焦り
「なるほど」
事の一部始終を聞き終わったメルデスはふぅ、と溜息をつく。メガネのズレを直し紅茶を一口啜った。俺も喉が渇いたためカップに口をつけてみる。温かくてほんのり甘い香り。少し緊張が解れた。
俺達がいるこの部屋は、メルデスの仕事部屋、兼自室、兼会議室らしい。
大きな置時計が存在感を放ち、子気味良い音でその時を刻んでいる。部屋の一番奥に、黒いモダンな造りのデスクが置かれ、メルデスはそこに居た。部屋の中央にはガラス張りの長机が置かれ、サイドに並べられた椅子に俺達は座っている。
ほかの部屋よりも少し薄暗いその部屋で、俺達は先ほどのことについて説明をしていたのだ。俺や岸野が話すのをメルデスは神妙な面持ちで静かに聞いていた。姉貴も口出しをすることなく俺の言葉に耳を傾けていた。
「外にいる、チームからの、報告に、よると、今晩、殺されたのは、約14名。中には、本城暁人が、働いていた、コンビニの、店長も、含まれて、いる。なお、本城暁人の、所有物は、既に、回収、済み。30分、程度で、到着の、予定」
先ほど、ロケットランチャーを豪快にぶっぱなした、この不思議な喋り方の女性はオルガナという名前らしい。凄腕のスナイパーなんだそうだ。さっきメルデスから紹介があった。目隠しみたいなのをしてるのに平気なのか? とも思ったがそんな話をする雰囲気では無さそうだったし、仕方なくその疑問は心にとどめたままにした。
オルガナはその長い脚を組み替えてひと呼吸おき、また口を開いた。
「一つ、気がかりな、ことは、いずれの、現場でも、死体が、消えていた、らしい」
その言葉にメルデスの表情がさらに暗くなる。俺以外の全員がその言葉に反応しているのがわかった。
「兵力を蓄え始めたか」
死体が消えた? 兵力を蓄える? どういうことか俺にはさっぱりだ。必死でメルデスが俺にした話を脳内で巻き戻す。そういえば、1500年前、鬼が殺した人間を操って殺し合いをさせたとか何とか……突然、あの時メルデスから聞いたことが現実味を帯びてくる。信じたくもないが、現実だと受け入れようとする自分がどこかにいた。しかし、ここは意地でもいいから信じないのが俺流だ。
と、その時口を開いたのは岸野だった。
「で、どうするつもりだ、メルデス。こっちにはまだヤツらと戦える人材が揃ってねぇんだろ。お前の言う、特別な存在ってのも、この有様だぞ」
そう言った岸野が俺を鋭い眼光で睨む。
実は、ついさっき聞いた話によるとメルデスがこのような状況になるのを想定し、菊川だけでなくこのヤクザのような見た目の男、岸野充に俺の様子を見てくるように頼んだらしい。
「悪かったな」
「アキトくんは悪くないさ。僕らはまだ、君に何も教えてもないんだ。本当は、もう少ししてから徐々に始めるつもりだったけど……そうも言えない状況になったね」
「じゃあ、アキトも隊に?」
姉貴がメルデスに訊ねる。その声は少々震えているように感じた。隊って何なのかよくわらがないが、姉貴の様子を見る限り楽なもんじゃ無いらしい。
「君の心配はよくわかるよ、ユーヒ。でも、このままでは人類が滅んでしまう。思っているより事態は深刻なんだ。次の鬼がいつ現れるかもわからない」
""コンコンコン
ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ、入っていいよ」
「失礼するよー」
メルデスの部屋に来たのは、若い男だ。彼と同年代か少し若いか。
茶色のノートパソコンを大事そうに抱えていた。世界シェアナンバーワンを誇るgrape社の旧式モデルのように見える。
その彼はダークグリーンの髪で、大きなゴーグルを額に掛けていた。目の色もかなり黒に近いが緑がかっている。さらには着ている服まで緑だ。きっと緑が好きなんだろうな。
「やぁやぁ、初めまして〜。君が夕妃の弟の……」
「暁人です」
「暁人ね、覚えたよ。記憶力はいいほうなんだ。ボクはセギ。ボクの専門は情報処理だ。そのまま、セギって読んでくれ。あ、ボクのパソコンにはくれぐれも迂闊に触らないよーにね?」
とてもフランクな感じの人だ。笑顔で握手を求められ、俺もそれに応じた。ひどく冷たくて驚いたが、きっと心が温かい人なのだろう。
