九話 謝罪
「……あれ、何だったんだろう」
凄惨なあの部屋の角を右へ曲がり、しばらく行ったところで現れたY字をまた右に曲がってしばらく歩いていた時、大川が抑揚を抑えた口調で五条台に聞いてきた。それは切実にこっちが聞きたいことだった。
一体あの死体が何を表しているのか、全く不明だった。そしていったい誰なのかも。
斧の形跡があったことから、斧らしきもので殺されたのは確実だろう。だけどあんな人の原形をとどめなくするまであんなことをするなんて、常軌を逸している。
「わからない。だけど殺されてから一日以上は経過しているように思えた」
五条台はそう答える。自分でも情けないくらい声がかすれていた。そう、一目見ただけなので確信はないが、少なくとも五条台が見たときには、もう血液などは乾燥しているように見えた。もちろん五条台はそういう分野の専門ではないから断言はできないが、間違いなく五条台たちプレイヤー以外の人間の死体だ、と推察した。目からあの情景が離れてくれない。まるでテレビでも見ているかのような錯覚にとらわれる。
偽物だとはとても思えなかった。お化け屋敷とか、グロ中心のドラマを超越している。あの腐臭がそれを物語っている。
だけど、一体だれがあんなキチ●イみたいなことを?
いや、きっと怪物だろう。五条台はそう推察した。異常すぎる。普通じゃない。大体人の形をとどめないくらいめちゃくちゃにされているのだ。あんなにできるのはサイコパスか、理性が飛んだ怪物のほかにいないと思う。
俺たちもその怪物にあったら、あんなふうになるのか?五条台の心には焦燥感が浮かんだ。どうにかしたいけどどうにもならない、そんな胸をかきむしりたくなるようにむかむかしていた。あんなふうになりたくない。本能的に否定する。
曲がり角を曲がるとき、大川はついさっきよりも慎重だった。壁に張り付くなり、ぎりぎりの角度で奥に人がいたとしても見えないように様子を見ていた。ついさっきの惨劇を目撃してしまったのは大川に予想以上の効果を与えたようだ。良くも悪くも五条台はこのゲームに参加しているという事実を受け入れることができ、大川はこれまでにないほど慎重になっている。
「ここ、左に曲がって」
五条台が大川を見つめていると、不意に彼女が振り返った。青ざめていたが、五条台と目が合うと、無理やり微笑を作っていた。
「なあ大川」
五条台は大川の名を呼んだ。特に要件はなかった。ただそこにいる唯一信用できる人の名を呼びたかっただけだ。
「どうしたの?五条台」
大川が立ち止まり、五条台を見る。相当無理しているようだった。わずかに上げられている口角が今にも下におろされそうだった。
「……無理に微笑しなくていいよ。俺は大丈夫だから」
不意に五条台の口から言葉が出た。大川はそれを聞いて、きょとんとした顔をしたが、そう、といい、微笑をやめ、今度は不安げな表情を見せた。言ってから、なぜか口から出た言葉に五条台は自分で言っておいて照れる。一体俺は何恥ずかしいセリフ言ってんだ、と自分で自分に問うた。
「だけど、ほかのプレイヤーを探すという考えも、いいと思う。二人だけじゃ心細いし、ほかのプレイヤーを見つけることで心のショックも和らぐだろうし」
五条台はほかのプレイヤーと一刻も早く合流したかった。ついさっきまでほかの人が信用ならないといって反対していたのに、ころころと態度を変える自分に一種の失望を感じた。きっと敵対するかもしれないが、それでも会いたかった。今は一人でも多くの人と接触したかった。こんな人恋しいと感じたことはなかった。少なくとも現世では。
「そうね。それにきっと、こんな恐ろしい目にあっているのは私たちだけじゃない気がする」
開始早々いやなものを見たな、と大川は付け足した。いやなもの。死者には悪いが、五条台も同調した。
ほかのプレイヤーは、ちゃんと正常だろうか。それに何か、五条台のような目にあっているのではないか、と思うと、その人たちはただの他人だとは思えなくなれた。
大川の定めた、一階玄関口という一応のゴールには、きっと人はいる。今はそこに向かわなければ。
大川はスマホを見ながら、一階へ続く階段を探している。
「大きいわね、この館。一階の階段まで通路はいりくんでいるし、それに遠いし」
大川がため息交じりにつぶやいた。ついさっきも思ったことなのだが、館は想像以上に広い、まるで大規模鬼ごっこや、リアル迷路のようだ。地図がなければ間違いなく二階で迷子になるだろう。
「まだ十四時間以上残ってる。まだ十分ゆとりを持っていけるよ」
