第一の鬼
コツ……コツ、コツ……コツ、コツ。そう、それは死神のステップのように。規則正しい音色で距離を詰めてくる。住宅街の外れ、大きな公園の外周にあたる路地。夏が終わったばかりのこんな夜は少し冷える。
「良い夜ですわね。ごきげんよう」
暗闇から現れたのは明らかに不審で不気味な女だった。街灯をスポットライトに、妖艶に歩いてくる。スレンダーな体つきを誇張するようなドレス。しかし、その所々は引き裂かれたように破れていて、色白の生肌が露出していた。
まつげが長く、見るものを魅了する妖艶な目元。鼻筋がとおり、東洋人では無い感じだ。くすんだ金色の髪を腰のあたりまで伸ばしている。ドレスの胸元はレースのようになっているが、見ようによっては蜘蛛の巣のようである。なんとも趣味の悪いドレスだ。中央には蜘蛛を象ったブローチが……あれ?
いま、動いた?
「こいつ、ただの人間じゃねぇぞ。気をつけろ」
岸野が俺たちに注意を促す。
ただの人間ではないって、どういうことだろうか。異能力者? いや、それなら俺だってただの人間じゃないってことになる。また、ミュートロギアの人間であるこのヤクザみたいな男、岸野充や菊川大輝と名乗ったイケメンだって異能力を持っているはずだ。
「……どういうこと?」
「“鬼”だよ。アキトくん。メルデスさんから聞いてない?」
鬼がどうとか言っていた気もするが、正直あまり覚えていないし、メルデスが言っていたのならあまり信用していないから聞き流していたのかもしれないな。
横を見ると、俺の質問に答えてくれた菊川のその目は真っ直ぐ目の前の女を見据え警戒している。
しかし、よく見れば、なるほど。目の前にいる女の、左こめかみの辺りから黒い角が生えている。あれが鬼の角なのだろう。
「テメェが第一の鬼か」
岸野が唸るような声で訊いた。女はふふっと微かな笑いをこぼす。その一挙一動に俺以外の二人は警戒し、何かしらの行動を起こすタイミングを見計らっているようだ。その緊張感は俺にも伝わってくる。そこまで空気が読めない奴じゃない。
「ええ。私の名前は、バリッサ。第一の封印を解く者。リリー様の忠実な下僕」
女は、恭しく頭を垂れながら名を名乗る。長い髪が肩からハラリとおちて、官能的だ。しかし、相手は敵。恐らく、店長を殺した女。しかし彼女は随分と落ち着いている。それどころか、異様な威圧感を俺たちに押し付けている。それは、殺気にも似ていた。
「さぁて、アナタ達の誰から調べましょうか」
「何を調べるつもりだ」
岸野が、手を背中に回した。なにか合図をしたらしい。菊川が俺を庇う位置に立った。岸野の鋭い目がさらに鋭利になる。
「ふふふ。人間共が隠したんでしょう? 私が探しているモノを。いえ、モノと言うには余りにも畏れ多い」
「話が長ったらしいな。このアマ。探し物があんならとっととどっかいきやがれ。テメェとお喋りしてられるほどオレたちも暇じゃねぇんだ」
明らかに敵意剥き出しの岸野と、余裕綽々としたバリッサという女が睨み合う。向こうもこちらに仕掛けるタイミングを窺っているのか?
