魔法とは、序・メリシアの独白
「……フフ、全て嘘だよ」
ぼんやりとした視界の中で、誰かの声が聞こえた。何もかもが不明瞭な世界で、誰かの嘲笑うような声だけが鮮明に聞こえた。
「あぁ、いいね、その顔だ。その絶望に満ちた顔が見たかったんだよ。ずっと…。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……、君の絶望を見る為だけに傍にいたんだ。」
「何で…だ…」
掠れた声で問う。すると誰かは笑みを消して無表情に告げた。
「だって君の事が憎いから。殺すだけじゃ消えない憎しみに包まれているから。………だから、死なないでくれよ?まだ、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ、憎悪は、消えてないんだから。アル…………・…オ・…………………ベン。僕の怨敵よ」
◆
「………ん…」
瞼を開く。すると、なんかボロい木の天井が視界に広がる。
「………。……あぁ、宿か」
寝起きでぼやけた思考でその事を思い出す。そういや、宿に泊まったんだった。
「…ふぁ…。…にしても、改めて見ると余計にボロさが目立つな」
これじゃ25イースでも高いな。つーかもう20イースでも高いな。これで30はちっとふっかけ過ぎだろ。
「ま、俺はタダだから関係ないけど」
それにも何か裏があると思うけど、いいや。実害が出るまでは占領させて貰おう。
「……しかし、匂い取れねぇなぁ」
昨日、ゼビュンに魔窟を通されてからずっと、俺の服や身体はなんともいえない嫌な匂いに包まれている。更にそのままで寝たから、余計にちょっと…なぁ?
「とりあえず、着替えるか」
呟いて、俺は服に隠れたポーチを取り出した。このポーチ、見た目は普通のポーチだが、拡張の魔法によって容量が格段に増加している魔道具の一種だ。
魔道具とは魔法を用いて改造された道具で、あの大陸横断鉄道の、魔導列車アースハルフィナーも広い意味では魔道具に分類される。ただし魔法と言っても単体で使える魔法ではなく、何かと組み合わせないと効果を発揮しない、付随魔法という種類の魔法だ。付随魔法は俺が良く使う強化魔法や精神魔法の様な、単体でも効果を発揮する魔法とは違い、媒介となる道具や素材、そして定着させる為の機材やらが必要となる。
とはいえ、完成すれば魔法を行使できない人にも扱える為、需要は高い。…まぁ、魔道具職人になるには普通の魔法使いよりも厳しい道を歩まなくてはならないから中々新人が育ち難く、需要に対して供給が追い付かなく、魔道具はわりと高級品だ。でも、金額に見合った価値はある。
んで、その魔道具であるポーチから服を取り出す。取り出したのは、暗い灰色と濃い茶色で塗り潰された様な地味な服だ。一先ず今着ている灰と白の服を脱ぎ、ポーチに突っ込む。ついでに白い布を取り出し、一緒に取り出した水で湿らせて身体を拭く。
そして汚れた布をポーチに突っ込み、取り出した服を着た。
「……さて、行くか」
ポーチを服で隠れる様に着け、部屋を出る。
「……はは、馬鹿が大漁だな」
扉の外には、俺が昨日仕掛けた魔法の罠に掛かった馬鹿達が転がっていた。魔法の応用で、敵の接近に合わせて自動で発動する様に設定した魔法陣を置いといた。
魔法陣とは魔力を用いて書かれた、魔法を文字と紋様に固定したモノで、魔法を弄くる為のモノと考えるのが分かりやすい。
魔法陣に書いた魔法は、基本的に魔力を流せば発動するが、その設定を弄くる事で、様々な事が出来る様になる。今回の様に罠に変換させたり、威力を弄ればより強力になったり。
そして、一部の特級魔法やそれを越える魔法は、全て魔法陣を用いないと覚える事が出来ない。何故なら、それらの魔法は失われた時代の産物だからだ。遥か昔の、魔法を極めた時代の遺物、それが高難度の魔法を記した魔法陣なのだ。
