SMスイッチ(リコレクションズ番外)
夏休み中の練習ってのは、そもそもがユルイもんだった。
午前中だけの、しかも自由参加、ってやつで、この高校は試合で勝つ気がないみたい。
そこがまあ、かったるい俺には丁度いいんだよね。
その日も、なんとなく暇だから行ってみた。
高校に入ってまもなく出来た可愛い彼女は、昨日から家族旅行に連れていかれちゃってる。
ハイシーズンを避けてのネズミランドで2泊。女の子って、ああいう所、好きだよね。
そう言う俺も、きっとハマるだろうな、って自信があるし。
大学は絶対、東京の大学にしよう。そんで、話題のスポットとかネズミランドとか大きな公園とかでデートをするのも楽しそうだよね。
でもその時を思い浮かべると、隣にいる女の子は何故か、今の彼女じゃないんだけど。
まあ、まだ俺、16だし。色々あるよ、この先。
やっぱ高校生って言うのは、中学生の時と比べて、解放感がある。
中学ん時の友達も何人かいて、クラスもそれなりに馴染んだ。
実は俺はかなりの人見知りをするタイプなんだけど、それを笑顔に変えてニコニコしていたら、割とすんなり皆の輪に入って行けた。内心、冷や汗もんだったんだけど。
男同士じゃ、グループリーダー達の後ろで微笑みながら空気を読んでりゃ何とかなるし、
女の子相手だったら、可愛く笑いながら適当に話を合わせていればいい。
コツさえつかめれば我ながら上手くいっているその処世術に、わりと満足している日々だった。
「拓也ー。珍しーじゃん、どうしたのー。」
同じ一年の中じゃ一番熱心な倉持が、俺を見つけて嬉しそうに寄ってきた。
「うん。なんか暇なのよ。」
「暇?彼女持ちが何言ってんだよ。」
「彼女、今、家族旅行中だし。」
「・・・ふーん。いいなあ、いつもイチャイチャしてんだろ。部活、さっぱり来ねえじゃん。」
「だって、練習疲れるんだもん。」
俺がバスケ部に入った理由は、一つ。背を伸ばしたいから。
高一なのに身長が164センチほどしかない。中学に伸び悩んだ身としては、高校に期待しているわけ。
牛乳嫌いだし、他に手段がないでしょ。
「もったいねえなあ。お前、センス滅茶苦茶あるじゃんかよ。」
「うん。器用なんだよね、俺。」
「ヤな奴だなー。顔も良くって、モテモテだろ?女子バスの連中、お前が練習に来る時だけやけに盛り上がるんだよな。」
俺達が着替えながら話していると、もう一人の一年、福富が顔を出してきた。
「あ、俺知ってる。関先輩、お前がタイプだっつってた。顔と笑顔がいいんだって。」
「お、いいじゃん、関先輩。俺、好みだなー。ちょっとキツめな所が好きだな。」
「倉持ってマゾっぽいもんな。」
「練習好きな時点で、マゾだろ。」
福富と俺とで、倉持に突っ込んだ。
倉持は割りと精悍な顔つきで、童顔な俺とは雰囲気も正反対なんだけど、
その引きしまった顔をだらしなく崩して、華奢な体を折り曲げて悶えた。
「ヤベ、ばれた?俺、女の子と付き合うなら、ぜったいM。たまんねー。」
「・・・ためてろ。」
「ためろ。」
俺と福富は呆れて部室を出ていった。
後から、倉持が追いかける。
「んだよ、彼女いる奴はいいよなー。ためてねーんだろ?文字通り、たまんねーんだろー?」
「たまりませんね。はい。」
「ちっくしょう、マジかよっ。」
隣で福富まで白目をむいて俺に噛みついた。
俺達健全な男子高校生は、よるとさわると女の話になる。
「え?え?いつヤッたの、江藤と?」
「夏休み中?お前ら、付き合ってまだ一カ月ちょっとだよな?」
「うぜーな、離れろよ。」
「おい、教えろよ。どんなだよ。部屋で?江藤んちで?それともラブホ?」
「江藤、胸でかいほうだもんなー。ありゃ、たまんねーよなー。ちくしょー、俺もやりてぇっ。」
「で、どこでやったんだんだよ?あいつ、処女だったか?つか、お前、経験あったの?」
「・・・・・。」
顧問の教師も来やしない、ユルい部活動。
2年の先輩方も、やっとちらほらと姿を見せるぐらい。
たまにしか顔を出さない俺にでも居場所を提供してくれる貴重なクラブだから、出来れば今は、色々と練習の準備をしたり、体を慣らしたりしたいんですけど、ね。