《よく聞けお前ら。分かってるだろうがこいつがあの通り魔殺人の犯人だ。奴が探してるのは“心臓”だ。菊川、一番近いスポットを探すようにメルデスと連絡を取れ。早急にだ。いいな。本城暁人。お前は菊川についていけ。絶対に離れるな》
突然、頭の中に岸野の声が響く。彼は『意思疎通』の持ち主のようだ。
見かけによらず繊細な能力持ってんだな。と、俺は失礼極まりない発言をしたが、精神接続はもう切られていたらしく岸野には聞こえていないようだ……良かった。
「あらぁ?」
急に、女が素っ頓狂な声を出す。突然のことに俺はビビってしまったが、岸野と菊川はピンと張った緊張の糸をさらに張り詰めた。
「うふふふふ」
「なんだ。気持ちわりィ」
バリッサは手で顔を上品に隠し、口が避けるような笑みを浮かべる。マズい。直感だが、こいつには相当の自信がある。俺たちなどに敵う相手なのか? 目の前のふたりの戦闘力を知らないが、もしそれなりに戦える人間だったとしても俺が恐らく足で纏いになる。
「私の目的が分かってるのね。それに、その二人を逃がそうとした?」
「なっ……ッ?」
その言葉に岸野が動揺した。それは俺も横の菊川も同じ。テレパスを読まれた。彼は背後から見ても分かるくらいに焦っている。彼が纏っていた闘気が一瞬揺らぐ。
「逃がさないわよぉ。アナタ達三人とも、隅々まで調べてあげるわッ」
突然、女が凄まじいスピードで俺達の方に駆けた。蹴ったアスファルトが蜘蛛の巣上に陥没する。その顔は悦に入るような表情だった。それで分かった。恐らくこいつは、ただの人殺しじゃない。親父から少し話を聞いたことがある、快楽殺人犯だ。人を殺すことを、愉しんでいる。タチの悪すぎる相手。
今気づいたが、バリッサの手には人間のものとは思えない、鋭利な爪が生えていて、それが真っ赤に染まっていた。きっとこれで……!
「お前ら、走れ!」
遠くに行ってしまいそうだった俺の意識が岸野の怒号で現実に引き戻された。菊川が俺の手を引いて走り始める。バリッサに正対する岸野が、シャツの背中側から引き抜いたのは普通に生活していればまずお目にかかることなんて無いものだった。
(D.E……ッ?)
超大型の自動拳銃だ。自動拳銃最強の威力を持つと言われている。牛すらも一発で殺せるという威力だが、その分反動も半端ない。それを岸野は……
──バスッッッッッッ、バスッッッッッッッッ
連続して響き渡った二発の爆音。
そんな耳を劈く轟音を轟かせる大型拳銃を片手で軽々と制している。どうなってんだよこの人。腕が吹き飛ぶ程の反動がある筈だが、それをものともせずに連射を繰り出した。音に慣れない鼓膜が圧力に負けて耳鳴りを起こした。
さらに、岸野が撃った二発の弾丸は見事に女に命中した。彼女の身体に着弾し赤い飛沫が上がる。まともに喰らったバリッサはよろめいて失速した。これは、逃げ切れるかもしれない。小さいが明るい光が見えたような気がした。
しかし、そう甘くはなかった。
「いぃったいわねぇえええええ……ッ!」
バリッサは目を血走らせ、再び俺たちに向かって走り出した。その表情はまさに鬼。流れ出る血など気にせず俺たちの方へ再び加速する。
岸野はあのくらいでどうにか出来るとは思っていなかったようだ。続けざまに更に二発発砲し、再び走り出した。俺も逃げるため全速力で走る。あまりにも色々なことがありすぎて思考の追いつかない俺は、ただひたすら菊川について走るしかない。
走りながら、菊川が電話をかけた。
繋がったようだ。すかさずスピーカーに切り替え、岸野に代わる。
「メルデス、第一の鬼が出た! 援軍をよこせ……ッ!」
変わるや否や、岸野がほぼ叫ぶように要件を伝えた。それを聞いたであろうメルデスが電話越しに告げた。
【すまない。スグに援軍を用意出来ない。それよりも、すぐ近くにスポットがある。そこに向かってくれ】
そんな、俺たちだけで逃げ切れと? メルデスのやけに落ち着き払った声が俺たちを突き放したように感じた。やっぱりこの男は信用ならない。今頼るべきは共に逃げるこの二人、爽やかイケメンとヤクザのような風貌の男だけなのだろうか。
「……ンだと? ふざけんなッ! こいつを野放しにしろってのか」
え?