「さーてと、君たちが遭遇した第1の鬼、バリッサだが、彼女の素性が分かったよ。彼女は北欧出身で、つい3ヶ月前まで、刑務所に入れられていた。しかも、かなりの凶悪犯が入れられるところにね」
セギさんは、パソコンを開き、俺の向かいの椅子に腰掛けた。テーブルの上でマウスを走らせる。マウスパッドまで緑だった。これは、緑好き確定だな。
にしても、かなりの凶悪犯ということは、俺の見立ては恐らく正しかったみたいだな。
「で、それが脱獄……したのか?」
岸野が身を乗り出す。
「うーん。脱獄だけなら良かったんだけどねぇ。そこに拘留されていた囚人、勤務中の職員全員が死んでいたよ。──心臓をくり抜かれてね。ここでは鬼化が見られなかったところを考えると、まだ力が未完成だったんだろうね。ここに来てようやく完成した、って所かな」
ノートパソコンをカチカチと操作しながら報告するセギさん。旧式モデルの割には随分と動きが早いようだ。と、何故かおかしな所に感心してしまった。
俺の視線を感じたのかセギさんが俺の方を見た。目が合ってしまい少々気まずい。だが、彼は特に動揺を見せることも無く再びパソコンの画面に目をやる。
「伝承によると、暁人くんの能力は、七つの鬼を引き剥がす力で、メルデスたちとは少し構造が違うみたいだね」
「メルデスさんも能力が?」
驚愕した。彼も、鬼と戦うのか?
責任者ともあれば安全な場所で高みの見物を決め込んでいるのを想像していたのに。かなり意外だった。
「まぁね。いずれ分かるさ。それよりも、君のその能力を引き出すには、やはり君自身を鍛える必要があるようだね。それも、かなり接近戦で対応可能な……」
「そーなったら、やっぱり強襲部だねぇ」
セギさんが当たり前だろ、というように俺に再び視線を向ける。いや、俺にじゃない。隣に座る姉貴に、だ。姉貴は目を伏せてとても心配そうだ。
なんだよ、強襲部って。聞くからに怖そうだし。そう言えばさっき、菊川もそんなことを言っていたような?
「なんせ時間が無いんだ。A隊と合流させて、どうにかしよう」
「A隊なんかにこいつがついてけんのか」
「私も、心配だわ」
「でもー、そうするしか方法ないよね? ね? メルデス?」
大人達が顔を突き合わせて話をしている。俺に発言権はなさそうだ。ついでに、決定権も。
「あのっ………!」
さっきからずっと黙っていた菊川大輝が声を上げた。皆一斉に彼を見る。その視線に少し怖気づきながらも彼は大人達にある提案をする。
「自分に、やらせて下さい! さっき、危ない目に遭わせてしまったのは僕のせいだ。だから……」
「お前、誰かに教えた経験は? ねぇだろ。ガキは引っ込んでやが……」
必死に声を振り絞った菊川に対し、岸野が冷たく言い放ちかけた。が、そこにメルデスが口を挟んだ。白い手のひらを彼の方へ向ける。
「いや、とてもいい案かもしれない。なんせ、アキトくんはお姉さんと似て、かなり大人を疑ってるようだからね。それに、ダイキくんは、高校生の中では群を抜いて強いメンバーの1人だ。申し分ないだろう」
なんか言い方が嫌味っぽいが菊川に教えてもらえるならまだ安心できるだろう。ま、何やらされるのか分からないのがやはり怖いが。
「ダイキくん、頼んだわよ?」
「もちろんです! 夕妃さん!」
菊川は改まった表情で姉貴に深々と頭を下げた。姉貴も菊川になら任せられるというような表情だ。姉貴のお墨付きならまぁ信用して良いだろう。
「じゃあ僕らは引き続き対応を考えることにしよう。ダイキくん、アキトくんを訓練場に連れていきなさい。いつも一緒にいるほかの2人と合流するといい。彼らも力になるように後で僕から連絡するよ」
じ、訓練場かぁなんかやだなぁ。本当の軍隊にでも入れられてしまったような感じがする。
しかし、拒んだら、またきっと笑顔で銃口を突きつけられるんだろう。
分かってる。
だから敢えて、ここは従うふりをしよう。
訓練したところで使い物にならなければ、解放してもらえるに違いない。
店長の仇を、とりたくない訳じゃない。
でも………俺があんな奴を相手取ってどうこう出来るはずないんだ。あの女が俺の脳内でフラッシュバックする。俺は身震いした。
《アナタは、それでいいの?》
どこからか声が聞こえた。
しかし、この場にいる誰のものでもない。
誰だ。
それっきり声は聞こえなくなる。
空耳だったのか?
