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ヨリコとみちよの非日常的日常4 「虫のささやき」

作者: 野々村竈猫

 「あのな、そこでウチのお兄ちゃん、コンピューターのセキュリティ・エー・アイの

研究してるんよ。」


 駅に向かう通学路。

 ここ数週間、みちよは何かあれば兄貴の話しばかりしている。留学から帰ってきたのが

よっぽど嬉しいみたいだ。


 あたしを何とか紹介したいらしいのだが、あたしは気が乗らない。

 みちよがベタ褒めの兄貴なのだから、すごくいい人に違いないのはわかる。

 でも、みちよはあたしの心の深いところにある締め切った扉の事を、知らない。

 だから。


 と、急にみちよは黙り込み、うつむいて左手のひらを額に当てる。


 「みっち、何か聞こえたの?」

 「う、うん。」


 この季節になると、みちよは時々”虫の声”を聞く。いわゆる「虫の知らせ」と

いうやつだ。何かの音が聞こえ、それが未来のビジョンを見せるらしい。


 ふと、みちよは頭を上げて、あたしに言った。


 「ヨリちゃん、今日はバスで行こう!」

 「え?」

 「今からなら間に合うから早く!」


 おっとと。

 みちよはあたしの手をとって走り出した。


 「電車に何かあるの?」

 「わかんない。でも、今日はバスのほうがええねん」


 こういう時のみちよの言うことには素直に従ったほうがいい。確実に何かあるのだ。

 あたしたちは今来た道を引き返し、バス停に向かった。


 キーンコーンカーンコーン


 始業ベルが鳴る。

 先生が入ってくるが、教室には生徒は4分の1ほどしかいない。落ち着かないみんな。

 と、ガラガラと扉が開き、生徒たちがぞろぞろと入ってきた。

 なんでも、車両トラブルのため、一時的に電車が止まってしまったそうだ。当然、遅延電車は

超満員。どれだけすごかったかは遅刻組みの消耗した顔を見れば一目瞭然。


 「みっち、サンキュ。また助けられちゃったね」

 「そんなお礼言われるもんやないよ。勝手に聞こえてきちゃったんやから」


 みちよの「虫の知らせ」に助けられたことは数知れない。今日のような交通情報や、気象情報だけでなく、

おいしいスイーツを教えてもらったり、格安なお店を見つけてもらったり。


 ある時などは、試験開始5分前にいきなり、

 「ヨリちゃん、教科書のこの問題解いた?」とふりむいた。

 解き方を教わり、試験が始まってみると、その問題がモノの見事にビンゴ。

 そんなわけで、みちよと一緒にいると、この季節はいろいろいいことがある。

 あたしは予知能力の一種じゃないかと思っているのだが、当の本人はそんなつもりはないらしい。

もちろん二人だけの秘密。


 そんなある日の土曜の午後。

 映画を観た帰り道。


 とある交差点で信号が変わるのを待っていた時にみちよに虫がささやいた。

 と、突然、みちよは顔色を変えあたしに叫んだ。


 「ヨリちゃん!向こうのかどまで走って!全速力で!」


 あたしは、何のことかわからなかったが、ただ事ではない様子に、彼女の指差す方向へ

きびすを返すと無我夢中で走った。

 と、後ろで「ギン!」と耳をつんざくような鋭い音とともに、「ガガン!ガラガラ!!」と鈍く響く金属音。

そしてショーウィンドウの砕ける音が響き渡った。

 あたしはあわてて振り返って唖然とした。

 信号を右折してきた大型トレーラーの荷台から大量の鋼材が転げ落ち、交差点一帯の歩道を

埋めていたのだ。


 みちよの姿が、無い。


 あたしの頭から一気に血の気が引いた。


 「みっち!みっち!」


 あたしは必死で叫んだ。あの鋼材の下敷きになっていたら命は無い。心臓が高鳴り、

頭の真ん中が冷たくなる。

 両手で口を押さえ、崩れそうになったそのとき、彼女の声が聞こえた。


 「みっち!」


 交差点から3件目の靴屋の入り口から手を振っているみちよがいた。

 そろそろとおぼつかない足取りで鋼材の上を歩いてくる彼女。

 とうちゃーく、とばかりに両手を挙げ、トンと降り立った彼女をあたしは

力いっぱい抱きしめた。


 「い、痛いよ、ヨリちゃん」


 あたしの激しい動悸は止まらない。


 彼女は走っていた最中にお店から出てくるお年寄りに気がつき、あわてて抱えて

店の奥に駆け込んだのだった。


 「ねえ、痛いよ…」


 でも、あたしは離さない、あのときに似た感情があたしに去来する。


 あたしは小学校4年生のときに父親を交通事故で失った。私にとって父は

「よい父親」というだけでなく。「よい友達」でもあり、「恋人」でもあった。

耐え難い喪失感が何年も続いた。そしてそれから、あたしは「大切な人」を増やすのを止めたのだ。

 もう二度とこんな気持ちになりたくない。その一心で、あたしは心の扉を閉じ、人と打ち解けるのを

止めた。だから、以前からの親友であるみちよがもし、いなくなってしまったら、

わたしの心は壊れてしまう。


 みちよは腕を回すと、赤ん坊をあやすように、あたしの背中をぽんぽん、と叩いた。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。


           *


 「ヨリちゃん、おちついた?」

 「う、うん…大丈夫」


 歩きながらあたしのことを気遣う彼女。

 大丈夫とは言ったけれど、ショックの余韻は抜けていない。

 彼女はしばらく黙って歩いていたが、ふとあのポーズをとると、

 「ね、ヨリちゃんお茶でも飲んでこ。な?」

 と、あたしの手を取った。


 チリリン


 あたしは彼女に手を引かれるまま、喫茶店に入った。

 席に着くあたし。すると、彼女はあたしの向かいではなく、

なぜか隣に腰をかけた。

 「え?」

 戸惑うあたしに、彼女は天使みたいに微笑むと、

 「ここでええねん。」と言い、何かを待つような風でテーブルにほおづえをついた。


 チリリリ


 お客が入ってくる。

 と、突然みちよは手を振った。

 「お兄ちゃん!こっちこっち!」

 顔を上げたあたしはドキッとした。まちがいない。入ってきた青年の黒髪と

涼しい黒い瞳はみちよと生き写しだ。


 「あれ?みちよ…」


 スーツ姿の青年はこちらのテーブルにやってくると、あたしたちの向かいに腰掛けた。


 「おにいちゃん、紹介するね。うちの大っ~親友の畑中ヨリコさん」

 「はじめまして、みちよがいつもお世話になってます、兄の清人きよとです。よろしく」

 「は、はじめまして…」


 あたしは耳まで真っ赤になりながらそう言うので精一杯だった。

 「お兄ちゃんはアメリカンでええよね。ヨリちゃんはカフェオレで」

 「う、うん」


 不意打ちである。みちよは兄貴がくるのを虫の声で察したのだ。

 あたしは(やられた!)と思いつつ、心がうずくのを感じていた。


 ウェイターにオーダーをする彼女。


 もしかするとみちよはあたしの心の扉のことにずっと前から気がついていて、何とかしようと

思っていたのかもしれない。

 あたし自身、この心をどうにかしてくれるのはみちよしかいないと薄々感じてはいた。

 しかし、この不意打ちはつらい。

 あたしはさっきとは別の動悸と顔の赤らみを抑えるのに必死になっていた。


     お し ま い


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