五条台は大川に励ましの言葉をかけて、左の角へ曲がった。ここで急いで行動して、へまをしたとしたらそれこそ命とりだ。そんなことになるくらいなら、ゆっくりと、でも確実に進んでいったほうがいい。あんなになるなんて絶対ごめんだ。
「大丈夫。これでも私、精神だけは図太いから」
前を見ながら、大川がポツリと五条台に言葉を投げる。
曲がった先には、二か所の扉があった。円筒錠の扉だ。だけどついさっきのものを見た衝撃か、どうしても五条台たちはその奥を覗いてみようと気が起きなかった。またあんなものがあったら、と考えると、身もすくむ思いだった。
「ねえ五条台。なんで私たちが、このデスゲームに選ばれたんだろうね。ほかの人でも良かったのに」
二つの扉を素通りしたとき、大川がこちらを向いて聞いてきた。瞳にカゲロウのような不安が躍る。
少し考えてから、五条台は自分なりの答えを返した。
「偶然なんじゃないかな。十人をなんかで、たぶん人の名簿見て、適当に指さした人物をデスゲームに送り込んだとか?」
「ふふ。発想面白いね。普通サイコロとか、そういう例とかを上げない?」
「結構それ古いネタだろ。それに、俺たちじゃなくてもきっとデスゲームに選ばれた人は同じことを考えると思うよ」
五条台は大川の発想に思わず苦笑した。大川も乾いた笑い声をあげた。サイコロ、か。言われればその通りだな、と五条台は笑う。小説で見たデスゲームのように、無造作に選ばれた十人が、互いに互いを殺しあう。その手の本にありそうなものだ。
いつの間にか五条台たちは館の中央付近に来たのだろうか、ぷっつりと外の風景が映し出される窓が見えなくなり、頼りになるのはいつ消えるかわからないろうそくの光だけだった。それに、窓があったところには、めちゃくちゃな絵が描かれたものが壁からつりさげられていた。どれもこれもついさっき見たような、クレヨンの風景画だった。ほとんどが上手とは言えない作品だったが、それにたまに妙に立体感のある写真のような人物画があるから始末が悪い。一本でもろうそくが倒れたら、カーペットに燃え移りそうだった。
だけどだいぶ目が慣れてきた五条台たちにとっては、その光さえあれば何メートルでも見ることができた。シャンデリアは次の曲がり角をさすようにつりさげられている。
今でもあの光景を思い出すと吐き気を催す。ついさっきだって、あの一瞬だけで、嘔吐物がのどのほうまで来ていた。そのせいで胃の塩酸がのどをひりひりと刺激を与えている。だけどすぐ隣には大川がいるということなので、五条台は我慢していた。ここで俺が崩れたら、ドミノのように大川も崩れる、という妙な責任感があった。
「ほかのプレイヤーの位置がわかるスマホだったらいいのにね。あ、でもそれなら危ない人が持って居たら終わりか」
大川がいかにもとても良いことを思いついたと言いたげな口調でそう言ったのだが、すぐに欠点に気付きため息をついた。
「大川ってなんかいろいろと変わっているよな」
そんな大川を見ながら、五条台は思わず口走っていた。大川と初めて会ってから、五条台はずっとそう思っていた。だけど大川には聞こえなかったようで、特に突っ込んでくることはなかった。
ビビっていたと思ったらすぐ立ち直るし、何を考えているかわからない。大川のいろいろなことを知っていると思っていた五条台だが、本当にいろいろ知っているのだろうか、とふっと考えてしまった。
だけどこんな時だけは、大川の存在は救いだった。
それから、大川から発せられる、左に曲がって、などという指示通りに五条台と大川は歩いて行った。
「ねえ、五条台。ちょっと言いたいことがあるんだけど」
その次のに方向に分かれた通路を左に曲がったとき、大川が振り返った。なぜか視線をなかなか五条台に合わせようとしない。彼女の恥ずかしい時の癖だ。どうやら恥ずかしいことを告白したいようだった。
「なに。どうした。何かあった?」
五条台も立ち止まり、大川を見る。いつの間にかポケットの中に突っ込んでいた手を取り、ブランと下げる。場違いなことに大川のあまり見られないその表情を見、思わず五条台は新鮮だな、と思っていた。少しの間彼女はえ~と、えと、ウ……、とかすかにうめきながら、少しいうのを戸惑っているようだった。ついさっきの陽気さやおびえとは違う表情をしている。
どうしたんだろう、と五条台は大川の目を見るが、大川の視線とは交わらなかった。彼女の視線はいろいろなところに飛んでいく。だけどすぐ自分のせいで五条台を待たせていることに気付くと、やがて大川が意を決したように、一回目をつぶり、こちらを見てきた。瞳が揺れている。
「あの時、ミラーを確認しなくて、本当にごめん」
「……え?ミラー?館内にそんなものあったっけ?」
「違うよ」