そもそも魔法を覚えるには、覚えたい魔法が書かれた魔法書が必要となる。魔法書にはどうすればその魔法が使えるかが書かれていて、その魔法の情報を完全に理解すると、その魔法を使えるようになる。しかし魔法は覚えただけでは完全ではない。その魔法を繰り返し使い、その効果も反動も範囲も何もかもを理解してこそ、真にその魔法を覚えた事になる。
だが、魔法書に記載されているのは上級以下と、一部を除いた特級の魔法だけだ。何故なら、それ以上の魔法は本程度に収まる様な情報量ではないからだ。
だから一般的には特級が最上級の魔法であり、それ以上を求める者は少ない。それは、特級以上の存在が何故かあまり知られていない事と、修得の困難さ、危険性を危惧しての事だ。
魔法陣に記された特級以上の魔法。その情報量は膨大で、その魔法の解析は困難で、その魔法を不完全に修得した者の末路は悲惨だ。だから、危険性が少ない魔法書に記載された特級の魔法が、最上級の魔法だと信じられている。…一部を除いて…な。
話を戻そう。馬鹿達の話だ。恐らく昨日の件を根に持って寝込みを襲う気だったんだろう。…俺が何の対策も立てていないと本気で思っていたのか?
「…ま、どうでもいいや」
馬鹿達を放置して廊下を抜ける。酒場と宿屋の受付が合体したその場所に、この宿と酒場のマスターであるロットが居た。酒場のカウンターに腰掛けながら、こちらをニコニコとした作り笑顔で見ていた。
「おやおや、お客様。おはようございます。昨夜はよく眠れましたかな?」
「…あぁ、まぁな。…つーかロットさんよ、部下の躾はきちんとしとけよな。部屋の前でぐっすり眠られてたんで困るぜ」
俺がそう返すと、ロットはまったく悪びれた様子も無く答えた。
「おぉ、これは申し訳ありません。後できちんと言い含めておきますので…」
仰々しくお辞儀をしつつ、ロットは言った。…絶対気にしてねぇな 。
「はぁ、まぁいいや」
言って宿を出ようとすると、ロットが問い掛けてきた。
「おや、お出掛けですかな?」
「……、あぁ…腹も減ったしな」
「そうでございましたか。それでは、実りある一日をお祈りしております。」
「いらねぇよ」
わざとらしいロットの言葉を一蹴して、宿を出る。
「………、ふふふ、実りある一日を…」
そんな声が、酒場に響いて消えた。
◆
「ふぅ、少し休憩しましょう」
ここは【明光騎士団】の商業区支部。第二部隊である【閃鈴】の拠点でもあります。支部は商業区に二つ、【閃鈴】と第三部隊【天救】の拠点としてそれぞれ使われ、居住区に二つ、第四部隊【戒魔】と第五部隊【治界】の拠点として使われていて、貴族街にある本部を、第一部隊【護封】、通称盾が拠点としています。
その支部の中庭で、私ことメリシア・テトラスは、毎日の訓練を終え、備え付けの簡素なベンチに座りました。
【明光騎士団】に入団してから…いえ、その前の騎士錬成院に入ったころから欠かさずに行ってきた訓練。いつか、憧れの騎士団に入団するんだと奮起していたあの頃から、ずっと続けてきた訓練。そのお陰で、【閃鈴】の隊長であり、騎士団の副団長も務めるカルス隊長に見込まれ、憧れたこの【閃鈴】へ入団しました。それがつい半年程前の事。
隊長には、もう少し肩の力を抜けと度々言われますけれど、ここで手を抜いたら、何の為に入団したのか分からなくなってしまいます。
私が【閃鈴】に憧れを抱いたのは、私がまだ幼い頃です。その頃はちょうどこの国が数十年単位で起こす、オーディアとガルフェイクへの離反の最中で、国中が荒れていました。結局は両国に鎮圧されて収まったのですが、王都は荒んでいました。