彼の言葉に耳を疑った。
電話に向かって吼えた岸野は、あのバリッサという女を倒そうと考えていたらしい。
今回ばかりはメルデスの言う通りだと今更思った。あんなのに、勝てっこない。奴が出していたのは純粋な殺気。少なくとも俺を庇うというその状況下でどうのこうのできる相手じゃない。
【それよりも、君たちや隊員の生命を優先だ。まだ奴らに対抗できる部隊が整っていない。ゲートは開けておく。急いで、生還するんだ】
「チッ、クソが!」
通話が切れる。岸野が苛立ったように歯を食いしばった。そして何故か俺を睨みつける。鋭い眼光が俺を貫いたのは一瞬の事。直ぐに後ろの殺人鬼へと向けられた。
カンカンカンカンッ! という恐怖の足音が少しずつ迫る。
「地図が送られてきた! そこの角を左です」
菊川が叫ぶ。目の前がT字路になっていた。住宅街の入口らしい。サイドには民家が見える。彼の指示通りに角を曲がった。他のふたりはどうだか知らないが、俺の体力はもう既に底を尽きかけていた。もうこれ以上逃げ回れる気がしない。
だがその時、目の前に黒い影が降り立った。その瞬間息を飲んだ。そして、背筋が寒くなるのを感じた。恐怖を通り越した死を直感する感覚。
「鬼ごっこは、もうおしまいかしらぁ。ボウヤたち?」
彼女が何故か先回りして目の前に降り立った。先程の鬼の装いを一新し、ゆっくり、ゆっくりと俺たちに近づいてくる。コツ、コツという音はやはり死の足音だ。
俺たちとあいつの距離はおよそ二メートル。本当にもう、目の前だ。岸野が慌ててD.E.に弾を込め直し、安全装置を外した。先程よりも明るいためよりバリッサの姿がはっきりと見える。どこかで落としたのか胸元のブローチが無いが、そんな事どうでもいい。確実に俺たちを仕留めようとその距離をどんどん詰めてくる。
俺はさらに悪いことに気づいてしまった。視線を少し下げる。
「罠にかかってくれたのは真ん中のボウヤね? じゃ、アナタから頂きましょうか」
俺の足元。これは……蜘蛛の巣?
だめだ、動かない。結束バンドで地面と拘束されたように、両足を動かすことが出来ない。
バリッサと目が合った。朱い唇に舌を這わせ、ニヤリと笑った。その直後、奴は鋭利な爪を振りかざし、俺に向かって走り出す。
俺を庇おうと、岸野と菊川が動き出そうとする。だが。
「んふ。させないわよッ」
二人も同様に蜘蛛の糸の様なもので拘束されてしまった。地面には一匹の黒い蜘蛛が這っている。こいつの仕業なのかッ?
気づけばバリッサの腕はもう俺の目の前だ。動きを封じられた岸野がD.E.をぶっ放し、菊川が何か叫ぶが、無意味だ。鬼は俺を殺傷半径の中に捉えている。発砲音などを聞きつけた近所の住民が窓から覗いてくる。ただならぬ事態にすぐに窓を閉めたのが見えた。
バリッサは岸野の牽制などものともせず、鋭利な爪を持つ腕は俺の左胸を真っ直ぐに狙ったままだ。嫌だ、死にたくない。そんな簡単に、殺られてたまるかッ!
