても可愛らしい。
「すぐに準備しますからね」
厨房にせかせかと戻るグレンさんを見送り、俺と菊川は食堂のカウンター席に腰を下ろした。
「どう? やってて手応えある?」
菊川が訊ねた。しかし、手応えも何もその基準がない俺にとっては返答に困る。投げられれば痛いし、蹴りや手刀を受け止めるのも痛い。初めの頃よりはマシだが、痛みに慣れてしまってそうなっているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし……。
「よく分からない」
やっぱり? と含羞んだ菊川。意地の悪い質問なのは百も承知だったらしい。
「でもさ、なんか、受け身とか結構うまいよアキト。習ってたとか?」
「少し、父さんに教えてもらった」
昔、父さんに、刑事になりたいと言ったことがある。
その時はムスッとした表情をしていたが、次の日から、仕事がない時は必ず柔道を教えてくれていた。
結局──齧りだけだったけど。
「剣道も基本は出来てたぜー? ま、あんな型通りのままだと実践には使えないけど」
突然、上方から声が降ってきた。驚いて見上げたが菊川は特に驚いた様子もなく頭上に向かって話しかけた。良くあることらしい。
「栁。いたんなら声かけろよ」
見上げた先の天井に、人間がへばりついていた。
彼は、俺に剣術を教えてくれている、栁達哉。俺は彼をタツヤと呼んでいる。こいつもまた、俺と同学年だ。
ツンツンした赤髪が特徴的な奴である。ダボッとしたパーカーに身を包んでいて、かなりお気楽なやつ。所謂チャラ男。妙に馴れ馴れしい所もあるがもう慣れた。
しかし、そんな彼は高校生の中で剣術が一番うまいと言われていて、周りの大人もそのセンスを絶賛しているのだそうだ。
彼も異能で、身体の一部が吸盤になっていてどんな所にでも貼りつくことが出来るらしい。しかし、その見た目を気にしているのか普段は手袋をしている。
彼はその能力を活かし、強襲部の中でも、奇襲を専門にしているそうだ。
スタッと軽やかに地面に降りてきた。話の続きを菊川に急かされ話し続ける。
「親父が刑事だったんだ。それで柔道を親父に習った。剣道は、隣ん家の仲良かった兄ちゃんが習ってて、教えてもらった」
「へぇー。とーちゃん刑事さんなのか!」
「ま、三年前に殉職しちまったからな。柔道はそれ以来やってねーよ」
「そうか、アキトも親がいねーのか。安心しろ、オレも親の顔知らねーんだ。ダイキだって、一昨年……」
「みんなそんなもんさ。ミュートロギアにいる奴らはみんな」
菊川が少し焦るように達哉を遮った。わりぃ、と彼は首を竦めて合掌する。
やべ、ちょっと空気暗くしちまったか。
この前メルデスが言っていたとおり、ここには親元にいることが出来ない人間が沢山いる。彼らも例外ではないらしいな。ここにいる以上、あまりこういう話題は振らないように心がけることにしよう。
そんな微妙な空気は彼女が来たことで一気に掻き消えた。
「お待ちどうさま。あら、タツヤさんもいたんですかー?」
「うぃっす! あ、オレも食べます。今日も可愛いっすよ! グレンさん。だから、大盛りでよろしくっす」
「もぉー。お世辞はいりませんよー? 仕方ないですねぇ」
再びトコトコと厨房に戻っていく。やはりその後ろ姿は小動物のようで可愛らしい。それはタツヤも同じ考えのようで。鼻の下が軽く伸びている。
「くぅー! 可愛いなぁグレンさんは! 年上じゃなかったら即アタック」
「やめとけって栁。岸野さんに聞かれたらどうす……」
「オレが、どうした?」
突如、刺々しいバスボイスが俺達三人を震撼せた。いつの間に……!