それこそ、民衆が貴族邸に押し入って略奪をするほど。
私の生家であるテトラス家も例外ではありませんでした。テトラス家はそれほど大きな貴族という訳ではなく、護衛も親族である兵士が警備をしている程度の家でした。しかし、それでも、普通の住民よりはよほど裕福ではありました。
むしろ、あまり大きくないからこそ、狙われたのかもしれません。大きな貴族はそれだけ護衛も沢山雇っていますから。
いよいよ警備を突破して屋敷に雪崩れ込もうとしたときでした。【閃鈴】の方々が鎮圧に来たのは。
【閃鈴】の隊長を名乗る人物は、暴徒化した方々を鎮圧したあと、申し訳なさそうに私達に謝罪しました。
曰く、他の騎士団の方々はもっと大きな貴族ばかり助けて、私達の様な中小貴族は放っておいていたと。何故なら、大きな貴族は権力と財力があるから。【閃鈴】の部隊はそれに異を唱えたけれど相手にされず、しかも妨害まで受けていたそうです。弱小貴族など民衆と変わらん。それを助けるとは騎士の名折れだ…と。
確かに、一部の小さな貴族が暴動に加担していた事もありましたけれど、それで他の貴族まで、ましてや同じ騎士団の仲間まで信じないなんて…。
そのせいで助けるのが遅くなって、本当に申し訳ない。隊長さんはそう言って謝っていましたけれど、私は、私達は隊長さん達を責める気はありませんでした。だって隊長さん達はそんな目に遇いながらも、助けに来てくれたのですから。
私は、決意しました。私も騎士になろう。騎士になって、私と同じ目に遭いそうな人達を助けよう。そして隊長さん達みたいな立派な騎士になろう。そう、決意しました。
しかし、現実は残酷でした。中小貴族に加担した【閃鈴】は、偽善騎士と罵られる様になったのです。しかも、助けた筈の中小貴族にさえも。それは、【閃鈴】の方々が助けられなかった貴族の方達が、大きな貴族に併呑され、以前よりも裕福な生活を手に入れたからでした。
【閃鈴】はあくまで騎士です。守る事は出来ても、生活の向上は出来ません。それに、全能ではありませんから、どうしても守りきれない時もあります。それは屋敷だったり、住人だったり。
私は困惑しました。何故、助けて貰ったのに非難するのか。何故、何もしなかった部隊が称賛されるのか。何故、隊長さんが責任を取らされて追放されればいけないのか。
私は改めて決意しました。絶対に、この部隊の汚名を晴らすと。
そして私は騎士を育てる騎士錬成院に入学しました。私の志望が【閃鈴】だと知ると、周りは嘲笑しました。自ら落ちぶれに行くなんて…と。けれども私は諦めませんでした。いつか入団し、汚名を晴らす。そして、皆を守れる騎士になる。その思いで過酷な錬成院で過ごし、そして【閃鈴】の新たな隊長である、カルス殿に見込まれて、今に至ります。
「……はぁ。隊長さん、元気かな…」
「おう、元気だぞ?」
「きゃっ!?」
私の呟きに、カルス隊長が答えました。
「驚かせないで下さい、隊長」
「悪い悪い。……つーか、お前も女の子っぽいトコあんだな」
「訴えますよ」
「負けるから止めてくれ」
「…そこだけ潔いですね…」
「んで?俺の心配でもしてくれたのか?」
「違います。前の隊長です」
「即答は傷つくぜ……、つか前の隊長?それ結構前じゃねぇか?」
「えぇ、私が【閃鈴】を目指したのも、あの隊長に憧れたからです」
「ふぅん…。…前の隊長か、懐かしいね」
「知っているんですか?」
「そりゃ、あの人から指名されたからな、俺」
「そうだったんですか…。いえ、そうですよね」
よく考えればすぐに分かる事でした。
「…あの人は、俺にとっても目標だったからな……、いや。【閃鈴】の隊員皆の…か」
「慕われていたんですね」
「あぁ。……今頃何処で何してんだろうな……、ロット隊長」