健全な男子生徒は喰い気味で、とても俺を放してくれそうもない。
「・・・俺、処女はヤだな。責任取らされそうで。」
俺は諦め半分、溜息をつきながら言った。
「・・・つーことは、江藤は・・・。」
「知らないよ。余計な事言うなよ。女の子なんだから。」
「お前はいつ、済ませたんだよ?」
「なんで俺がお前たちに、初体験の話をしなくちゃならないのよ。」
俺は極力嫌そうに、片眉をあげた。
なのに性少年たちは、そんな俺のデリケートな表情なんか、読んじゃくれない。
勝手に二人で会話を進めやがる。
「な、二人とも経験者の場合、やっぱすげーんだろうな。どっちがリードするの?」
「そりゃお前、男に決まってんだろ。」
「でも江藤もおとなしそうな顔して、結構やるなあ。中学でバージン捨ててたなんてよ。案外、アレの時には性格変わって激しいかもよ。」
「おー。そうすっと、吉川が受けか?いやー、こいつはこう見えてSだろう。」
「ちょっ、こう見えて、ってなんだよっ。」
思わず我慢できず、バカな会話に参加してしまった。
すると倉持は、その長身をわざとらしく誇示して、俺の頭をぐりぐりと回してきた。
「こんなにちっこくてよ、細っこくて、犬みたいな顔して愛嬌振りまいてるクセに、アレんときはSかよー。」
「おまっ、いてーよ、やめろよっ。」
「オネエ言葉も使うクセしてなあ。」
「ヤラシイよなあ。」
「童貞共は落ちつけよっ。黙ってろっ。」
俺はそう言うと、用具室へと向かった。ちいせえとか細っこいとか、よけえなんだよっ。
後ろでは倉持と福富が吠えていた。ひでえな、このエロS野郎、とか言ってる。多分倉持は、また体を折り曲げて悶えてんだろうなあ。バカだ、あいつは。
その日の練習中、ステージ上では吹奏楽部が練習をしていた。
何か知らないけど、コンサートだかコンクールだかがあるらしい。
向こうの休憩中で、こっちの練習がはけた時、クラスの女子が2,3人いるのが目に付いた。
「あ、吉川くん。」
「お。みんな吹奏楽部なの?コンクール?すげーいいじゃん。」
そんで、軽く立ち話をした。
次の日も、暇だからバスケに行った。
江藤は今日の夜には帰ってくるけど、明日会えるかも分かんないし、俺も倉持達と午後にゲーセンとか繰り出す方が楽しいし。
そして、うるさい吹奏楽部の合奏を聞きながらの練習の合間に、ワイ談に華を咲かせた。
クラスの女子が手を振ってくれるもんだから、こっちも振り返したら、周りの他の女の子たちとも仲良くなれた。
結構、あの部活、レベル高いかも。
3日目。案の定、江藤とはまだ会えず、時間を持て余した俺はまたもや部活に顔を出した。
先輩たちに小突かれながらの練習もなんだか楽しくなって来たし、同じ体育館で練習している吹奏楽部の女の子たちとも随分仲良くなれた。
倉持も福富も、棚ぼただと言わんばかりに喜んでいる。あわよくば狙ってんだろうけど、そんなガツガツしてちゃ俺でも逃げるよね。
で、その日の練習も終わって、たまたま一人で最後の片づけをしていた俺は、落ちていたボールを拾って何気なくフリースローをした。
狙いを定めて、もう一本。
もう一本。
タッパはないけど、すばしっこさと正確なシュートが俺の武器。
ふと顔をあげると、女子が一人、こちらを見て立っていた。
なんだかわかんない黒くて細長い楽器を持っている。
同じクラスの日下部綾香だ。ここんとこ連日見る、吹奏楽部の一員だ。
「ども。」
そう言って俺はにっこりと笑った。
「ども。」
そう言って彼女もにっこりと笑った。
「吉川くん、練習熱心だね。上手だね。」
そう言って俺を眺めている。
練習熱心、だなんて生まれて初めて言われたもんで、俺はガチで面喰ってしまった。
「え?俺が熱心?」
「うん。いつも頑張ってるじゃん。」
「・・・うわー。それ、倉持が聞いたら怒りまくりそう・・・。」
たまたま気まぐれで3日連続顔出しただけなんですけど。
「どうして練習してるの?試合が近いの?」
彼女がニコニコしながら聞いてきた。
え・・・どうしてって・・・。
「いや・・・一応、夏休み中の部活動、という事で・・・。」
合宿なんかも、あるのよ?