「アキトくん、行こう!」
菊川に手を引かれ、俺はメルデスの部屋を後にした。
■◇■
彼らが退散したあとの部屋には、メルデス、岸野、オルガナ、夕妃、セギの5人が残っていた。夕妃が落ち着かない様子で紅茶を啜る。その様子をチラと横目で見た後、メルデスは再び口を開いた。
「とにかく、セギとオルガナは今後も情報収集にあたってくれ。それと、セギ、望月のほうはどう?」
「んー? あっちも順調だよ」
「よかった。おそらく、彼らもそろそろ鬼の存在に気づいて動き出すかも。特にあの二人はね。しっかりと見張っててくれ」
「おい、夕妃、くれぐれももうあのバカが戦闘にくっついてこねぇように見張れよ」
「岸野、そう言う言い方ないでしょ? ちゃんとこだまって名前があるんだから名前で呼んであげなさいよ!」
岸野の言い方に、夕妃が強い口調で言い返す。岸野はアキトが襲われたあの日の夜の話をしているらしい。口答えすんじゃねぇ、と噛み付き返す岸野。
「まーまー、ふたりとも。大人げないよ? 取り敢えず持ち場について、やれることをやろうじゃないかぁ」
セギがそのふたりを仲裁する。暫くふたりは睨み合っていたが、オルガナが腰のホルスターに手をやったのを見て目を逸らし距離をとる。
それを合図として、それぞれメルデスの部屋から退出した。
最後に残ったのは、岸野だった。ドアに手をかける。
「おい、メルデス」
背中越しに話しかけた。
「なんだい?」
「“わざと”だろ。さっきの」
その声は低く、怒りのような感情が滲んでいる。
「さっきのとはなんだい?」
それに対し、メルデスは普段と同様、飄々とした態度だ。岸野の眉間に、深くシワが寄る。
「オレたちの救援を遅らせたことだ。それに、お前とあろう人間が、部下の特性を知らないはずないだろ。ましてやあの菊川大輝だ。お前は、奴が方向音痴だって知ってたのにあの地図を送り付けた。違うか?」
「……」
双方黙りこくる。
部屋に流れる、沈黙。
それを破ったのはメルデスだった。
「だから、なんだというんだ?」
「……あァッ? 」
岸野は悪びれもないメルデスの言葉に耳を疑った。バッと振り返る。
その時、メルデスの表情は……笑みを浮かべていた。
岸野は背中に嫌な液体が伝っていったように思った。
「結果、アキトくんの能力が開花し、戦力になることも分かった。それに、僕だって、聖人君子じゃない。部下一人ひとりの顔と名前を覚えていても、得手不得手まで全て攻略しているなんてこと有り得ないだろう? もしそうだとしても、僕も人間だ。間違うことだってあるさ」
「てめぇ……ッ」
「こんな事を喋らせて、だから君はどうしたいと言うんだ。僕をここから引きずり下ろす? それとも、責任を取ってここで死ねと?」
岸野は昔のメルデスを知っているが、あの頃はここまで、強引なヤツでは無かったはずだと感じた。
だが、ここはもう引き下がるしかない。
「もういい。わかった。何でもねぇ。オレの思い違いだ。ちゃんとオルガナも夕妃も助けに来た。それに、オレ達はこうして生きてる。今のはチャラだ。忘れろ」
そう言い残して、そそくさと部屋をあとにした。大きな身体を屈めて扉をくぐる。
部屋にひとり残ったメルデス。
その顔から、笑顔が消える。溜息をついた。
「すまない。みんな」
その懺悔を聞いていた人間は、誰もいなかった。
いや、その時計は聞いていただろうか。彼の心を慰めるかのごとく、鐘を鳴らした。
そして彼もまた……部屋を出て、どこかに出かけていった。
飲みかけの紅茶はすっかり冷めきっていた。