「くっ……!」
すんでのところでバリッサの腕を掴む。反対の手も同様に押さえ込んだ。全身の力を込めて。しかしその必死の抵抗をバリッサは鼻で笑った。無駄な悪足掻きなのは分かっているが、それでも俺はあっさり殺られたくなんかない。俺の手を振り解こうとバリッサもまた腕に力を込める。なんて力だ……ッ。
その時。目を見張るような事が起きた。俺は何もしていない筈なのに。
「なんだ……? ありゃ」
思いもよらぬ光景を前に背後で岸野がぼそりと呟いた。
バリッサの手が、爪が、普通の人間のようになっていく? 岸野も菊川の視線が俺とバリッサに集中する。俺だって何が起きたのかわからない。しかし、先程までの腕力さえも無くなっていることは明白だ。
「な、何なのよこれッ?」
バリッサも動揺している。自らの手を見て驚愕している。
「イヤァアアアアアアアアッッツツツツ!」
意味不明な雄叫びをあげたバリッサは俺の手を無理やり振り祓い、後方へ飛び退いた。俺の耳の奥がビリビリとする。岸野と菊川もその叫び声に顔を顰めた。
飛び退いて暫くすると、バリッサの手が元の禍々しい物に戻った。
俺は自分の両手を見る。特に、何も変化は起こっていない。
「なんだ、お前はッ……忌々しいッ」
バリッサが自分の肩を抱き抱える。すると彼女の身体から、どす黒く禍々しいオーラが噴き出した。マズいぞ……なにか来る。直感的にそう思った。しかし、俺も岸野も菊川も逃げられない。足元の拘束は未だに健在だから。
「伏せて」
背後から声がした気がする。空耳だろうか。
同時に、バリッサが俺の方に突っ込んできた。振り返る余裕はない。殺気が、先程よりも増しているように感じる。弾丸のようなスピードだ。今度こそ俺はこの左胸を貫かれて死ぬのだろうか。あんな速さを受け止めきれる自信がない。
「伏せ、なさい!」
背後からの声が強まった。空耳じゃなかったようだ。とすれば、きっとこれは味方の声だろう。そう気づいた俺はすぐさま伏せる。他の二人は既にそうしていた。
刹那、岸野のD.E.とは比にもならない程の爆発的な風圧が耳だけでなく全身を襲った。硬いアスファルトにしがみつく。そして、視線をあげて二度目の驚愕を目の当たりにした。
(ろ、ロケットランチャー……?)
俺の真上を巨大な飛翔体が、炎を帯びながら爆音とともに通過した。熱風が俺たちを襲う。
それは俺に向かっていたバリッサと正面衝突し、爆ぜた。閃光とともに爆風が押し寄せる。民家を取り囲んでいたブロック塀も大きな被害を被りガラガラと崩れる。映画なんかでしか見たことの無い光景に開いた口が塞がらない。
「アキト!」
聞きなれた声だった。
「あ、姉貴?」
駆け寄ってきた姉貴は俺を力一杯抱きしめた。緊張が溶けた俺も姉貴を抱きしめ返す。しかし、その光景を見ていた岸野と目が合い気恥ずかしくなって姉貴を引き剥がした。
姉貴は俺の身体をペタペタと触りながら怪我はないか確認してくれたが、それを見ていた菊川とも目が合いさらに俺は赤面し、姉貴に、もう大丈夫だから、と言った。姉貴は少し口を尖らせたものの、足元を拘束していた糸を焼き切ってくれた。そうして俺は自由を取り戻す。
「そういえば、あいつは……」
爆発が起きた方を見る。あのロケットランチャーが直撃していれば間違いなくあるはずの死体が無い。かと言って生きた姿も見当たらない。
「チッ。逃げやがったな」
岸野が忌々しげに呟く。足に絡まった糸を解こうとしているが、かなり強度があるらしい。彼が力いっぱい引っ張ってもびくともしていない。
「無事、だな」
先程、背後から聞こえた声だ。振り返ってみる。そこには髪の長い女がいた。
いかにも戦闘員らしい格好をした彼女は、Dr.レンとよく似た銀髪を靡かせ、ロケットランチャーを肩に担いでいる。
しかし彼女は何故か目を黒い布で覆っていた。前は見えているのだろうか? まさか、あの状態でロケットランチャーを?