「部活動?何の?」
一瞬、俺は別世界に飛ばされたのかと思った。
え?この子、俺に今、部活の名前聞いた?
相手の顔をマジマジと見た。どうやら彼女は、本気らしい。
眼鏡をかけた割とおとなしめの顔が、真っ直ぐにこっちを見ている。どっちかってーと、キョトンとしている。
「・・・バスケ部だけど・・・。」
俺はバスケットボールを抱えたまま、呟いた。このシチュエーション、どっか間違ってねえか?
すると彼女はしばらく考え込み、それから驚いた様に言った。
「えっ?うちの高校って、バスケ部があったの?!」
「・・・っていうか、日下部さん、あなた今まで、俺達の何を見てきたの?」
とっても驚きました、って顔をしている彼女に俺は向き直る。あのね、驚いてんのはこっちだから。
「俺ら毎日、バスケしてたでしょ?ステージで演奏している君達の前で。そんで今、俺、ボール片付けているでしょ?夏休み中にバスケをやってる美術部員とか、おかしいでしょ?」
俺がそういうと、彼女は俺を指さした。
「だって、バスケの服、着てない。」
「服装かよ。」
俺達が着ているのは普通に学校指定の短パンと、上は各自適当なTシャツなんだけど、それがユルすぎるって事?まさか部活動とは思わなかったって事?
「それに倉持君って、水泳部だと思っていたから・・・。」
「・・・ああ、あいつ、掛け持ちしてんもんね。」
午前中バスケ、午後水泳。そうやって性少年の性欲を処理してる。健全なんだか、不健全なんだか。
「そっか。水泳部の体力作りと思われてたか。結構ショックだなあ。先輩達とか、凹むだろうなあ。」
俺が大袈裟に嘆いてやると、日下部さんは困った様にアタフタし始めた。
「ご、ごめんなさい、あの、そんなんじゃ・・・みんなちゃんと楽しそうにやってたし・・・。」
「つまり、かなりユルそうで、部活に見えなかったって事でしょ?」
「そ、そんなんじゃ・・・えっと、あの・・・。」
みんな一生懸命やってた、じゃなくて、楽しそうだった、と言うあたり。
部活に見えなかった、わけではない、とキチンと否定出来ないあたり。
彼女って、バカ正直、というか機転が利かない、っつーか、空気読めない、つーか。
ああ、あれだ。テキトーな事が言えない。
俺と真逆だ。
そういう女の子とは、今まであまりお近づきになった事がない。疲れそうなタイプって、苦手。
天然は嫌いじゃないけどね。ふわふわと可愛らしければ好みだったんだけど。
でもだからって、こんなところで会話を投げ出したりはしない。態度だって変えないよ?だって人に嫌われんのが一番面倒くさいんだもん。
俺はふふ、と笑った。
「日下部さんは?そっちこそ毎日熱心にやってんね?それ、なんて楽器?」
「これ?オーボエ、って言うの。」
「ふーん。」
楽器なんて、洋楽のバンドに憧れてギターを少し触った程度だから、クラシック音楽方面はさっぱり知識も興味もない。よって、会話が中々続かない。
「難しいの?」
「うん。木管の中では一番難しい、って言われてる。」
モッカン?モヒカン?んなわけ、ねーか。
「好きなんだ?」
「ううん、嫌い。」
俺はまたもや、目が点になってしまった。
「・・・はい?」
「嫌いだよ?オーボエ。」
「・・・じゃ、何でやってんのよ?」
「だって中学の時にね。友達に誘われて吹奏楽に入ったら、みんなに人気の楽器を取られちゃって、私がやれるのはこの、いかにも地味っぽいオーボエしかなかったの。」
・・・この子、マジで、かなりの天然?
