三話 意味不明
五条台智樹がきょろきょろとあたりを見渡し、どこから寝息が聞こえてくるかを探っていると、不意に、ベッドが作る小さな死角に視線がいった。がらんどうの部屋の、唯一の死角。
気づいた時には、五条台はベッドにまたがり、小さな死角となっている場所を凝視した。
そこには、一人の女性が乱れた髪で、穏やかな表情をして眠っていた。その口からは穏やかな寝息が規則的に聞こえてきた。その部分だけ切り取れば、何のことない、平和な風景に見えた。彼女の顔は整っていて、美人の部位に入る人間だった。そして驚くべきは、その女性が、五条台が知っている女性だったことだろう。
「大川!大川、大丈夫か!大川!」
思わず五条台は大きな声を出して、女性--大川向日葵〈おおかわひまわり〉に声をかけていた。肩を揺さぶろうとしたのだが、何となく気まずかったので、その分誘拐犯に気付かれること覚悟で声をかけていた。
幸い大川は、睡眠が浅かったのか、それだけで目を覚ましてくれた。薄く目を開き、ろれつが回らない様子でそのピンク色の唇で言葉を紡ぐ。
「五条台……君。どうしたの?あ、なんかくらくらする」
消え入りそうな声だったが、五条台はとても安心できた。億劫そうなまなざしで、ぼけっとした表情をし、ゆっくり背を起こす。背まで伸びた髪は乱れ放題だった。
状況不明といった感じだろう、そのまま大川はきょろきょろとあたりを見渡していた。ついさっきの俺もこんな感じだったんだろうか、と五条台は大川を見ながらどうでもいいことを考えた。
「俺だってわからないよ。一体何があったかもよくわからないんだ。大川は、何か覚えていないか。」
正直言って五条台も全くこの状態を飲み込めたわけじゃなかった。というか、知識はいま目覚めたばかりの大川とどっこいどっこいというところだろう。
大川は意味不明という表情をして、一分ほど視線をあたりにさまよわせていたが、唐突にふらふらと立ち上がった。まるで五条台のリプレイを見ているようだった。
「どういうことよ。監禁されているの?私たち」
「かもしれない。どっちにせよ良い方向の物事ではないことは確か」
大川の困惑した声が部屋中に響く。ランプの光が不気味に大川の整った顔を照らす。一見してみると彼女は完ぺきな人形のようだった。
「それより大川。お前何か、ケータイみたいなものを持っていないか。それじゃなくても外と通信できる機械」
そう言っておいて、無造作に転がっていたスマホが県外ですという表示を浮かび上がらせたのを思い出す。だけどそう言っておかなければ、なぜか落ち着けなかったのだ。もしかしたら大川のケータイなら通じるかもしれないと望み薄なことを想定していたのだ。
「ごめん、私ケータイ持ってないんだ。高校に入ったら買ってくれるらしいんだけど」
このまま生きて高校に入れたらの話だけどな、とは言わないでおいた。五条台こそ持っていないの?という疑問に、持っていないという答えを返すと、大川はさぁ、と目に見えるくらい蒼白していた。
「どうするの、これ。逃げられるの?」
「一応拘束道具はない。扉ならそこにある」
五条台はベッドに腰かけながら扉の方向を親指で指した。大川は哀れなほどおどおどしていた。まあそれが普通の反応だろう。人間というものは、いきなり知らない場所に飛ばされると、やはり状況が呑み込めずおろおろするものだ。大川が両手を両肘に寄せておびえた表情で扉を見る。これは大川がおびえているときによくする癖だ。一度どこかのナンパ野郎に絡まれた時、そういう動作をしていた覚えがある。
「出られるの?」
「知らないよ。開けたわけじゃない」
大川の声が震えている。五条台はベッドから降りる。だけど予期せぬ大川という幼馴染の登場で、ついさっきのパニックは消えていた。
「とりあえず、ここでパニックになっていたとしても意味がない。何かここから出る手口を考えないと」
五条台は力強く彼女にそう言うと、彼女はおどおどしながらも、そうね、と答えた。
「まず大川。お前ここに連れ去られるまで、何か覚えていないか?」
「いいや。まったく。記憶が飛んでいる、というのかな?最後の記憶がはっきりしない」
どうやら大川も五条台と同様、記憶の混濁が著しいらしい。
「俺もだ。一体どういうことなんだろう」
五条台はそっとため息をつき、頭をおろした。これでは完全に八方塞がりだった。今簡単に外へ出たとしても誘拐犯に見つかったら完全に終わる、いやまず鍵が開いているかも定かじゃなかった。さっさと扉を開けて確認すればいいのだが、奥に誰かがいて、目が合ってしまったらと考えると、それもはばかられた。
どうすればいいんだ?五条台が深く考えようとした時、視界の横に何かが映った気がした。
ん?