背後には左頬に傷のある男、岸野充。
今日の彼は赤いシャツの胸元を大胆に開け、そこからチェーンのネックレスを覗かせている。顔が引き攣っていた。指輪でゴテゴテになった右手を握りしめていらっしゃる。彼の能力は空間移動。故に、神出鬼没。
「な! 何もないっすよぉ……」
「フン。騒いでねぇでとっとと食って出ていきやがれ」
達哉が必死に取り繕う。岸野は俺達をキッと睨みつけ、足早に食堂をあとにした。その後ろ姿を見送った菊川が冷や汗を拭いつつ口を開く。
「危なかったね」
「どういうこと? 岸野に聞かれたらナントカって」
「アレよアレ、岸野サン、グレンさんLoveらしいぜ?」
「えぇ……っ?」
あのイカツイのが、まじか……!
素直に驚愕した。
グレンさんの可愛さはあのヤグザみたいなのもノックアウトさせるものだとは!
「噂だけどね」
「タツヤさんもお待ちどうさま。さ、召し上がれ」
噂をすれば影とも言うが、グレンさんが再び大盛りのカレーの皿を持ってきてくれた。それを機に俺たちはその話をやめる。
そのカレーは絶品だった。ペロリと平らげ、俺達は再び訓練場へと足を運ぶことにした。
「うっす! 神威。もう飯食ったのかー?」
訓練場の入口で俺たちを待っていたのは、神威と呼ばれる青年だ。コク、と頷く。歳は僕らの一つ下。高校一年らしい。
室内なのに白のニット帽を被っている。また、制服の時以外は白色のジャージをいつも着ていて、かなり小柄なためとてもダボッとしている感じに見える。物静かで少し暗い印象のある少年だ。肌の色が少し暗いのもその要因なのだろう。日本人というよりは東南アジア系の彫りの深い顔だ。
今日の彼は背中にナップサックを背負っており、手には……
「収穫はどうだ?」
「上々だよ。ボクが欲しいと思ってたのが全部買えた」
大量の本が入った紙袋。その内容は全て、同人誌。
そう、彼はれっきとしたヲタクさんだ。特に今ハマっているのは魔法少女系統なのだとか。ピンクのポニーテールの二次元に生きる女の子について語らせたら日が暮れるどころか回り回って夜が明けるらしい。
彼が背負うナップサックには、その手のキャラクターを模した人形が大量にぶら下がっている。菊川とタツヤの話によると、彼の自室は、フィギアやポスターに360度見つめられるというフシギ体験が可能なのだそうだ。
俺はさほど興味のない分野だが。
彼は、拳銃の扱いに慣れているらしく、俺に銃の使い方を教えてくれている。彼がデスクで作業をしているとすれば、銃の手入れおよび改造をしている、または、フィギアに色を塗り塗り……
「取り敢えず、部屋にこれ置いてくるから」
神威は紙袋を大事そうに抱え、どこかに行ってしまった。ああ言ったが、さては訓練サボって読み漁るつもりだな。さほど感情表現が豊かでない彼だが、後ろ姿がいかにも嬉しそうだ。
あーあ。俺も訓練なんかトンズラして部屋に戻って久々に読書したいなぁ……。
「そうだ、ダイキ。練習したら久々に仮想室入ってみねーか? アキトも一緒に。そろそろ仮想戦闘も使うべきじゃないかな」
「お、いいねぇ。基本は教えたし、そこそこいい動きできてるから、とりま入ってみるか」
そんな俺の願望は他所に、菊川と達哉が何やら話している。取り敢えず俺の名前が出てきたので話に加わることにした。
「なにそれ?」
『仮想戦闘』なんて初めて聞いたぞ。模擬戦……みたいなものだろうか?
「ま、来ればわかるって。俺たち三人の実力見せてやるよ」
タツヤが白い歯を見せてニカッと笑った。彼がこういう笑い方をする時は大抵何かを隠している。俺を無理やり安心させようとしていたり、良くも悪くも騙そうとしている時の顔。
何やら嫌な予感がする。