「・・・じゃなくて、俺が聞いてんのは、何で今、日下部さんがその楽器をやってるの、って事。」
「だから、中学の時に」
「そうだけど!・・・あの、それなら普通、せめて高校入ったら、別の部活に入んない?」
すると彼女は唇を突き出して、拗ねたような表情を見せた。
「・・・だって、くやしいんだもん。」
「え?」
「嫌いなまんまで終わったら、中学3年間が無駄になるじゃない。途中で投げ出すのも嫌だったし。頑張ってもう少し上手になったら、好きになるかもしれないし。」
「・・・嫌いなものを続ける方が、時間の無駄になるような気がするけど・・・。」
「嫌いなものを放っておくのって、負けた気がして嫌なの。」
「・・・うわー・・・。」
俺は絶句した。
無理。俺には絶対、無理。修業じゃねえかよ、それ。つか、苦行じゃねえかよ。
「でも、吉川くんの楽しそうなバスケ姿見ると、こっちも楽しくなるよ。」
そう言って、彼女はふいに微笑んだ。
正直、意表を突かれてしまった。
「好きな事を、楽しんでやるのって、いいよね。周りも幸せになるよね。」
そういって彼女は、すごく純粋で澄んだ笑顔で笑った。
それは、割と腹黒な俺には、はっきりいって反則技的笑顔だった。
ヤベえ。
目の前で、新しい世界の扉が開かれていくのを、感じていた。
ああ、そうか。
だから彼女は、俺がフリースローするのを見てたのか。
こんな適当な俺だけど、この子の息抜きになってたんだな。
まあ、この際、美術部員だと思われていたとしても、いいか。
「ありがと。」
俺は柄にもなく少し赤くなって、肩をすくめてみせた。
「日下部さんの好きな事って、何?」
「・・・えー?何だろ。私、無趣味だしなあ・・・。・・・お昼寝?」
・・・どうすりゃいいんだ、俺。
負けるな、俺。
「・・・じゃさ、これからも練習の合間に俺らのゲームでも見てさ、気分転換でもしてよ。」
ああ、コレで俺、これから毎日部活に顔を出すのかも。なんてこった。
バスケのボールを弾ませながらそう思うと、彼女の前でもう一度、フリースローをした。
上手く、決まる。俺、今自分が器用で感謝した。
「ふふ。そうだね。そうするよ。楽しそう。吉川くん達が練習始めてから、こっちも面白いもん。」
彼女は嬉しそうに笑う。
そして、今までより少し親しみを込めて、俺に話しかけてきた。
「ねえ、吉川くんって、一年何組?」
・・・・え?
俺、ボールを拾えませんでした。
俺の足元をボールが転がっていって、俺はそのままの体勢で動けなくって、
彼女はそんな俺をにこにこと微笑みながら見ていた。
つか、俺がボールも取れずに固まっている事に気づきもしねえっ!!
俺は恐る恐る、彼女の方を向いた。
「・・・同じクラスだけど・・・。」
「え?何?」
「・・・同じクラス・・・・。」
すると彼女は、その意味が理解出来なかったらしく、一瞬俺をその地味な眼鏡の奥から凝視して、
次に、さすがにのけぞった。
「ええっっ??!!」
「・・・・。」
ああ、俺、どんなリアクション取ればいいワケ?
4月に入学して4カ月弱、俺なんて2週間でクラス全員の顔と名前を覚えたよ?記憶力もいいから。
あんたと教室内で話をした事も、一度や二度じゃないと思うんだけど?そりゃ、事務的事項だったかもしれないけどさ?化学実験で同じ班だった事もあるじゃない?