五条台は何か黒い長方形の様なものが床に落ちていることに気付いた。
それを見ると、え、と思わず口から声が漏れてしまった。
それは、ついさっき五条台が拾ったやつと同じのスマホだった。なんで同じ部屋に同じ型のスマホが二つも……。
「なあ、大川」
「なに。五条台。何か打開策が見つかったの?」
「いや。これ見てよ」
そう言い、五条台はスマホを拾い上げて、大川に突きつけた。
「これ、お前のじゃないか?」
「そんなわけないでしょ。ケータイも持っていないんだから。あ!これで助けが呼べるじゃない」
同時に彼女がスマホを奪い取り、スマホを起動させた。嬉々とした嬉しさが表情に滲み出している。きっと警察に電話でもしようと考えているのだろう。
だけどその笑みも、電源をつけて一一〇をプッシュし、通話ボタンを押し、県外ですという文字を見た途端、落胆した表情になった。うそでしょ、とうつろにつぶやきながら、大川は力なくベッドに座り込んだ。
五条台が実は、と言って胸ポケットから同じ型のスマホを出すと、大川は驚いたようだった。
「なんで同じ型のスマホがこんな部屋に二つも落ちているの?」
「わからない。一体どういう意図なのかも。相手が何を考えているか全く読めないよ」
五条台はそう答えた。少し引っ掛かりを覚えていた。誘拐犯にしては詰めが甘いと思うのだ。圏外とはいえスマホを置いておくなんて。それに同じ型のスマホを二つ置いたということも気になった。まるで一人一台というふうに配られているようだった。それに、拘束道具をつけていないなんて、よほどこの扉が破られない自信があるのだろうか。五条台が考えにふけっているとき、失望の表情をしていた大川が、唐突に顔を上げた。
「ねえ。五条台。スマホのロック解除してみて。なんか、このスマホ、普通のスマホとはなんか違う」
「え?違うって、何が?」
「だから、スマホ開いて、ロック解除して。なんか画面がおかしいのよ」
大川がじれたような声で五条台に命令した。何が何だかわからないまま、五条台はポケットから乱暴にスマホを取り出した。
そういわれれば俺一度も電話以外に使っていないな、とどうでもよいことを考えながら、五条台は電源を入れ、ロック解除のボタンをプッシュした。
画面が入れ替わり、スマホのホームの映像がスマホの液晶に浮かび上がった。
「なにこれ」
スマホを見、五条台は思わず抽象的な第一感想を述べていた。以前五条台はスマートフォンなどを売っている店に行ったとき、何度か見本としてホームの画像などを見たことがあった。
ミュージック、設定、検索、カレンダー、ライン、マップ、プレイブックス。目を見張るほど豪華なシステムがたった一枚の画面に小さく収まっていた。
だけど今映し出されているのは、そんなスマホの画面とは完全にかけ離れているものだった。
表示されているボタンは、三つだけだった。
「ルール」 「残るメンバー」 「館内マップ」
画面の上にはGoogleの表示などは一切なく、ただ単にその三つのコマンドが並んでいるだけの簡素な画面だった。それに背景はどこかの古ぼけた館の全貌が真正面から映し出されているだけだった。館の背後には小さな三日月が見える。二次元の画像だからか館全体はよく見えた。だけどそれを長時間見ていると、ついうっかり三次元に見えるほど、それはリアリティを帯びていた。
五条台は大川の画面を盗み見ようとしたのだが、それは大川も同じことを思ったようで、とたんに視線がかち合った。
「五条台の画面見せて」
気まずそうな顔をしながら、大川が聞いてきたので、いいよ。と許可を出し、五条台は画面を見せた。
「私のと同じだ」
大川が抑揚なくそういった。五条台が懲りずに再度大川のスマホの画面を盗み見ると、確かに五条台のものと同じ表示がされていた。背景も一緒で古ぼけた廃館が映し出されていた。
「なんか、誘拐犯にしておかしい気がする」
大川がスマホの電源を切るなり、そうつぶやいた。顔は影がかかっていて、ランプの光も手伝ってより一層陰湿なものにしていた。
「確かにな。それに表示もおかしいし」
五条台もスマホの電源を切る。どういうことなのかは意味が分からなかった。館内マップはまだ理解はできる。だけど二つのコマンド、ルールと残るメンバーは意味が分からない。
「とりあえず、出ましょう。もし誘拐犯がいたとしたら私たち二人で対処するしかない」
大川が少し沈黙した後、五条台が何かを考える前にすぐに顔を上げた。
「でももし外に人がいたとしたらどうするんだ?それに、扉だってしまっているかもしれないし」
「確認よ。それにそんなこと言っていたら始まらないわ。何かあったらあとはアドリブでやるしかないじゃない」
そういう大川の口調はどこかおびえの色が見て取れた。
「大川はそれで行けるのか?殺されるかもしれないよ?」
「だけど……」
五条台がそう確認をとると、大川は押し黙った。視線を落とし、悔しそうにわずかに舌を噛んでいた。