五条台がこの館にミラーなんてあったっけ、と思い出そうとしたと同時に、大川が否定し、言葉の続きを告げた。
「……私がミラーを確認していれば、今こんな目にあっていなかったでしょ。私たち」
最後のほうは声が小さくなり、何を言っているのかを聞き取るのは難しかったが、その一言だけで言いたいことはわかった。
要は自分がしっかりしていれば、二人そろって事故死し、今こんな狂った状況にはならなかった、といいたいのだろう。確かに大川がミラーを確認し、車が猛スピードでこちらに来ているということを知らせてくれればもしかしたら助かったかもしれない。だけど、大川が確認する必要は、本当はなかった。大川の前を歩いていた五条台が確認したと思ったのだから。大川には一切責任はない。大川を見ると、耳まで真っ赤にしてうつむいていた。長い前髪が邪魔して目はよく見えなかった。
「いや、違うよ。あれは俺が悪い。熱中症だからって、全く確認せず進んだ俺のせいだ。大川が責任を感じる必要はないし、謝るのはむしろ俺のほうだ」
「え?」
大川がいかにも以外とでも言いたげな口調でこちらを見た。
五条台が確認すればそれで何もかもがよかった。ここにきてようやく自分の不注意のせいで罪もない女の子を一人巻き添えにしてしまったことを自覚し、今更ではあるものの悔いた。もとといえば、この状況を招いたのは大川ではなく五条台だ。五条台が大川を巻き添えにして、この世界に来させてしまったのだ。思い出してみれば、五条台はここに来てから、そんな話は一度も振っていなかったことを思い出す。
「本当にごめんな」
五条台は思わず頭を下げていた。もし確認していたら大川を曲がり角前で制止して、いつもの毎日を送っていたかもしれない。そうでなかったとしても大川だけは助けることだってできただろう。結果的に大川だけならここにいなくたって済んだかもしれない。
「え、いや、気にしてないから頭上げて、ねえ、私だって確認してなかったし、五分五分!だから、ね?」
五条台が頭を下げると同時に、大川はいきなりパニックになって、強引の五条台の頭を上げさせようとした。大川は謝られるのは苦手らしい。それにこの様子から、自分が事故って死んだ原因が五条台にあるということは全く分かっていないようだった。こうなることは全く考えていなかったのだろう。ホンワリとした温かい手が額に当たる。
恐る恐る顔を上げると、すぐ目の前に大川の顔があった。こんな至近距離で見たことがなかったので、五条台は思わず驚き、視線をそらした。心臓が高鳴り、彼女から甘い香りがほのかにした。
「お願いだから、頭下げるのやめて。正直言って恥ずかしいから」
大川がそう恥じるように言う。悪い、と五条台はいう。暗がりのろうそくが風もないのにゆらゆらと揺れた。
「なんかごめん。私よけないこと切り出しちゃって」
「そんな、お前を巻き込んでおいて、全く謝罪してなかった。思い出させてくれてありがとう。」
ひどくテンパっている大川に、五条台はそう微笑した。大川のことだ、きっと自分に責任があると言ったら、もしかしたら五条台に嫌われてしまうかもしれないという強い抵抗があったのだろう。だけど最終的に大川は謝罪した。その責任感の強さに、五条台は敬意を払わざるを得なかった。
「そんな……。まあその話は置いておきましょう。私たちは脱出することに専念すればいいんだから」
大川はそう言い、五条台から離れた。ほっとしたような、残念なような、そんな感情がごちゃ混ぜになりながら、大川を見た。
大川はちっとも怒っていなかった。ついさっきのように通路の先へと歩き始めようとしたとき、もう一度気まずい雰囲気の中、五条台を見た。
「あ、あとさ、もし二人で生きて帰れたら、五条台の家で一泊させてほしいんだ。そうすればこの出来事や不運はすべてチャラ。いいね?」
半ば強引に押し付けるように、大川は五条台に命令した。最後のほうは怒っているかのような口調になっていたが、すぐに彼女は前を向いたので、どんな表情をしているかはわからなかった。さりげなく有無を言わせぬその約束に、五条台は思わず苦笑してしまった。大川が五条台の家に来たことはあっても、なんで一泊する必要があるのだろうか?
やっぱり、大川は何考えているのか、思考回路はわからない。いい意味で。そのせいで、五条台の暗い感情は一気に晴れたのだ。文だけじゃわからない、そんなオーラを大川はまとっていた。
「わかったよ。一泊だけだからな」
ここから出たら、部屋掃除しなきゃな、と五条台はいつの間に、ここから出るという前提で考え事をしていることに気付いた。
絶対にここから出る。五条台は決意を新たに、今度こそ、大川とともに一階の玄関口に向かって歩き出した……。