・・・信じらんねー。クラスで結構上手くやってる方だと思っていたのに。女の子の間でも、人気には少なからず自信があったのに。ありえねえ。マジ、ありえねえ。
俺はバラバラに壊れていくガラスの様にデリケートな心を、一人で地味に拾い上げていた。
目の前で、犯罪的強力天然な日下部綾香も、相当アタフタしているらしい。
「あ、あのっ!!ほ、本当にごめんなさいっ!!ごめんなさいっ!わ、私、昔から図形とか苦手で、あの、だから人の顔とか覚えられなくて」
顔は図形かよ。
あんたの眼には、俺はどんな図形なんだよ。
「それで、すごく目も悪いもんだから、あの、それで、ホントに目が悪くて・・・。」
頭も悪いんじゃねえの?
「・・・まあ、俺も、クラスん中じゃ、あんまり存在感ないから・・・。」
「あ、そうなんだ?」
受け入れんなよっ!!否定しろよっ!!慰めてんだよっ助け舟出してんだっ空気読めよっ!!
「・・・眼鏡変えたら?」
俺は可愛くにっこり笑って見せた。大概、これで女の子とは上手くいく。
「え?」
「眼鏡。度数変えたら、もっとよく見える様になるかもよ?」
そう言って彼女に近づく。仕返しをするつもりだった。
にこにこ笑って近づくと、かけている眼鏡に手を伸ばし、外してやった。
そうやってね、軽く落とそうと思ったの。だって悔しいじゃない、俺としては。
彼女は俺を凝視したままポカンとしていた。
俺は彼女から眼鏡を外し、その顔をじっと覗きこんだ。
まっすぐで、大きすぎないけど、つぶらな瞳が俺の事を見つめていた。
ヤベえ。予想外だ。マジ、かわいい。どうしよう。
彼女から視線を外せなくなった。
仕返しするつもりだったのに、自ら足を深く沈めてしまったらしい。
「・・・やっぱさ、眼鏡やめて、コンタクトにしたら?」
彼女の眼鏡を手にしたまま、至近距離でそう言ったら、
彼女はあろう事か、思いっきり眉根を寄せて、これ以上ないってくらいのヤブ睨みで俺の顔を見上げてきた。
な、なんだよ、その目つき。
「でも、コンタクトって全然、私の目に合わないのよ。それより、眼鏡返してくれる?それがないと、何にも見えない。」
すげえ、こんなに激しく眉間に皺寄せてる人間、初めて見た。あれだよ、よく神社とかにいる、鬼だか仁王だかの彫り物みたい。
これ、俺じゃなくても後ずさるよね?
「あれ?吉川くん、どこ行くの?離れてってる?見えないんだけど?」
「あ、ごめんごめん。」
慌てて近寄る。勇気いるぜ。
「どんだけ近寄らないと見えないの?」
「そうだなー・・・。」
彼女は眉根を寄せながら近寄ってきた。それが不気味で、やっぱりたじろぎたくなるんだけど、なんとか我慢して。
段々、彼女の眉間のしわが薄くなってくる。
「あ、見えた。ここかな?」
それはもう、鼻と鼻とが触れ合うくらいの距離だった。
俺は思いっきり、彼女の瞳を凝視してしまう。その真っ直ぐな視線に、何度目かのノックダウンを受けた。
おまけに、鼻孔まで彼女の香りでくすぐられる。
何だよ、これ。
「返して、眼鏡。」
彼女はそんな至近距離で俺を見つめながら、右手を俺に差し出してきた。
「あ、ごめん。」
慌ててそれを返す。
心臓が、ドキドキしている。
本当に、何だよこれ。お姉さんに童貞喰われちゃった時より、ヤベえじゃねえかよ。
こんな感覚、今まで経験した事なかったぞ。
気持ちを落ち着かせようと思って、過去に付き合った女の子達の顔を思い浮かべる。
どの子も可愛くって、気立ても良くって、おまけに胸も大きかった。
みんな結構好きで、告白したりされたり、いずれにしてもスムーズに事が運んで楽しかった思い出ばかり。
ああ、それなのに。