俺の背中に少しばかりの悪寒が走る。
「早く、戻れ。警察が、こちらに、向かって、いる」
少し変わった話し方だな。声は落ち着いてるけど。風貌もさることながらなんだか独特の雰囲気のある女性だ。
彼女のことを観察している間に姉貴が俺から離れて菊川や岸野の糸も切りにまわった。炎でなら燃やして切ることが出来るらしい。姉貴が異能を使っているのを久しぶりに見たが、ほんとに便利な能力だなといつも思う。
「にしても、ダイキくん。どうして反対向きに曲がったの?」
「へ?」
姉貴の発言に顔を顰めた菊川。口をぽかんと開け、イケメン面が少々残念な顔になる。俺も菊川の携帯を覗き込む。すると、どう見ても右に曲がるように指示されていた。
「菊川は、方向、音痴だ。知らなかった、か?」
銀髪の女性が衝撃の告白。
うそん。まじかよ。
一同の冷たい視線が菊川に集まった。彼はやってしまった、とイケメン面を真っ青にしていた。
「す、すみません」
「ま、みんな無事なんだし、ね?」
姉貴がその場の空気をどうにかしようと間に割って入った。
その時、パトカーや消防車などのサイレンが遠くから聞こえ始めた。その音はだんだんこちらに近づいてくる。通報されたらしい。
「お前ら、早く行くぞ。警察は御免だ」
岸野がその場から一番に離れた。さすがヤクザ。警察が苦手らしい。それに続いて俺と、姉貴、菊川に、銀髪の女性。
先ほどの角を反対に曲がった所に、不思議なマークのついた電柱を見つける。なるほど。今度からこのマークを見つけて帰ればいいのか……いや、でも、どうやるんだ?
「おい。もう少し寄れ」
電柱に手を添えた岸野が俺たちにもっと近寄るように指示を出す。訳の分からない俺はそれに従う他ない。
「どうやって戻るんだ。またあの電車みたいなの?」
「ううん。空間移動がいるから今回は大丈夫だよ」
「空間移動?」
あの銀髪の女性だろうか。そんなにホイホイいる能力者じゃないが、異能が集まるミュートロギアにならひとりやふたりいてもおかしくない。
「……オレだ。いいかテメェら。オレから離れんじゃねぇぞ」
「え? 意思疎通じゃなかったのか」
だとしたら、菊川が先程俺たちの精神を接続したのか。それなら辻褄があう。しかし、周囲の視線はキョトンとしたままだった。俺がおかしなことを言っているらしい。少なくとも常識的に考えてると思うんだがな……。
「何言ってんだ? ガキンチョ」
「彼、二重能力者よ」
しかし俺の考察は姉貴と岸野によって完全否定された。岸野が俺を睨みつけてくる。こ、怖い。
って、ぇえええ? マジか。心の中のこの絶叫は果たして彼に届いたのだろうか。
二重能力者だと? その存在は、世界でもごく稀。一億人に一、二人くらいしか居ないはずだ。姉貴が有するSランク能力より少し多いくらいだろ?
その一人がこのヤクザみたいなのか……世も末だな。
「ったく。お陰で毎日忙しくてよぉ。久々の休みだったってのに」
小言をかまされた。なんだかすみませんね。シメられるまえに心の中で謝っておこう。
サイレンの音がさらに大きくなる。かなり近くまで来たようだ。
「行くぞ」
岸野がそう言った瞬間、景色が反転した。ふわりと浮くような感覚の後に、俺達は無機質な床の上に立っていた。どこもかしこも無機質な空間。朝と同じ光景。
「おかえり、アキト」
姉貴が俺に笑いかけた。
ここは、ミュートロギアの中だ。なのに何故か安心してしまった。戻りたくないと思っていたのに。
「よく戻ったね、皆」
車椅子を操って現れたのは、メルデス。さすがにこの顔には安心出来なかったが、それでも安全地帯に戻ってこれたのだと実感する。
「アキトくん。漸く、君の力が顕れたようだね」
メルデスの表情は嬉しそうに微笑んでいた。今までどんなことをしても分からなかった俺の『鬼に対抗する能力』。それが奴との遭遇で確認された。
「早速だけど、みんなに少し話を聞きたいんだ。取り敢えず全員、この後僕の部屋まで来てくれ。まずは着替えてくるといいよ」
じゃあまた後で……と言い残してメルデスは去っていった。
俺は、自分の両手を見た。
俺の、能力。
鬼に抗う、力……。
磨き上げられた床から、俺が俺を見下ろしていた。
そこには、いつもと変わらない俺の姿が映るだけだった。