「確かに、そうだよね。今度目医者さんに行って、もう一度視力測ってくる。」
そう言って眼鏡を拭きながら話す彼女は、どっからどう見ても、今までの俺のタイプじゃない。
眼鏡外さなきゃその可愛さにも気付かなかったし、気立てなんて良いどころか常識的な事にまで空気読めなさそうだし、胸なんて昨今の小学生の方があるんじゃねえか?あれ、絶対Aカップの上げてるブラだよな。
それにどうやったって、すんなり事が運ぶとは思えない。
「ごめんね。・・・怒ってるんだよね。・・・当然です、ごめんなさいっ。」
いきなりガバッと頭を下げられた。
「いや、やめてよ。怒ってないよ、そんな事で。」
「・・・ごめんなさあぁい・・・。」
そう言って上目遣いで俺を見ようとするんだけど、見る勇気が無いらしくて、しきりに首を捻っている姿。もう、ますます可愛く見える。
「・・・じゃあさ、今度俺とデートしようよ。」
これはチャンスかもしれない、と思って、笑って誘ってみた。
すると彼女は、鳩が豆鉄砲を食らった、と言う表現がまさしくふさわしい、つぶらな瞳を見開いて、ついでに口も間抜けに開いた。
「・・・何で?」
ああ、神様。何で、だよ?俺、デートに誘って理由を聞かれたの、初めてだよ。
「だって日下部さん、面白そうなんだもの。」
そう言うと、彼女はビックリした顔のまんま、俺をジーと見つめた。
ああ、この反応。今度は何?ホント読めない、彼女。
「・・・ああ、そっか。吉川くんって、遊び人なんだ。」
「・・・はい?」
「だって彼女がいるんでしょう?」
・・・ヤベえ。これこそヤベえ。マジで忘れてた。
「私、面倒な事は嫌いです。」
ああそこは、俺と一緒です。
なのに頭の中では、これから起きる、面倒な事を想像している。
あの子とお別れして、彼女に照準合わせるなんて、どう考えたって分が悪い。かったるい事は避けたい俺のモットーに反するのよね。それなら、なんにもしないで流れに任せて楽しむのが、唯一のポリシーだったのに。
毎日部活に顔を出しちゃう俺が想像できる。
可愛い彼女とお別れしちゃう俺がいる。
そして目の前の、殺人的に天然な彼女を振り向かせようと涙ぐましい努力をする、俺が見える。
恋って、惚れた方が負けだ、ってのは本当だ。
「思いつきの出来心で、余計な事に巻き込まないで下さいね。」
いつのまにか丁寧語の彼女。
片思いって柄じゃなかったんだけど。
これもこれで、案外心地いいものかもしれない。
この歳で初めて、初恋を経験した気分だ。遅すぎて、笑っちゃう。
そうだ、しばらくこれに、浸っていよう。
ああこの感覚、まるでMだな。だってどうしたって、あの子は俺を振り回すよ。
それを楽しむなんて、絶対マゾだ。倉持の事、笑えねえ。
「すみません。以後、気を付けます。」
ボールを弾ませ、俺は微笑む。
彼女は、少し不思議そうな顔をして、立ち去る。
俺って基本、やっぱりSだと思うんだけど。
あの子の前だけでは、本質Mなんだな、きっと。
一生、勝てる気の無い様な女の子に惚れてしまったんだから。
そんな事、仮に付き合えるようになったとしても、彼女は絶対に気づかないだろう。だってあの子は、最強の天然。
俺のスイッチ、あんな所にあったんだ。
本編が只今、あまりにも恋愛とかけ離れている為、
ストレスがたまった作者が、一気に2時間で書きあげたお話です。
ですからまとまりがなく、読みづらかった点が多々あった事と思います。申し訳ありません。
本編の方も、宜しくお付き合いください。後少しで完結させます。
このお話達が、少しでも皆様の暇つぶしのお役に立てておりますように・・・。
戸理 葵